リズの昇格
アマンダ達をリネイン北の田園地帯で見送った三人は街への道を戻り始める。
しばらく三人とも無言だったが先頭を進んでいたベルがふと後ろを振り向いた。
「サビーナ達が無事アラセナに着けばいいね」
考え事をしながら歩いていたルディが顔を上げる。
「アマンダがいるなら下手な護衛を数人付けるより信用できるしはるかに安全だぞ」
「まあそうだけどね、でも護衛がいた方が盗賊避けになると思う、女と子供の集団だと思われたら破落戸が寄ってくるよ、そしてアマンダにヒネリ潰されるんだ、プチュってさ」
ルディは苦笑いをしながら腕を組んだ。
「確かにそうかもしれん、護衛は盗賊を征伐する為にいるわけではない、盗賊に襲撃を諦めさせる為にいるのだからな」
「もしかしてアマンダが尊敬している拳の聖女様って悪人を呼び集めていたんじゃ、だって裸の…」
「その発想はなかったぞベル!」
ルディは大笑いを初めた。
アゼルは肩の上のエリザを撫でながら、とても貴人の会話では無いと困惑した目で二人をにらんでいた、だがとつぜん会話の流れを変えてくる。
「ところで殿下、我々のこれからの方針に関してお考えはありますか?」
「アゼル、殿下はやめろ俺はもう殿下ではない」
「ではルディガー様でよろしいですね?」
「まあとりあえずはそれにしてくれ」
「僕の考えだけど言っていい?」
ベルがルディに近寄り見上げる。
「ん?かまわんぞ、何かあるのかベル?」
「ゲーラに行って魔術師のお爺さんと相談しよう、ドルージュを調べるかハイネに戻るか決める」
ベルの意見にルディもアゼルも頷いた。
「そうですね、ホンザ殿とはリネインに移動中にお会いしました、時間が足りなく満足にお話をうかがえませんでしたが」
「ベル、時々お前は良い判断をするな、俺はホンザ殿の事を忘れていたぞ」
ルディは鷹揚に笑った。
ベルは軽くルディの脇腹にパンチを入れようとしたが、彼が手でベルの頭を抑えたのでそのパンチが届くことは無かった。
そんな二人を困ったものだと言いたそうな目でアゼルが見ている。
まもなく彼らの前に目の前を横切る本街道が見えてきた。
「ベル、見張りの気配はあるか?」
「あからさまに怪しい動きをする奴はいない、魔術師ならすぐ解るのに」
「ベル嬢、プロの密偵や探偵から学べば見分け方が解るかもしれませんよ」
アゼルが思いついた様につぶやいた。
「見えていても見えて居ないと言うわけ?」
「そうです」
ルディはそれに感銘を受けたようだ。
「見えていても見えて居ないか、アゼル良いことを言うな、たしかクラスタもその筋の者をかかえているはずだ」
「うん、でも今すぐどうにかなる問題じゃない」
本街道に入ると来た時よりも商隊や旅人の姿が増えている、リネインから騎馬伝令が向かってくるとあっという間に駆け抜けて行った。
「ルディ、明日ゲーラに向かう?今から出ても今日中に向こうに着くよ」
「明日ゲーラに向かおう、今晩はコッキーを聖霊教会で過ごさせてやりたい」
ベルもすかさずそれに賛成した。
「賛成、アゼルはどう?」
「わかりました、彼女にもやりたい事があるでしょう、我々も明日リネインから発つ事をカーリン様に伝えましょう、ところで我々はエルニアのアウデンリートに向かう事にでもしますか?」
「それで口裏を合わせるか、今日は準備をしてから休む…これから忙しくなるからな」
「了解」
三人はリネインに向かって足を急がせた、リネインの北の城門がしだいに大きくなってくる。
リネイン中央広場にほど近い宿屋の一室で、ジンバー商会特別任務班のジムとラミラが大きな声で言い合っていた。
「ジム、修道女と子供の集団をリネインの北で見失ったって?でもあの三人は戻ってきたと?」
「赤い悪魔を見失ってしまいました!」
「どうも良くわからないね、もう少し詳しく流れを追って説明して」
息を切らしたジムをラミラが落ち着かせようとする。
「すみませんラミラさん、ところでローワンさんとバートさんは?」
「ローワンさんはジンバー商会の連絡所に行っているすぐ戻るよ、バートは寝ているはずだ」
そこに階段を昇る足音が聞こえてきた。
ローワンが扉を開けると室内の異様な雰囲気に気づいたようだ、部屋に一歩踏み込むとそこで立ち止まる。
「何か有ったな?ドミトリーが居ないがお前の代わりに聖霊教会を見張っているのか?」
「そうっす」
ラミラがジムに説明しろと目配せした。
ジムが早朝早い時間に聖霊教会に見張りに付いたが、正門の出入りしか見ておらず、聖霊教会の裏口で出発の準備をしていた事を見落としていた事をまず詫びた。
赤毛の悪魔がジムが教会の見張りに付く前から馬車を寄せていたと推理する。
そして馬車が動き出してから初めてそれに気づいた事、赤毛の悪魔が馬を曳き、修道女と子供達があとから続きその後から例の三人組が歩いてついて行った事、
そして距離を取りながら尾行した処まで話を進める。
「まてコッキーは居なかったのか?」
「そうっすあのチビっ娘はいませんでした」
「続きを」
「奴らからは距離を取らないと危険と言われていたんで、ギリギリの距離で尾行したんですが、リネインの北で街道が少し曲がっていて、林が有って民家が固まっているあたりで見失ってしまいました、振り切られたかとあわてて走って追いかけたんですが全然見つからなかったんです、もしかすると脇道に入ったのかなと調べながら街に戻る事にしたんですが、ずっと前の方に奴ら三人が見えたんです、奴らはそのまま聖霊教会に入っていきました」
「赤毛の悪魔と修道女だけ先に行ったのか?」
ジムがそれに頷いた。
「ローワンさん、私らはコッキーの調査の為に来たのよ、奴らの見張りや尾行までは手が周りきれないわよ、それに目的の調査のほうが進んでないわ」
ラミラがついに不満を漏らす、内心で不満を溜めていたのだろう。
「調査部のメンバーが今日中にこちらに到着する、あの四人組を見失いハイネも大きく混乱していたようだ、例の四人の見張りと監視は彼らの任務だ」
「大きな建物の見張りは複数人でやるものよ、死角ができるからね、片手間でやるとこうなるわ」
「すんだ事は止む終えまい」
「赤毛の悪魔の出現の情報がハイネに伝わるのは今日の日没前になるだろう、軍隊並の伝令組織があるわけではないからな、どうしても時間がかかる」
「この事はすぐにハイネに伝えないの?」
「ラミラ、急いで伝えたいがここの連絡所の伝令がすべて出払っている、それに先程伝令が出てしまってな、昨日ハイネに出た伝令が戻るのは今日の夕刻になる」
「早馬の業者は使わないんですか?」
ジムは素朴な疑問をローワンにぶつけた。
「我々はジンバー商会の伝令以外の利用を基本禁じられているんだ」
ローワンはふたたび椅子に座ると手紙を書き始めた。
リネインから遥か遠いハイネの新市街、その炭鉱町の繁華街の小さな宿屋の一階にやはり小さな酒場があった、ここも昼間は食堂として宿泊客や街の住民に食事を提供している。
その食堂でマティアスと死霊術師のリズが朝食をとっていた。
「リズ、そろそろお前のアパートに帰れよ?」
マティアスは一番安い定食の堅いパンをスープに漬けながらかじりついた。
「ごめん、キノコが怖くてもうだめ、だって食べる事もできなくなったんだわさ」
「どうするんだ?俺が一緒に行かないと部屋に入れないのは勘弁してくれ」
マティアスは呆れ気味につぶやいた。
「中位魔術師になったらアパート変える事にするよ」
「やっと決意したのか?それがいい、あそこは言いたくないが人の住む場所じゃない」
「キノコが怖いのが治りそうもないんだわ」
リズが少し情けない顔をしてヘラリと笑った。
「いやまてよ中位魔術師になれなかったら引っ越さないのか?お前」
「お金がなくてさ、中位魔術師になると給料上がるし歩合も良くなるんだよ」
「そうなれば、少しはまともな物を食えるな、体を壊したら意味ねえからな?」
「にゃはは!」
リズはヘラヘラと笑っている。
「中位魔術師に昇格できるかは今日あたり決まるよ」
「そうだな上手くいくことを祈ってるぞ」
マティアスは中位死霊術師を二人失ったギルドの事情から考えて、リズが昇格できると予想していたが確信はなかった。
「食事を終えたら俺はジンバー商会に行く」
「そうだ、お願いアパートに一緒にきて、ギルドに持って行くものがあるんだ」
「まあ途中だから付き合ってやる、お前はそのあとギルドに向かうんだな?」
リズはスープを飲みながら頷いた。
「マティアス結局ジンバーで働く事になったんだ?」
「あの件で事情聴衆されただろ?それで来るように言われた、あと赤ひげ団がボロボロになったからな」
「こっちも新人募集の仕事がなくなったんだ、しばらく再開できないみたい」
マティアスは死んだ赤ひげ団の新人募集部隊の頭の男を思い出した、化け物娘がたまたま逃げた先に居たせいで殺されてしまった、そこそこ腕が立った事が裏目にでたのだ。
リズは最後に堅い黒パンを口に放り込み咀嚼していた、かなり酷い顔だがこの女はまったく無頓着だった。
そもそもマティアスに養ってもらっている事にも無頓着で、その神経の太さに閉口していた、なんでこんな女の面倒を見ているのだろうと何度も疑問に思う度に、ギルドマスターのメトジェイが魅せたリズの幽体を思い出してしまう。
二人は宿屋から出ると、繁華街からハイネの西門に向かう一番ひろい大通りを歩いていた。
やがて小さな裏通りに入る、新市街は無計画に建て込み雑然としていたが、おまけに不潔で不快な匂いが漂ってくる。
すぐにリズのオンボロアパートが見えてきた、二階建ての木造だが、非常に古く屋根には雑草が生えている、一階の部屋はすべて鎧窓に板が打ち付けてあり、奥の一部屋も鎧窓が閉じられているが、その部屋だけ窓に板が打ち付けてなかった。
外付きの階段を上がると、板がきしみ不快な音を立てるが、それよりも板が朽ちていて踏み抜かないか心配だった。
廊下は湿った様なカビ臭い匂いで満ちている、好意的に言うなら森の朽木の匂いに似ていた。
マティアスが床を見ると小さな虫がスルッと視界を走って横切る、よく見るとアリが行列を作っていた。
そして柱にはカビか小さなキノコの傘が群生していた、さすがのマティアスも何度見ても背筋が寒くなるのだ。
「ひっ、キノコ!!」
リズが情けない声を出した、マティアスに言わせるとキノコ以前に問題が多すぎる。
リズの部屋に到着するとドアをリズが解錠した、錠だけは新しく鈍い真鍮の輝きを放っている、部屋の中は外よりは少しはましだった。
そこは部屋というよりも研究室に近かった、リズは両隣の部屋の壁を打ち抜いて繋げて勝手に大きく広げていた、本人が言うには勝手に壊れたのでそのまま使っているらしい。
そして部屋の中も柱の床付近や天井付近にキノコが生えていた。
リズは二部屋を研究室と物置にしており一室を寝室にしていたがそこは頑なに見せるのを嫌がっていた。
「まって、本とノートを探すから」
リズは倉庫に向かい本とノートを探し出して机の上に置く、ついで寝室に入ると皮袋を持ち出してきた、本人は何も言わないが中身は彼女の着替だった。
「なあリズ、引っ越すなら安い一軒家にしろ」
「あっそっか、荷物が多いからね」
「ここの家賃だが半年滞納していると言っていたな、出るときに纏めて払うんだろ?半年大家を見ないと聞いたが大家はどこに住んでいるんだ?」
「ここ」
リズが指で床を指し示す。
「はっ?」
「なあリズ、大家死んでないか?」
「そうかな?」
「何他人事なんだよ死霊術師ならわかるんじゃないのか?
「知らないほうが良いこともあるっておばあちゃんが教えてくれたんだ」
「やべえだろそれ」
マティアスは心底嫌気がさした様な顔をした。
「しょうがないね、呼びかけてみるよ『永久に還らぬ者達の叫び』あなたは大家さん!!」
リズがいきなり詠唱を初めた、マティアスは悪い予感に襲われ慌てふためく。
「いやまてよ!?おい!!」
だがしばらくは何も起きなかった。
「ありゃ居なかったのかな?」
「リズしずかにしろ…」
何かどこからか呻くような、苦悶に満ちた声が聞こえて来た。
その声は心なしか斜め下から聞こえて来る、アパートの一階の一番奥の部屋の方角だろうか。
『…ヤチン…ヲ…ハラエ、ハラ…エ…』
地の底から響くその声は聞き取り難いながらも言葉を成していた。
二人はアパートから大通りに戻ってそこで別れる、二人共言葉をまったく発しなかった。
マティアスは旧市街のジンバー商会へ向かい、リズは魔術師ギルド『死靈のダンス』に向かった。
リズはそこで中位魔術師への昇格を知らされる事になる。