想念の断片
コッキーはイモムシが消滅するのと同時に体を満たしていた力を手放した、彼女はあの力を導く手がかりを幽界の門の彼方から伸びる光の紐として捉えていた、その掴んだ紐を手放したのだ。
力が引き潮の様に遠ざかると共に体の変異が解けて行った、いつもの自分に戻って行く。
他人から見れば恐ろしげな姿が消えて幼い美貌の少女に還っていく、だがそれに強い喪失感を感じていた。
この力が在れば平凡でつまらないリネインの孤児では無くて、誰でもない特別な存在になれるのだから。
ベルを嘲る様に嗤っていたあの特別な自分にどこか憧れている。
変異が完全に消えるとベルが倒れている場所に向かって走りだした。
走りながら先程起きた出来事を思い返していた、アゼルが魔術の行使で苦しんでいるのに、同じことを繰り返そうとしているベル達に怒りを感じたその時の事、私も戦いたいと思い光の糸をたぐり寄せた。
そしてあの力が体を満たした時、ベルの力ならばイモムシを倒せる、どう倒すのかは知らないけど倒せるとなぜか知っていた。
あの時ベルに何をしたのかも覚えていた、あんな恥ずかしい真似は絶対にできない。
関係の無い他人を見下ろす目で、破廉恥な真似をする自分を眺めていただけだった。
だが手の平にはまだ温かな柔らかい肌の感触が残っている、手のひらを思わず握りしめた。
ベルの側に近づくとルディが大きな溝の縁で当惑し狼狽えている。
なんとなく状況を察したコッキーは窪みに飛び込み、うつ伏せになって倒れているベルに駆け寄る、彼女も変異が解けてあられもない姿でうつ伏せに横たわっていた。
鍛えられ無駄が無いそれでいて美しく丸みを帯びたベルの腰を見ていると心に小さな棘が刺さり痛む。
思い切って彼女の下着を元に戻してやった、そしてお姫様の様に抱きかかえたまま窪みの底から一気に飛び上がる。
白い地面の上に仰向けに寝かせて素早くスカートの布を整える、体の正面はスカートがズタズタに引き裂かれていたが十分布が残っていた。
ルディが安心したように息を吐くのが聞こえる、ルディを軽く睨んだ。
ベルさんが本当に心配ならお尻まる出しでも飛び込むのではありませんか?
そう思ったけど口には出さない。
「地面ごと影を削り倒しましたか…」
背後からアゼルの声が聞こえる、コッキーが後ろを振り返るとアゼルの魔術師のローブが目に入る、上をみるとアゼルはベルと地面に穿たれた大きな溝を興味深げに観察していた。
「アゼル動けるか?」
「殿下、しばらく間を開ければ回復します、まずはここから離れた方が良いかもしれません」
ルディは遠くに見える大きな黒い池に目をやった。
「ここに居るとあの球体がまたやってくるかもしれん」
「ルディさんなぜなのです?」
「前に来た時に見たのだ、足の生えた蜘蛛の様な奴が黒い液体を食っていた」
コッキーは思わず黒い池の方角を見る、今あれに遭遇したら危うい。
「ベルは俺が運ぶ」
ルディがベルに近寄って来たのでコッキーは慌てた。
「待ってください、剣を使えるのはルディさんだけじゃないですか、わたしがベルさんを運びますよ」
「確かにその通りだ…すまないがベルを頼む」
うなずいたコッキーはさっそくベルを担ごうとした、だが肩幅が狭くて上手く担げない、ベルが寝ているのでおんぶもできなかった、結局お姫様だっこで運ぶ事にする、精霊力で強化された今のコッキーには大した負担にならない。
4人は再び遥か彼方に見える黒い霞を目指して歩きはじめた。
「しかし深い所まで白い物質でできていたのですね…」
アゼルがベルが刻んだ大きな溝を観察しながらつぶやく。
『この世界はこの物質でできておる、正確には人にそう見えるだけじゃがな』
突然ルディの胸にとまった玉虫が話し始めた。
「愛娘殿戻られたか?」
『うむ、この術はけっこう力を使う、わしは今精霊力を節約しておるでの』
「ところであの球体の化け物は何なのだ?」
『あれは掃除屋じゃ、お前たちも見ただろう?この世界に溢れてきた魂の欠片を処理しておる』
「アマリア様、魂の欠片とは?」
『アゼルか、前にも話したかもしれんが、現世の人の記憶や想いは忘れられても無くなるわけではない、それは人の意識の底に沈みこの狭間の世界に滲み出てくる、奴らはそれを処理して無害な形に変えて幽界に還元しておる、決して邪悪なものではないぞ』
「ではあれは生物なのですか?魔術道具か何かでしようか?」
『わしもしらん、研究したいが長い間身動きがとれなくてのう』
「アマリア様、ところで我々の他に何か小さな生き物がいないでしょうか?」
『生き物だと?前に小さなサルがいたがそれか?』
「そうです、小さな白い猿のエリザベスです」
しばらくの間玉虫は沈黙した。
『…すまぬな、わしの知る範囲にはおらんようじゃ』
「お手間をおかけしました」
アゼルは残念そうに、大切な相棒の安否を気遣う様に白と灰色の世界の地平の彼方を眺めた。
「おい何かいるぞ!!」
ルディが叫ぶと急に足を止める。
『ギャアあ、コワイよ!』
『おいしそうなのです、やっつけてたべるのです、とまるのデス』
煩い喚き声と共に目の前を黒い鳥が駆け抜けていく、その黒い鳥の背に小さな黄色い物体が乗っていた。
その後ろから長さが30センチ程の真っ黒な得体の知れない物体が鳥を追いかけて行く、それもかなりの速さだ。
「殿下!!もしやあれはカラスとヒヨコではありませんか?」
以前ルディとアゼルがこの狭間の世界に墜ちた時、球体の怪物を倒した時に生まれたガラクタの山の中から生まれた得体の知れない生き物に似ている。
『馬鹿共めこんな所で道草しておったか』
「愛娘殿、奴らを飼っているのか?」
『便利なので使い魔にしたのじゃよ、奴らは現世に送り込みやすくての、奴らを使って状況を打開するのじゃ』
「奴らで大丈夫なのか?」
『大丈夫だと言いたいが、手駒がないのじゃ贅沢は言えぬわい』
『ヒヨコ、今コドババの声がした!!』
喚きながらカラスとヒヨコがこちらに戻って来た。
『コドババじゃと、ご主人様と呼ばんか!!』
ルディの胸に留まっていた緑の玉虫が怒りに震える様に叫ぶ。
彼らの前にやって来た黒い鳥はルディの胸の玉虫を見上げている、その鳥は不格好な鳥のオモチャに見えた、子供の工作の様に左右のバランスが取れていない、その黒い鳥の背中に黄色い小鳥が乗っている、この世界では希少な黄色が目を射ぬいた。
その小さな小鳥は不細工な紙細工に見えた、適当に描かれた様な左右不釣り合いな目とくちばしが子供の落書きを思わせる。
「お城で見た変な奴に似ているのですよ」
コッキーはその黒い鳥の様な生き物に見覚えがある、ドルージュの要塞の瓦礫の山の上を走り抜けた黒い小さな影に似ていた。
カラスはコッキーに少し近づいてから見上げた。
『そのウデのなかのカワイクてステキなおんなノこはダレ?』
『オシリまるだしのはずかしいオンナなのです、オシリをたたけばキットいい音がしますです、ピヨピヨ』
「…なんなのです?」
そこにそのカラスを追いかけて、黒い何かがやってきて止まる。
それは長さ30センチ程の黒い細長い物体で、頭の先から二本の触手が突き出し、それが何かを探るように動いていた、まるで黒い大きなナメクジに見える。
「なんだこれは?」
ルディが思わず誰ともなくつぶやいた。
『狭間の世界に漏れ出した想念の断片じゃ、普通は形を成そうと蠕くだけじゃそして形をなす事も無い、だがまれに形をなす事があっての、こいつらのように言葉を話す物ははじめてだがな』
「ナメクジみたいで気持ち悪いですね」
『そんなことはアリマセン、おいしいのです』
ヒヨコがなぜか抗議する、なみに黒いナメクジはヒヨコよりもはるかに大きい。
『ウワアくるな、キモチワルイ!!』
カラスが黒い不格好な羽をナメクジを追い払うように羽ばたかせた。
その時の事だ、黄色いヒヨコの体が大きく歪むように引き伸ばされると、その嘴も巨大化し大きく口を開いた、そして黒いナメクジを大蛇の様に一口に飲み込んでしまった。
「あわわわあぁ!!」
コッキーは驚いて後ろに跳ねたがベルを両手にかかえている事を忘れていた。
突然足元の地面がすべり足が前に浮くとまた尻もちをついて転ぶ、その上にベルの体が落ちてかぶさってしまった、ベルが転がりコッキーの顔がベルのお腹に圧迫されて息ができなくなる。
「うぐッ!!」
コッキーが苦悶のうめきを上げる。
「アゼル、こいつ実は危険かもしれんぞ!?」
『おいしいです、モグモグ』
『オエッ、しんじられない』
カラスとヒヨコが騒ぐ間にベルが身じろぎして起き出した。
「皆さんベルさんが目を覚ましました!」
『パンツ娘も気づいたようじゃな、しばらく進むと地下に向かう階段が見つかるはずじゃそこを降りるようにな、こいつらは当てにならぬから言うことを信じるなよ、さてそろそろ時間じゃ』
騒ぐカラスとヒヨコを無視して玉虫はふたたび静かになった。
「なんだこの変な奴ら!?」
ベルはノロノロと立ち上がったがまだ足元がおぼつかない、彼女は不細工な黒い鳥の玩具を見て目を瞠っていた。
「この先に何か小さな建物があるぞ」
ルディが数百メートル先にポツリ佇む小さな建物の影を見つけた。