宝石の中の星空
廊下を慌ただしくかける足音が近づいて来ると共に勢いよく扉が開かれた。
「大変だよローワンさん」
部屋にいた者は全員入り口を注目した。
その部屋は『リネインのスミレ荘』という名の安宿の一室だ、中にはちょうどジンバー商会の特別班のメンバーが集まっていた。
「ラミラさん何がおきたっすか?」
ジムが驚いて椅子から立ちあがる、大柄で筋骨隆々とした男だが歳はまだ若い、糸の様な細い目をした童顔な男だ、彼の不釣り合いな容姿は見たものに不安感を与えた。
「奴らが来た!!」
全員だれもが冷静沈着なラミラがここまで慌てる姿を見たことが無かった。
赤みがかかった金髪を肩で短く切りそろえていたが、それをふり乱していた、美しい女性だがどこか作り物めいた美貌を歪ませている。
今のラミラは馴染み深い洗濯女ではなく旅の商家の夫人の様な姿をしていた。
「誰が来たと言うんだ…まさかアイツラか?」
悠然と腰掛けたままだったローワンが身を乗り出した、彼がジンバー商会特別班の雑用係のトップだ、刈揃えた黒い短い髪と黒い目と浅黒い肌の色の30代ほどの男、見方によっては愛嬌のある美男にも見える容姿の男だった。
ローワンの姿はどこかの書記官か弁護士の様にも見える格好をしていた。
「さっき馬車で奴らがここに乗り込んできたんだ、例の商人風のあの男とハイネの聖霊教会の修道女と子供達が一緒だった」
「他の奴らは?」
「他の奴らも先に来ていたみたいだ、黒い髪の女は髪の毛を赤くして下手な変装してたけどごまかせない、あの蛇娘もいた」
「奴ら何しにきたんだ?」
ローワンが真剣に考え込み始めた。
「修道女と孤児をハイネから逃がすためじゃないか?」
小役人風のバートが初めて口を開いた、実はこの男がリネインの聖霊教会にハイネの役人として乗り込んでいた。
「それもそうだが、我々と同じ様にコッキーを調べに来たのではないか?それに奴らには外部の密偵の疑いが残っている」
ローワンが意見を述べた。
「いずれにしろローワンさんやり難くなりますね」
ジムは内心で己の運の無さを嘆いていた、せっかく魑魅魍魎が跋扈するハイネから逃げられたと言うのに。
「奴らに顔が割れているのは、ラミラとジムだけか?」
ローワンが二人を振り返る。
「アタシ達は一度だけセナ村の外れでコッキーと少し顔を合わせただけだから向こうは覚えていないかもしれないわ、でも油断はできないわね」
「ラミラ今奴らはどこに?」
「ドミトリーが見張っている」
「わかった、しかし自由に調査ができたのは初日だけとはな」
彼らは昨日の夕刻にリネインにやってきたのだ、朝から情報収集に努めていたが、明日からの行動に大きな制約ができてしまった。
「リネインのジンバー商会の運輸部の連絡員を通して至急『バーンヴィレム=ヴァン=フローテン』に関して調べてもらうように手配してもらう、貴族や騎士ならハイネの古い記録から何かわかるかもしれん」
ローワンがその場にいる全員を見回してまた何か書物の続きを初めた。
「今の所それが成果ですかね」
「ああ、あの娘の父方の親族には見るべきものが無さそうだ、母親のアリアとその養父らしき男を洗う、だが10年前の戦火でこの街は焼けている、記録も記憶も失われているんだ、予想以上に難しい仕事になった」
「ローワンさん明日から予定通りコッキーの聞き込みを続けますか?」
バートは手にハイネの警備隊の調査員の偽造された身分証明書をちらつかせていた、それは非常に緻密な細工でハイネで直接調べなければまず偽造とわからないだろう。
そしてリネインはハイネから70キロ以上も離れているのだ。
「バート危険だが予定通りに頼む」
バートは僅かに困惑しながらも頷くしか無かった、彼は荒事にはまったく向かないからだ。
「おれも聖霊教会に乗り込む事になっているんだぞ?」
ローワンはそう言ってバートを宥める。
サビーナ達に食事を運んだ後でコッキーは子供達ととりとめもないおしゃべりをしていた。
「コッキー修道女長様が貴女をお呼びですよ」
20代の若い修道女がコッキーを探してやってきた、彼女は孤児出身の修道女でコッキーが幼い頃は孤児院のお姉さんだった女性だ。
「あっ!!わかりましたすぐ行きます」
少し不安げな顔をした子供達に手を振って修道女長の執務室に向かう。
その扉の前まで来てすこし躊躇したが、勇気を出して木の扉を叩いた。
「コッキーです、まいりました」
「お入りなさい」
中から落ち着いた優しい声がする。
コッキーが中に入ると、執務机の前の修道女長が微笑みながら迎えた。
「あの、カーリン様、あの」
修道女長は目線で先を促した。
「私はアゼルさんの商会に雇っていただける事になりました、その」
「あの方ですね…皆んないつかかならずここから巣立って行かなければなりません、ここに残る子はわずかです、貴女が良いお仕事を見つけられたのなら、とても嬉しい事ですよ」
修道女長はそれを察していたかのようにコッキーには思えた。
「カーリン様、長い間ご迷惑をおかけしましたです」
「迷惑だなんてありませんよ、うふふ、でもそのへんな言葉使いは治りませんでしたわね」
「す、すみませんです!!」
コッキーは少し小さくなった。
「貴女のお母さまにはいろいろ縁がありました、バーンさんがお母さまを育てるのに苦労されていたので、聖霊教会が少しお助けしたのよ、私はその時に貴方のお母さまのお世話をした事もあるの」
「カーリン様…お聞きしております」
「だから貴方が孫娘みたいに思える時もあるのよ」
コッキーは目を見開き涙がこぼれはじめる。
「ところで貴女にお返ししなければならない物があります、覚えているかしら?」
コッキーは無言で頷いた。
「今の貴女なら大丈夫ね」
修道女長は執務机の上に置いてあった貴重品入れの蓋を開いた、コッキーの視線がそれに引き寄せられ釘付けになった。
その中から布に包まれた何かを取りすと机の上にそっと置いて布を広げた。
その中から大きな楕円形のペンダントが現れた、銀色の台座にラピスラズリらしき美しい濃い青の宝石がはめ込まれた一品だった、残念ながら鎖は失われている。
それはテレーゼの空より深くて濃い青だった星か雲のように光が撒き散らかされている、だが戦災で焼かれた後がなまなましく台座と宝石の一部が変色し傷ついている。
「お母さんの宝石なのですか?こうして見るととても高そうですね、子供の頃はわからなかったのです」
「貴女が辛い思いをするから、それもありましたが、これはかなり値打ちのあるものです、公にしては貴女に災いが降りかかるような気がしたので、聖霊教会であずかりました」
「お母さんはどこから来たのでしょうか?」
「バーンさんは一切語りませんでした、お母さまがここに来たころは内戦が一番酷いころでした、貴族や騎士の家もたくさん没落しましたわ」
「バーンさんの名前はエラそ…立派な名前ですよね」
「ええ騎士か貴族の御方だと思います、どことなく気品や教養がお有りでした、でもフローテンの姓はハイネのずっと南の方ではそうめずらしくも無いそうですわ」
「今の貴女なら自分で考える事ができるはずです、これは約束通りに貴方にお返しします」
修道女長はペンダントを布で包むとそれを手に取る、そして立ち上がるとコッキーの前に歩み彼女の手にそれを握らせた。
「もう貴方はいつここから巣立ってもたいじょうぶね」
修道女長は執務机の上に置いてあった小さな巻物をコッキーに渡した、それはコッキーの身分を保証する証だ。
「ここは学校ではありませんが、貴方の卒業証の替わりです」
「ありがとうございます、でも今晩は皆とここにいますカーリン様!」
「ええ、わかっていますよ」
修道女長は少し笑った。
コッキーがカーリンに抱きついた、カーリンはそれを優しく抱きとめていた。
修道女長から退室したコッキーは少し歩くと、廊下から教会の中庭に出た、空には満点の星が撒き散らかされていた、それがあの宝石を連想させる。
彼女の肩までのふんわりとした淡い色の金髪が星あかりに不思議と映えていた、懐から布に包まれたペンダントをとりだすと、それを星あかりで呆けたように眺めている。
やがてコッキーの表情が変わり始める、意思のない無機的な無表情に変わりそこから何かの意思が入り込んだかのように。
コッキーはペンダントの台座を引きスライドさせるように捻った、すると小さな音がして台座が外れた、その中身を確認するとすぐに台座をはめ元に戻して懐にしまってしまった。
「あれ?はやく戻らないと」
しばらくしてコッキーがつぶやく、彼女は孤児院に戻るべく足を急がせた。