炎の記憶
「まぶしい」
ベルは窓から差し込む朝の陽で目が醒めた。
体が怠く疲れが残っている、ここはどこだと思いながら隣のベッドの上に大きな人影を見つけて急に意識が覚醒した。
そこに上半身裸の大柄な女性が大の字になって気持ちよさそうに眠っている、壁際のハンガーに彼女の服が掛けてある。
それはアマンダだった彼女の靴がベッドの側に無造作に脱ぎ捨てられていた、ベルは記憶を探るが昨晩下の酒場でアマンダの歓迎会をした後の事が良く思い出せない。
ベッドから起き上がるとしだいに頭が回転し始める、たしかアマンダが酷く絡んで来るのでルディが蒸留酒を少し飲ませて眠らせた処をベルがここまで担ぎ上げたのだ、汗をかいて暑そうだったので上半身脱がしてハンガーに干したところまで記憶がある。
「精霊力を使えば一人で運べるからたすかった」
少し頭が痛いがベルは昨晩はそれほど飲んではいなかったはずなのに、首を傾げる。
アマンダの近くまで足音を忍ばせ近づいて見下ろす、豊かな大きな胸は形よく、鍛え抜かれた岩の様な腹筋を柔らかな脂肪と皮膚が包んでいた、聖霊拳の鍛え方は独特で中庸と均衡を重んじる。
(前より胸が大きくなっていない?)
ベルはなんとなく見て居られなくなりはねのけられていた布団を彼女に頭から被せてしまった。
ふとアマンダの大きな行商人の薬箱が視界に入る。
この奇妙な箱がどうなっているのか?何が入っているのか?好奇心が疼き中を見たいと好奇心が囁いていた。
アマンダが眠っているのを確認すると薬箱を調べ始める。
薬箱は背負えるように革製の肩バンドが付いている、その背面に大きな板が付いているが、その留め金を外し扉を開く。
中は上に左右二列に計6つの引き出し、下は草で編んだ様な箱が3つ上下に納められている、ベルはその工夫に感心した。
引き出しには小銭や着火用の魔術道具と火打ち石、小型のランプやナイフと鉄ぐしのような道具、偽の身分証明書、そして芋飴の入った革袋、保存用の軍用レーションが入っている。
「ほんと芋飴が好きだな…」
最後の引き出しにやっと薬と治療道具一式が納められていた。
次に下の箱を上から引き出したがずいぶんと軽い、蓋を開けると中にアマンダの着替えが入っていた、ベルはすかさず蓋を閉めて次の箱に取り掛かる、次の箱には一人用の敷布が入っていた、それと飯盒と野営用の吊り金具が納められている。
一番下の箱は妙に重いそれを引き出して蓋を開けるとベルが固まった。
「何だこれ?焼いて食べるの?」
中には芋が詰め込まれていたその異様な光景にたじろぐ。
「うーん、まさか芋を食べると大きくなる?」
もう一度アマンダを観察しようとベッドに寄って布団を持ち上げ覗き込む、そのベルの腕がいきなり掴まれた。
「ひょ!?」
ベルが変な声を立てる。
「ベルちゃん、人の荷物をまた勝手に開けたわね?まったくもう…」
怒ったような拗ねたような声でアマンダが笑いながら布団の奥からこちらを覗いていた。
アマンダは寝たふりをしていたのか完全に気配を殺していた、いつから起きていたのかわからない、さすがのベルも欺かれたのだ。
地獄の深淵から大魔王に魅入られた様にベルは動けない、アマンダのもう片方の腕が伸びてくるとベルの首筋を掴んだ。
部屋からくごもった呻き声が聞こえたがすぐに静かになった。
朝の食事を取るために下階の酒場に皆が集まった、だが皆んなまったく意気が上がらない昨晩の宴会のせいで精神状態も体調も最悪なのだ。
「今日はどうするの?ルディ」
死んだような目をしたベルが食べ終ってから初めてまともに喋った。
「聖霊教会に挨拶に行く予定だ、サビーナ殿達の様子も見たい、我々のこれからの方策も今日のうちに決めよう」
「私は今日中に準備を終えて明日に備えませんと」
アマンダはどこか遠くを見るような目をしていた。
ベルの夢から覚めないような朦朧として心ここに在らずの様子にルディは心配になる。
「ベルさっきからどうしたんだ」
「…また三センチアマンダに引き伸ばされた」
「はは、また何をしたんだベル?健康に良いだろ?」
「そうですわルディガー様、体中の関節を全部ほんの僅かだけ広げたから背が伸びたのよ?一週間は絶好調になるわよ」
「けっこう苦しいし痛いんだけど、練習台にしてるでしょ?」
アマンダはそれには答えようとはしない。
「人はね元々二本の足で立つようにはできてないのよ?それを戻してあげたわけ」
「神話では妖精族が太古の昔に生けるものから自分達に似せて人を作ったと言われていましたね」
アゼルが急に思い立った様につぶやいた。
「ふーん」
ベルはあまり興味なさげだった首をコキコキと動かしている。
「ねえアマンダ前より凶悪になってない?」
凶悪と言う言葉に僅かに眉を動かしたがアマンダは動じなかった。
「そうね今は精霊力が使えるから力も桁違いに強くなったわ、相手の抵抗も封じられるのよ」
「だからか、力が抜けた様な気がしたのは…『気の道』のせいだな」
「ええそうよ」
「恐ろしすぎる…」
ベルは頭を抱えて体を震わせた。
そこに突然若い修道女が酒場に顔をだした、場違いな来客に酒場の客の視線が彼女に集まった、彼女は四人の姿を認めるとテーブルに近づいてくる。
「お食事の処申し訳ありません、あのフェストランド司祭様、メイシー様ですね?」
皆なその修道女に見覚えがある、聖霊教会の司祭長室で姿を見かけた若い修道女だ。
「伝言がございますカーリン様からのものです」
伝言板をルディが受け取った、そしてそれを開き一読する。
それをアマンダ、アゼルと廻していく、アゼルが返そうとしたのでベルが少しむくれてふんだくった。
アゼルは唖然としてからベルを睨む、アゼルはベルに意地悪するつもりは無かった、ベルはアゼルの属する商会のアゼルの従者の会計士と言う設定をベルが忘れていただけだ。
「了解したとお伝えください」
ベルから伝言板をひょいと取り上げたルディが修道女に伝言板を返す、彼女は伝言板を受け取ると一礼して引き上げていった。
「皆様部屋にもどりません?」
アマンダの提案にしたがい全員ルディ達の部屋に引き上げる事にする。
ルディとアゼルはそれぞれのベッドに腰掛け、ベルとアマンダは小さな机をはさんで座った、ベルはアマンダの顔が近すぎて気まずいがアマンダはまったく平気な様だ。
「コッキーを調べている連中がいるようだな、ハイネの相続管理の役人らしいが…コッキーを外に出さないとカーリン殿は判断されたようだ、連絡係がいなくなった」
ルディが憂い気味に口を開く。
「昨日はハイネの警備隊の調査部と名乗る男が現れたようですね」
アゼルもそれに応じる。
「僕たちがここにいる事が奴らにばれている、対応が早すぎるよ」
アゼルはパンクズと野菜クズをエリザに与えながらベルの話の問題を指摘した。
「ベル嬢、彼らは我々より先にリネインにいたと考えるべきです」
「アゼルの言うとおりだ、コッキーの素性を洗っていたのだろう、四日前のあの戦いでコッキーを調べる必要を認識したに違いない」
「僕たちよりコッキーの方が調べ易いから?」
「確かにそうかもしれませんね、我々は外国人です」
アゼルはベルの意見に感心しながら彼女を補足した。
「コッキーの素性に興味はあるが、死の結界の破壊やアマリア様の解放の方が重要だ、アゼル、コッキーが幽界帰りと見抜かれていると思うか?」
「殿下、コッキーとベル嬢が見抜かれている可能性が高いでしょう、ですが組織の末端の者に知らされないと思いますね、今ここにいる連中がジンバー商会やコステロファミリーと関係のある者達であってもそれを知らされていない可能性は大いに有ります」
「ならば放置しておいても問題ないのか?コッキーの生まれが知られたとして、こちらに手を出さない限り関係あるまい」
「でもコッキーのお母様が良いところの生まれかも知れないんでしょ?」
「アリアさんが貴族の生まれだとしても平民の職人と結婚したのですから、コッキーには貴族としての権利はありませんよ」
アゼルは一般的な相続にかかわる常識からそう述べた。
「アリア殿が男ならばまた違ったのだがな」
ルディの呟きを最後にしばらく沈黙の間が空いた。
「ですがなぜ神器がコッキーに与えられたのか、その謎がわかるかもしれませんよ」
「幽界帰りだからじゃないの?」
ベルはコッキーが幽界帰りだからだと単純に思っていたのだ。
「まだ断言できませんが、幽界に迷い込んだのも神器と巡りあったのも、偶然では無いように思えるのです」
「それは嫌だ!神様だか知らないけど思い通りに操られるなんて!」
ベルの声にはいつものふざけた響きは無かった、その心からの言葉に全員黙り込んでしまう。
気まずい沈黙をベルが自ら破った。
「僕はこのあとアマンダと一緒に買物してくるよ、怪しい奴らを見つけられるかもしれない…」
「あらベル一緒に来るの?久しぶりに二人で買い物よね」
アマンダは嬉しそうだがベルの温度は微妙だった。
「うん、そうだね…じゃあいこうか」
ベルが真っ先に立ち上がった。
「では俺とアゼルは聖霊教会に行ってくるぞ、カーリン殿とコッキーから詳しい話を聞いてくる」
会議は終わりそれぞれが席を立つ。
すでに陽も高く上がりまもなく教会の鐘が正午を告げる時間が迫る頃だ。
リネインの中央広場に面した市の役場のロビーにいたローワンの処に大柄な体躯の職人風のドミトリーが急ぎ足でやって来た。
「ローワンさん、奴らが聖霊教会から出てきました」
彼はさり気なくローワンに近づくと小声でローワンにささやいた。
そのローワンは昨日と全く同じ服装で木製のアタッシュケースを下げていた。
「出てきたか」
広場の方を見るとリネイン城に続く東の城門へ伸びる街路をこちらに向かって歩いてくる二人の男の姿が見える。
非常に目立つ二人組だ、一人は司祭服の司祭らしからぬ頑健な長身の男、魔術師らしき地味なローブにメガネのやはり長身の優男だ。
二人が宿に向かうために北に曲がったとこでローワンは聖霊教会に向かって歩き始めた。
リネイン聖霊教会の司祭長室の扉が叩かれた。
「はいりなさい」
ミカルが声をかけると、扉をあけて修道女長のカーリンと若い修道女が入ってきた、司祭長のミカルは驚いて目を見張る。
「ミカル様、昨日のワーロン=ホプキンソン様がいらっしゃいました、まもなくこちらに参られますわ」
「また何のようか?」
「私にはわかりませんわ」
若い修道女は一礼して下がった、しばらくするとまた司祭長室の扉が叩かれた。
「お客様をお連れしました」
若い修道女の声がする。
「はいりなさい」
ミカルが再び声をかけると、修道女が扉を開きハイネ評議会の法務委員会のワーロン=ホプキンソンを招き入れる。
挨拶もそこそこにカーリンが口を開いた。
「ホプキンソン様、いかな御用でしょうか?」
彼女の声には僅かな棘があった、ローワンの眉が僅かに動く、歓迎されていない事を鋭く感じ取っていた。
「まず最初に、ハイネに報告する資料としてアリア様、バーンヴィレム=ヴァン=フローテン殿の肖像画を作成いたしました、生き残りの親族の方々に照会し身元を確定する為のものです、その確認をお願いしたく参りました」
「たしかに私はアリアやバーンさんとは親しくして頂いておりました」
ローワンは手提げのアタッシュケースを執務机の上に置き開くと二枚の絵を広げた。
ミカルとカーリンが息を呑む音が聞こえる。
「ア、アリア、アリアじゃありませんか!!アリア!!!」
冷静沈着なカーリンが机に駆け寄り絵に顔を寄せて叫びを上げた、彼女の体は僅かに震えていた。
これでこの絵が完璧に近い出来だと証明されたのだ。
「信じられない程の出来ですわね、どうやって作ったのかしら?アリアは10年前にこの世を去っているのですよ?」
カーリンが涙を流しながら絵を見詰めていた。
「私の助手に肖像画や似顔絵に才のある者がいるのです、アリア様を知っている方々の証言から作ったようですね」
「こちらの男性はバーンさんですね…こんな雰囲気の方でしたわ、面影を良く伝えていますわね」
バーンヴィレム=ヴァン=フローテンの肖像画も及第点の様だ。
ローワンが絵をまとめて仕舞おうとすると、カーリンがそれに強い未練を感じたかの様に手を伸ばしかけた、だが名残惜しそうに手を引っ込める。
「次に参考なまでに、アリア様が居住していた場所とお墓の場所を教えていただきたい、何か参考になる事がわかるかもしれないからです」
カーリンは顔を横に振った。
「リネインの大火で総て焼け、区画も当時と変わってしまいました大体の場所しかわかりません、もう新しい建物が建っていますわ」
「やはり…」
「お墓の場所はお教えしましょう、ですがくれぐれも死者の眠りを妨げるようなお振る舞いは避けていただきますわ…」
「もちろんですカーリン様、役所もリネイン城も燃えて古い資料が総て無くなっているのには私も驚かされました」
「この街の過去はもう生き残った者の想い出の中にしか無いのだ、皆んな燃えてしまった」
ミカルがぼそりと誰ともなく呟く、その呟きには深い悲しみがあった。
ベルはリネインの城壁のすぐ外にある市場でアマンダの馬車と馬の選定に付き合っていた、アマンダは小型の荷馬車と若い荷馬を買い揃えるつもりだ。
その市場で売られてるのは農耕馬や荷馬がほとんどで、軍馬や貴族の馬車を曳くような良い馬は居なかった。
「ベル退屈している?」
「そんな事無いよ、コイツラも可愛い目してるし」
ベルは道草を食んでいる荷馬を撫でてやった。
「馬と馬車を宿に預けたら、遊びに行こうか?」
「うん!」
街には金を払えば馬や荷馬車を一時預かりできる馬宿屋がある、料金を払えば今晩はそこに停めておく事ができた。
小型の新しい荷馬車と若い荷馬を買って街に戻る、新品の荷馬車と若い荷馬はなぜか不思議と輝いてみえた。
アマンダが馬を撫でて安心させてやる。
すると中央広場に吟遊詩人がいた、若くてなかなか美形な男で使い込まれたリュートを奏じている、つば広の大きな帽子を逆さまに石畳の上に置いて小銭を集めている、娯楽に飢えた人々が彼の周りにすでに集まり人の輪ができていた。
ベルが磁石に引かれる砂鉄の様に吸引されるのを見てアマンダが笑った。
「しょうが無いわねもう、これを預けてくるまでここにいないさい」
ベルはそれに答えようともせず吟遊詩人の詩に聞き入り始めた、なかなか腕の良い吟遊詩人の様で巧みな演奏と美しい美声が流れ始める。
それは騎士道精神を唄う悲劇の歌だった、悪い大臣に国を奪われ王の一族が次ぎ次と滅ぼされていく、ついに立ち上がった忠臣が最後の王女を守り闘う物語だ、王女はその忠臣の義理の娘で可愛い孫娘が産まれていたのだ、忠臣には万夫不当の豪勇で鳴らした7人の騎士と難攻不落の城塞があった、彼らが主君と王女を守り華々しく戦い、迫まり来る大軍を何度も撃破し勝利を重ねる。
それに業を煮やした大臣の知恵袋がついに王女に邪な恋心を秘めていた騎士の一人を買収し謀反をおこさせる事に成功する、城は落城し騎士達は討ち死にした、王女と忠臣は燃え盛る炎の中に消えていった。
だが王女の幼い一人娘の姿は城から消えていた。
彼女は行方知れずのまま、大臣は怒りのあまり討ち死にした忠臣と騎士達の遺体を切り刻ざんだ、やがて裏切りの騎士はしばらくして狂死してしまう、忠臣と六騎の騎士の亡霊はその恨みから未だに裏切り者をさがしてこの世を彷徨っていると言う。
そこでその物語は幕を閉じる。
救いのない悲惨な物語だがテレーゼらしいとベルは思った、そして前にコッキーから似たような話を聞いた様な気がした、それを思い出そうとする。
「ベル、さあ食べに行きましょう」
アマンダがベルの両肩に腕を乗せてきた、いつの間にか後ろにいたらしい、演奏が終わるのを待っていたのだろう。
「驚かさないでよ、まったくもう!」
ベルが口を尖らせた。
小銭を吟遊詩人の帽子に放り込むと、二人は今まで行ったことの無い食堂に行こうと楽しげに話しながら西門に向かって歩き始めた。
その二人を遠くから見つめる二人の男女の姿があった。