ベルとアマンダ
街に出たベルはまず中央広場に向かった、ところが以前ここでアラセナ解放義勇軍を募集していた大声の自称アラセナ伯爵の老人の姿が見えなかった。
死んでいなければ良いなと思いながら、まずは武器屋の入り口をくぐる、あまりにも場違いな若い女性客に胡散臭げな顔をした店主が早速声を掛けてきた。
「何か御用ですか?お嬢さん」
「ええ、隠し武器用にガーターホルスターを探していますの」
店主はかなり引き気味になったが、ベルの高級使用人風のドレスと剣帯ベルトとグラディウスを見て何か感じる事があったのか何も言わずに在庫を探してくれる事になった。
店主が店員の若者に命を下すと店員は商品倉庫に入っていった、ベルが武器を眺めているうちに黒いガーターホルスターを探し出した店員が店頭に戻ってきた。
ベルがそれを吟味してから金を払うと店主は更にナイフを薦めて来た、だが所詮は消耗品なので中古で手に入れる予定なのでそれをやんわりと断る。
ガーターホルスターは他人が身につけていたものを太ももに巻きたくなかったので新品にしたのだ。
次に中古武器屋に向かった、だが店内に入ると奇妙な違和感を感じる、それは同じデザインの装備が山積みになっていたからだ、全て同一の仕様に統一されていた。
(どこかの軍隊が大負けしたのかな?)
その場違いな衣装の女性に不審を感じた店主がさっそく声を掛けてきた。
「何か探しものかい?」
「ええ、隠し武器を探しに、使い捨てなので中古でも良いと思いまして」
ベルは店頭の投げナイフを二本選択した、買ったばかりのガーターホルスターに入るか試していると店主はそれに引き気味になった。
店主に金を渡し釣りを受け取りながら、さりげなく今気づいたかのように話をふる。
「ご主人、なぜ同じデザインの鎧がたくさん有るのかしら?」
「それか、アラセナを支配していた傭兵団が負けて大量に出回り始めたんだ、おかげで鎧の値段が暴落しやがった、いっそ地金にした方がいいかもしんねえ」
ベルはそれが父達のしわざなので心の中で店主に詫びる、どうやら落ち武者狩りの戦利品が市場にあふれているのだろう。
買い物を済ましてまた街に出る、何時の間にか陽も高くなっていた、アマンダが来るはずの南門に向かって歩き始める。
道の両側には何店か生鮮品売りの出店が並んでいたが冷やかしながら街をぶらつく。
(やっぱりハイネより物価が高いな)
その時ベルのドレスが何者かに引かれた、驚いてその先を見ると小さな男の子がいる、ベルは相手に敵意や害意がないとこうして不意を突かれる事があった。
「アウラさまみたいだ」
小さな男の子がベルを見上げていた、その目には尊敬の光がある。
テレーゼ巡検視察団がこの街を通り過ぎてからそれほど時は経ってはいない、ベルの銀髪から聖女アウラを思い出す人々がいても不思議ではない、子供だから本人に直接言ってしまっただけだろう。
ベルはあの絶世の美少女に例えられて悪い気はしない、指で髪を軽く梳くと少しうつむき加減に憂いに満ちた表情を浮かべた。
「私はアウラ様のような立派な聖女様に並び立てる様な女ではございません、ですが聖女アウラ様に例えられるのであれば誉でございます」
そう誰ともなくささやいた。
ベルの脳内では道端の子供ではなく、貴顕淑女の集いの場で理想的に歳を重ねた気品と威厳のある壮年の美貌の紳士を相手にしていたのだ。
男の子は相手が何を言っているのかまったく理解できず、口を丸く開けてベルを見上げていた、そして鼻から鼻水が一筋たれた。
「ベルー!!」
ベルにとって嬉しくも懐かしい少しウザい声が聞こえて来る。
ベルの前に現れたのは非常に長身な白い少し茶色に汚れたローブをまとった人物だ、大きな木箱を背負っている。
その人物は大股に歩きながらたちまち近づいて来た。
「髪の色が変わっているから見落としかけたわよ?」
それは低い張りのある若い女性の声だ、そしてフードを外して顔を顕にする。
現れたのは燃え上がるような赤毛の若い女性だ、わずかに釣り眼気味の鋭い眼光をたたえたエメラルドの瞳がベルを射ぬいた。
そしてその厳しくも整った顔を綻ばすと、その笑顔は光り輝くような美くしさと気さくさとが同居していた。
周囲の人々が何人か彼女に目を奪われる。
そして彼女がローブを閉じていた手を離すとそれは自然に広がって行く。
彼女の手足は長く力強くそして美しかった、凄まじい力を感じさせるその四肢。
巨大な岩を人形に圧縮したような密度を見るものに感じさせる、彼女の衣服が弾け跳んで行きそうな錯覚を与える程の内圧にその肢体は満たされていた。
目が節穴でなければ彼女が只者で無いことは誰の目にも明らかだ、そして何よりも巨大なまでの豊かな胸がその存在を主張していた。
彼女の何もかもが太く大きく美しくも力に満たされていた。
小さな男の子は口を更に大きく開けて天から降臨した軍神の様な女性を見上げていた。
「アマンダ!!思ったより早かったね」
「ええ、速く歩けるように鍛えているのよ」
周囲の人々が個性的な二人の美女に好奇心を刺激されたのか無遠慮に見つめていた、二人は次第に厚くなる人々の集まりに気づいていた。
「アマンダとりあえず宿に案内するよ」
アマンダが自分を見上げている鼻垂れ小僧に気づくと、困った様に笑ってローブの内側の物入れから布を取り出して鼻を拭いてあげる、そして木箱を下ろして扉を開けると芋飴を子供にあげて頭をなでた。
アマンダは食事に恵まれた地域や豊かな階級ほど鼻垂れた子供が少なくなる事を良く知っていた。
「さあ、いきましょう」
ベルの案内で二人は宿に向かう事になった、後ろで男の子が手を振っていたが二人は気づかない。
「ここ前に泊まったわね?」
宿屋の看板を見上げたアマンダがベルの背中を無意識に軽く叩いた。
「うん、ルディ達は聖霊教会に出かけている、中で待とう」
防護魔術が施された部屋にはアマンダは入れないので、二人はベルの部屋に入る事になった。
席が定まるとアマンダの空気が変わる。
「さあて、あの後何が合ったのかしら?」
身を乗り出してアマンダの口調が詰問口調に変わる。
「それはルディやアベルが帰ってきてからの方がいいかな、アゼルの方が上手く説明できると思う」
「そうか、魔術が深く絡んでいるわけね?」
「うん、そういう事」
ベルは幽界や神器に関して上手く説明できる自信が無かった。
「ねえ、父さん達はアラセナにいるの?」
「ええ、ブラス様やララベル様も他の皆様も無事よ」
「でも驚いたよ、昔からあそこを狙っていたんだね?」
「二年前から計画を進めていたのよ、でも今回の事件で実行を急いだわ」
「二年前ね…アマンダが帰ってすぐに攻め落としたんだね?」
「その通り、完璧な奇襲で殆ど損害は出なかったわ、一方的な戦いだった」
完璧な奇襲と言うよりも謀略による謀殺に近かったが、今説明すべき事ではないとアマンダは判断していた。
「街でその傭兵団の装備が沢山売られていたよ」
アマンダは旅の途中で殲滅した盗賊化したセルディオ傭兵団の残党を思い返した。
「落ち武者狩りの戦利品かしら」
ベルはそれを頷いて肯定した。
「!!」
その時の事だったベルの顔が突然変わる。
「殿下達が帰ってきたのね?」
「帰ってきた、コッキーもいる」
ベルは遠くを見るように窓の外を向いた。
「コッキーって誰なの?」
「そうかまだ伝えてなかったね、それは皆んな揃ってからの方がいい、さあ出迎えようきっと向こうの部屋で話し合う事になる」
二人は小さな椅子から立ち上がった。
その部屋には5人の人間が集まっていた、ルディとアゼルはベッドに腰掛け、小さな机の前にアマンダとコッキーが対面で座り少々気まずい雰囲気になっていた。
コッキーはアマンダを無遠慮に見て驚いていたが、遅れて部屋に入ってきたベルを見て更に目を見開いた、コッキーの瞳は何故ベルが銀髪になっているのか問いかけていた。
エリザは驚いたのかアゼルのベッドの下の奥の方に隠れてしまった。
窓際にベルが立つと改めてルディが全員を見渡した。
「コッキー、彼女がアマンダ=エステーベだ俺の遠縁の女性だ」
ルディガーが小柄な美少女にアマンダを本名でいきなり紹介した事でアマンダの目が見開かれた。
「アマンダ、彼女はコッキー=フローテンだ故あって我々と行動を共にしている」
アマンダは慌ててルディガーに目をやったが気を取り直した。
「よろしくねアマンダでいいわ」
「私もですコッキーでよろしくなのです」
「彼女も神隠し帰り、幽界から生きて帰ってきた」
ルディの爆弾発言で今度こそアマンダは声も無く驚愕するしかなかった。
そしてルディはアマンダが去った後に起きた出来事から順に話し始めた、それは常識では有り得ない驚異に満ちた話だった。
ベルとコッキーが幽界に落ちた経緯、ゲーラでの女神メンヤの降臨、コッキーと神器、ルディガーとアゼルが狭間の世界に入り込み緑碧の少女『偉大なる精霊魔女アマリア』と会合した事を語った、それらをアゼルが補足しながらアマンダに説明していく、彼女はただ呆れて聞くしか無かった。
最後にハイネの犯罪組織と死霊術との対決からハイネからの撤退に及んだ。
「そして修道女様達と子供達を逃がすためにリネインに来たのですね、殿下」
静かに聞いているだけだったコッキーがその言葉に驚いて顔が変わる、アマンダはコッキーがルディガーの正体を知っていると思い込んでいたのだ、そのミスに気づいて大いに慌て出す。
だがルディガーはアマンダを軽く制して平然としていた。
「コッキー隠していて済まなかった、俺はエルニア公国第一公子のルディガー=イストリア=アウデンリートだ」
コッキーは言葉もなくルディを見詰めていた、アマンダも声もなかったがもはや驚かなかった。
「殿様だったのですね、子供は鋭いところがあるのです」
「…」
身分的には二番目に高位のベルが自己紹介する流れになっていた。
「僕、いえ私はエルニアの元騎士爵クラスタ家当主ブラス=デラ=クラスタの長女、ベルサーレ=デラ=クラスタでございます、よろしくフローテン様」
ベルは窓際でエルニア貴族風のカテイシーを披露した。
「ベルさんやっぱりお嬢様だったんですね…」
「ばれていたかしら?オホホ滲み出る気品はやはり誤魔化せ「私は、アマンダ=エステーベ、エルニアの元騎士爵エリセオ=エステーベの長女、マンダ=エステーベです、ルディガー殿下の乳母兄弟にあたります」
そんなベルの戯言を無視するようにアマンダが改めて自己紹介をする。
「よろしくなのです…」
「わたくしはアゼル=メーシーですがファルクラム商会の顧問ではありません、エルニアの元魔導庁の官僚ですよ」
「アゼルさんは普通だったんですね、良かったです!」
コッキーはそれは安心したように嬉しそうに笑った、アゼルまでもが雲の上の人だったらどうしようかと思っていたのだ。
「秘密にしていてすまなかったと思うコッキー」
ルディは率直に詫びた。
「身分が身分ですし隠すしかありませんよね、お忍びで旅をしていたのです?えールディガー殿下…」
「ああ、ルディでいいんだ、コッキー以外には秘密にしておきたい」
「なぜ私に教える事にしたのです?」
「信用できると思ったのだ、そしてこれからの事を考えると知って置いてもらいたいと思ってな」
「そうですか…わかりました…」
だがまだ彼女は何か疑問があるのか納得していない様にも見えた。
「我々はエルニアでは死んだ事になっているんだコッキー」
そしてルディガー公子の謀反事件と、アウデンリートからの脱出に至る経緯をかいつまんでコッキーに話した、いずれ噂でエルニアの政変の話しは広がるだろう、先にこれを説明しておく必要があったのだ。
そして最後にアラセナをクラスタ家とエステーベ家が占領している事をかいつまんで説明すると、コッキーは呆れたように口を開けていた、すべて理解力を越えた話だったからだ。
ベルから実家の話を聞かされたコッキーはさらに呆れたように窓際のベルをにらんでいた。
「ベルさん、家来が500人もいるんですか?お嬢様どころかお姫様じゃないですか!!」
貴族といっても国によって有り方が大きく変わる、爵位だけでは実力はわからないものだ、王権が非常に強い国では貴族が王家からの俸給で生きている場合もあるのだ、そうなると公爵でも館を運営するに必要な数しか家臣がいないと言う事がありえる。
エルニアは領主貴族の力が非常に強い、私兵や自前の官僚組織まで抱えている貴族となると小さな国に等しかった。
エルニアの騎士爵は100家近くを纏めて同時に叙爵した量産貴族だ、他国の騎士爵とはかなり事情が違っていた、彼らは領主貴族であり他国の有力貴族に等しい実力を持つ豪族もいるのだ。
ベルはコッキーから見ると、リネインやゲーラの支配者の子女と同等以上の雲の上のお姫様だった。
ついでにハイネにも貴族がいるが彼らは王国時代の官僚貴族の末裔が殆どで爵位も低く領地を持たなかった。
「アマンダ、我々はアラセナには行かない、いや行けない、その理由は理解してもらえたと思う」
ルディは改まった様にアマンダに語り始めた。
「不本意ながら理解できますわ、でもこれをどうお父様達に説明しようかしら、どこまで明らかにすべきか…」
アマンダがゼアゼルに目をやった、それはアゼルの知識を借りたいと言う催促だ。
そこでアゼルが口を開く。
「殿下とベルサーレ嬢の神隠しに関してはブラス殿達に私からも説明しています…さて、これからがある意味本題なのですが、現時点でベルサーレ嬢とコッキーに異変の兆候が出ています」
「異変ですって?」
アマンダが驚き窓際のベルに問いかけた、ベルはそれに渋々と頷く。
「光の糸を掴んで引くと凄い力がやってくるのですよ」
向かいのコッキーが少し熱に浮かれた様な口調で呟いた、それにアマンダはなぜか不吉な何かを感じコッキーを見返す。
コッキーの瞳が僅かに潤みわずかに光を灯したかの様に感じたアマンダはなぜか戦慄を覚えた。
「僕も感じた幽界の門の向こうから何かが覗き込んでいるんだ、そいつの好きにさせたら僕が僕ではなくなる」
窓際のベルが窓に半分もたれかかりながらその後を継いだ。
「幽界帰りの事例に乏しく私にも知識が不足していますが、神々が与えた特別な力なのではないかと考えています、言いにくい事ですが肉体の変化をもたらすほどの大きな力です」
「僕は人間じゃ無い何かになりたくないし、神様だろうが好き勝手にされたくない、力を自分の意思で操りたい」
ベルの言葉はまるで吐き捨てる様だった、しっぽが生えた時に感じた喜びと満足感を思い出し怖気をふるった。
そんなベルをコッキーは妖しげな光を帯びた瞳で見つめていた。
「みんな幽界の門の事をどこまで知っているかしら、聖霊拳の世界には独自の解釈がありますわ、幽界の門は制御できるのよ」
アマンダは全員を見渡す、その言葉にベルは思わず壁際から身を乗り出していた。