見習い偽騎士の娘
クラスタ家の女主人アナベルは急の来客のカルメラを快く迎えてくれた。
それもわざわざ本人がエントランスまで出迎えに来てくれた。
「まあカルメラちゃんようこそ、ちょうど退屈していたところなのよ、うふふ」
アナベルは柔らかな微笑みを浮かべている。
貴族の来訪はまず先触れを出すのが常識だが、エルニアの貴族はわりあいいい加減な処がある。
アラセナに本拠を移してから両家は隣近所になったのでこうしてお互いに気軽に顔を出す様になった、もうこうなると平民の近所付き合いと変わらない。
カルメラはアナベルの事が昔から少し苦手だったが最近はすっかり慣れてきた、特に用事が無くても世間話をする為にお互いの館に遊びに行くような関係になった。
クラスタ家が接収した館も同じく旧アラセナ伯爵の重臣の館だ、エルニアのマイナ村のクラスタ館とは比較にならない程みすぼらしい。
そんな手狭な館の中で使用人達が忙しげに働いている。
いつもの様にカルメラは狭い客室に案内された。
「いいかげんここも狭いわね、家の規模から言っても3倍は最低でも欲しいわ、これから人も増えるのよ、あまり使わない荷物は城の部屋に移す事にしたの」
「アナベルさまも?わたくしも魔術関係の道具や本はお城の私の部屋に移しましたわ、しばらく我慢するしかないのかしら?」
「領地の本邸が出来るまでは当分我慢するしかないわね、でもカルメラちゃんとご近所付き合いできて楽しいわよ」
アナベルはまったくちゃん付けを止めてくれない、やんわりと遠回しに言ってもやめてくれないカルメラの心にさざ波が立つ。
「そうそう公邸を有効活用すべきね、接待にしか使わなかったなんてもったいないわ~」
アナベルの口から公邸の話題が出てきて驚いた、あの有名人の偽伯爵のせいかもしれないとなんとなくカルメラは思った。
「アナベル様あの公邸に偽伯爵がおられるようですわね」
「あらもう有名なのね、でもアレに敬称なんていらないわよ?うふふ」
「偽物だとすぐバレるかしら?」
「私達がアラセアを占領したのはすでにバレているわよいつまでも隠せるわけないし、知った上で大義名分だけは通すつもりなのよあの人達」
あの人達がクラスタ家当主ブラスとエステーベ家当主エリセオを指しているのは明らかだ。
「カルメラちゃん北の方がいろいろきな臭くなっているのはご存知?」
「ええグディムカル帝国の内乱が終わって怪しい動きをしているとか、対抗してハイネ通商同盟が作られたとか聞いていますわ」
「あの人達が言うには、北の方はしばらく私達に手を出してこないだろうと考えて居るようね、むしろ南が気になるって」
アラセアの南は南エスタニア山脈が海に迫る沿岸地域で小国が乱立している地域だ、それが脅威とはどういう意味なのかカルメラにはわからなかった。
「アナベル様それはオルビア王国かしら?」
「いろいろ私達がやらかしたから心象が最悪らしいのよ、うふふ」
アナベルは楽しそうに笑うそれが彼女の底意地の悪さを感じさせた、花の妖精のような婦人が苦手だった訳を今更ながら思い出した。
彼らはオルビア王国の名を騙り使者や引退した公爵の偽物まで用意してセルディオ傭兵団を騙し討ちにしたのだ。
よほどの愚か者でなければアラセナの政変を調べているだろう、オルビア側に逃げた傭兵の生き残りがいないとも言い切れない。
彼らが傭兵である以上オルビア生まれの傭兵がいた可能性もある。
「では攻めてくるのかしら?」
「一応最大4~5千程度の兵を外に動かせるみたい、でもあの国は海軍が中心で陸は傭兵に頼っていて専守防衛らしいわね領土にはあまり興味がないのよ、でも私達を警戒しているらしいわ危険だと思っているみたいね」
「あらまあ…そうですわね、この街の中も安全とは言えませんわね」
「ええ、山で囲まれているけど密偵は防げない、攻めて来なくてもいろいろ手を打ってくるはずね」
カルメラは政治の話はあまり得意ではないので話題を偽伯爵に戻す事にする。
「ところで公邸の前を通った時中からエルバさんを呼ぶ声が聞こえましたわ」
「まあ耳が早いわね、あの子をセリアの専属からはずして再教育しているのよ、修行の意味で公邸に出す事にしたの」
カルメラは内心呆れていた、若い娘を気の触れた老人のところに送り込むなんて。
「セリア様の専属から外したのですか?だいじょうぶかしら?」
「セリアは懐いていたけどエルバはあの娘に舐められていたわ、少し厳しい使用人に専属を替えたの、それに伯爵に気に入られたらしくて準騎士に任命されたそうよ、うふふふ」
「エルバが準騎士って、ぷっ」
カルメラはつい吹き出してしまった、可愛らしいが少し太めの粗忽者のあの娘が準騎士だなんて。
そのあと二人はエルバの話題に花を咲かせて盛り上がっていた、やがてそれはアマンダちゃんやベルサーレちゃんの話題に燃え広がっていく。
その場にいない人間の話ほど楽しい話題はないものだ。
扉の後ろに控えていたエステーベの老執事は密かにため息をついた。
「おいあのでかい声はほんとに人間かよ?」
信じられない程の大音声が鳴り響く立派なお屋敷を囲む石塀の影に子供達が隠れていた。
子供達はこの近くの聖霊教会の孤児院の子供達だ、彼らもアラセアに引っ越して少し落ち着いたところでさっそく街の探検を初めたのだ。
「シャルル本当に探検するの?」
その彼の横で声をかけてくるのは聡明なネイト少年だ、だがシャルルが応える前にヨハンが口を開いた。
「シャルルどうやって石壁を越えるんだよ?」
「ヨハンあれを見みろ」
ヨハンが指を指した先に大きな大木が傾きかけている、その枝が館の中に張り出していた、嵐か何かの原因で木が傾いたのだろう木の幹の裂け目がまだ新しい。
「あそこから入るの?」
「あの声の正体を暴いてやる!!」
「貴女達何をやっているのよ、さっさと戻りなさい!!」
遠くから甲高い少女の声が響く、男の子達はぎょっとして声のする方を一斉に見た。
「やばいアビーが来るぞっ!!みんな来い!!」
聖霊教会の方から二人の少女がこちらに向かって走ってくる、同じハイネの新市街の聖霊教会の孤児仲間の女の子達だった。
男の子たちは倒れかけた木を駆け上り石塀の内側に飛び降りて行く。
「貴女達やめなさい!!大変だわヘレン戻るわよ大姉さま達に知らせないと!!」
慌てた女の子達の足音が遠くなっていった。
「よしあいつら帰ったぞ、じゃあ声の正体を探るぞいいか声を出すな?」
子供達はシャルルを先頭に手入れがあまり行き届いていない庭園の雑草の茂みの合間をぬって屋敷に近づいて行く、子供達の目にも立派なお屋敷だがどこか荒れているように見えた。
「お化けが出そうだよ」
「静かにしろ兵隊がいるぞ!!声を出すな馬鹿ヨハン」
子供達はここは屋敷の大きさの割に警備の数が少ないと感じていた。
そして四人は屋敷の裏口に近づく裏口は倉庫や台所につながっている事が多いので忍び込むには良い。
また大音声が響き渡った。
「それが騎士の態度かぁあぁあぁ!!お前には我が国への忠義の心はないのくわぁあ!!この芋騎士め」
その声は信じられない程大きかった、声の主は屋敷の中のはずだが耳元で吠えられているように煩い。
「なんですか!!私はクラスタ家の者です忠義なんてありませんよ、私はお嬢様付きの使用人でしたのよ?槍なんて使えるわけありませんから、それに芋騎士ってひどいわ、もお奥様に言ってお屋敷に戻してもらいますからね!!」
屋敷から奇妙な格好をした娘が裏口から飛び出してきた、年齢はシャルルより2~3才年上だろうか。
美しいと言うより可愛らしい娘で少々肉付きが良い、栗色の髪を肩で切りそろえお仕着せの使用人服を身にまとっていた。
そして鍔の広い深皿の様な形をした兜をなぜか被っていた。
娘は手入れが行き届いていない石畳の上で何かにつまずいて姿勢を崩すとそのまま倒れ込む、その娘の視線と茂みに隠れていた子供達の視線が偶然にも交差した。
「ひっ!!クセも・・」
だがその使用人の少女は叫ぶ事が出来なかった。
「声を出すな!!」
年長の男の子達が一斉に襲いかかり口を塞いだからだ。
「おねがい静かにして」
ネイトが懇願した。
「声を出すな酷いことはしないから」
シャルルが声を顰めながらなだめた、年齢では少女の方が上だがもう男の子に勝てる年ではない。
怯えながらその使用人の少女は頷く。
「手を話すから声を出すなよ」
解放された少女は四人を見て驚く。
「あなた達この街の子?ここがどこかわかっているの?」
「知らないよ俺たちは二日前にこの街の聖霊教会にきたんだ」
「まあエステーベ家のアマンダ様が連れて来た子供達ね」
「そうだけどお前おっぱい姉ちゃんの知りあいなのか?」
「おっぱい姉ちゃんが誰かは想像が付くけど・・奥様が知れば喜びそう、でもいいかしら?絶対にそのあだ名は他では言わないように、アラセアの御領主様のお嬢様なんだから」
子供達は慌ててうなずいた貴族の支配者に楯突くことの恐ろしさは知っている。
「そういう姉ちゃんはあの馬鹿声の家来なのか?」
「ちがうわよ私はクラスタ家の使用人のエルバよ」
「クラスタ家、どこかで聞いた事があるような」
「アラセナのご領主様なのよ?」
ヨハンが声を上げた。
「今ので思い出した、僕ねえちゃんの家の名前だよシャルル」
「ああ」
「僕ねえちゃんが誰かなんとなく想像付くけど・・奥様が喜びそう、でもわかっていると思うけどそのあだ名は他では絶対言わないように、御領主様のお嬢様なのよ」
「じゃあエルバは僕ねえちゃん家の使用人なんだ?」
エルバはそれにうなずいただけだ。
「あなた達何しにここに入ったの?答えによっては警備の方に言いつけるわよ?」
「僕たち悪い事考えてないよ、あの大声の化け物の正体を調べに来たんだ」
そこに再び大音声とともに裏口から男が現れた。
「エルバよどこに逃げおった!!それでも貴様騎士かぁ!!」
「ひっ!!」
「ででたぁ!!」
エルバと少年達は脱兎の様に駆け出していた、エルバは見かけに依らず足が早い。
「私に付いてきなさい!!」
石垣の壁の近くの大きな茂みに真っ直ぐ駆けていく。