精霊魔女アマリア
肩の上のエリザを撫でながらアゼルの顔は安堵と困惑がないまぜになっていた。
「貴女もこちらに来ていたのですね?今までどこにいたのですか?」
ベルはエリザに例えようもない疑念を感じた、だがエリザの可愛らしいつぶらな瞳をみているうちに言葉にする気が失せてしまう。
すると大きな虫が羽ばたくような音を発して、アゼルの手のひらから玉虫が宙に舞い上がる、碧緑の玉虫はそのまま扉に向かって飛んで行く、そのままダイヤ型の金属の真ん中にある窪みに着地する。
『一度やってみたかったのじゃ!』
飛び込んだ玉虫から響く声はどこか楽しげだった、そしてドアは小さな金属質の唸るような音を奏でた。
「アマリアさんは意外とお子様なのです」
『コドババはおこさまナノデス』
一人と一羽の言葉は同時だった、コッキーの顔が鬼のように豹変すると後ろにいるヒヨコを睨みつけた。
『ボクはわるいカラスじゃないよ?』
カラスが怯えた様に言い訳をしながら数歩下がる。
「ベル、コッキー中に入ろう」
ルディがカラス達を睨みつけていた二人に声をかけた、扉は既に開かれていてルディが中からこちらを見ている。
慌てて二人も扉をくぐる、だが入り口でコッキーが立ち止まった、早く入ってよと内心で文句を言いながら扉の中を見たベルの足が止まった。
短い通路の奥に緑色に綺羅びやかに輝く瀟洒な扉がある、それが開かれた先に通路を塞ぐように人形が立っていたからだ。
その人形はかなり適当な作りで頭があるが顔は無かった、関節が金属の輪で繋がれていて動かせる様になっている。
しかしなぜこんな物が通路に置いてあるのだろうか?
『はよう入れ、すぐに会ってやりたいが、少し身支度を整えてもらうぞ』
その声は人形から聞こえてくる、だがよく見ると玉虫が人形の頭の上に乗っていた。
「え?こいつがアマリアなの?」
ベルはアマリアの予想外の姿に驚いた。
『アホかパンツ娘が!儂はもっと可愛いわ、こいつは作業用の木偶人形じゃ』
パンツ娘と言われる度にベルの顔が面白いように変わるがアマリアはまったく動じない。
人形は頭の上の玉虫を腕で指し示す、人形の手の代わりに金属のフックが腕の先に取り付けてあった。
ベルは改めて部屋の中を観察しはじめた、豪奢で古風な居間だがあまり広くない、接客用のソファセットとテーブルの上に同じく古風な茶器が置いてある。
正面に扉と部屋の隅に上に昇る螺旋階段が見える。
人形はゴトゴトと音を立てながら正面の扉に向かうと、腕の先についた金属のフックで取っ手を引っ掛けて扉を開けた。
『この奥が客室じゃ、風呂やシャワーもあるが今は使えん、今から水とタオルを持ってくるから体を清めておくれ、あとそこのパンツ娘は見るに耐えんから服を貸そう、すまないが男の着る物の用意が無い、汚れを落とすだけで我慢してくれ』
「愛娘どのそれだけでもありがたい感謝する」
ルディは人形に向かって礼を言った、ベルはどこか滑稽だと感じて口元を緩めた。
人形は四人に中に入れと腕を動かした、そしてゴトゴトと音を立てながら螺旋階段を昇って行ってしまった、人形の頭から羽音を立てて玉虫が離れると壁の飾りに留まる。
客室は二人部屋が二部屋あったので男と女に別れる、部屋はかなり古風で今では廃れた様式の調度品で品よく飾られていた、ベルは泥だらけのかっこうで部屋に入るのを遠慮して、椅子に座る気になれずに入り口近くで立ったままだ。
「とっても素敵な部屋ですねベルさん」
コッキーは小さなテーブルの前の椅子に座って部屋の中をキョロキョロと見渡していた。
『あんてぃーくってすてきね、ウフフッ』
ベルの足元からカラスの声が聞こえてきた。
「なんでお前たちがいるんだ?向こうの部屋に行け!」
足もとのカラス達に驚いて一歩飛び跳ねたベルから乾いた泥が床にこぼれ落ちた。
「そうなのですよ!」
コッキーもベルに賛成した、彼女の声にはあからさまに棘がある。
『まあひどい、わたくしたちレディなのよ、べるちゃん』
「メスだったのですか!?なんとなくわかっていましたよ!」
コッキーの声からもしだいに苛つきが感じられた。
「シッシッ、お前たちの喋り方いちいちムカツクんだよ」
ベルが足で邪険にカラスを追い払った。
『むこうのほうがシンシだからいくのです!』
『ホントホントたまにはヒヨコもただしいことをいうネ』
カラス達はプンプンと怒りながら部屋から出ていってしまった。
せいせいした二人のところに、人形が湯気の昇る木の桶を両手に下げてやって来た、頭の上に大きな布の袋を載せていた。
『ほれ、二人ともこれで体を清めるのじゃ、パンツ娘の着替えも用意したぞ』
その声は人形から聞こえてくる、だがあの緑の玉虫の姿は見えない。
パンツ娘と言われる度にベルの顔が歪むがアマリアはまったく気にもしない。
人形は片方の桶を床に下ろす、ベルは頭の上の包を受け取りベッドの上に広げる、中に玉虫の様に輝く碧緑のドレスと古風なドロワースが入っていた、そして大きなタオルが四枚ほど。
その美しいドレスを見たベルの表情に素直な憧れと歓喜の色が流れる、コッキーの顔に微かな羨望の色が広がる。
『下着はやろう、だがドレスは最後に返してもらうぞ、丁寧につかうのじゃ』
それを聞いたベルの表情が無に帰って行った。
そうして人形はタオルを二枚程フックで引っ掛けると、ゴトゴトと音を立てながら部屋から出ていった。
二人が体を清め着替えを終えて一息着いたころ、また木の鳴る音と共に人形が戻ってきた。
『そろそろ案内するぞ、お前達ついてこい』
ちょうど向かいの部屋の扉が開きルディとアゼルが出てきた、アゼルの肩にエリザが飛び乗ったところだ。
ルディはベルを見て僅かな賛嘆の色を浮かべた、玉虫の様に輝く碧緑のドレスは見る角度が変わる度に緑と黄金のオーロラのように輝きが変化していく。
「これは美しいな、愛娘殿のドレスと似ているお前にも良く似合うぞ」
ルディはその玉虫にも似た美しいドレスに率直に感心していた、ベルの機嫌がこれで少しだけ良くなった。
『ほれいくぞ』
人形はゴトゴトと音を立てながら螺旋階段を昇っていく、四人は木の人形の後を付いていく、その後ろから不細工な鳥達が追いかけていく。
螺旋階段の上にも木の様な材質でできた扉があった。
『ここが儂の研究室じゃよ』
彼女の声に僅かに自慢気な響きがある。人形がフックの様な手で扉に触れると静かに開いた。
『良いか?みだりに触れるなよ危険な物もあるからのう』
研究室は直径20メートル程の大きな円形で、長机が幾つも並べられその上に用途不明な実験器具の様な道具が所狭しと並べられていた。
壁際には本棚と触媒棚が並んでいる、壁には丸窓が幾つもあるが両開きの扉で締め切られていた。
そして部屋の中心から外れた壁際寄りに上につながる螺旋階段が一つ見える、それがこの上にも部屋がある事を示していた。
アゼルは熱心に食い入るように研究室に魅入っている、ここは魔術師にとっては宝の山なのだ、伝説と化した精霊魔女アマリアの研究室なのだから。
『ここはわしの研究室の一つじゃよ』
「ではまだ他にも在るのですかアマリア様」
『そうじゃアゼル、世界各地に秘密の住処が在るのじゃよ、ここに閉じ込められてからどうなったかわからんがの』
アゼルから感嘆のため息が漏れた、ここには魔術に詳しいものなら一生かけて研究するだけの価値がある物が大量に詰め込まれているのだから。
そしてこの様な研究室がまだ他にもあると言う。
『さて、階段をのぼるぞ?』
人形は螺旋階段のところまで進み、部屋の中を物珍しげに見物している四人を急かす。
螺旋階段を登るとそこにも研究室と似た扉があった。
『さてここじゃ、静かに入れよ』
ベルが僅かな精霊力の流れを感じると共に扉は静かに開かれた。
その部屋は直径10メートル程の円形の部屋で、天井はお椀を伏せた様な形をしていた。
天井の大部分がガラスの様な透明な物質で覆われていた、その上に覆い被さる様に扉と似た不思議な素材の天蓋が全体を覆っていた。
部屋の中心に大きな花弁のような照明器具が優しい光りで室内を照らしだしている、そして大きな古風な様式の品の良い大きなベッドの上に小柄な少女が横たわっていた。
ベッドの上の少女は年齢10歳ほどでこの世の物とは思えぬほど美しい。
ミルク色の髪に日に焼けた小麦色の肌、目が閉じられているため瞳の色はわからない、非常に繊細で整った顔立ちで少し厚めの唇は閉じられていた。
服は金属の様に輝く美しい繊維で編み込まれた深緑で、僅かな視線の変化でオーロラの様に青、紫、金と変化して行く。
ベルが借りているドレスに似たところがあったがこちらは更に豪奢だ。
皆その美しさに言葉も出ない。
「この娘寝ているのです?」
『これが今のわしじゃよ、何度見てもかわいいのう』
「今ってどういう意味なの?」
ベルが木の人形を見返した。
『わしは200年近く生きておる…』
ベルとコッキーは思わず息を飲む、まさか少女のまま生きて来たのだろうか?
『おお、そうじゃった、この二人には話しておらんかったか、今日は時間もある順を追って詳しく話して聞かせてやろう』
木の人形が壁際の小さなテーブルと丸い壁に沿って取り付けられた長椅子を指し示した、何とか四人座れそうな長さがある。
カラス達もおとなしく入り口の扉の前で控えていた。
四人が席に着くのをまってから人形が改まる様に四人に向き直った。
『まず新顔の二人から紹介しておくれ』
ベルはすこし困惑していたが決意を固めたのかゆったりと立ち上がる。
「僕はいえ、私はエルニアの騎士爵クラスタ家の長女、ベルサーレ=デラ=クラスタでございます」
ベルは立ち上がるとエルニア貴族のカティシーを披露する。
『んにゃ、人形ではなくベッドの上の儂にしておくれ』
すこし不満げにベッドの上の少女に向かってカティシーを繰り返した。
「えー、私はコッキーフローテンなのです」
コッキーも立ち上がるとぎこちなくもペコリとお辞儀をした。
『儂がアマリアじゃ、精霊魔女アマリアとも言われておるがの、人としてはアマリア=メンデルハートと言う名があったがもうこの名で呼ばれた事は長らくないわい』
人形がお辞儀をしたので紛らわしい事限りが無かった、人形は二人に座れと合図を出すとベッドの前に戻る。
『まずここが何処なのか?そこからじゃ、まあ見てもらう方が速い天井を開くぞ!』
部屋を覆っていた天蓋が割れ花が開くように開き始める、しだいに直上から視界が開けていく。
透明なガラスの天井の向こう側に想像を絶する世界が広がって行く、天蓋が開いた事で自分達が塔の上の様な高い場所にいる事がわかってきた。
それと共に凄まじい嵐の様な轟音が耳を覆い始める。
自分たちはすり鉢状の窪地を囲むように旋回する巨大な暗黒の竜巻の中心にいた、その竜巻のはるか彼方の上空に青と緑色が入り混じった空が見える、その竜巻の目から地上に光が差し込んでいた。
『真上に見える世界がナサティアじゃ、物質界と呼ばれておるお前たちが来た世界、ここは物質界と幽界の狭間の世界じゃ』
ベルもコッキーもこの凄まじい光景に言葉も無かった。
『さてこんどは黒い竜巻を良く見るのじゃ、黒い細い物が千切れて飛んでおるじゃろ?』
「あれですか?」
コッキーが分厚いガラスの壁に顔を寄せた。
アマリアの言う通り竜巻の回転に合わせて糸屑の様な物が無数に空を漂っている。
『天蓋を開いたからからな、奴らが寄ってくるはずじゃ』
やがて竜巻に沿って飛んでいた黒い糸屑のような物体が何本もこの塔に向って飛んで来る。
「瘴気を感じる!!すごい数だ!!」
『ほうわかるのかパンツ娘、あれは悪霊の集合体じゃ』
それは接近するにつれて小さな起伏に富んだ無数の触手の様な物をうごめかせていた。
それはやがて塔の廻りを旋廻しながら近づいてくる。
その黒い雲から生えた無数の触手は黒い人の腕だった、その無数の腕が何かを掴もうと虚しくうごめく、
長く歪な胴体の表面に黒い人の顔が幾つも張り付いている、それらは苦悶の表情を浮かべたまま凍り付いていた、まるで死の間際の恐怖と絶望のまま永遠に叫び続けているかのように。
「ひいっ!なんなのですか?」
コッキーが小さな悲鳴をあげた。
それらの悪霊の集合体はガラスの天蓋にぶつかっては衝撃と共に霧散していく。
『この程度ではわしのサンサーラ号はびくともせん』
「ええっ?サンサーラ号ってこれ船なの?」
ベルはその船の様な名前に驚かされる。
『驚くなよ、サンサーラ号は空を飛べるのじゃ、そして界を越える力がある、今は動けんが…』
自慢げなアマリアの声は最後にはしりつぼみに消えていった。
悪霊の群体がぶつかりサンサーラ号を振動させる。
「アマリア、あれが全部悪霊なの?」
ベルの声は驚きと恐怖で裏返っている。
『うむ、あの黒い竜巻は数百万の悪霊の集合体じゃ、セザールめが集めたテレーゼで死んだ者たちの霊じゃ、今も恐怖や憎しみや怒りをわしにぶつけてきおる、そしてこの周囲は幾千幾数十万の白骨で埋め尽くされておる』
「アマリアさん、みんなテレーゼで死んだ人達なのです!?」
コッキーが興奮した様に立ち上がった。
『そうじゃ、だが総てがここに来ているわけではない、憎しみや怒りにまみれながら死んで行った者達ほど奴の結界に惹かれるのじゃよ』
「それは酷すぎるのです、なぜそんな事するのですか!!」
『ルディガー達には話したが、儂を封じ込め潰す為じゃな、ただそれだけでは無いと見ておる』
悪霊がぶつかる振動と大嵐の様な轟音が煩い。
『うるさいのう、もう良い閉じるぞ』
ガラスの様な天蓋を覆うように花びらが閉じ始めた、閉じるにつれて巨大な竜巻の姿も遥かに見えるナサティアの大地が消えていく。
そして花びらが閉じるとともに嵐の様な騒音も途絶えた、やがて天井の中央の花びらの形をした異国風の魔術道具が淡い白い光を投げかけ始める。
部屋に落ち着きが戻った、そしてアマリアは語り始めた。
『わしはペンタビア生まれじゃ、ちょいと知られた魔術師の名門出じゃよ、もっとも200年近く前の事じゃがな』
ベルはベッドの上の碧緑の少女に目をやった、この少女が200歳に近いとは思えない。
そしてペンタビアの名前だけは何かの機会に聞いた事がある、たしか遠い西の国で砂漠の近くにある古い魔術で有名な国の名前だ、そこから更に西に進み砂漠を越えるとエスタニア大陸を東西に分断する大山脈に行き着く。
『うむ、わしが子供の姿になったのは色々事情が会ってな、精霊王と契約してから歳をとるのが遅くなってな、だがある事件で精霊王のおかげで命を拾ったがその時に子供にされてしまった、この話は長くなるので今話すべき事ではない』
納得しなかったが四人ともとりあえず頷いた。
『不肖の弟子セザールの事を話そうか、だがそこにたどり着くまで話が少々長くなるのう』
アマリアの話は崩壊したセクサルド帝国全盛期の前の時代から始まった、魔術で名高いペンタビアで若くして頭角を表し名を轟かせ、他の上位魔術師達の追従を許さない精霊力を使う事ができた事。
そしてアマリアもまた神隠しに帰りだと明かした。
「アマリア様もですか!?その可能性も考えた事もありました、殿下達が神隠しに会ってからですが」
アゼルの言葉には驚嘆とやはりと言う納得、そして何かに苦しんでいるような苦悩の影があった。
アマリアの話は続く、彼女が神隠しにあったのは30代も終わりの頃、そこで聖霊王と結ばれその時から老化が遅くなったと言う。
更に力も強くなりいつしか精霊魔女アマリアと畏怖される様になった事、そして不老不死と言われるまでに至った事情をかいつまんで話した、それはアマリアの人生の物語だった。
『そしてセクサルド帝国三代皇帝アルヴィーンと出会ったのじゃ、奴もまた神隠し帰りよ』
ルディとアゼルは言葉も無かった、エスタニア統一の覇業目前で倒れた英雄の名前を知らない者はいなかった、通貨の単位アルビンも彼の名前が由来なのだ。
アルヴィーン大帝はセクサルド帝国の皇室に生まれたが、庶子で7男で継承には縁が無い皇子だった、だが血みどろの継承争いを制し皇帝の玉座を射止める、流星の様に現れた若き皇帝は僅か20年で東エスタニアを統一、世界統一の覇業に乗り出す直前に倒れ、帝国はその後わずか10年で崩壊した。
大帝の神隠し帰りは伝説や神話の類だったが、アルヴィーンの逸話には精霊魔女アマリアとかかわる物もありその幾つかは史実として残っている。
だが不出世の英雄が神隠し帰りであるとアマリアの口からもたらされたのは衝撃だった。
しばし誰も言葉を発しなかった、コッキーは当惑しながら仲間達とベッドの上の少女を見ている。
「神隠し帰りは必ずしも不老不死という訳ではないのだな」
ルディが沈黙を破るように言葉を発した、彼が指しているのはアルヴィーン大帝に違いない、だがそこから僅かな安堵の心の響を感じてベルは密かにルディの横顔を見詰め直した。