穿つ者達
空を飛ぶ巨大なイモムシがベルに向かって来た、なぜ自分が狙われるのか良くわからない、それは真っ直ぐこちらに向かって来る。
イモムシはある程度近づくとそこから急加速する、それは前と同じ動きだった。
素早く姿勢を低くして真横に回避する、そしてイモムシが通り過ぎる瞬間を観察した、敵の攻撃の正体を探るためだ。
正面に遠くコッキーの姿が見える、敵が通過する直前その彼女の姿が揺らめき消えて横に僅かにずれた、その直後に乾いた何かを強く叩くような破裂音が鳴り響いた。
そして目の前を巨大なイモムシが高速で通過して行く。
今のは何だ?
ベルには上手く説明できなかった、物が消えたのではないもっと何か異常な事が起きている。
「ベル!!」
ルディの警告が耳を打った、彼の声はそう大きく無いはずだが耳元で怒鳴られた様に良く聞こえる。
ベルの目の前を通過していくイモムシの胴体から無数の足が飛び出し、すれ違いざまにベルを攻撃しようとしていた。
その動きをベルの超常の動体視力が捕らた、反射的に剣でいなしながら体を滑らす様に地を這わせて距離をとり、襲い来る敵の足の乱撃をすべて受け流していく。
通過したイモムシが大きく旋回しながら向きを変えてこちらにまた向かって来た。
ベルは起き上がりふたたび迎え撃つ用意をした、敵はあまり頭が良くないような気がしてきた、行動が型にハマりすぎているのだ。
ふと何かを企てているらしい背後のルディ達が気になった。
「ベル、俺の方にまっすぐ来てくれ、そのまま直進だ!!」
戻ってきたイモムシをある程度引きつけてから反転しルディに向かって走る、アゼルは進路からはずれた場所で待機していた、そのアゼルにコッキーが駆け寄るのが見えた。
ルディとの距離がせまると彼は横に素早く動いた、ベルはそのまま真っ直ぐ走る、背後から例えようもない不快な気配が急迫してくる。
ルディ達は何かを仕掛けるつもりらしい、何をするのか好奇心が刺激されるがただ真っ直ぐに走った、すぐに背後で精霊力が動くのを感じる、その直後に堅いものが砕ける音と音のない爆発が生まれた。
慌てて背後を振り返るとイモムシが二匹に増えていた、それにベルは目を瞠る。
「玉を一個やっつけたのです!!」
コッキーの叫びで何が起きたのか理解した、球体を一つ破壊されたイモムシが二つに分断されたのだ。
ちょうど地面に散らばった黒い残骸が消えて行くところだった。
「アゼルが下に氷の板を出したのだ!!影を叩けば潰せるぞ」
その間に空を彷徨っていた二匹のイモムシが連結しはじめた、しかしすべての球体を破壊するまで同じ事を繰り返すのだろうか?
「こんどは頭を狙ってみるぞ、ベル奴をしばらく引っ張ってくれ、おおっといかん!!」
だが連結したイモムシは今度はルディに向かって襲いかかって行く。
「殿下!!」
アゼルが叫んだが今度はルディがイモムシを引きつける番になってしまった。
ベルはアゼルの側に急ぐ作戦の打ち合わせをする為だ。
「ベルきましたか、殿下が通過する直前に氷の板を下に出します、貴女はその氷を壊してください、いいですか頭を狙ってください」
アゼルがかなり疲弊しているのがベルにも感じられる、連続した術の行使は負担がかかる様だ。
「私はアゼルさんを守る役目なのです」
コッキーはルディの予備の剣を構えていた、残念ながら剣の握り方も構えも無茶苦茶だった。
「わかった!!僕は反対側に行く」
イモムシを引き連れたルディが時間を作るため大きく迂回しながらこちらに向かって戻って来た。
ベルはアゼルから30メートル程離れたところで待機する、イモムシの足の攻撃を避ける安全距離を読む、だがベルの爆発的な瞬発力があれば十分な距離だろう。
ベルはルディの走る方向とアゼルの位置関係から最適な場所を探りながら動いた。
アゼルに精霊力の集束を感じた直後、ベルの目の前に氷結した池の水面の様に氷が生じる、かなりの厚さがあった。
そして詠唱が終わった直後にアゼルが片膝をついた、その直後ルディが氷の板を飛び越えていく。
ベルはイモムシの頭が通過する瞬間を待っていた、精神を集中するとまるで時間の進み方が遅くなって行く様な不思議な感覚に囚われる。
そして氷の板の端に敵が影を落とし始めたその瞬間ベルは精霊力を総て解放した。
精霊力の奔流が体に流れ込み全身を駆け巡る、電撃を浴びた様な衝撃と悩ましい焦れるような快感が腰から背中を昇って行く。
力が肉体を強化し気の道の流れを加速する、踏み込む足に力が流れ込むとクロスボーの弾丸のように筋肉が体を前に押し出した。
頑丈なはずの長ブーツが悲鳴を上げた。
そこから剣を氷に叩き込むまでの刹那の間、ベルには総ての動きがゆっくりと感じられた、アゼルに駆け寄るコッキーの動きが夢の中を漂うように遅い。
グラディウスが氷の板を打ち砕いた瞬間すべてが再び動き出す、すぐ右側から脅威が迫っていた、ベルは確かめるまでもなく後方に飛び下がり、胴体から生えた無数の足を回避するために転がりながら回避をはかる。
直後に敵の頭から音のない爆発が生じベルの感覚を不協和音のように掻きむしり揺さぶった。
氷の上を勢いのまま通過した敵の頭が黒く変色すると、白く光輝く亀裂が球体の表面に無数に生じて砕け散ちって音もなく消滅して行く。
氷の板の破片が飛び散ると意味不明な漆黒のガラクタに変わって行く。
その中に胸像や柱時計のような形をした物体が見える、ベルはそれにどこかで見たような懐かしい不思議な既視感に囚われれていた。
それは思い出せそうで想いだせない、そして思い出す前にそれは地に吸い込まれる様に消えていく、すぐにその思い出しかけた記憶すら希薄になっていった。
「破ったか?」
ルディの叫びにその声の方を見た、頭を失ったイモムシが速度を落とし空中に静止した。
ベルはアゼルの不調を思い出して慌てて駆け寄る、すでにコッキーが側に居てアゼルを介抱していた。
「どうしたの?」
「アゼルさんの具合がわるいみたいです
「お二人共心配しないでください連続で魔術を使った反動です、すぐに回復します、なんとかあれの動きを止めたようですね…」
その瞬間アゼルの表情が変わった。
「奴に動きがあるぞ!!」
ルディの警告の叫びに声の方を見た、たしかに頭を失った敵に変化が現れていた。
前の三つほどの球体が融合し大きな球体に変化していくところだった、すでに球体を八個程失っていたがその長さはまだ20メートル近い。
「コッキー、アゼルを連れて下がって、アゼルが回復するまで僕たちで時間をかせぐから」
ルディと相談したわけではないがベルはこれで良いと思った。
コッキーもうなずくとアゼルを肩に背負って素早く後ろに運んでいく。
そしてイモムシが再び動き始めた、まだルディを狙っているのかルディに向かって飛んでいく。
「ルディ!!アゼルが回復するまで僕たちで時間をかせごう!!」
大きな声でベルは呼びかける、彼は了解したかのように手を軽く上げた。
「ベルさん…」
突然背後から肩越しにコッキーの声がした、ベルの超常の感覚をすり抜けて接近を許してしまった事に驚いた、そして背後のコッキーの精霊力が異常なまでに高まっている。
振り返るとコッキーの黄金の瞳に射すくめられる、目の位置が高い普段より彼女の背が高くなっている。
「なぜアレを呼ばないんでスか?」
コッキーの言うアレが何かベルは良く知っていた、ベルの幽界の門の向こうにいる強大な獣の事だ。
「あいつにはワタシよりベルさんの方が向いてイルのです」
コッキーを支配している何者かが言っている事は理解できた、夜の街道上の闘いでバラバラになって落ちていく魔界から召喚された悪魔の姿を思い出す。
コッキーは背後から左腕をベルの胸の前に回した、コッキーの細腕は病的なまでに白く僅かに銀色を帯びその肌は湿りなめらかで冷たい。
ベルの全身に悪寒が疾走る。
「怖いのデス?さっきも呼んでいたのに」
コッキーの声に僅かな嘲りが込められていた、コッキーの口から出るとは信じられない口調と言葉だ。
背後にいるのはコッキーであってコッキーではないとベルは確信する。
「今よばないでイツよぶのですか、しんぱいないのデス、身をまかせればラクになれるのですよ?」
そう言われても自分の意思で呼べるのか自信が無い、今までも追い詰められて勝手にアレは現れたのだから。
ベルには自分の意思を手放す事に強い拒否感がある、それが邪魔をしているのかもしれない。
細い長い舌がベルの首筋を軽くなでる様に舐めた。
「ヒッ!?」
「しょうがないデス」
コッキーの腕の力が強まり締め付けるそれを振りほどこうとするベルの力と拮抗した。
背中に冷たい手が触れるとそれが下に降りてそのままベルの下着を降ろす。
「何をする!?」
腰の近くの女神の笑窪と呼ばれる場所に冷たい手の平の感触を感じた、ベルはまさかと動揺した、コッキーが何をしようとしているか読めたからだ。
「や、やめろ!!!」
コッキーの指が腰骨の底に隠された、失われた人の尾の痕跡をまさぐる。
二人はそのまま姿勢を崩し倒れ込んだがコッキーは止めない、ベルは逃れようと暴れたがコッキーの力はそれ以上だった、やがてコッキーの指先から精霊力が僅かに放たれた瞬間、ベルの意識は凄まじい衝撃と共に消え去った。
ベルは陸に上げられた魚にように跳まわっていた、そしてすぐに動かなくなる、コッキーがベルの顔を覗き込むとベルは目を見開いたまま気を失っていた、その薄い青い瞳から光が失われている。
それを見てコッキーはニンマリと笑った、それはどこか非人間的な不気味な笑みだ、コッキーの容姿も変異しかけていたが、ハイネの聖霊教会でエルマ達と戦った時ほど顕著では無い。
やがて倒れたベルから強大な精霊力が吹き出し始める、やがて彼女はゆっくりと立ち上がった、コッキーは黄金に光輝く目を瞠ってから、下がっていたベルの下着を手で持ち上げてあげる。
だが目の前の黒い柔毛に包まれた長い尾が邪魔で完全には元の位置には戻らない。
「ベルさん、すてきデスよ」
コッキーがささやいた、黄金の光に満たされたベルの瞳が無感動にコッキーを見下ろす。
そこにルディが敵を引き連れて戻ってきた、彼は走りながらこちらを凝視していた。
ベルは少し離れたところから自分自信を見ているような不思議な感覚に包まれていた、コッキーに精霊力を流し込まれた時から自分が自分では無くなっていた。
体を取り戻さなければ、自分自身に還りたいと願った、心の中で自分の体をつかむような、夢の中で夢から覚めようと足掻く様な努力を繰り返した、すべては実時間で一瞬の出来事だった。
冷たい石畳みの感触を頬に感じて体を起こして立ち上がる。
誰かが下着を履かせてくれた、だがなぜかそれに感情が動かない、そして足元のコッキーを見下ろした。
感情が麻痺しているのか、この元凶の少女の姿に何も感じるものがなかった。
戦意に頭の中が塗りぶされて行く、どう戦うのか分からなかったがそれが出来ると確信していた。
ルディは敵を引き連れたままベルの前を通過して行く、だが敵はそこで急停止した、僅かな時間そのままだったが全体の向きをベルの方に向けはじめた、頭に空いた虚ろな穴がこちらを向いた。
ベルの顔が何かを思いついた様に歪んだ。
姿勢を低くして片手を白い石畳みに着ける、敵までの距離は30メートル程だ、ベルは瞬間的に最大速度まで加速し地を這うような姿勢で敵に突進した。
背後でコッキーが驚きの声を上げた。
敵は僅かに頭を下に向けて正面から迫る敵にその丸い口を向ける、ベルは最後にもう一段加速するとその暴圧に強化したはずの肉体が軋む。
眼前に球体の口が迫った、再び乾いた物を叩くような破裂する激しい音と共に地面が半球状に抉れて消滅した。
そこにベルの姿は無かった、彼女は消えてしまったのだろうか?
だがその大きな穴の端から溝が生じていた、断面が半円の窪みがイモムシの胴体の真下を通り尾の方向に向かって伸びていた。
その溝の表面は磨かれた様に滑らかだ。
その向こう側にベルの姿があった、あられも無い姿を晒しながら溝の終わりでうつ伏せにうずくまっていた、そして彼女はまったく動こうとしない。
やがて速度を落とし停止したイモムシは全身が漆黒に変色して行く、輝く光の亀裂が全身を走り音もなく砕けて消滅していく。
ベルはイモムシの影を地面ごと削り取り一気に破壊したのだ、仲間たちはベルが何をしたのか理解した。
「ベルだいじょうぶか!!」
ルディがベルに駆け寄る、コッキーもアゼルも彼女に向かって走り始めた。