二人の女神アグライアとエルドウェン
「ベルまだ寝ているのか?食事だ先に下におりるぞ」
ドアの外からルディの声が聞こえる、久しぶりに快適に眠れたのでベルはすっかり寝坊してしまった、少し後悔しながらベッドから飛び起きる。
「すぐ行く!!」
誰もいないので豪快に全て脱ぎ棄てて下着を変えるとまた暮ったい町娘風の衣装を纏う。
そして階段を駆け下りると、酒場は朝食を取る客が減りはじめるころあいでテーブルに空きが目立っていた。
そこに一番奥から手をふる男がいた、四人がけのテーブルの空きの椅子を指差してベルを手招きしている。
いそいで席に向かったベルにルディは楽し気に微笑むと。
「ベル、先に日替わり定食注文しておいたぞ」
それがベルに朝っぱらから加えられた一撃だった、いろいろ言いたかったが急に何かを言う気力がベルの中から消えていく。
椅子に座ったベルは気を取り直してアゼルを見てそして声をひそめた。
「アゼル、精霊通信来た?」
「夜遅くに来ていました『A全委任』と、これはアマンダ様にすべておまかせしていると言う事でしょう」
「ルディ、アマンダの用事は僕たちをアラセナに連れて行く事だと思う?」
「アマンダ様の使命はアラセナ攻略の事情の説明、我々の状況の確認、そして殿下をアラセナにお招きする事でしょう」
ベルの質問にアゼルが先んじて答えた。
「そんなところだろうな、だがそれに応じられる状況ではなくなった」
「エルニアの臣民としては殿下がアラセナへ行かれることをおすすめしますが…」
「アラセナに籠り運よく状況が変わるのを待てと?」
アゼルもそれはルディガーの気性から受け付けないだろうとは予想していた。
「ベル、たまたま出会ったコッキーが幽界に落ち、神隠し帰りのベルがたまたま巻き込まれたと信じるか?」
ベルは強く首を横に振った。
「逃げられそうな気がしない、それに逃げちゃいけない気がする、そんな気持ちすら何かに操られているのかもしれないけどね」
ベルはベルらしくも無く薄く笑った。
「ベル…」
ルディはそんなベルらしくもない笑みに不安を感じた。
ちょうどそこに料理が運ばれてきて会話は中断してしまった。
食事が終わると三人は再びルディの部屋に集まっていた。
「僕たちはアラセナには行かない、そしてサビーナ達をアラセナに受け入れてもらえるか話を付ける、その後でサビーナ達に提案するでいいの?」
「そうだ、だがアマンダが納得するかだが」
「アマンダにサビーナさん達に合ってもらおう、サビーナさんの人柄なら通じる」
ベルの提案が意外と良いのでは無いかとルディも思い始めた、義侠心に厚く情が深い彼女をまず味方につけるべきなのかもしれない。
「そうだな、それが良いかもしれんな」
ルディはサビーナ達を戦いに巻き込まない為にも、そして後顧の憂いを減らす為にも、アラセナへ避難させる方向に心が傾きつつあった。
「さてこれからコッキーと行動を共にする事には異論は無いな?まだはっきりと彼女と話をしたわけではないが」
「なんとなくそんな感じになっているだけだよね」
「ええ、彼女は幽界帰りで神の器持ちです、むしろ離れるわけにはいきません」
ルディは奇矯な性格をした幼い美貌の謎の多い少女の姿を思い浮かべた。
「僕たちの正体を教えるの?ルディ」
「その時期が来たと俺は考える」
アゼルは沈黙を守っていたが、それを肯定と受け取った。
僅かな沈黙を破る様に突然ベルが話を切り出した。
「アゼル、女神アグライアと女神メンヤは手を組んでいると思う?」
エリザに餌を与えていたアゼルはその手を休めベルの質問に目を見開いた。
「我々が結果的にコッキーを支援しているのは明らかですが」
「テレーゼの死の結界を打ち破るため?」
「その可能性ももちろんあります、そうですねベル、貴女が女神アグライアに関して知っている事を述べてください」
クラスタ家はエルニアの狩猟感謝祭の祭事を取り仕切るなど女神アグライアとは縁が深い一族なのだ。
「バーレムの森と狩猟の女神様でエドナのアグライア山にいる女神様」
それはエルニア人のごく普通の常識だった。
「女神アグライアは、もともとパルティア12神教の主神達が住まう聖域の四方を守る東方の守護女神なのですよ、軍神であり、暁の女神、光を招く者、希望を招く者とよばれる人気のある女神です、元々エルニアには森と狩猟を司る土地女神がいました、その二柱の女神の神格が融合して私たちに馴染み深い女神アグライアの姿になったのです」
「そんな話を聞いた事があるよアゼル」
「エルニアはエスタニア大陸の東端が発見され、希望の岬の付け根にある港街リエカから開かれた土地です、リエカは大陸周回航路の中継港として栄えました、その時に女神アグライアは太陽が最初に昇る土地に住まわれると言う神話から、エドナ山塊の最高峰に女神の名が付けらました、エルニア人は西方世界から直接この地に入植した人々が多いのですよ、エルニアには面白い伝承があるのですが…」
アゼルはどこか言いにくそうだ。
「ききたい!」
そこでアゼルはあまり広くは知られていない神話を語りだす。
エルニアが太古の森に覆われていた大昔の事、森にはエルドウェンという大変美しい森と狩猟の女神が住み全ての精霊と動物を従えていたと言う。
彼女は清楚で儚い美貌の女神で、白い肌と黒い長い腰まで伸びる髪、その髪は黒曜石の様に滑らかに黒く輝いていた。
あるとき西の彼方から巨大な宝石の様に光輝く船がやって来た、その船は邪悪なる者達を討ちエスタニアから追放する為にやってきた女神アグライアの光の戦船でした。
ところが女神アグライアは女神エルドウェンをひと目見ただけで恋に落ちてしまいました。
二柱の神はすぐに打ち解けましたが、アグライアはエルドウェンに拒絶されるのが怖くてその思いを打ち明ける事ができません、そこでアグライアはエルドウェンを満月の夜に猫に変えて愛でる事にしたのです、猫になったエルドウェンはアグライアにとても懐いていたそうです。
ですが夜が明ければ何もなかった事になってしまう、それに耐えられなくなったアグライアはその思いをついにぶつけてしまいます、その時アグライアに肩を触れられたエルドウェンは、優しく猫をなでるアグライアを思い出し、その思いを受け入れる事にしました。
そして褥を共にした二人が目を醒ました時、二柱の女神は一柱の女神に融合していたのです、アグライアは西に帰らずエルニアのアグライア山に神殿をかまえ、遥か東の海の彼方に睨みを効かせる事になりました、そしてエルニアの森と狩猟を司る土地女神になったと伝えられている。
「禁断の恋なんだね」
ベルは少し頬を赤らめていた。
「そうですね…」
「たしかに子供には教えにくいかも、でもその背徳感が恋を燃え上らせるのよ!」
ルディとアゼルはそんな彼女を訝しげに見た、二人はこれがベルがこよなく愛する田舎劇とろくでも無い小説の影響と看破した。
「ええ、そして続きがありまして、女神エルドウェンの姿を見ることができなくなった女神アグライアは、猫を懐かしみ眷属たる魔豹ディオエラを生み出しました」
「魔豹…」
アゼルの話を黙って聞いていたルディが突然言葉をぽつりとこぼした、そしてベルの顔が一瞬こわばったのを見逃したりはしない。
「ルディはこの話を知っていたんだね?」
「二年前に幽界から帰ってきてからアゼルから聞いたのだ、あの後お前とは会う機会が無かったからな、アゼルが公都から退去してから一度しか合っていない、神話として聞き流していたのだ」
「女神アグライアが東方世界の守護神の性格を失っていないならば、テレーゼの問題に介入しても不思議ではありません」
「そういう事かエルニアの土地神様のイメージが強くて、女神アグライア様ってもしかしてかなり偉い神様なの?」
「ええ、パルティア12神教の世界でも主神達に次ぐ神格がありました、更に二柱の女神が融合した神格です、でも西方世界では昔のままの女神アグライアが信仰されていますよ、人気だけなら主神達を凌ぐほどです」
「どうなっているんだろう?」
「私ごときには理解の及ばぬ世界です」
「いろいろ解った様な気がする、アゼルありがとう、でも今は考え込んでも意味ないかな」
「貴女は本当に思いっきりが良いですねベル」
「僕は街にでて見物しつつアマンダを待つよ、一旦着替える」
ベルは時間だと言うかのように立ち上がった。
「私達は予定通り聖霊教会に行きコッキーの雇い主として司祭長達と話をしてきます、サビーナ様達の今後に関して後援者と話をしてから決めたいと伝えてきます」
ベルは自分の部屋に引き上げて行く。
ルディが司祭服に着替え、アゼルが書類の確認をし準備を整えているうちに、ベルが荷物を抱えて戻ってきた。
ベルは修繕した高級使用人のドレスを身にまとっていた、彼女の銀髪がその白黒のドレスに非常に映えている。
ルディは感嘆のため息を付いた。
「似合っているぞ、だが俺は黒い髪の方が好きだな」
それに少しはにかんだ様に笑う、もう馬鹿な事はしないよと言っている様だった。
ふとアマンダが来るのでこの服にしたのだと閃いた。
そしてアゼルがはどこか眩しそうにベルを見つめていた、だがアゼルはベルを見ている様で見てはいない。
「この荷物を預けに来たんだ、行ってくる」
ベルは荷物を部屋の隅に乱暴に置いた、それにベッドの下にいたエリザが驚く。
「気をつけろよベル」
ベルは一度ふり返り手を振ると部屋から飛び出していった。