テレーゼの風土料理屋
ベルは干し草のベッドから気だるげに起き上がった、朝なのに窓を開ける気分にならなかった。
昨夜は快適な気分で眠れなかった、遠くから物悲しい人とも獣とも言えない鳴き声が聴こえて来たからだ、虫の声にも何か意味があるかのように聴こえてその度に意識を逸らさなければならなかった。
起き上がって居間に向かう、階段の右手がキッチンだがそこでコッキーが何かしていた。
「おはようコッキー何しているの?」
「ベルさんおはようです」
コッキーは一度ベルに挨拶してからすぐ仕事に戻ってしまった。
「足りない道具を調べているのです、ファンニさんから借りた道具は無いですね・・・古い食器が少しあるだけです」
居間に向かうとホンザが寛いでいた、表から薪を割る音が聴こえて来る。
ルディが薪を割っているのだろう、ベルは公子の身分なのに彼がそんな事ができる事に今更ながら驚く。
「おはようホンザ」
ホンザが居間のテーブルの上の小さな薬缶で薬草茶をわかしていた、鉄製の三脚の上でアルコールランプで熱せられた薬缶が音を立てている。
「ベルよねむれたか?」
「あまり眠れなかったよ、遠くから変な声が聴こえたりしたから」
ホンザはほほほと笑う。
「目覚ましじゃこれを飲むが良い」
ホンザは木製のカップに薬草茶を注いでベルに進める。
「ありがとう」
ベルは薬草茶を飲みながらソファに深く座り直した、窓から差し込む光が微妙に青みがかかりそれが気になる。
「ねえこの世界はどうなっているの?」
「うむ現実界から僅かにずれた世界じゃよ、その一部を切り取り繋げておるのだ、狭間の世界や幽界のようにかけ離れた世界ではないからのう現実界に近い、お主達ならばわかるはず」
ベルは窓の外の風景に目をやった、幽界や狭間の世界よりはるかに見慣れた景色に近い。
納得しきれないがとりあえず頷くしかない。
「ベルよハイネに買い出しに行くのか?」
「食べたらコッキーとハイネに買い出しに行くよ、そうだ少し変装しなきゃね、ホンザは何か欲しいものはある?」
「あるがすぐに必要なものはないな、まずは必要な物から優先してくれ」
そこに玄関の扉が開き薪割りからルディが戻って来た。
「ベルよ起きたのか?」
するとアゼルが部屋から出てくる、彼の部屋は以前アゼルの研究室になっていた小部屋だった、だがエリザは部屋から出てこない様子だ。
「みなさん朝ごはんですよ、こんなのしかありませんが」
そこに台所からコッキーがレーションを大皿に乗せて居間にやって来る。
全員でテーブルを囲むようにソファに腰を降ろす。
「薪を割っておいたがあまり持ちそうも無い、倒木を乾かすとしても時間がかかるな」
「でも薪を買うのは後でもいいよね?」
「ああしばらくは持つ」
ベルはさっそく大皿に置かれたレーションをつまんで口にいれた。
「ベルさん精霊王様にいただきますをしてください!」
コッキーが軽くベルを睨みつけた、ベルは渋々と聖句を唱えてお祈りする、皆も続いて聖句をささげお祈りをしてから食事が始まった。
コッキーが用意した木製のカップに次々と薬草茶を注いでいく。
「ルディ、薪割りなんてできるんだね?」
「ん?見習い騎士の修行で薪割りをやらされたんだ、ははは」
「なるほど解った」
「お前こそ貴族の令嬢が獲物を捌くなんて普通はできないぞ?」
「クラスタ家はそういう家柄なんだよ!」
ベルは憮然としてレーションの残りを口に押し込んで薬草茶で流しこむ。
「みなさん今晩はちゃんとした物をたべましょう、お金もあいつらから少し取り戻したので懐が温かいです」
コッキーが小さな胸を張って宣告した。
ベルはそれでアゼルとコッキーがジンバー商会にに全財産を奪われた事を思い出した。
「アゼルが取られたお金ってどのくらいあったっけ?」
「そうですねだいたい帝国金貨23枚程でしょうか・・・」
「凄いですね、少しずつ取り返して行きましょうよアゼルさん」
「ええ・・・」
アゼルは困惑した表情を浮かべていたどう返したら良いのか迷っているようにも見える。
「あっ!!コッキーに大銀貨2枚貸していたの思い出した」
「なんで思い出すんですかベルさん、せっかく黒字になったのに!」
コッキーは眉を八の字にしている。
「僕は財務長官なんだよ甘くは無いから、それに没収したお金を私物化しないでよ?」
そんな事をしている間に簡素な朝食は終わってしまった。
「さてお主達が戻る前に魔術陣地を完成させるぞ、さすれば精霊通信もできるようになる」
ホンザの言葉にベルは素朴な疑問を感じた。
「でも幽界への門は問題ないよね?どうなっているの?」
「ああ、精霊通信はここが分からなければ届かぬ、幽界の門はここからでも開ける事はできるのじゃよ」
少し休んでからベルとコッキーはハイネに向かった。
アゼルは一日かけてジンバー商会や死霊術ギルドから没収したメモや金属製のメダルなどを精査する、ルディは今の内にできるかぎり力仕事をやって置くと張り切っていた。
それは闘いの前の静かな時間だった。
セナ村から北に徒歩で一時間程でハイネの新市街の南端ににたどり着ける、そこに聖霊教会の廃墟があった、木造の教会はすべて焼け落ち焼けた炭が散らばり土地は黒く焼け焦げていた、敷地の跡にはあちこちに水たまりができていた。
その廃墟を見つめる二人の姿がある、ベルはお気に入りの高級使用人のドレスを身にまとい長い銀髪を背中に流していた、コッキーはかすれた青いワンピースを着てショールを頭からかぶり首の処で巻いていた、これで顔を見えにくくしている。
近くの住人達は修道女のサビーナとファンニと孤児達は人さらいに攫われ行方不明となっていると怒りと悲しさがないまぜになった顔で教えてくれた。
ベルは心の中で善良な住人達に侘びる。
コッキーはあまりこの聖霊教会に縁は無かったが、リネインの聖霊教会の孤児院育ちと言うこともあってか廃墟を見る目が悲痛な色を浮かべていた。
ベルは彼女に声をかけようかと迷ったが、彼女がリネインの戦火で孤児になった事を思い出して何も言えなくなってしまった。
サビーナ達を森の中に隠したあの日この教会を焼いたのはベルだったから。
「コッキーそろそろ行こう」
まず二人は旧市街の北西地区にある郵便局に向かった、魔術街も近いその通りには品の良い商店が集まっていた、郵便局でファンニの実家宛の手紙を出す、結構なお金を取られたので二人は驚かされる。
郵便はハイネの周辺地域にしか配達できないらしい、事務所の中にハイネ通商同盟の加盟諸侯の中心都市に支店を設けて郵便事業が拡大される旨が告知されていた。
二人は郵便局から出て南東地区の道具商に向かう為にハイネを東西に貫く中央通りに出る。
「無い!?」
ベルが鼻をスンスンさせながらつぶやいた。
「何がないんですベルさん?」
「コッキーに美味しい屋台を教えようとおもったんだけどいつもの場所にいないんだ」
「さては潰れましたね」
ベルは彼女の無慈悲なセリフに少し眉をひそめた、そのまま二人は東に向かう。
「この匂いは!?」
ベルは反対側の街路の一点を見つめた、コッキーもそこを見ると路に面した一軒の店から香ばしい匂いが漂ってくる。
「いい匂いがしますね、あのお店ですかベルさん?」
「うん、もしかして屋台じゃなくて店になってるみたい、行ってみようか」
馬車や通行人が行き交う大通りを素早く渡る、そこには幅5メートル程の狭い軒に大きな窓があり、そこでいつもの店主がテレーゼの風土料理をアレンジした軽食を通行人に売っていた。
店にはドアがあり店内に数人座れるカウンター席まである。
「おじさんおはよう」
ベルは気さくに馴染みの若い男の店主に声をかけた。
「ん?お前は鼻トウガラシ娘じゃないか?その髪の色はどうしたんだ!?」
すぐにベルに気がついたようだが、色が抜けてまるで銀髪になってしまったベルの髪の色に驚いている。
そしてコッキーに目が移る、肩までの薄い色の金髪とショールに包まれたどこか幼い美しい顔に目を奪われた。
「それベルさんのあだ名ですか?いいこと聞いちゃいましたよ、ウェッヒヒヒ」
ベルはニヤニヤと嫌な笑いを浮かべているコッキーを睨んでから店主にむきなおった。
「酷い赤毛だったから色を抜いたんだ、また黒に染めるよ」
「ほー、おっと遊んでいられねえ、注文するならしてくれ」
ベルはさっそく辛子の効いたいつもの料理を注文した、コッキーも初めてなのでベルと同じ物を注文する。
ちなみにお代は先払いだ。
店主はさっそく備え付けのキッチンで調理を始めた。
「ねえ、屋台を止めて店を持ったの?」
「ああ、売上が伸びて金も溜まった、あとは借金してこの店を始めたんだまずまずだよ」
店主は作業をしながらもベルの相手をしてくれる、コッキーは窓から調理の様子を熱心に見ている。
「薄切りパンにいろいろ挟んで固めて焼く料理ですね、モリニエって言う料理ですよでも挟むものが変わっていますね」
「そうだよ小さいお嬢ちゃん、そいつをアレンジしたんだ」
店主の小さいお嬢ちゃんの一言で一瞬だけコッキーの顔が鬼の顔に変わった、それを見逃さなかったベルがニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。
「ねえおじさん、何か面白い話はない?」
「おじさん?まあいいか・・・最近凄い色男の吟遊詩人が話題になってたかな、女共が騒いでいたんで碌な奴じゃあねえな」
ベルはリネインで謡っていた旅の吟遊詩人の姿を思い出した。
「おじさんもてないからって嫉妬はいけませんですよ?」
調理場を覗いていたコッキーが口を開く、さすがのベルも驚いてコッキーをまじまじと見てしまった、いくら無神経な自分でもそこまでは言わないからと。
それを店主はこれまた見事にスルーした。
「ほかにおもしろい話とかない?」
「西のメリダから来た行商が不気味な話を教えてくれたぞ、巨大な体に小さな頭を乗せた化け物みたいな傭兵を見たってな」
「なんだそれ?」
「知るかよ、見ただけで寒気がするような雰囲気を持っていたそうだ、そうだお前こそ何か面白い話とか無いのか?」
面白い話と言われてベルは困った、面白い話はいくらでもあるが話せる話がまったく無い。
「じゃあ赤毛の怪人の話知ってる?」
「誰だよ?」
「悪い奴を見つけると追いかける背の高い赤毛の女の妖怪が出るんだって、温泉の近に湧くらしい」
「何だそれ?おっと完成したぞ」
コッキーは赤毛の怪人の正体に思い至り吹き出しそうになっていた。
「おっぱいの大きな怪人の話ですね」
「できたぞ」
料理が完成すると店主は料理を木製の皿に乗せて窓の外に張り出しているカウンターに置いた。
「少し熱いから気をつけてな」
二人は手で料理を?むと口に運ぶ。
ベルの舌に肉汁とテレーゼで取れる香草の香りが広がり、そして辛子の刺激が伝わってくる。
「ひいっ!!鼻が鼻が痛いのです!!」
コッキーが口に物を詰め込んだまま慌てだした。
「店長さんベルさん一言言ってくださいよ!!」
「コッキーも小さい鼻トウガラシ娘だね、ウェッヒヒ」
コッキーはがベルの足をけろうとしたがそれを易々と躱す。
「二人は友達か仲がいいな?」
無神経だが気の良い店主がそんな二人に微笑んだ。
そして二人は店を後にして中央広場に来た。
日々活気を取り戻していくハイネの中央広場は多くの馬車と通行人の往来でごった返していた。
突然コッキーが足を止めて小さく叫んだ。
「あそこにテヘペロさんがいます!!ベルさん隠れましょう」
コッキーがベルの手を握り引っ張った二人は裏路地にさりげなく飛び込む。
「あいつがいるの?」
ベルはコッキーほどテヘペロに馴染んでいなかったので顔も良く覚えていない。
「あの緑の建物に入っていきますよ、ほれあのひとです」
路地の角から広場を覗いた。
たしかにつば広でクネクネと折り曲がった流行遅れの個性的な三角帽をかぶった黒いローブの女性が緑の建物のエントランスに足取りも確かに悠然と歩いていく。
「コッキーあれはハイネの魔術師ギルド会館だ」
見ている間に彼女は中に入ってしまった。
彼女がギルド会館から出てくるまで待つつもりは無い、ハイネ城の偵察の準備に古着を買い炊事道具をそろえ食材を買い込んでセナ村に帰らなければならなかった。
もう一度買い物リストを確認する。
「コッキー行くよ」
二人は人々が行き交う広場に飛び出した。