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脱出

さし伸ばした指先がベルの手に触れる、剣を握り慣れた彼女の手のひらは硬い、それでいて彼女の手はいつもより頼りなげで小さく感じた。

高速旋回する瘴気の渦が二人に迫る、ベルの背後の金属人形が剣を一閃すると血の花が散った。


絶叫を上げたがそれは声にならない、悪夢のように目の前に赤い吹雪が散った、やがて世界が揺らぎ溶けて消えていく。


ベル・・・





ふと冷たい石畳みの感触を手の平に感じる、周囲は静まり闘いの喧騒(ケンソウ)が何時の間にか消えている。


「なんだ?」


オレンジ色の照明に照らされた静かな部屋の真ん中にいた、長椅子のカウンターと無造作に置かれた荷物の山が目に入る、最初に潜入した入り口の部屋にいる。


だが不吉なローブ姿のセザールもアゼルもコッキーの姿も無い。

腕に無銘の魔剣の重さを感じる、その重みがこれが夢でも幻覚でも無いと教えてくれた、剣の重みが心を落ち着かせる。


周囲の気配を探ると背後に二人の命を感じる、部屋の片隅で白い髭の好々爺然としたホンザが立ちすくんでいた。

「ホンザ殿か!?」

「ここは儂の魔術陣地の中だ、いそいで中に引き込んだが・・・無理をしたせいで混乱しているようだな」


そしてベルの事を思い出した、最後に見た彼女の鮮血とともに記憶が鮮明に蘇った。

「ベルはどこだ!?」

「彼女はそこじゃが・・」


ホンザは当惑した様に壁際を指差した彼の語尾にかすかな違和感を感じる。

そこにベルが倒れていた、かけよろうとして立ち止まる。

ベルの精霊力の力が弱まっているそれが不安を煽る。


「ベル無事なのか!?」


だが魔術道具にわずかに照らされた彼女の姿は奇妙だった、やがて何かが軋むような嫌な音が聞こえた、それは彼女から聞こえて来る人の骨と筋肉が軋む不気味で不吉な音。


ゆっくりと彼女は立ち上がる。

オレンジの魔術道具の光が彼女の姿をはっきりと照らし出す、彼女の四肢が異常に黒い、全身が黒曜石の様に黒く(ツヤ)やかに輝いて淡いオレンジ色の灯りを照り返えした。


なんだこれは?


「これが幽界帰りの力か?」

ホンザのつぶやきが聞こえて来た。


ベルは全身(ツヤ)やかな漆黒の体毛に覆われていた、彼女の庶民的なスカートの裾が少し持ち上がると裾から細い黒い尻尾の先が頭を覗かせた。


ゆっくりと彼女がこちらを向いた、顔もまた(ツヤ)やかな薄い毛並みに覆われている、彼女の長い黒髪は(タテガミ)の様に背中に流されている、まるで大きな黒猫の様だ。


黄金に輝く瞳が無感情にルディを見詰め返している、頭の上の三角の耳が二つピクリと動いた。


彼女の瞳からは感情も思考も読み取れない、だがそこには知性の光があった、その異質な知性の実感が背筋を凍らせた。


そしてこの瞳に何度も出会った事があった、それは狩猟感謝祭の夜から始まる異界の旅、そして夜の街道の闘いで獣と化したベルの瞳と同じだ。

彼女から敵意は感じられない、だがあの焼け付くような攻撃的な意思も殺意も巨大な力も今は感じる事ができなかった。


彼女から覇気と闘気が抜け落ちていた。


ベルが僅かに身を捩らせる、彼女の足元に水たまりが生まれそこに水滴が滴り落ちる。

それが血だとすぐに理解した彼女は深手を負っていた。


思わずベルに近づくが何をしたら良いのか解らない、落ち着いてそっと呼びかける。


「ベル俺がわかるか?」


それが聞こえたのか彼女がこちらを向いた、その黄金の瞳が僅かに(カゲ)ると少し首をかしげる。

彼女は全身を黒曜石の様に(ツヤ)やかな毛並みに包まれていたが、まだその姿は人の形を保っていた。

彼女の内から溢れ出る瞳の輝きははるか彼方の異界の光だ。


再び彼女の体から異音が鳴り響いた、このままベルは人では無い何かになってしまう、そんな予感に捕らわれた未知への怖れが大切な者を失う恐怖に変わる。


勇気を出して手を差し伸べた。


「怪我をしているのか?ベル」


ベルは少し離れる様に退く、そしてベルの精霊力がしだいに強くなる、彼女の全身が黄金の光に包まれて行く、そして再び変異が始まった体毛が少しずつ伸び手足の変異が進んでいく。


何か巨大な存在が顕現しようとしているそう直感した。


「まってくれ!!」


彼女がどこか遠くに行ってしまいそうに思えベルを両腕で捕まえると強く抱きしめた、彼女は抵抗もせず俯いたまま動かない、彼女の体を包む光が弱まると不吉な筋肉と骨が軋む音も消えて行く。

ルディの鼻を彼女の獣の耳の先がくすぐった。


「ル、ルディガー殿、間もなく儂の魔法陣地が消える、元に戻るぞ!」


ホンザの声が背後から聞こえてきた、ルディはそれで我に返った、だがホンザに問い返す時間の猶予はなさそうだ。

目の前が陽炎の様に揺らぎ始めていた、それが加速的に大きくなると世界が溶け始めた。

悪夢の様な浮遊感に包まれて意識がわずかに遠くなった。






その直後周りが喧騒(ケンソウ)に包まれた、視界が強烈な光に包まれ目眩に襲われる。


凄まじい人外の叫び声と共にセザールの姿が明滅する光に包まれている、コッキーが人型の金属人形の足を掴んでセザールを殴りつけた瞬間だった。

コッキーは最後に見た時より更に変異が進んでいる、服から露出した肌は白銀色に輝き金属の様な光沢のある鱗に覆われていた。

それが彼女の青いワンピースに不思議と映えていた。

セザールから発した瘴気の槍が彼女に突き刺ささる、そのまま弾かくと軌道を変え壁に当たって紫の光を煌めかした。


「このバケモノが!!」

喧騒(ケンソウ)の中でセザールの舌打ちが辛うじて聞き取れた。


「殿下、ホンザ殿!!ベル嬢ですか?」

背後からアゼルの安堵と驚愕が混じった声が聞こえてきた。


コッキーは金属製の人形を掴んだままルディを一瞥した、人形はコッキーに姿が似ていたが破損が激しく歪んで腕が失われている、そしてベルに似た金属人形の姿は既に無かった。


「今のところ無事だ!!こいつを仕留めよう」

ルディはセザールを観察した、だがセザールの青白い炎の目は自分を見てはいない。

両腕に抱えたベルだけを見詰めている。


「それガ正体か?」

それは闘いを忘れ探究心と好奇心に迷わされた男のつぶやきだった。


『おお?消滅したかとあせったぞ、魔法陣地に避難したか』

ルディのペンダントが言葉を発した、これがルディとセザールの意識を現し世に戻した。


「手応えが無いと思ったがやはりホンザか」


セザールの意識が初めてルディに向いた、そしてホンザに気づいた様だ。

ベルを庇うように無銘の魔剣を構えセザールに対峙する、ベルの精霊力が再び高まりだした。


「こやつらヲ捕らえルのは無理か・・・」


セザールが魔術術式を驚異的な速さで構築する今度は術式は一つ。

コッキーが金属人形で殴りつけると人形が砕けて破片が天井にぶちまけられる。

そこにルディの魔剣が叩き込まれた、ベルの漆黒の影が落ちていた剣を拾うとセザールの背後に回り込もうと動きはじめた。


セザールの姿が強烈な乱れ踊る光に包まれる、防護結界が脅威を相殺し光輝きながら消耗して行った。

コッキーは金属人形の足を放り捨てると恐ろしい叫び声を上げて青く輝く宝石の様な爪で襲いかかる。


その直後セザールの煌めく光が途切れる、セザールの防護結界が再び力尽きたのだ、そこにルディの二撃目がセザールを頭から切り下ろした。

だが奇妙な手応えに剣筋が逸らされセザールの右肩付近に当たるとローブ毎右腕を切り落とす。


「やったか?」


その直後セザールの姿が消えていた。

床に彼のミイラの様な腕が落ちる、ミイラの様な腕は金属の光沢を放つ腕輪をいくつも身につけていた、

その指は二つの指輪を身に着けていた。


「逃げおったか?」

ホンザの無念がこもった声が聞こえてくる。


『なんじゃこの部屋は?』

「アマリア様、奴は先ほどこの部屋全体に結界を貼りました、魔術攻撃から部屋の壁を護るためでしょう」

『あれがそうじゃったか』


すると部屋の壁が紫光を発する、紫色の光の壁が四方の壁から浮かび上がるように生じた、そしてゆっくりと部屋の中心に向かって来た。

先ほどの闘いで空いた壁の大穴からふたたび泥水が吹き出して来る、そして重い何かが落ちる音と共に部屋の西側の金属の扉が重い金属のぶつかる音を立てて激しく震えた。


泥水の勢いが激しくなり部屋を少しずつ浸水させていく、だが紫の壁に阻まれてその内側に入ってこない、泥水はすでに人の膝ほどの深さになっている。

紫の壁はしだいに四方から部屋の中心に向かって迫る、五人は部屋の真ん中に追い詰められて行く。


ルディは家具の残骸を光の壁にぶつけた、木片は光の壁にぶつかると下に落ちた。

「やはりこの壁は抜けられないか?」


「ラッパがあるのですよ!」

急速に元の姿に戻りながらコッキーが請負う。

「大丈夫ですかコッキー?」

「アゼルさん慣れました、すぐ吹けるのですよ!」


コッキーはトランペットを構えて光の壁に精霊力の波動をぶつけた、結界の弱点を探るように精霊力の波長を変化させると弱点を探っていく。

直後に強烈な衝撃波が結界を吹き飛ばすと同時に泥水が安全地帯に流れ込んできた。


「急ぐぞ塔を昇って脱出する!!」

ルディは扉に跳びつきレバーを回して押した、だが重い抵抗に阻まれ扉が開かない。


「ベル、コッキー、手伝ってくれ!!」

コッキーが扉に取り付くと力いっぱいに扉を押すがやはりびくともしない。


「殿下先ほどの振動ですが、この先を塞がれたのでは?」

「なんだと!!!」

壁から吹き出す泥水が時間とともに勢いを増して行く、泥水の深さは膝に差し掛かろうとしていた。


「反対側に行こう」

全員で特別区画を通過して反対側に向かう為に東に走った。

だが目の前の通路が巨大な石材の壁に塞がれていた、先ほどまでこんな壁は無かった、いや先ほど見たあの色違いの壁が手前に移動して通路を封鎖したのだ。


この壁の向こうに特別区画に向かう通路があるはずだ。


「くそ封鎖されたか」


元の部屋から激しい濁流の音が聞こえてくる、地下構造に城の北側の水堀の水が大量に流れ込もうとしている。


足元に泥水がヒタヒタと押し寄せた。


突然ベルが北側の壁に近寄った、彼女はまだ変異を解いていない、少しぎこちなく脇腹を押さえながら。


「ベルさん?」

コッキーはベルの異常に気づいた、ベルは壁を手で叩くと斜め上を指差しす。

「まさかここに穴を開けるつもりなのか?」

「ベル嬢この石壁をこわしましょう、この奥から出れるかもしれません」


ベルは指を一本だけ立てた。

「ベル穴を開けられるのは一度だけなのか?」

ルディが問うとベルはうなずいた。


『穴を開けて外に出るつもりなのか!?』

少し呆れ気味のアマリアの声にベルは小首を傾げてからうなずいた。


「地下が水で満たされてから穴を抜けるぞ、みんないけるか?」

ルディは全員を見渡す。


「コッキーは平気なのです」

「ホンザ殿は?」

高齢のホンザが気になる脱出に手助けが必要になるかもしれない。

「良い術がある、アゼルお主はどうだ?」

「私が溺れる心配は不要です」


直後にベルの精霊力が飛躍的に高まる、だが彼女は僅かに苦しそうだった。

ベルは壁に向かって突進した、虚無の波動と共に壁が綺麗に消滅し抉りとられた、ベルの姿が消えた直後に穴から濁流が吹き出した。







ルディは水面に頭を出すと周囲に感覚を広げベルを探す、ここから遠くない水面に弱々しい命の輝きを見つけた。


ベルが死んだように浮いていた、慌てて近づき抱きかかえて彼女の鼻に耳を寄せ、細身だが鍛えられた彼女の手首をとって脈を調べる、さいわいな事に呼吸も脈もあった、それを知ると安心の余り全身から力が抜けた。


「ベルを見つけたぞ!だが意識がない!!」

仲間たちに呼びかける。


「殿下こちらは全員揃っています、いそいで上がりましょう」

アゼルがそれに応える、しだいに仲間達が集まって来た。


「城が騒がしいぞ、ここは早く離れた方が良かろう」

ホンザが水の上を悠然と歩いて来た、好々爺とした態度からそうは思えないが彼もまた上位魔術師なのだ。


いそいで城の水堀の北岸を目指す、ベルはルディの腕の中で意識を失ったままだった。


背後の城壁の上を警備兵が走り回っていた、水堀の湖面に灯りを落とす篝火(カガリビ)の数が増えていく。


遠くで警鐘が鳴っていた。






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