魔術師の闘い(2)
ハイネとゲーラを結ぶ街道を馬車が東に駆ける、御者台のルディは気を使いながらも馬に鞭を当てる、馬達は今日一日酷使されその力をもう十二分に発揮できなかった、彼らには十分な餌と水が必要だった。
車内のアゼルの目の前で二人の少女がだらしなく過ごしていた、ベルは壁に頭をコツコツとぶつけながら居眠りをしていた、これでもエルニア有数の貴族の娘なのだ。
コッキーはトランペットをもて遊びながら時々うっとりと眺めていた、彼女はこれでジンバー商会の者共を正直な気分にさせていた。
二人とも少女と呼べる年齢では無いのだが女性と呼ぶにはまだ色々と足りなかった。
彼女達は普通の女性に見えるが超常の力を秘めていた、精鋭の騎士団一個小隊をかんたんに壊滅させる事ができる、そして二人ともまだ力の底を見せていない。
背後の御者台の上にいる友にして主君のルディガーもまた幽界帰りだった。
自分が二十万人に一人の上位魔術師だとしてもなぜ自分が彼らと共にいるのだろう?その疑念が時々意識に浮かんでくるのだ。
アゼルはふとため息をついた。
ベルとコッキーは自分の世界を楽しんでいたのでアゼルのため息に気づかない。
猿のエリザだけが彼を心配げに見上げていた。
まもなくゲーラに着く頃かとアゼルが窓の外を眺めていた時の事だ、居眠りしていたベルが跳ねる様に起き上がった、エリザが驚いてアゼルの頭の上に駆け上がる、馬のいななきが聞こえ馬車が乱れ、ルディは必死に馬をなだめる、コッキーも背筋を伸ばして辺りの様子をキョロキョロとうかがい出した。
「ベル嬢何か起きましたか?」
アゼルも彼らの異変にすぐに気がついた。
「この方角の先で何かが起きた」
ベルが馬車の進行方向を指差す。
「ゲーラの方向ですね、まさかホンザ様のお店が襲われたのでしょうか?」
アゼルはそれに疑わしげな顔をする。
廃屋で尋問した捕虜達はコッキーの神器の演奏にしだいに耐えきれなくなり、最後に自分達がゲーラのホンザ襲撃部隊の別働隊である事を自供してしまった、彼女の演奏には自白を誘導するような力があるのだろう。
彼らは死霊術ギルドのマスターをまったく信用していない様子だ、それでも白昼の街の真ん中で騒ぎを起こすものだろうか。
「それよりも少し北だと思う、まだ距離がある」
アゼルの背後から声が聞こえた御者台のルディが車内に声をかけてきたのだ。
「俺も異変を感じた、ゲーラの北にあるのはゲーラ城とアマリア魔術学院の跡だな」
御者台のルディは馬にわびながら鞭を入れた。
「すまんもう少し耐えてくれ」
「僕がここから直接向かう!!」
大声でベルが叫んだ!!
「私も行くのです!!」
コッキーも直接現地に向かう気になっていた。
沈黙から僅かな間を置いてルディが言葉を返す。
「わかった俺たちは馬車で向かう、気をつけてくれ」
ベルは馬車のドアを勢いよく開け放つと走る馬車から街道に飛び出した、そのまま前に出るとしばらく街道に沿って走ったが森に飛び込んで消えて行った。
その後をコッキーが負けじと追いかけて行くが彼女もすぐに姿を消してしまった。
「俺たちも急ぐぞ!!」
「そうですね、殿下行きましょう」
馬車は街道を進んで行くアゼルは彼女達が消えていった場所をいつまでも見詰めていた。
ホンザは背後の爆発を確認して足を停めてから振り返った。
「さてどうなったか見届けねばなるまいよ」
そこには普段のどこか飄々とした老魔術師の顔はなかった、メトジェフとあの場にいて巻き込まれたかもしれない者達の運命を思うかの様に沈んでいた。
「だがアヤツラが残ればあの者達の妨げになろう」
そう老魔術師はつぶやいた。
ホンザは幾つも術式を構築し唱え重ねていく、彼の体がしだいに周囲の森に溶け込んで行く、木や枝や葉や下草と区別がつかなくなって消えていった、そして僅かに揺らめく陽炎のような人影が生まれると動き出す、向こう側が透けて見えるが僅かな揺らぎが人の姿に見えるのだ。
だがよほど注意深い者でなければそれを見分ける事はできないだろう。
陽炎の様な人影は闘いがあったばかりのアマリア魔術学院の大講堂の跡に向かって音もなく移動していった。
その人影が樹々がなぎ倒され広場になった場所に差し掛かったその時の事だ、瘴気の様な力の流れが生まれる、陽炎の様な人影は戸惑った様に立ち尽くした。
「『ガンガブルの黒き縛め』!!」
立ちすくむ陽炎の様な人影を取り囲むように瘴気その物が物質化した様な漆黒の穴が生じた、いや穴に見えるだけで総ての光を飲み込む物質なのかもしれない、それは瞬時に細長い布の様な物質に変化し陽炎の様な人影を取り囲むように巻き付いた。
だが漆黒の布は何も捉える事もできずにお互いに絡み合い地に落ちる。
詠唱と共に姿を現したメトジェフが僅かに動揺をにじませながら吐き捨てた。
「実体が無い!?組み合わせたか!!」
それに合わせる様にホンザの詠唱が響き渡る。
「『森親父の巫山戯た顎髭』おぬし生きておったか」
メトジェフの背後から蔦の枝が何本も現れ彼に襲いかかった。
「クソ!!」
その瞬間少し離れた所にあった倒木の山が吹き上がるとガイナックの朽木の巨人が姿を現した、現れた場所は六腕愚人が抜け出た穴があったところだ。
巨人は突進してくるとメトジェフにからみつく蔦を根本から引きちぎり始めた。
ホンザはローブに片手を差し込むと同時に詠唱を始めた。
その直後ホンザの周囲に精霊力が氾濫した、そして無数の緑に輝く粒子が生じメトジェフに向かって飛翔する。
だがガイナックの朽木の巨人が主人の盾となりその巨体ですべて受け止めた。
「今だ巨人よ奴を叩き潰せ!!」
メトジェフが叫ぶ、朽木の巨人がホンザに向かって突進した。
その時ホンザの詠唱が完成する。
「『ユパの眠り姫の貞淑の護り』」
ホンザの前に茨の茂みが生まれた、茨の幹は見たことも無いほど太く編み上げられた巨大な壁となって立ちふさがる。
そこに朽木の巨人が激突したが茨の壁はそれを受け止める。
朽木の巨人が巨大な腕で茨の壁を殴りつけるにしたがい歪み壊れていく。
メトジェフはその時間を無駄にはしなかった、メトジェフの周囲に膨大な瘴気が集まり始めた。
だが朽木の巨人に異変が生じていた、巨人の全身から小さな木の芽が生えている、それが見る間に成長していく。
巨人は暴れるのをやめるとくるりと振り返ってメトジェフに向き直った。
メトジェフの目が驚愕に見開かれただが彼も総ての精神力を動員し動揺に耐えて見せる。
「巨人よメトジェフを倒せ!!」
ホンザが叫ぶ。
「『砂塵の冥王塵に還りしラバトの宣告』!!」
そして同時にメトジェフの術式が完成した。
全身に若木を生やしたガイナックの朽木の巨人がメトジェフに向かって突撃していく、そのメトジェフの前に渦巻く瘴気の過流が生じ巨大な旋回する球体となって前方に放たれた。
高速回転する瘴気の球体は地面を削りながら朽木の巨人を迎え撃ち、そのまま飲み込み巨人を食らった、そのまま茨の壁に激突すると壁をも飲み込んでそのまま突き進んでいく。
メトジェフは成り行きを見届ける間もなく触媒をバラマキ素早く詠唱した。
「『死せる墓所の下働き』奴はどこだ?」
メトジェフの息が激しい術式の連続が彼を疲労させていく。
忠実な骸骨の下僕達がメトジェフを守るべく立ち上がる。
そこで彼は初めてホンザの姿が無いことに気づいた。
『おおなかなかやりおる・・お主は魔術に関してだけは賢いのう』
ホンザの言葉は四方八方から遠くから近くから響き渡った。
「また『ウジャンの巫山戯た木霊』か!!」
『ほほほ、下位術式と言えど馬鹿にしてはいかんぞ?そういう奴から消えていく定めじゃ』
メトジェフはふたたびローブに手を差し込んだ。
「そこか!!」
『おお下位の探知術の魔術道具といったところか定番の商品じゃな』
「うるさい『ナンガ=エボカの藪蚊』」
メトジェフの詠唱と共に瘴気の礫がメトジェフが指した場所を中心に降り注いだ。
すると藪の影から走り出る人影が見えた。
『あぶないのう』
その声は木霊の様に響き渡る。
「骸骨共あやつの命の光を追え、詠唱する暇を与えるな!!」
忠実な骸骨の下僕達がホンザの追跡を開始した。
「『マクラナの黒き槍』」
メトジェフはそれに追撃を加える、詠唱と共に黒い物質化した瘴気の槍が人影に突き刺さった、だが戦果がここからでは確認できない、メトジェフは人影が消えた場所に走り寄るが付近にホンザのいた痕跡がなかった。
彼は警戒を強めたそして今更の様に後悔していた。
森は土精霊術師にとって最も闘い安い環境だ、死霊術も土精霊術に近い性質を持っている、精霊召喚の依代が調達しやすい環境なのだ、だがホンザにわざわざ都合の良い戦場を選んだのはあまりにも侮り過ぎていた。
そして骸骨共は追撃を命じられたはずだが、先ほど『ナンガ=エボカの藪蚊』を投射した近くを右往左往している。
こいつら何をしている?
そしてメトジェフは何かに気づくそして嘲笑った。
「そうか」
彼は身構えると術式の構築を開始したすぐに膨大な瘴気が溢れ更に練り上げらた。
「『キンドゥの多眼の六腕愚人』現れよ!!」
メトジェフの目の前の地面からふたたび六腕愚人がその姿を表す。
「六腕愚人よ周囲の地面を贄とせよ奴は地下におる!!」
六腕愚人が腕を振るい手当たりしだいに地面を殴りはじめた、その度に地面に大きな窪みが生じた。
そしてメトジェフの背後の地面が盛り上がる、そこからホンザが頭をのぞかせた。
「しつこい奴じゃの『森婆の巫山戯た鞭』!!」
地面から蛇のような太い縄が吹き出すとメトジェフを強く叩いた、まともに喰らえば生身の人間なら無事では済まない、だが鞭はメトジェフに触れる事はできなかった、青白い光を放つと鞭が弾き返された。
「おのれホンザそこか!!」
「上位の防御魔術だな?」
六腕愚人が迫ってくる、ホンザは設定した地脈を辿りふたたび地中を素早く転移した、
ホンザが構築したぼ魔術陣地がその真価を発揮していた、土精霊術最大の特徴とも言える魔術陣地だったが力の消費もまた桁違いだった。
そしてホンザもまた焦り始めていたメトジェフが言うように力の総量自体はホンザが劣っていたのだ。
ホンザは近くで動き始めた生命力を感じていた、これはメトジェフの部下達だろう思わず舌打ちをする、下位魔術師とは言え闘いの邪魔になるのだ。
だが南西の方角から異様な何かが迫ってくるのを感じていた、その数は二つで高速で向かってくる。
ホンザは悪い予感に戦慄したが、その力にはどこか土精霊術に親しい波長を感じた。
「彼らが来たのか?どうやって探り当てたのだ?」