ジンバー商会の手紙
リネイン聖霊教会の裏門の近くに早朝から子供達が群れ集まって騒がしい。
孤児院の子供たち一人ひとりにひとりにコッキーはお別れの挨拶をした、孤児院から卒業した子供たちの多くはリネインやラーゼなどこの街の近くで新しい人生を始める、彼女の様に遠くに出ていく子供はとても少ない。
そしてこれが今生の別れにならないとは限らないのだから。
リネイン城市の開門の鐘が聞こえてきた、それに合わせたかの様に修道女長のカーリンが本館の裏口から現れる。
「みんなお別れの挨拶はしましたか?」
カーリンはコッキーと子供たちを見渡した。
「あの、お世話になりました、カーリン様」
「ええ、貴女に聖霊王の御加護がありますように、全ての聖霊に愛されますように、また会える日を楽しみにしておりますわ」
もはや言葉は不要だった、語るべき事はすでに語り尽くしているのだから。
「でわ、行ってきます!」
手を振りながらコッキーは裏門のアーチをくぐる、外にルディ達が待っている。
子供達の目線が街路の三人に自然と向くと。
「あ、白いお猿さんだ!!」
アゼルの肩の上の猿を見た子供達が騒ぎ出した。
そこにカーリン一人だけが裏門から街に出て来た。
「アゼル様、フェストランド司祭様、この娘をよろしくお願いします」
今まで二人は何度頼まれた事だろうか、ルディもアゼルも笑顔でうなずくだけだ。
ベルはアゼルの後ろで慎ましく澄ました顔で侍っていた、会計士の事務員らしくまた野暮ったい服に着替えていたが、だがウエストを締める帯剣ベルトとグラディウスがその雰囲気を台無しにしている。
「そろそろ行きましょう」
アゼルがルディを促した、こうして居てもいつまでも切りがない。
「では我々は行きます、カーリン殿お世話になりました」
「カーリン様みんな!行ってきます!」
コッキーは鉄柵越しに裏庭に集まっている子供達に手を振った、子供達もお別れの挨拶を返してくる。
再び四人となった一行はリネイン聖霊教会を後にした、コッキーは何度も何度も振り返っていた。
そんな彼らを遠くから見守る者がいた、街の十字路でジンバー商会のラミラと旅の行商人姿の男が立ち話をそていた、一見すると若い街の婦人と行商人が早朝から雑談をしている様にしか見えない。
「じゃあここまで、私達は任務に戻るからね」
ラミラがその男に声をひそめて告げた。
「わかっている、後は我々が引き継ぐローワンには全て伝えてある」
ラミアはそれに笑顔のままうなずいた、その行商人姿の男はラミラに笑顔で別れを告げると足早にその場をさっていく、ラミラもしばらくすると肩を叩いてノロノロとその場を離れて行く。
四人はリネインの西門を抜けるとそのままゲーラに向かう街道を進んで行く、先頭をベルが進みその後ろにアゼル、コッキー、ルディと続いた。
コッキーは時々東の彼方を振り返って遠ざかるリネインの町並みを眺めていた。
「ところでルディさんこれからどこに向かうのです?」
僅かに戸惑った様にコッキーが最後尾のルディを振り返った、どこに行くか実ははっきりと知らされていなかった、本人もあまり考えていなかったのだ。
「ゲーラの魔術師のホンザ殿を覚えているかな?ホンザ殿とこれからの事を相談する」
「よく知っていますよ、お爺さんと相談ですか?」
「ハイネに向かうか先にドルージュを調べるかいろいろとな、細かな事が決まっていないのだ」
ドルージュの名前を聞いた時なぜかコッキーの心臓がドクリと鳴った。
「ドルージュは滅んだ街です何も無いですよ?私はハイネが心配なのです吸血鬼がまだいるじゃないですか?」
コッキーをまっすぐ見詰めたルディは僅かに眉を顰めた、コッキーは少し感情的になりすぎたと後悔した。
そこにアゼルが話しかけてきた。
「コッキーにまだ詳しく話していませんでしたね、ルディガー様と私が『狭間の世界』に落ちた話ですよ」
「ああそうだったな、あの時はまだ奴らに捕まっていたのか」
アゼルがルディガーに代わって、ハイネの学園通りで精霊魔女アマリアが創り出した彼女の魔術道具屋に導かれ、幽界と現世の狭間の世界を旅した話を語り始めた。
精霊魔女アマリアが狭間の世界で魔術道具の船ごと身動きが取れなくなっている事、彼女を解放するためにはテレーゼの死の結界を破壊する必要があること、死霊の集積場がドルージュ近くに有ると教えられた事を語った。
アマリアの塔を囲む死霊の嵐がテレーゼで死んだ人々の魂で作られている事を知らされたコッキーは小さな悲鳴を上げた。
そして父の事を思い出してしまった。
「そうです、まだお父さんはあの変な世界に居るのですよ!!」
幽界のくすんだ緑灰色の草原をベルに運ばれて疾走した時の事を思い出す、あの時吹きすさぶ風の音の中から父がコッキーと母を探す声が聞こえて彼女は泣いた。
「テレーゼ全体に施された大魔術結界の制御を行っている術式陣はセザーレの本拠の『魔導師の塔』に有る可能性が高いと考えています、ですがどちらから先に調査すべきか判断がつきません」
「ハイネの魔導師の塔は敵の本拠みたいなところでしょ?まず先にドルージュを調べるべきだよ」
先頭を歩いていたベルも後ろの話を聞いていたのだろう、それにしても彼女の声はよく通った。
その秘密は旅芸人に声が良く出る方法を教えてもらったからだ。
「ベルさんドルージュにはお化けが出るそうですよ?」
ドルージュには行きたくない、ハイネにいって吸血鬼共を滅ぼしたった。
そこに僅かに揶揄する様な響きがあったかもしれない、ベルはそれを敏感に感じ取った。
「あれコッキーはドルージュに行きたくないの?お化けが怖いとか?」
「怖くなんてありませんよ!」
コッキーは少しむくれた。
「そうだ!ベルさんこそヌメヌメとお化けが苦手じゃないですか?ドルージュにはヌメヌメがいっぱいいますよ?」
ベルは自分の苦手な物をコッキーに話した記憶がない、ならばセナ村の屋敷にいた時に知ったに違いない、となると犯人は限られる。
「ルディ!?」
ルディは素早く横を向いてしまった、だが横を向く瞬間とても楽しそうな顔をしていたのをコッキーは見逃さなかった。
「ベル嬢あなたはお子様ですか?ホンザ殿と相談してからです」
アゼルが無感動に評してから肩の上のエリザを撫でた。
三時間ほどゲーラ方向に進んだ頃だろうか、すでに日も高くなり気温も次第に上がってくる、平穏な旅で気が緩んでいた。
ベルが警告を発すると両手を広げて止めた、そして前方の街道沿いの小さなこんもりとした林を指差した。
「あそこに人が隠れている、数は10人と少しかな特別な奴は居ない、あと少し離れた処に馬がいる」
リネインから離れたこの地域は耕作が放棄された土地がほとんどで荒れ地と森に覆われていた。
特別な奴とは強い生命力や瘴気を放つ存在の事だ。
「あそこか?この距離でよく分かるな」
ルディが感心しながら林を眺める、ベルが指し示した林までかなりの距離があった。
「人がいるか居ないかだけなら良くわかるんだ」
「ルディガー様、前もこの近くで商隊が襲われていましたね」
「そこはもう通過したが同じ奴らか?街道の治安は良くなっていると聞いたがな」
「先日はいませんでしたね、流れ者の盗賊団ですかね?私の魔術でやり過ごせますがどうしますかルディガー様?」
「でも盗賊なら他の人が迷惑するよ潰そう」
物騒な事を平然と言うベルに全員がギョットした、だが彼らが盗賊ならば言い聞かせて改心すると思うほどお人良しではなかった。
「我らならば奴らを簡単に制圧できるかもしれん、ゲーラの支配者に引き渡す事もできるだろう、だが正直目立ちたくないのだ、我々の事を奴らに証言されても困る」
ルディが思わず本音をこぼした、それに全員が頷いた。
「アゼル、記憶を消したり変える魔術はあるのか?禁呪として存在していたと聞いた事があるが」
アゼルを見つめるルディの顔は真剣なものだった、だがアゼルは顔を横に降った。
「禁呪として記憶を消す術があったようですが私には使えません、記憶の操作は不可能ですルディガー様」
「ベルお前は捕虜を殺せるか?」
ベルは首を横にふった、降参した者は殺せないと日頃からベルが言っていた事だ。
護送用の馬車も全員を拘束できる道具もロープもここには無かった。
ルディは少し考え込んでいたが首を横にふった。
「やむを得ない全滅させよう、最終的な決断はもうすこし奴らを確認してからだ」
それに全員異存はなかった。
ルディ達が接近すると、林の中から男達が飛び出し包囲してきた、薄汚れた装備だが統一されており、その動きはまるで訓練された兵士のようだった。
彼らは武器をすて荷物と女をすべて引き渡す様に要求してきた、それが合図で有るかの様にルディ達は攻撃に転じる。
戦いは余りにもあっけなかった、公正に評するならば彼らは決して平凡ではなかった、野盗の類とは思えない訓練された兵士のように応戦する、それでも彼らは僅かな間に一人残らず倒れ伏していた。
「セルディオ傭兵団の残党かと思ったけど装備が違う」
ベルがグラディウスの血糊を拭った。
「ベルさんこの紋章はベントレー伯爵の御紋ですよ、何度も通った街なので覚えているのです」
コッキーは少し怯えながらも死体の装備を観察して彼らの正体を見抜いた。
そして全員がベントレーで起きたクーデター事件を思い出していた、彼らが敗北した派閥の残党かもしれないと考えが及ぶ。
「みんなこっちにきて」
馬を調べに行っていたベルが呼ぶ声がする。
そこには軽装の旅姿の男が息絶えて横たわっていた。
「こいつらに襲われたのか?」
「かもしれませんねルディガー様」
ベルがその男の所持品を調べ始める、すると用途不明の鑑札と防水用の油紙で厳重に封をされた封筒らしき物が出て来た。
ベルがルディを見上げる、その顔には『これどうしよう?』と書かれていた、どうしようと言われてもルディも困る。
「この紋章はジンバー商会のものですよ、働いていたので覚えています」
鑑札を覗き見ていたコッキーが呟いた。
ベルが油紙に包まれた封筒をルディに手渡す、ベルの顔には『あとは任せた』と書いてある、僅かな苛つきを感じながらもルディは受け取り封を切った。