神器の因果
コッキーは背後から迫る敵から逃げ惑っていた、背中に憎悪が物質と化して突き刺さるようだ、濃密な瘴気が彼女を絡めとろうとしている。
意識を自分の中の幽界の門に向ける、切り札の光の糸が今は頼りなげに輝いていた、まるで後ろの敵には触れてはいけないと警告しているかの様に、だが不思議な事にここで命を落としてしまいそうな予感はしなかった。
とにかく先に進まなければ、先ほどから自分を呼ぶ小さな声の正体を確かめなくては。
コッキーの進む先の廃墟の向こう側からまた彼女を呼ぶ声が聞こえてきた、だが前を見ても崩れかけた石壁と瓦礫が白い淡い光に照らし出されているだけだ。
その方向に向きを変える、城壁を越えた向こう側からその声は聞こえてくる。
「誰ですか!!」
呼びかけながら瓦礫の上を巧みに飛び跳ね城壁に向かって走る、最後に素早く城壁を這い登り後ろを確認した、半透明な緑色に輝く巨大な髑髏と不気味な人体の残骸がこちらに向かって飛行してくる。
コッキーは城壁から思い切って飛び降りると丘を一気に駆け下った。
声の主を探さなければと強い想いに駈られて夜の沼の畔をかけた。
声はこのあたりから聞こえてきた、声の主をさがして辺りを見渡すが誰の姿も無かった、すると目の前の濃霧の壁の向こうから無数の人影が浮かび上がりそこから亡霊の群れが湧き出て来る。
「どこにいるのですか!?」
それにかまわずコッキーは叫ぶがそれに応える者はいない。
すぐに背後から強烈な悪意と瘴気がせまってくる、コッキーはここを離れようと湖畔を走る。
「応えてください!!」
だが彼女の呼びかけに応えは無かった。
そのとき突然人の手に足首をつかまれたのだ、冷たい手の平と人の指の感触。
「ひっい!!」
慌てて足元を見ると泥の中かから人の腕が飛び出してコッキーの細い足首をつかんでいる。
その手は暗く沈んだ緑色をしていた、とても生きている人の手ではない、コッキーの全身に悪寒が走り握られた足首の肌が焼けるように熱い。
「いやぁああああ!!」
絶叫を上げて泥の上に尻もちをつく、右手が泥の中の堅い何かにふれそれを無意識につかみ取った。
そこに巨大な髑髏が緑色に輝きながらゆっくりと迫って来る、そしていつのまにか周囲を亡者に完全に包囲されていた。
泥の冷たさがお尻から伝わり体が冷えて心も萎えていく、立ち上がろうとしても足に力が入らない。
ふと足首から掴まれた様な感触がいつの間にか消えている、足首を見ると泥の手形だけが残っていた。
そして手に掴んだ堅い何かを無意識に泥から引きあげた、それは薄い緑色の光に照らされて複雑な形に入り組んだラッパのような形をしている、その形には確かな見覚えがある。
「ラッパなのです!?」
思わずワンピースの裾で泥を拭うと金属の光沢が下から現れる、それは場違いなまでに傷一つ無く緑色の光を反射していた。
「なぜこんな処にあるのですか!?」
声が震えていた、だがそこには確かな歓喜の響きがあった、その間にも巨大な緑色に輝く髑髏がゆっくりと接近してくる、だがその光る髑髏も亡霊達も見えない壁があるかの様に距離を保ってコッキーに近づこうとはしなかった。
手にしたトランペットを見つめる内に、体の奥が熱くなって行く、やがて体の奥から熱い何かが湧き出しはじめた、意識を幽界の門に向けるとあの光の糸の輝きが次第に強くなって行く。
コッキーは迷いなくその光の糸をひいた、太古の打楽器の様な躍動するリズムと共に、原始の巨大な力がコッキーの小さな体を満たして行く。
コッキーは厳かなしぐさでトランペットを捧げ持つと唇をあてた、その先は宙に浮く巨大な髑髏を指していた。
まるでキスをするかのように、まるで神聖な儀式に臨む巫女のように。
精霊力が膨れ上がり強大な力の衝撃波が黄金のトレンペットから発すると、巨大な髑髏は霧散し瘴気に還って行く。
コッキーが城壁を駆け昇った時に見たのは、要塞の中央の城郭を取り囲む亡者の群れと、宙を舞う緑色に輝く巨大な髑髏、そして無数の光球が乱舞する姿だった。
そして減らしたはずの巨大な髑髏の数が増えていた、最後に見た時には三体まで数が減っていたのに今や五体に増えていたのだ。
仲間達の姿は見えないが城郭の反対側の壁際から精霊力を感じた、真ん中の城郭に追い詰められているに違いない。
コッキーは中央の城郭に向かって走る、邪魔な亡霊達にトランペットの音を軽くぶつける度に亡霊が吹き散らされて瘴気に返って行く。
中央の城郭の壁を背にして亡霊を撃退していた仲間達の処になんとかたどり着く。
「どうしたのです?」
「おお、無事か良かった!!あれを見てくれ瘴気が集まって敵が復活していくのだ」
ルディが城門の上で渦を捲く巨大な瘴気を指差した。
「くそ、あの鞭があればまだ戦えるのに」
ベルが下品に無法者の様に舌打ちをするのが聞こえる。
城門の上に巨大な漆黒の瘴気が渦巻いている、それは渦を巻きながら周囲の瘴気を巻き込み巨大化していく、その瘴気のガスの中で緑色の光が灯ると巨大な髑髏がその姿を表そうとしていた。
ルディがコッキーを振り返り驚いた様に顔が変わった、ベルも空気を察したのかコッキーを振り返って怪訝な顔を浮かべる。
「皆さんどうしたのです?」
「そのトランペットどうしたの?」
ベルの声は僅かに震えていた。
「そこの丘の下に落ちていたのです、ラッパが呼んでいたのですよ、アゼルさんの言ったとおり還ってきたのです!!」
だがアゼルの顔は恐怖と驚愕で固まり声も発しない、彼の顔は土気色にさえ見えた、彼の視線はコッキーのトランペットにひたすら注がれていた。
「さっき凄い精霊力を感じたけどトランペットだったの?」
トランペットを観察していたベルがふとささやくとコッキーはうなずいた。
「でもしばらく力がでません…」
それを聞いたベルの顔がぎょっとした様に変わった。
「上だ!!」
ルディが警告を発したそして上から襲って来た光球を叩き切るとそれは霧散して行く。
「コッキーが合流したのだ、皆んなどこか守り易い場所に移動しよう」
「どこにするルディ?」
「殿下、地下への階段はどうでしょう」
背後の城は半壊していた、空を飛べる彼らにはそれは障害にならない、だが狭い階段ならば守り易いはずだ、問題は中に何があるのか何かいるのか予想も付かない事だ。
「それでいい、行こう!!」
ベルが真っ先に賛成した。
それに全員異論は無かった、ベルを先頭にして城郭の入り口から中に飛び込む、床に散乱した瓦礫と消し炭を踏み越え階段に向かう、建物の中は大塔の上からの光に照らされて思ったより明るかった。
ベルを先頭にそのまま全員階段になだれ込んだ。
「あの音楽が聞こえないね」
ベルが言う通り、奏者も楽器も見えないチェンバロの曲がいつの間にか絶えていた、思い返すとチェンバロの曲からこの異変が始まったのだ。
「中は真っ暗なのです、奥はどうなっているのでしょう?」
階段を降りた先は通路になっている、だが上からの光はこの先には届かない、通路の奥は暗闇に閉ざされていた。
「力を使えば暗い所でも見えるようになるよ」
ベルは簡単に言うがコッキーは当惑してしまったやり方がわからない、無事帰る事ができたら彼女から教えてもらおうと決意した。
「奴らがどんどん建物の中に入ってくるぞ、時間があまりない、アゼルこの奥を調べてくれ!」
階段の入口で外を警戒していたルディが警告を発した。
「わかりました」
慌ててアゼルが術式の構築と詠唱を始めた。
「『水底の夜光虫の燭台』!!」
僅かな触媒の反応臭があたりに漂うと、青白い光の玉が浮き上がり地下通路を照らし出した。
青白い光はどこか清浄で温かみすら感じさせる。
「アゼルさん綺麗ですね」
「これは水精霊の恩恵ですよコッキー」
アゼルの肩の上のエリザが光の玉をつかもうと背伸びをしている。
ベルはその間にかまわず奥にどんどん進んで行ってしまった。
「さあ、殿下が食い止めている間に中を調べます」
アゼルも慌ててベルの後を追う、水精霊の力を帯びた青白い光もアゼルと共に進んでいく、コッキーはその後を追いかけた。
地下通路は幅二メートル程で真っ直ぐ伸びていた、両側に部屋が立ち並んでいるが、扉は失われ中には壊れた箱や棚の残骸が散らばっているだけだ。
青白い光が奥に伸びるに従い、行く手を塞ぐ朽ち欠けた扉に光が当たった。
「行き止まりの部屋だとまずいな」
ベルは剣を構えるとそっと木の扉に触れる、だが木の扉は腐っていたのか、湿った音を立てながら半分ほど崩れ落ちてしまった。
「ベルさん!!」
コッキーの叫びには非難じみた成分が多分に含まれている。
だが中を覗き込んでいるベルは後ろ出に手のひらを向けると、来るなと合図を出した、それを認めた二人に緊張が走る。
「ベル嬢どうしました?」
「アゼル、部屋の床が銀色に光っている」
振り返ったベルの顔が何時になく緊張している。
コッキーは思わずベルの後ろから部屋の中を覗き込んでいた、部屋は10メートル四方ほどの広さだが中央の床が丸く銀色に輝いている。
「まただ!!もう…」
ベルがコッキーの頭の上の方からつぶやいた、彼女の声から疲れた様な怯えた様なうんざりした様な響きを感じる。
「あの学校の鏡とおんなじなのです?」
「まさか、これが幽界の通路なのですか?」
後ろからアゼルの声がした、コッキーが後ろを振り替えるとアゼルが魅入られた様に銀に輝く円盤を見つめていた。
その時小さな物音が背後から近づいてくる、暗い廊下を小さい何かがこちらに向かってくる、それは一瞬の出来事で彼らの頭の上を飛び越えて部屋に飛び込んで行った。
「い、今のはなんですか?」
「鳥が銀の光の中に飛び込んだ!!」
「私も見ました、あの鳥には見覚えがあるかもしれません」
「アゼルあれを知ってるの?」
アゼルがベルの疑問に答えようとした直後、後ろから大きな足音が聞こえてきた。
「クソ、今の奴が奴らを連れてきやがった!!みんなもっと奥に逃げろ!!」
ルディの罵声が更に近づいてくる、その背景が四角く淡く緑色に輝いている、敵がついに地下に入り込もうとしていた。
もはや選択肢は無かった、ベルが壊れかけた扉を蹴破ると部屋に飛び込む、一瞬迷った様に見えたが何か強い力に引かれるように銀の光に吸い込まれた。
「ベルさん!?」
「奥に進め!!」
ルディの緊迫した声が後ろから迫ってくる。
コッキーも銀の光の縁で足がすくんだ、だが体が少し浮くとそのまま光の中に吸い込まれてしまう。
誰かが何か叫ぶ声が聞こえたがすぐ意識を失ってしまった。