テレーゼ継承戦争の影
ハイネの西の新市街の繁華街の端に魔術道具屋と妖しげな占い屋などが集まる一角があった、恋占や星占いや妖しげな薬を求める人々を相手に生業を立てている店が立ち並ぶ。
インチキ臭い毛生え薬や惚れ薬の看板と大げさな美容薬の看板がその妖しさに色を添えていた。
まさしく放し飼い令嬢のベルサーレがこよなく愛する胡散臭い町並みだ。
そんな街路の一角に『精霊王の息吹』という名前の店がある、軒下に精霊王が口から風を吹き出している下手くそな絵が描かれた看板が下がっている。
そこにどこかうらぶれた容姿の魔術師の女がその店の扉をくぐる、銀のモノクルがワンポイントで彼女に華をそえていた。
その街に良く溶け込んでなじんだ女性は死霊術師のリズ=テイラーだ。
階段を降りて地下通路の先の頑丈な扉を叩く、するとのぞき窓が開かれ中から用心棒が外を覗き見る。
「あたしだよー」
間延びした声が鉄の扉越しに聞こえる。
「ああ、お前か入れ」
扉が開かれると地下通路にギルド内部の魔術道具のオレンジ色の光がこぼれ、触媒の煙と匂いが通路に吹き出した。
リズは階段近くの自分の机に荷物を置くとさっそく作業の準備を始めた。
リズの机から離れた奥まった場所にピッポの作業机がある。
ピッポは今日も朝一番にギルドを訪れ作業に没頭していた、最近仕事が急増しておりピッポもおかげで金回りが良くなっていた。
そのピッポの耳にもリズの声が聞こえていた、彼女の声はそう大きな声ではない、だがギルドで無駄口を叩く者はいない、リズの無遠慮な声が良く通ってしまう、もともと空気を読まない女性だが最近栄養状態が良いせいなのか声が大きくなっていた。
だがおしゃべりと言うわけではないので今のところは皆我慢している。
(さいきんリズさんはお元気ですな)
ピッポは作業机にリズが座ったのをみると、注文リストを消化すべく仕事に再び集中し始めた。
それからどれほど作業を進めただろうか?材料を補充するために薬品庫に行こうと鍵を借りる為に事務員の処に向かった。
そこにギルドの階段を降りてくる人影がある、その階段は精霊王の息吹とは別の階段だ。
その人影は『死霊のダンス』のギルドマスターのベドジフ=メトジェイだった、その初老の男は上からピッポを見下ろして鼻で笑う、ピッポも内心非常にむかついたが適当に頭をさげて席に戻った。
「おいリズこい!」
ベドジフが尊大な態度でリズをギルドマスター席に呼びつける。
この男は優秀な魔術師だが無駄に尊大で上司から部下からも、もちろん同輩からも平等に嫌われていた、そのせいで場末のギルドの長に押し込められたと噂されている。
急に数人の魔術師達が聞き耳を立て始めた、一番後ろのピッポの席からはそれが良く見えるので苦笑するしかない。
(中位魔術師の話ですかな、イヒヒ)
浮世離れした魔術師達も他人の昇格には無関心ではいられない。
そしてピッポも心の奥底でうずく痛みと感情からは自由ではいられなかった。
そこに精霊王の息吹の入り口から男が入ってきた、それはマティアスだ、彼はギルドマスター席の前に立っているリズを認めると、そのまま立ち尽くしてリズを見詰めていた、その様子にピッポも気づく。
彼とリズが良い関係になっている事はなんとなく察していたが正直理解できなかった、最近リズの目の隈も消え、触媒とカビ臭い臭いが減って前よりも見苦しさが減っているとは言え、ピッポもリズは嫌いではないが女として見る気にはとてもなれないのだ。
良い女とはテヘペロの様な女の事を言う。
「お前は中位魔術師に昇格になった、だがまだ力と術が不安定だ訓練しておけ、あとジンバー付きになったそちらの仕事が優先になるぞ、いいな?」
尊大なまるで怒っているような耳障りなベドジフの声が聞こえてくる、煩いが彼に苦情を言えるものはここにはいない。
ピッポと面識は無いが死亡したクランと言う魔術師の代わりなのは明らかだった。
(リズさんもここには来なくなりますかな?もっともこの私もどうなるかはわかりませんが)
それにここの魔術ギルドは死霊術師の養成機関になっている事がピッポにもわかりはじめていた、魔術師は昇格するとかならずここから出ていくらしい、下位であっても将来性に目を付けられると『魔導師の塔』『セザーレ=バシュレ記念魔術研究所』から勧誘がかかる事もあると聞く。
ここに残っている下位死霊術師には薬品製造や新人募集など限られた役割しか与えられない。
防腐術のように生活に役に立つ術もあるが、死霊術は秘匿されており生活に役に立てる機会が無かったのだ。
ピッポにも『セザーレ=バシュレ記念魔術研究所』から勧誘がかかっていた、魔術道具の作成の支援や高度な薬品や触媒の製造に必要と声がかかっている、ピッポは受けるつもりだがすぐと言うわけではない。
いろいろ政治的な駆け引きがあるらしく、しばらくはここで薬品と触媒の製造に専念する事になっていた。
ベドジフがガミガミとリズを責め立てていたが、さいごに何かの巻紙を押し付けるように渡すと、去れとでも言うように手で追い払う仕草をする。
リズの顔はここからは見えない、ピッポは再び仕事に専念し集中しはじめた。
「ピッポさん、やっと中位魔術師になれたよ」
いきなり近くでリズの声がしたのでピッポは驚いた、見上げるとリズとマティアスが近くにいる。
「おめでとうございますリズさん」
ピッポは胡散臭い作り笑いを浮かべた、だが心のどこかが疼く、天才的な上位魔術師のテヘペロと行動を共にしていた時にはその疼きは感じなかったのに。
大した存在と思わなかった者が上昇して行く事を妬んでいると思い当たり、ピッポはそれに激しく自嘲した。
錬金術師として一廉の者になったはずなのに、今だ魔術師への道が諦めきれない、もともと人為的に幽界への道をひらく方法を模索する為に錬金術師になったのだから。
「あれ、どうかしたかな?」
リズは急に想いにふけりはじめたピッポに不審を感じたらしい。
「いや、リズさんがここから居なくなってしまうと思うと、寂しいですなキヒヒ」
「知っていたんだね、でもジンバーだと籍はここのままだよ?」
「ああっ、そうですな私とした事が」
ピッポはこりゃしまったと言った調子でペシッと自分の頭を手で叩いた、それがわざとらしくそんな処が彼が嫌われる原因になっていた。
また魔術師は基本どこかの魔術師ギルドに所属している、ジンバーに出向くだけならギルドの所属は変わらない。
だが『魔導師の塔』『セザーレ=バシュレ記念魔術研究所』は独立した存在なのだ、ギルド株をもっていてそれぞれ魔術師ギルドを成していた。
「おっさん、俺もジンバーとここの連絡役に決まりそうなんだ」
「ほほう、なら少年と連絡が着くかもしれませんな」
「ああ、そうだな」
「マティアス、少年って誰よ?」
リズが小首をかしげた。
「俺とピッポのちょっとした知り合いがジンバーにいるのさ」
「へー」
「それでなおっさん、仕事が終わったら6時から例の打ち合わせだ、姉さんの都合がついた」
「わかりましたマティアスさん」
リズは不審な顔をしてマティアスとピッポを見ていたが。
「姉さんって…はて、たしか…」
マティアスは焦り始めた。
テヘペロはここには一度しか来ていない、だが行方不明になった中位死霊術師のオットー=バラークが彼女に色目を使っていた事を思い出さないともかぎらなかった。
あの事件は今や迷宮入りしていたが僅かな手がかりから探られては面倒。
「リズ、そうだすぐ俺と一緒にジンバーに行くぞ、その前に飯でも食おう!」
「おお、いいね、にゃは」
リズはテヘペロを思い出す前にすっかり忘れてしまった、連れ立ってギルドから出ていく二人を見送るとピッポは大きなため息をついた。
その頃その二人が向かうジンバー商会の会頭室から人払がなされ、会頭のエイベルの執務机の前に執事長のフィリッツが対峙していた、だが心なしか執事長は緊張しているようだ。
「エイベルさん、まずはこれがテレーゼ王室の家系図です」
フィリッツが執務机の上にテレーゼ王室の家系図を広げた、それはテレーゼ王室滅亡時の家系図だ。
最初にマリア王妃を指し示した、彼女には二人の王子と一人の王女がいた事をその図は示している。
驚くべき事に三人の没年はわずか5年の間に集中していた、国王の三人の側室とその子供達もその5年の間に没年が集中している、まさしく大惨事と言わざるを得ない。
その中には戦死や刑死や暗殺と明示されている人物がいるが、死因不明が幾人も存在していた、事故や病死もあるがはたして本当だろうかと疑われる。
この5年こそがテレーゼ継承大戦と呼ばれる長い混乱の幕開けをかざる激しい内戦の時代だった。
「こうして見ると凄まじいな、フィリッツ」
「ええまさしく、王家の滅亡です」
マリア=バルリエ=テレーゼ王妃の子供達は全員結婚し子供が生まれていたが、その子供達もその継承戦争の5年間で死亡している、だが王女が降嫁して生まれた一人娘が生死不明となっていたのだ。
アンヌマリア=バルリエ=テレーゼ王女はマキシム=ド=ラビュタン伯爵の長男のユーグに嫁いでいた。
マキシムは当時のテレーゼ随一の名将でドルージュ要塞指揮官でありドルージュは王室直轄領だった。
「アンヌマリア王女の娘の名前がアリアだと!?」
その家系図にはアリアの名前が記されていた、アリア=フローテンの本当の名前はアリア=ド=ラビュタンなのだろうか?
ドルージュ要塞はハイネから南東に55キロほどしか離れておらず、ハイネの最終防衛線であり国内に睨みを効かせる位置にあり、内乱の制圧や前線への兵站拠点としての役割を担っていた。
当時のテレーゼ軍の重要な後方拠点だった。
そして家系図はマリア王妃の孫の世代ですべて断絶していた、傍系の子孫しか生き残っていない。
「ではアリアはアンヌマリア王女の娘のアリアなのか?」
「はっきりとした事は言えませんが」
エイベルは唸った。
「エイベルさん私はマキシム=ド=ラビュタン伯爵の部下や親族を洗おうと思います、そこにフローテン一族の名が見つかるかもしれません」
「解った、しかしコッキーには何の権利もなかろう?」
「法的には王家の継承権もラビュタン伯爵家の相続権もありません、だが血は無視できませんエイベルさん」
「なるほど血を引いている価値があるのか」
エイベルは机の上の茶に手を伸ばす。
「ところでマリア王妃のご実家はどうなっているのだ?フリッツ」
「王妃様のご実家に興味がおありですか?」
「たいしたことではない、王妃と孫娘とひ孫娘の顔が恐ろしい程よく似ているからな、なんとなく気になったのだ」
「…わかりました、アンヌマリア王女の肖像画をさがして見ましょう見つかるかもしれません、そして王妃のご実家も調べてみます」
エイベルは無言のままそれに肯いた。
茶を飲み干したエイベルは一息つく。
「ドルージュの悲劇は吟遊詩人の語り草になっていたな」
「ええ、これを題材に脚色したものですな、演劇や小説の主題になっています」
フリッツはなぜか背筋に冷たい何かを感じた、根拠はないが知らないほうが良いことを知ろうとしている、そんな迷信じみた予感がしたのだ。