テレーゼの大地の恵みと北の戦乙女の物語
「ラミラさんあのデカイい赤毛の女は一体何者ですかね?只者じゃあ無いと思いますが」
ジムは隣を歩く旅の商人の夫人の様な格好の同僚にささやく。
彼が気にしている赤毛の女性は体の大きな人間に有りがちな鈍重さは欠片もなかった、俊敏で軽快な動きに、その後ろ姿からも筋肉が鋼鉄のように引き絞られている事がうかがえる。
「ジム覚えているかな?エルニアの『赤毛の悪魔』とよばれている聖霊拳の達人の女の話だけど」
「たしかローワンさんから銀髪娘がその可能性があるって聞きましたが、言われてみるとあの女の方がよほど近いっすね」
「あんたは奴らに顔を知られているかもしれないんだね?」
「銀髪の方はラーゼで一度だけ顔を合わせているっすよ…向こうが覚えているかはわからないっす」
ジムはついピッポ達の事を話しそうになり内心で冷や汗をかいていた。
「私がカマをかけてくるよ、あんたは離れて様子をみていな、人混みに紛れているんだ」
「わ、わかりました、ラミラさん気を付けて」
ラミラは二人をさり気なく追いかけて距離を詰めていく、だが急に二人が西門近くの宿屋の酒場に入ってしまったので、ラミラは軽く肩をすくめてみせた。
そして彼女もそのまま酒場に入っていってしまった。
ジムはこの近くに同僚のバートが拠点にしている宿屋がある事を思い出す、ジムはバートの宿屋に急いで向かった。
席についたベルとアマンダはさっそくメニューを調べる、とにかく珍しい料理を選ぶのだ、ベルはリネイン名物という豚肉を香草と酸味のある黒い木の実を和えた肉料理を注文する事にした、だがアマンダはメニューを見たまま固まっている。
「どうしたの?」
「何かしらこの料理『大地の恵み陸あわびセット』って」
「気づかなかった、なんだろう?注文すればわかるよ」
注文を取りに来た店の少年が少しじれて待っている、ベルがアマンダに目配せする。
「せっかく旅で来たんだもの『珍味あるなら勇気を出して、名物あれば金を出せ』そんな言葉があったわね」
「ほんとうなのそれ?僕はこの『テレーゼ豚の香草酢ノ実和えセット』で」
「私は『大地の恵み陸あわびセット』をお願い」
少年は一礼すると厨房に大きな声で注文を告げると戻っていった、
「ねえアマンダ、アラセアってどんな処なの」
声を顰めたベルがアマンダに顔を寄せる、アマンダも顔を近づけて声をひそめる。
「豊かなところよ、でも山で囲まれてるから気温の変化がきついわね、夜は寒く昼は熱くなるわ」
「みんなアラセナの街にいるんだね?城壁が無いって聞いたけど大丈夫なの?」
アマンダはベルの関心が女性らしく無いと想い苦笑した。
「見晴らしいいし解放感があるわよ、周りを囲む山が城壁がわりなの、正直なところ少し不安よね、でもその替わりに城は分不相応に大きいわ」
「森はあるの?」
「あるけどバーレムの様な深い森は無いわ」
「ねえ、そんな事よりベル、貴女も早めに向こうに顔を出しなさいよ」
「うーん、しばらく忙しそう」
「貴女が走れば一日で行けるでしょ?」
「…いや、たぶん半日で行ける、流石に全速力は続かない」
「えっ!!本当なの!?」
ベル達が歓談していると先程の少年が料理を持って来た、食欲をそそる匂いが鼻を刺激する。
「おまたせしました『テレーゼ豚の香草酢ノ実和えセット』『大地の恵み陸あわびセット』でございます」ベルの料理は見ただけでわかる、豚肉と香ばしい少し酸っぱい匂いが漂う特に不思議のない料理だ、その匂いが食欲を刺激する、だがアマンダの前に運ばれてきた料理は謎だった。
白いプリプリとした肉の塊が薄くスライスされ、ニンニクとバターの匂いに、パセリらしき緑が色を添えている。
「おいしそうだねそれ、早く食べてみてよ」
アマンダがまず一切れをフォークで刺して口に運び咀嚼した。
「ねえねえ、どう?」
「本当にあわび見たいな食感だわ、ベル食べる?」
アマンダはベルがうなずいたので一切れフォークで刺してベルの口に入れて上げようとした。
「はいアーン」
「子供じゃないんだから!!」
手で軽く跳ね除けると、自分で皿の一切れをフォークで刺して飲み込む。
「本当だ!前に食べた海鮮料理の貝に似ている」
「うふふ、貴方達はテレーゼの方では有りませんね?それはテレーゼの名物料理なんですよ」
その突然の声に二人は驚かされる、隣のテーブル席にいた若い女性がこちらを向いてアマンダにいきなり声をかけてきたからだ。
そこに男が一人やってきた。
「キャリー待たせてすまなかった」
女性は一瞬驚いた様に見えたが、すぐに笑顔でその男を迎えた。
「大した事ないわ、はやくそこに座りなさいよ」
新しく来た若い男は平凡そうな人の良さそうな旅の商人の様にも見える。
男は座るとさっそく給仕の少年を呼びつける、そしてアマンダを見て感心した様な表情を浮かべた。
「あのテレーゼの名物料理とはなんでしょうか?」
アマンダが好奇心からその女性に尋ねた。
「それはテレーゼ大ナメクジの料理なのよ」
そして両手の手の平で長さを示すかのように広げた、それは30センチ以上はあるだろう。
「ヒィ!?ナ、ナナメナメナメ!?」
ベルが慌てだしたかなり混乱している、アマンダも狼狽した。
「おちつけ、おちついて、これは殻のないエスカルゴ!ベル、エスカルゴ、エスカルゴよいいわね!?」
アマンダが激しくベルをシェイクしたおかげでベルは目を廻して混乱は収まる、それでアマンダも落ち着きを取り戻した。
「ファマンダ、何をする…よくもナメクジ食べさせたな?」
目を廻しているベルは妙に幼児の様な口調になっている。
「エスカルゴです!!」
「現実をみてよ!」
「貴女が欲しがったのでしょ?確かめもせずに食べるからよ!」
「アマンダがそれ言うの?確かめもせずに注文したじゃないか」
二人は責任をなすりつけ合って醜く争い初めた。
「うっ、気持ち悪い!アマンダのせい」
そこに女性の陽気な笑声が上がりベルもアマンダも争いを中断した。
「ごめんなさい私はキャリー、こちらは夫のトマスよ、皆さん最初は驚くのよ、私も最初は驚きましたから」
「ここには大きなナメクジがいるんだね…」
「珍味ってそう言うものですわ、エルニアにもバーレム大蜂のハチの子焼きや、バーレム大蜘蛛の唐揚げがあるじゃないですか」
「うわ、知っているんだ、あれ子供のオヤツがわ…」
そして沈黙が僅かの間だけその場を支配した。
アマンダの緑の瞳が鋭く輝き静かに威圧感が高まっていく。
「この娘はエルニアのボルトの生まれなの」
その女性は声をひそめて少し怯えた様に弁解を初めた。
「あ、あゴメンナサイ、貴女様のお名前はアマンダ様ですわよね?そのお体と赤毛でもしやと思いました、私達はアラティアの商人でエルニアには頻繁に商いに行くので貴女様の噂は少し知っているのです」
ベルはその時しまったと言った顔をしていた、アマンダの目が更に細められそしてニコリと笑った。
「貴方が私をどなたかと勘違いされているようですが、きっと人違いだと思いますわ」
「うんそうだよ」
ベルも二人の若い商人夫婦を睨みつけた、腰の帯剣が小さな音を立てた。
「ええ、申し訳ありません勘違いかもしれませんわね」
曖昧な愛想笑いを商人夫婦は浮かべる。
気まずい雰囲気の中二人は黙々と食事を進める、アマンダは結局のところ殻無しエスカルゴ料理を完食してしまう、それをベルは尊敬と怖れが入り混じった目で眺めていた、ベルは虫は怖れないがヌメヌメした生き物が苦手だった。
やがて食事が終わりベルとアマンダは連れ立って酒場から出ていった。
二人を見送ったラミラが大きく息をはいた。
「追わなくて良いのかラミラ?」
「アイツやばい」
「それほどか?確かに大柄で鍛えているのは見ただけで解るが」
バートが赤毛の大女をそう批評した。
「見かけだけなら女戦士でもっと凄いのがいるからね、聖霊拳の鍛え方は特別なんだ、あいつはそれ以上だ威圧感が凄いよ」
「やはり赤毛の悪魔なのか?」
「ええ間違いないわ、あのキールの同類だよ、聖霊拳の上達者なんて数える程しかいないからね、ところで貴方はどうなの?」
「問題ない近くで直接見ることができた、あんな豪勢な美女は久しぶりだ、食べたらすぐに絵にとりかかる」
「接触した価値はあったわね、けっこうな賭けだったわ、早くローワンに伝えないと」
酒場の入り口からジムがこちらを見ている、ジムは二人が去った方を指差して消えた、二人を尾行するつもりだろう。
バートは運ばれてきた料理を口に運び始めた。
「そちらはまかせた、そうだジムを待たせていたな」
「ジムは奴らの尾行をしているよ、だけどあの銀髪だけど主従関係には見えないね…」
ラミラは食事を摂りながら小首を傾げた。
ベルとアマンダは中央広場に向かう、先程の吟遊詩人がまた演奏をしているのか美声が聞こえてくる、腕が良いのか美形だからか女性の人気が高そうだ、黄色い声の歓声が聞こえてきた。
「あの二人、コッキーを調べている連中の仲間だと思う?」
「怪しいけど断言はできないわね、私は結構有名みたいだし油断した」
「僕もアマンダの名前を呼んでたよ、普段使っている偽名とか無いの?アマンダ」
「カルメラ=バストーレよ」
「なぜカルメラなんだよ?可愛そうだ、アマンダが暴れる度に赤毛の若い女の名前として轟くんだもの」
「うっ!?」
アマンダがベルの頭の上に軽く手の平を置いて揺らした。
「暴れるってなによ?失礼ね」
「どうせ拳の聖女様みたいに行く先々で盗賊やら破落戸やら潰しているんでしょ?」
「なぜかいるんだもの、私だって平和に旅したいわよ?」
「うわっ、本当に暴れているじゃないか!」
その時ちょうど吟遊詩人の演奏が終わったところだ、ベル達は広場を通り過ぎようとしていた。
「ねえベル行きたい処とか有る?」
「そこの美しい赤毛のお嬢様と可愛らしい銀髪のお嬢様、名もなき歌唄いにしばしの時をお貸しください」
二人が驚き立ち止まると、吟遊詩人が立ち上がり、芝居がかったカテイシーを披露する、かなりの長身だがバネのような俊敏さを感じさせる見事な所作だった。
男はかなりの美形でどこか気品のある若い男だ20代前半だろうか、薄い白にも見える金髪は長く束ねて背中に流していた、お決まりの吟遊詩人の衣装をまとい細かなアクセサリーで工夫を凝らしていた。
そしてその男の目を見てベルは息を呑んだ、その目は血のように赤い、ベルはその目を見てあの真紅の怪物を思い出した。
(アルピノかな?)
「私達に何かごようかしら?」
「銀髪のお嬢様が先程私の拙き唄を聴いてくださいました、その御髪の色が珍しく記憶に強く残っておりました、そこの赤毛のお嬢様の北の戦乙女のような見事なお姿に心ひかれ、思わずお声をおかけしてしまいました、無礼な仕打ちをお許しください」
吟遊詩人の妙に芝居がかった言上と仕草は彼の芸が既に始まっている事を示している。
テレーゼの北方にグディムカル帝国がある、この帝国の民は遥か大陸の北のセール半島から南下してきた人々が建国した国だ、北の戦乙女とは北方世界の教えで勇敢なる戦死者を神々のいる天国に導く女神達を指している。
アマンダの赤い髪と逞しい体から北の戦乙女を連想したのだろうか。
「遥か北の物語に一人の戦乙女と従者の少女の旅の物語がございます、お二人の姿からその物語を連想いたしました、お耳汚かもしれませんが今からその物語を語ろうと思います、お二人からはお詫びとしてお代はいただきません」
「わかりましたわ」
アマンダとベルは顔を合わせて微笑んだ、特に予定もない二人は吟遊詩人の唄を楽しむ事にした。
「お二人を前にいたしますと、物語のイメージがより強く湧き上がります、ではお楽しみいただけたら幸いです」
周辺の観客も新しい唄に期待してざわめいた、特等席に招かれたベルとアマンダはそこで演奏を楽しむ事になった。
すぐに美しくも悲しい北の風景をイメージさせる曲とともに物語は始まる。
悪神の呪いにより石像と化した想い人の呪いを解くために7つの試練に立ち向かう半神半人の主従の物語だ、彼の演奏は見事なものでその声は美しい、彼の帽子に小銭が積まれて山となって行く。
だが時々二人を観る吟遊詩人の目は僅かな翳ろいを浮べていた、だがベルもアマンダもそれに気づく事は無かった。
やがて呪いを打ち破り蘇った恋人と共に悪神を滅ぼすことに成功する、そこで長い物語は幕を迎えた。
全てが終わった時、既に長い時間が流れていたが、それは一瞬の夢を見ていたかの様だった、歓声でベルは我に還る。
ふと空を見上げると陽が傾き始めていた。