リズ狂乱
ゲーラからハイネに向かう街道をとても個性的な一行が進んで行く。
先頭は古風で上品な高級使用人のドレスまとった若い女性だ、長い銀髪に少女と言うには大人びた鋭利な美貌の持ち主だ、幅広の帯剣ベルトをドレスの上から締めて片手持ちの剣を履いていた、それが不思議に倒錯的な魅力を主張している。
細身だが身体のバネを感じさせる程に身のこなしも軽やかに歩く姿勢が美しい。
大きな荷物を背負っていたがその重さをまったく感じさせない、口元はどこか不機嫌に結ばれて青い瞳は遥か前を見ていた。
その後ろから長身の若いローブの魔術師らしき男が進む、知的で繊細な細面で黒ベッコウの眼鏡をかけていた。
彼のローブの色は深い水底の様に濃い沈んだ青い色をしている。
かなりの美形だが不思議と見た者の印象に残らない不思議な青年だ、彼の背嚢の上で白い小さな猿がくつろいでいた、だが行き交う旅人の記憶にはその猿の姿しか残らない。
その後から着古した青いワンピースの小柄な少女が進む、彼女の顔を見る事ができた者はその美貌に思わず目を奪われた、肩までのあまり手入れがされていない金髪、宝石の様な青い瞳をせわしなく動かしていた。
そして平民とは思えない綺麗な白い肌の持ち主だ、彼女に見惚れた男はその幼い美貌に気づくと罪の意識に責められる様に目を逸してしまう。
そんな彼女が背負った背嚢から奇妙な形をした棍棒が頭をのぞかせている。
時々気が向くと首から下げた黄金のトランペットを吹き鳴らし単調な旅を慰めていた。
運良くその音を耳にした旅人はその曲の例えようもない魅力に心を引かれた。
あんな名曲があったのだろうかと首を傾げる。
その最後に進むのは長身で無駄なく鍛えられた若い男だ、なかなか正体のつかみにくい服装をしていた、あえて言うならば旅の商人だが、その身のこなしはまるで歴戦の戦士か騎士のようで商人とは思えない。
浅黒く日に焼けた端正な顔に気品すら感じさせる美丈夫だ。
人懐こい微笑みを浮かべそれがこの男の正体をますますわからなくさせていた。
腰には見事な鞘の長剣を履き背嚢には予備の長剣を刺している。
最後尾にいたルディが声をかける。
「アゼル今何時だ?」
アゼルはホンザから譲り受けた刻時機の蓋を開くと数値を確認した。
「ゲーラから出て二時間経ちました」
「そろそろ少し休むか」
疲労を物ともしない四人だが二時間で小休止を取るのがルディの染み付いた習慣だ。
街道の脇の小さな木立の下の草地に腰をおろして好き勝手にやすみはじめる、そこは辺りに小さな野の花が咲きみだれて木漏れ日が優しかった。
「アゼルそれお爺さんの魔術道具だね?」
好奇心あふれるベルが刻時機に興味を持ったのかアゼルの手元をのぞき込んでくる。
「これは設定してからの経過時間を示す魔術道具ですよ、単純で安いので人気のある道具ですね」
「他に何をもらったの?」
アゼルは懐からホンザから譲り受けた道具をいくつか取り出した。
「こちらは着火用の魔術道具ですが二つ頂きました、便利ですが私は火精霊術は使えないので有料でチャージしてもらわなければなりませんが」
それは手のひらに収まる大きさの木の実の様な魔術道具だ。
その時ゲーラの方向からやってきた樽を満載した馬車が騒音を立てながら彼らを追い抜いて行った。
「アゼルさんその先の広がった棒はなんですか?」
コッキーがいつのまにかアゼルの背後から覗き込んでいる。
「これは照明用の魔術道具ですよ水精霊の物を譲っていただきました、ペンダント型の小さな照明道具も二つあります、設定時間が経過すると色が変わる道具が五つ、これは精霊力を流すと世界の北をかならず示す方位道具ですね」
アゼルが実演すると手の平の上のペンダントの様な透明なケースの中の針がある方向を指した。
「アゼルよ小物の魔術道具とは言えかなり値がはるのではないか?」
「ええ殿下、そうですね全部足すと帝国金貨15枚は越えるでしょうね」
「ペンダント型の照明は高価だと聞いた事があるけど」
ベルがペンダントの様な照明道具を手にとる。
「クラスタ家のものなら装飾品として宝石などが使われていたかもしれませんね」
「あっ!確かに宝石が使われていたかな」
ベルが気まずそうな顔をした高価な照明道具を神隠しで無くした事があったのだ。
今度はハイネの方角から軽快に走る馬車が通り過ぎていった、ベルがふと去っていく馬車を見詰めたがすぐに興味を失ったのか頭を戻す。
しばらくするとルディが立ち上がった。
「そろそろ進もうか」
全員居心地の良い草地に心を残しながら立ち上がる。
「出発なのです!」
コッキーが軍隊のラッパ手のようにトランペットを吹き鳴らした。
遠くを歩く旅人が驚いた様にこちらを眺めている。
リズとマティアスを乗せたジンバー商会の快速馬車はハイネから順調に快適な旅を続けていた。
徒歩ならば一日かかる行程をわずか3時間で疾走り抜ける。
リズは最初は大はしゃぎで車窓の風景に浮かれていたが、やがて静かに窓の外の風景を眺めるようになった。
その落ち着いたリズの背中と横顔をマティスはくつろぎながら眺めていた。
「そろそろゲーラかね?」
マティアスの言葉に仮眠をとっていた情報部員の男が目を覚ました、壮年の男は窓の外の風景を見ていたがやがて口を開く。
「あと半時間程で到着だ」
「でたーーーーひっい!!キノコ、キノコなりたくないイヤー」
突然リズが叫ぶとマティアスに抱きつく、その異様なリズの変化にマティアスは狼狽した。
「どうしたリズ!?落ち着いてくれ」
情報部員の男たちも驚きで目を瞠っている。
いきなり抱きついてきたリズを少し引き離して落ち着かせる、彼女は何かを恐れ混乱していた。
「アイツがアイツがいたんだよーーー」
リズは体を震わせ怯えている、マティアスはリズをここまで恐れさせる何かに思いあたる。
「リズしっかりしてくれ!」
情報部員の男達が窓から外を確認している、そして壮年の男もリズが怯えた理由に思い至った。
「なっ!?まさか奴らか?」
御者が車内の騒ぎに驚いて声をかけてきた。
「何かおきましたか?止めます?」
「いやしばらくこのまま走ってくれ!!」
情報部員の頭が御者に指示をだした。
「なあリズまさかあいつがいたのか?」
マティアスの腕の中で何度もリズはうなずいた、彼女の顔は青ざめ体が小さく震えている、思わず強く抱きしめて落ち着かせる。
マティアスもセナ村の闘いの夜の事を思い出していた、赤髭団の無法者達の悲惨な末路を。
しばらく走った処で馬車は停車した。
「リズ本当にアイツラなのか?」
「私が知っているのは赤髭団の奴らを茸に変えたヘビ女の化け物だけ」
少し落ち着きを取り戻したリズが話し始める。
情報部員の壮年の男が身を乗り出してきた。
「コッキー=フローテンだな?」
「たぶんそいつだよ、あの顔は絶対忘れられない」
「ホンザ=メトジェイの件は中止だ、ハイネに奴らより先に戻り報告する、こちらの方が遥かに重要だ」
「俺たちはかまわん」
マティアスに特に反対はなかったリズも個人的に見知らぬ魔術師と戦う理由は無い。
情報部の男が精密なハイネ近郊の地図を広げると覗き込む。
「奴らの前に出る良い迂回路がないですね」
赤毛の若者が地図を見ながらささやいた。
「やむをえない奴らを後ろから追い抜きハイネに還る」
その言葉に座席で縮こまっていたリズが慌て始める。
「ひ~~~あたしゃここで降りてゲーラに向かうから」
マティアスが慌ててリズを抱き抱える、腕の中で彼女は抜け出そうと暴れ始めた。
「落ち着いてくれ!!素早く通り抜ければ大丈夫だ」
「アイツラに常識なんて通用しないんだよ!!」
しばらくリズをあやしてやるとまた少し落ち着きを取り戻す。
「場所が悪いです、馬車の向きを変えるなら降りて手伝ってください」
また御者の声が聞こえてきた。
「リズ大人しくしていてくれよ」
マティアスと情報部員の男達が降りて馬車の方向転換を手伝ってやる、すると突然馬車の扉が開きリズが飛び出した。
「もういや~」
叫びながらゲーラ方向に走り去っていく。
「しまった、まてリズ!!」
マティアスが慌てて彼女を追いかける、情報部員のリーダーが赤毛の男に目配せすると彼もリズを追いかけて走り始めた。
結局リズはマティアス達に捕まってしまった、なにせ体力が無い上に運動音痴だったからだ。
だが火事場の馬鹿力で走った上に他の商隊に見つかり面倒な事になる、人さらいに間違えられ半時間近く無駄にしてしまった。
マティアスは諜報部員達のリズを見る目がこいつ大丈夫だろうかと言った目に変わり始めている事に気づいていた。
なんとか動き出した馬車の上で壮年の男が深刻な顔で口を開く。
「奴らを追い越すタイミングが難しくなった、メトジェフ達と連絡を付けなくてはならん」
「そうだ爺さん達はどこにいるんだ?奴らとすれ違う頃合いか?」
マティアスは後ろから来るはずのメトジェフの本隊の事を思い出していた。
「向こうは俺達より最大二時間程度ゲーラ到着が遅れるはずだ」
馬車は速度を落として慎重にハイネに向かって引き返していく。
しばらくすると前方を監視していた赤毛の男が警告を発した、遥か前方に4人の人影が見えると言う。
「止めろ!!」
馬車が停止すると情報部の男達が窓から先を観察し始めた。
マティアスはまた錯乱しかけているリズを抱きしめて落ち着かせる、もう放さないつもりだここで騒ぎを起こされるのは不味い。
「奴ら歩くのが速いですね、それに向こうから馬車が来ますよ、あれがメトジェフ達の馬車でしょうか?」
「遠すぎる運良くお互いに気づかない事を祈るしかない、くそ」
情報部の責任者が吐き捨てた。
マティアスも好奇心に負けて窓から顔を出し先の様子を伺う、馬車から300メートル程先を進む人の群が見える、街路樹が邪魔だがたしかにあの四人の後ろ姿だ、そしてその向こうから二頭立ての大型馬車がこちらに向かってやってくる。
「あの馬車は死霊のダンスがよく使う馬車に似ている」
マティアスには特徴のある幌に見覚えがあった、情報部の男が息を飲む音が聞こえる。
そしてリズの震えが一段と激しくなった、歯が鳴る音が聞こえてくる、あの馬車の中にリズの知り合いがいる、それほど仲が良いとは思えないが顔見知りの事が心配なのだろうか。
「すれちがうぞ、奴らに精霊王のご加護があらん事を」
普段は信心深く無いマティアスもつい口から聖句がこぼれた。
「通り過ぎたな」
「そうなんだ、みんなキノコにならずにすんだみたいだね・・・」
リズが安心したようにささやくと弱々しく顔を上げた。
「マティアス、俺は奴らの馬車を止めて作戦中止を通達する、二人で中で待機していてくれ」
やがて『死霊のダンス』の馬車がやってくるとそれを情報部の二人が馬車を降りて行く手を遮った、メトジェフが馬車の御者台から顔を出すと情報部の男たちが事情を説明していたがすぐに口論が始まった。
「セザール様直々の命で動いている、儂はお前たちの部下ではない!!」
メトジェフの声だけが大きく聞こえてくるが情報部の男達が何を言ってるか察しがついた。
やがてこちらに指を突きつけた。
「アイツの助けなどいるか!!我ら『死霊のダンス』だけで十分だわいこのままゲーラに向かうぞ」
リズがピクリと震えた。
普段はのらりくらりとリズはメトジェフをやり過ごしていたが、けっこう負担になっていたのかもしれないと今更ながらマティアスは想う。
「リズ、何もできないよ奴は吠えるだけの男だ」
リズはそれに小さくうなずいた。
死霊のダンスの馬車はゴトゴトとゲーラに向かって動きだしてしまった。
情報部の男達がなんとか止めようとするが馬車は止まらない。
やがて諦めた二人が馬車に戻ってきた。
「クソ、作戦程度ならすべりこませる自信があったが中止させるのは無理か、たしかに奴らを動かす権限はない」
ジンバー商会はハイネの裏社会で大きな力を持っているが死霊のダンスの上位と言うわけではない。
馬車に戻ったリーダーは赤毛の男に命じた、彼らを徒歩で追跡し決して無理はせず接触を維持せよと。
それにうなずいた赤毛の若い男は馬車から降りると彼らを追尾する為に去って行った。
「さて俺たちは奴らを追い抜いてハイネに向かう」
リズがまた震え始めたのでそれを力一杯抱きしめた。
マティアスも奴らと関わり合いに成りたくはなかった、あのコッキーという少女のこの世の物とは思えない怪物じみた恐ろしくも歪んだ美しさ、その闘いを思い出してここから逃げ出したくなった。
リズの怯えでかえって気持ちが落ち着いてくる。
赤髭団の奴らが彼女に気が付かなかったのは幸運だったと改めて思う、パニックを起こし奴らに気づかれたら無事では済まなかった。
情報部員のリーダーの合図とともに馬車はハイネに向かって疾走りだした、今度はどんどん速度を上げてゆく。
リズは馬車の座席の上で縮こまり震えながら丸まってしまった。
マティアスもリズに覆いかぶさるように姿勢を低くする、諜報部の男も深く座り体を屈めていた。
彼らの姿を見たくなかったそして見られたく無かった。
「先程通りすぎました」
御者の安心した様な声が聞こえてくる。
「もう大丈夫だリズ!!」
震えるリズをなだめる、彼女の体は痩せて骨ばっていた、最近ずいぶんマシになってきたがとても頼りなさげに見える。
「もういやだよマティアス」
「このままの速度でしばらく走れ!!」
情報部の男が御者に命じた。
しばらく走った馬車はやがて通常の速度で走りはじめた。
マティアスは馬車の窓から後ろを確認した、街道にはほとんど人影は無かった、もちろんあの四人組の姿も見えない。
「やれやれ振り切ったか」
座席に深くすわると力を抜いた。
それから30分ほどハイネに向かって馬車が進んだ頃、ふとリズがもぞもぞと起き出す。
「なんかいやな感じがする、いやだよなんだろ?」
マティアスは慌てて馬車の窓から後ろを確認した、だがあの四人組の姿は見えなかった。
「誰もいないぞ!?」
情報部の男も窓の外を素早く偵察した。
「何かがいるんだよ!!『生者の光の道標』あなたはボギー!!」
リズが魔術を行使したが誰も止める間もなかった、これは下位の探知術でかなりの範囲で近くにいる生命を探知する事ができる、だがそれは逆探知されるリスクと引き換えだった。
「森の中に四人いるわ!!すごい速さで来るのよ!!」
リズが泣き叫んだ。
その直後に馬車の天井に何かがぶつかる様な音がした。
「馬車を止めろ!!」
鋭い女性の激しい叱咤の声と共に馬車は急激に速度を落としはじめた。
「いやいやいやいやあ、いや~~~」
泣き叫ぶリズをまた抱きしめてなんとか落ち着かせようとする、目配せした情報部の男の目は無駄な足掻きをするなと語りかけていた。
やがて馬車の外から会話が聞こえてきた。
「この馬車からさっき死霊術を感じたんだ」
この声は馬車の上から聞こえてくる。
「ベルこれはお前が少し怪しいと言っていた馬車だな」
銀髪の美しい娘が馬車の屋根から飛び降りると窓から覗き込んでくる、細身で刀身が不気味なほど黒い剣を抜剣し見せつける。
マティアスは奴らに銀髪の女がいたのかと疑問に感じた、だが髪の色以外の特徴が特別班で見せられた肖像画の黒い長髪の娘に良く似ていた。
「動かないで無駄な事はしないで!!」
その銀髪の女性が警告する、マティアスはそれが虚仮威しで無い事を皮膚から感じ取っていた。
例えようのない圧迫感が心を押しつぶす、青い瞳が内側からの光に僅かに輝いているように思えて戦慄が走る。
こいつも化け物なんだとマティアスは改めて理解していた。
「その人見たことがあるような気がするのです」
もうひとりの少女が窓から馬車の中を覗き込んできた、窓の縁に手をかけて体を持ち上げて。
「ひっ!?・・・・・」
リズが雷に打たれた様に痙攣するとそのまま動かなくなった。
「リズしっかりしろ」
リズの目は見開かれていたが何も見ていなかった、そしてマティアスの膝が濡れて湿る。
「おばさんお漏らししているのです」
マティアスは理解した赤髭団を草とキノコに変えた怪物が目の前にいる事を。
その可愛らしい怪物は眉を八の字に曲げた。