死霊のダンスの騒乱
死霊術ギルド『死霊のダンス』はハイネの新市街の繁華街の占いや怪しい魔術屋の集まった通りの地下にあった、だがそこは今まさに最悪の空気となっている。
陽が傾き始めた時刻になって出勤してきたメトジェフの機嫌は最悪のものだった、彼は苛つきながらギルドマスター席でふんぞり返っている。
その彼を見るギルドメンバーの目は氷の様に冷たい、この男が死んだ魔術師を悼む言葉一つなくジンバー商会や研究所の悪口を並べるだけだったからだ。
そして八つ当たりの火の粉がピッポにもふりかかった。
ピッポは内心でメトジェフを馬鹿にしながらも卑屈そうな曖昧な笑いを浮かべて首をすくめるだけだ。
「もしや私のセザール=バシュレ記念魔術研究所への移籍の話が気にいりませんでしたか?」
小さな声でふとつぶやいた、向かい側から視線を感じたピッポは顔を上げる、魔術師のフランクが気の毒そうな顔をしている。
彼が無事にゲーラから戻って来た時ほっとした自分を思い出して苦笑いをした、フランクの我慢強さに尊敬の念すら持ち始めている。
良くメトジェフの下で耐えられますな。
「気にするなよ、ここは育成機関だからある程度成長するとほとんど出ていくんだ」
「やはりそうでしたか、歴史が長い割にベテランがいないと思っていましたよ」
ピッポはメトジェフが他に行っても上手くやって行けないと確信していた、でもここならばメトジェフは永遠に頂点でいられる。
それを考えるとテレーゼの死霊術師のトップに君臨するセザール=バシュレは人を見る目は有るのかもしれない、そして彼の高弟に対する乾いた視線を意識した。
「ここに長く居るのは自慢にならないんだ、リズは中位になれたからやっと出ていけたんだぜ」
「魔術師ランクは関係ないのですか?」
「関係ないわけじゃあないけどな、ランクは努力も重要だが素質が鍵だ、下位魔術師でも見込みがあったり仕事ができる奴ならさっさと他にスカウトされる、見込みの有るやつは行き先でランクが上がるのさ」
「なるほど!」
ピッポはわざとらしく相槌を打って感心してみせる、フランクの顔が僅かに不快げに歪んだ。
「ところでメトジェフさんはなぜ失敗したのでしょうか?」
「はっきりとはわからない俺は眠らされていたからな噂では強力な邪魔が入ったらしい」
「その邪魔者とは?」
フランクが答えようとしたところギルドホールの奥の階段の上がにわかに騒がしくなる。
数人の男たちが揉めているのか、野太い喚き声と何かがぶつかり倒れる音が聴こえてくる。
「邪魔だ通せ!!」
怒号と共に筋肉質の大男がギルドの職員の胸ぐらを捕まえたまま階段を降りて来ようとしている、その後から無法者達が数人後を追ってくる。
「うわっ!!赤髭団のブルーノじゃないかまずいぞ!!」
フランクが慌てて立ち上がるとブルーノに向かって駆け寄っていく、ギルド職員がブルーノに取りすがるが大木の様な太い腕で払われてしまう。
精霊王の息吹側の扉の前にいた用心棒がギルドマスター席に走りよってくるのが見えた。
「五月蝿いぞ!!なんだそいつは?」
ギルドマスター席のメトジェフが立ち上がり軽蔑を込めた視線でブルーノを睨みつけると、側にいた事務員がメトジェフに耳打ちする。
「赤髭団のゴロツキ共か!?」
その一言でブルーノ達が更に殺気だった。
「てめえうちの者が二人死んだんだぞ?どうしてくれるんだ!?」
ブルーノの顔は土気色で黒みすら帯びていた、やつれて目の下に隈がある、マティアスがここにいたら暴飲とソムニの樹脂のせいだと看破しただろう。
ブルーノがなおもメトジェフに迫る赤髭団の無法者達も腰の武器に手をかけかけていた。
「それがどうした、何の危険もなければお前たちに声などかからんわ!!それにお前らを使えと指示を出したのはジンバー商会だわい」
「そんな事はわかっている、てめえ手下共を見捨てて一人だけ逃げやがっただろうが!!」
ブルーノの怒りはそれにかかっていたようだ、見捨てられたのは死霊のダンスの魔術師も含まれる。
彼の怒りは死霊のダンスの魔術師達の本音も代弁していた。
赤髭団は先日のセナ村の闘いで多くの犠牲を払った、手下達を失った怒りを金で冷ました後ろめたさが歪んだ形で吹き出したのだ。
それにここは古参のベテランも中堅の魔術師もいないメトジェフの城だ、ギルド職員では彼を抑える事はできないし彼をたしなめる者もここにはいない。
「ゴロツキ如きに何がわかる!!儂には生き延び報告する責務があるのだ!!」
「ふん、おまえの腐った根性を知らねえと思っているのか、臆病風邪に吹かれて一人で逃げ出したのはわかってるぞ!!」
メトジェフの両側にいた死霊のダンスの用心棒が一歩前に出た。
「ろくに読み書きもできないクズが偉そうな!!」
猛ったブルーノがいきなり前に踏み出すとメトジェフに殴りかかった、それを用心棒が必死に止める。
「あんたらも止めてくれ」
フランクが赤髭団の手下達に訴えるがブルーノを止めるどころか前に出てくる。
魔術師達は困惑しながら見守っていた、赤髭団とは新人募集の仕事などいろいろ付き合いがあるので顔見知りも多い。
ピッポはメトジェフの周囲で僅かな力の動きを感じた、魔術師ではないが異界の力を僅かに感じる事ができる才能がある。
「これはまずいですぞ!!」
ピッポはあせった地下の狭い空間で術が行使されようとしている、他の魔術師達も察してギルドホールが混乱すると近くの魔術師が逃げ出した。
「おい何するんだ!!」
誰かが叫んでいる、椅子が倒れる音と机の上の道具が倒れる音と女性の悲鳴が聞こえた、術によってはこちらの身も危うくなる。
そこに階段の上から新たな力の収束を感じる、距離が離れているのと天井が邪魔で術者の姿が見えない。
ピッポはその強い力に衝撃を受けた。
だが二つの大きな力の奔流を感じた直後に瞬時に消え去った、そしてギルドホールが静寂に包まれた、何者かがメトジェフの術式構築を妨害したのだその異常事態に皆息を飲む。
「爺さん何やってんの?」
階段の上から軽薄な若い男の声が響いた、ピッポはその声に聞き覚えがある。
その声の主が階段をゆっくりと降りて来た、長身で肩幅も広いガッシリとした若い男でピッポはそれが誰かすぐに解った。
死霊のダンスを何度か訪れた事がある『セザール=バシュレ記念魔術研究所』のヨーナス=オスカーだった。
リズから彼が上位死霊術師に昇格したと聞いた事があった、僅か数年で下位から上位に昇格した若き天才と呼ばれる男だ。
ちなみに上位の死霊術師はメトジェフとヨーナスを含めて僅か10人程と聞いている。
「ヨーナスか!?今何をした?」
「最近は相手の術式をキャンセルする研究も進んでいるんだぜ?」
メトジェフの顔が屈辱と怒りで歪む、魔術師達に驚きのどよめきが広がる、ヨーナスはそれにかまわず赤髭団の男達を無視してギルドマスター席の前に進む。
「はいよ所長からの伝言だ、これは次の新入りのリスト」
ヨーナスはギルドマスターの机の上に伝言板と羊皮紙を置いた。
「おいなんだお前!!」
毒気を抜かれたブルーノが矛先をヨーナスに変えて食ってかった、それを侮蔑を込めた軽薄な口調で返そた。
「なんだこいつ?どこかで会ったかな」
「舐めるなよ俺は赤髭団の首領ブルーノだ」
「ああ新市街のゴロツキにそんなのいたな、思い出した」
「なんだと!!」
ブルーノはヨーナスに詰め寄った、ブルーノは筋肉の塊の様な大男だがヨーナスも身長は負けていないし横幅も魔術師とは思えない程広い。
ブルーノが食ってかかろうとした瞬間ヨーナスから膨大な力が溢れるとブルーノの動きが止まる。
ピッポはその強い力に衝撃を受けたが違和感を強く感じた。
思い返すと彼は死霊術師の大きな力の発動の場に居合わせた事がなかった、ピッポは魔術師ではないが精霊力の発動を僅かに感じる事ができる。
不浄の死霊を扱う故の死霊術師固有の瘴気と認識していたが、それでは説明しきれない違和感だ。
ブルーノの足元がふらつき片足を折り床に座り込む、屈辱で歪んだ無法者の顔は青白く替わりその目も虚ろだった。
「首領!!」
「ブルーノさん!!」
手下がブルーノに慌てて駆け寄り助け起こす。
ピッポは術式が完成したわけでもないのにブルーノが制圧された理由が理解できなかった。
「どうだろうか、ここは一度引いて冷静になってから来ては?」
フランクが見かねて赤髭団の男達に声をかける、勇気を出してこの場を収めようとしたのだ。
メトジェフもヨーナスもこの場を収める気が無い、だがギルド職員や魔術師達と赤髭団の手下達の間には多少なりとも面識がある、むしろメトジェフやブルーノは相手の組織の構成員と没交渉だ。
その場の空気を読んだ赤髭団の手下達がブルーノを助け起こす。
「ああブルーノさんの調子が悪い、今は引くからな覚えていろよ」
お約束のセリフを吐くと赤髭団の手下達は首領をかばいながら階段を上がっていく、やがて騒がしい音と共に去りギルドにまた静寂が訪れた。
「クソが!!」
メトジェフが階段を見上げて吐き出した。
「そうだピッポ、ギルドマスターと話をしたあとで話しがあるのでここにいてくれ」
ヨーナスにいきなり話を振られてピッポは驚いたが、あいまいな笑いを浮かべて頷いた。
忌々しげにメトジェフとヨーナスは会議室に入って行った。
席に戻ってきたフランクが少し羨ましそうな顔をしながら声を潜めた。
「これでおっさんもここから逃げ出せるな」
「それはひどい言い草ですな、イヒヒ」
「ここが居心地良いと感じたら先はないって」
ピッポは反応に困って苦笑いを浮かべるしかなかった。
新市街の死霊術ギルドで小さな騒動が起きていたころ、ハイネの旧市街の中心にあるハイネ魔術師ギルドの本館の廊下を堂々とした足取りで歩く女魔術師がいた。
彼女は20代後半ほどに見えるたいそうな美女で、ブルネットの肩までの髪と薄い青と灰色の瞳に厚めの唇の右に大きなほくろが目立つ。
黒い鍔広で先がカクカクと折れ曲がった個性的な三角帽をかぶり黒いゆったりとしたローブを着込んでいたがその豊満な体のラインを隠しきれていない。
テヘペロは三階のサロンでおしゃべりをしながら情報収集した後で仕事場に向かおうとしていた。
そこで前から来た二人を見つけると足を止めた。
「こんにちわカレル様、ボリス様」
前から来たのはハイネ魔術師ギルドのギルドマスターのカレル=メトジェイでまるで大きな玉に細長い手足が生やした様な体型をしていた、年齢はおおよそ四十代なかばだろう。
少し後ろで立っているのはギルドの執事長のボリス=アンデルで事務方のトップだ、カレルと反対に全体が細く手足も長くてまるで棒の様な見かけの初老の男だ。
この二人と遭遇するのはテヘペロが初めてここに来て以来だ。
「デートリンゲン様お久ぶりですな、ここはどうですかな?」
「ええ仕事が多くて嬉しいですわね」
「あ!上位の火精霊術師の手が足りず助かっておりますぞ」
「火精霊術って着火道具や照明道具のチャージばかり多くてつまらないのよね、ここに来て攻撃系の火精霊術のチャージが多いわ、これだけ働いたのは初めてよ?」
「ははは、ハイネ通商同盟が結成されましたから、古い魔術道具を含めて整理しているのでしょう」
軽く雑談してから二人と別れる。
目指すのは奥にある仕事の斡旋場だここで火精霊術関係の短期の仕事を受けて金を稼ぐ。
部屋には長期の仕事を探す魔術師達が数人たむろしていた、魔術師はいくらでも仕事があると言われるが皆少しでも筋の良い仕事を探す為にここを訪れる。
興味があったので壁に貼られた長期雇用の公募リストを見ると諸侯がお抱えの魔術師を増やそうとしているのが良くわかる、コネで召し抱えられないほど人材が足り無いのだ。
「なんだか回復と精霊通信が多いわね、精霊通信ができない人は少ないけど、回復は私には厳しいわ」
「デートリンゲン様こんにちわ」
それは受付の女魔術師ジェリー=トロットの声だ、専門性が要求される仕事なのでここの受付には魔術師が配されていた。
何度もここに通う内に彼女とすっかり顔なじみになっていた。
眼鏡をかけたダークブラウンの長髪の細身の魔術師はローブではなくギルドの制服を身につけているので魔術師に見えない。
「あらこんにちわジェリー」
テヘペロは数歩受付カウンターに近づく。
「私が思いますにやはり戦争の臭いがします」
回復や精霊通信のできる魔術師の募集が多いことからテヘペロもそう察していた。
「そうよね北かしら?」
「ええきな臭い噂話が聞こえてきます」
テレーゼの北と言えばグディムカル帝国を指す、20年近い継承争いで国を南北に分断していた内乱が収束し勝利した皇太子派が帝国内を固めつつあるのだ。
ハイネは南の皇弟派を支援していたので皇太子派の敵意を買ってきたらしい、皇太子派と組んで皇弟派を挟み撃ちに潰してしまうと帝国が再統一されてしまう、帝国の分裂を維持する為に適度に皇弟派を支援していたらしい。
もっともこれもジェリーの受け売りだが。
「黒い戦士の話かしら?」
「それもそうですが、武器や防具を大量に発注したりすれば噂はあっという間に広がります」
商工業者の間の情報が国境を越えて伝わってくるのだろう。
軍事機密を守る事に神経質でも兵站関係の情報から思わぬ不覚を取る事は多い、大規模な物資の移動や人の移動を隠すのはとても難しいのだ。
テヘペロはカウンターに置かれた仕事の一覧を見ている。
「じゃあ今日はこの大型照明道具のチャージを受けようかしらね」
「貴女様なら今日中にこなせそうですね、ではご案内しますこちらへ」
テヘペロはジェリーの案内で奥の倉庫に入って行く。
ハイネからセナ村に通じる狭い小道を南に向かう二人の娘がいた、背嚢は荷物を限界まで詰め込み大きな麻袋を軽々と両手から下げていた。
「これじゃあラッパが吹けないのです」
「我慢しようよ・・・」
ベルは後ろを振り返ると呆れた様にコッキーをたしなめた。
「本当に今晩お城に攻め込むのですか?」
「偵察だからね?」
二人の前にセナ村を囲む森の緑が見えてきた、ホンザの魔術陣地までそう遠くはない。