リズとマティアス
ハイネの旧市街を囲む大城壁の東側に大きな城門がある、そこはゲーラやラーゼに繋がる街道の起点だったが城市の東側は炭鉱や製鉄所で賑わう西側より寂れていた、城門の近くに数軒の安宿と酒場が軒を並べていたが夜の街の灯りも寂しく下層の人々の粗末な家並みが闇に沈んでいる。
暗闇に沈む新市街と対象的に城壁は篝火に照らされ旧市街には星をばら撒いた様に灯りが灯っていた、壮大なハイネ城と四本の大尖塔は多くの篝火に明るくオレンジ色に照らされていた。
ハイネの東側を南北に走る丘陵の上から疲れ切った者達がそんな夜景を見下ろしていた、それはマティアスとリズとジンバー商会の情報部の男達の姿だった。
「あ~やっとついたよ、もうダメ死にそう」
リズが情けない声を上げる、城壁の上の篝火を見て安心して気が抜けたのだ、急にふらふらとしはじめる。
「リズもう少しだ行こう」
マティアスがリズの背中を軽く叩いた。
四人は疲れ切った姿でハイネに向かって丘を降りて行く。
情報部のランドルが東城門外のジンバー商会の連絡所にかけあって特別通行許可証を得て南東の小城門に向かう。
夜間の出入りができるのは小城門だけなのだ彼らはここから旧市街に入った。
以前ジンバー商会が聖霊教会の孤児院から誘拐した子供達を閉門後に北の別荘地のコステロの別邸に運び出した時は北の小城門を使用している。
ハイネ旧市街の南東地区は庶民の街で家々から晩餐の活気が伝わってくる、ランプの光が鎧戸の隙間から僅かに街路にこぼれ落ちる。
ランドルは疲れ切った顔で後ろから着いてくる三人を振り返った。
「マティアス、リズ、ジンバー商会に着いたら軽く食事をとってくれ、その後で上に報告しなければならんから付き合ってもらうぞ」
彼らはちょうど小さな宿屋の前を通過しようとしていた、その酒場の灯りがリズを照らし出した。
リズはまるで生ける屍鬼の用になって虚ろな目をしていた、それを見たマティアスとランドルの目が見開かれる、灯り一つ無い街道を歩き続けたせいで彼女の疲労にまったく気づかなかったのだ。
四人はまもなくジンバー商会にたどり着いた、そこでやっと食事にありついた。
彼らが僅かな休息を取っている間に彼らがもたらした四人組再発見の報はジンバー商会首脳部に衝撃を与える事になった。
マティアスとリズは証言者として会頭エイベルへの報告に付き合わされる事になった。
ジンバー商会の会頭室に既にエイベルと執事長のフリッツが待ち構えていた、概要はすでに伝わっていたのだろう。
マティアス達は会頭室の隅の会談用のテーブルに座ることが許された、そしてまず報告にあるメトジェフが率いる『死霊のダンス』の行動にエイベルは頭を抱える事になる。
マティアスとリズはランドル達の報告の裏取りの為に呼ばれた事をしだいに理解して行く、特にリズは魔術師としての観点からエイベルとフリッツが投げかける質問や疑問に答える役割が与えられていた、たしかにランドル達にできる事では無い。
「あの爺共がゲーラにそのまま向かった、そして例の奴らが馬車を奪ってゲーラに向かったのは間違いないのだな?」
赤毛の若者がうなずいた。
「奴らが乗った馬車がゲーラに向かうのを確かに目撃しました」
「あの爺がゲーラでどうなったもわからんのだな?」
それは質問と言うよりも確認の意味が強い、四人は当然の事なので首を縦に振る。
「我々は奴らのサポートにすぎない、明確に指揮系統に序列を決めてなかった事が裏目に出ましたな会頭」
エイベルの右腕にして三代に渡ってジンバー商会に使えてきたフリッツが苦いものを噛みしめるように吐き捨てる。
「あの爺が我々の仕切りに従うわけがない、うまく誘導できればと言った処だった、奴は街のど真ん中で闘いを始めないともかぎらん」
エイベル会頭のメトジェフ評は辛辣すぎた。
「さすがにそこまでは」
ランドルが慌て出した彼はメトジェフを止めることができなかったからだ、だが彼に指揮権が無いことはエイベルも理解している。
「彼らに万が一が有るとその損害は計り知れませんな魔術師は貴重ですぞ、我々は中位の術者を二人も失っている」
フリッツはメトジェフを失うと彼の暴走を止められなかった事で責任を追求される事を気に病んでいた、コステロファミリー内部のパワーバランスに関わる問題になるだろう。
「メトジェフが殺られるのは痛すぎる、あれでも上位の死霊術師だからな」
エイベルが吐き捨てる様にうめいた。
セザールはメトジェフに死霊ギルドのマスターの立場を与え死霊術師の養成に専念させている事、彼が希望していた魔導師の塔や研究所の要職を与えられる事は無かった、それでも死霊術師としては優秀と評されている。
マティアスは若い死霊術師から聞いたメトジェフ評を思いだしていた。
「ゲーラの様子がまったくわからん、確認の為に人を出させろフリッツ、特別任務班はエルニアだったか」
「そうです会頭だいたい二週間は戻りませんよ、ゲーラの方は今夜中に手配させます」
「コステロ商会にもすぐに報告せねば、例の奴らの対処はコステロ様にまかせる事になった」
最後のエイベルの言葉から安堵の響きを感じた、人を相手にするのはともかく人外の化け物の相手は無理だとエイベルは切実に感じていたのだろう。
その後でやっとマティアスとリズは解放された。
二人はジンバー商会の近くの倉庫街のリズのアパートに引き上げた、マティアスは既に城門が閉じられていたので新市街の自分の安宿に帰る事ができない。
安物の小さなランプが部屋を照らしている。
「リズせっかく引っ越したのにいきなり酷い目にあったな」
「いやーほんと酷い目にあったよ、怖い仕事だねマティアス」
二人は小さな食卓の前に座ってくつろいでいた、これは中古市から買って来たもので、マティアスはそれに付き合わされたものだ。
リズが安物の茶を木製の粗末なティーセットでもてなしてくれた。
「あまり言いたくないが死霊術師ってまともな仕事は無いんだろ?」
「そうだよね新人募集とかね、それにテレーゼの外じゃ命がけだからねーニャハ」
自嘲気味にリズは笑った、自信なさげでどこか諦めた様な笑いが彼女に染み付いていた。
「なんで死霊術師になったんだ、言いたくなきゃ言わなくていい」
リズは少し迷ったがおずおずと語り始めた。
「あたしゃ魔術師に成りたかったんだよ、生まれとか女とか関係なく良い身分になれるからね、でも幽界の門が開かない才能がなかったんだ、でも死霊術の才能があったみたい」
リズはどう説明しようか悩みながら言葉を選んでいるマティアスはそう感じていた。
「それでここに来たのか?まてよ魔術師に成れなくても死霊術師になれるのか?」
「うーん今まで話した事なかったかな?色々なケースがあるんだよ、まあそう考えてくれても良いよ秘密だけど最近は秘密が秘密じゃなくなってきているしね」
マティアスは魔術全般に知識が無いので何も言えなかった。
「アタシはテレーゼの生まれじゃ無いんだよ、怪しい占い師の爺さんが幽界への門が開かなかった子供の見えない可能性が見えると言って私を調べたんだ」
「それで死霊術の才能があるとわかったのか?」
「うん、そのまんまハイネに来たよ、親父がクズでかあちゃんに逃げられていたから見捨てたんだ、その後は勉強ずくめだよ、そういえば逃げたかあちゃんは文字の読み書きができた、少し良いところの生まれだったんだろうね、おかげで一人でも食える様になったよ」
「その怪しい爺さんって死霊術ギルドのスカウトなのか?」
「うーんそうだと思う、でも『死霊のダンス』がやっているような感じがしないんだ、他がやっているのかもね」
「そうか・・・」
マティアスは魔導師の塔か研究所が各地にスカウトを送り出していると推理した。
リズは茶を飲み干し木製のカップを木皿の上に置くと独特の柔らかな音がした。
そして何かを決意するようにマティアスをまっすぐに見た、マティアスは何が始まるのかと心の中で身構える。
「ねえマティアスはここに来る前何をやっていたのかな?」
マティアスは今更のように驚いた、考えてみればお互い過去に触れた事がなかった、たぶんお互いに気まずくなりそうなので遠慮していたのだ。
「つまらん話だぞ?俺は昔ある傭兵団にいた、そこで傭兵団の金に手を付けてな・・・仲間を切って逃げてしまった、そのままテレーゼに流れてきたんだ自慢にもならねえが」
マティアスは苦笑いを浮かべた。
リズも彼が赤髭団に関わりがある以上マティアスが堅気だとは初めから思ってはいない。
「ピッポさんとは知り合いだったよね?いつ仲間になったんだい?」
「ラーゼでトラブルに巻き込まれてなピッポ達に助けてもらったんだ一月ほど前の話だよ」
「ピッポ達?・・・ピッポさん仲間がいたんだね、そういえば最初にギルドに来た時女の人がいたね、今になって思い出したよ」
その女とはテヘペロの事に間違いない、マティアスとしてはテヘペロの話題は避けたかった、死霊のダンスの中位魔術師オットー=バラークを消した本人なのだから。
「そういえばオットーってあの女にずいぶん関心がありそうでピッポさん困っていたよ、あいつあんな感じの女が好きだったからね、あの人今どこにいるの?」
リズの表情を見ているとテヘペロに良い感情を持っていないのが良くわかる。
年齢はリズのほうが年上に見えるが、リズは年齢より老けて見えるだけで実際はもう少し若いかもしれないと最近思うようになっていた。
最近栄養も良くなり着ているものがマシになったので前よりも若く見える、リズが頭をぶつけて気絶した時にメトジェフの術が見せた彼女の生き霊を思い出した、リズの幽体の姿はやせていたが不思議な神秘的な美しさがあった、ふとあの姿を目の前の少し残念な女に重ねていると思うと苦笑いが浮かぶ。
「なにマティアス?」
マティアスに見つめられたリズは少し動揺している、無意識に彼女の指がモノクルに触れた。
「すまん、そうだ彼女は仕事を探しているらしい、詳しい事はわからないな最近あっていなくてな」
「古い付き合いじゃないんだね」
「彼女はピッポ達と放浪していた仲間だ」
「ふーん、ねえあまり食べてないからお腹が空いたわね?」
すでにリズはテヘペロへの興味を失っていた、マティアスは少しだけほっとする。
「食べ物があったのか!?」
マティアスの言葉は聞き様によっては失礼だ。
「持ちの良いものならあるよ、黒パンと塩漬け肉だけさ、塩漬け肉は野菜を足せばスープになるし便利なんだ」
リズは食事の準備を初めた、このアパートには小さな台所が備え付けられている。
「酒はあるのか?」
「あたしゃあまり飲まないから無いんだよ、買っておく?」
振り返ったリズは微笑んでいた。
半月が窓から部屋に淡い光を投げかけていた。