コッキーのお祖父さん
聖霊教会の門前で最後の打ち合わせをした一行はリネインの教会に入る、彼らはリネイン聖霊教会に一大騒動を引き起こした。
子供達と老婦人達には客室二部屋が割り当てられファンニが彼らを取りまとめる。
サビーナとルディとコッキーが司祭長と修道女長に対応する、アゼルとベルはルディの知人で後援者の使いの形を取る事になっていた。
ベルは今回まったく出番がなかった、全ての成り行きを後ろから眺めるだけの傍観者だ、無責任にもスリリングな劇を鑑賞するような気分になっていた。
彼らは慌ただしく聖霊教会の奥に導かれて行く、ベルは不躾に見回しながらサビーナの聖霊教会の敷地の縦横二倍は広いと見積もる。
司祭室に向かう行列と行き違う司祭や修道女達がコッキーを見ると皆んな驚いた顔をした。
コッキーは全員知った顔の彼らの反応がまったく理解できない様子だった、だがベルにはなんとなく理由の見当がついてしまった。
彼らは応接室らしき部屋に案内されたが、聖霊教会らしく華美な装飾はなく質素でだが清潔に整えられている感じの良い部屋だ、教会の中庭の緑は整えられ、窓から黄昏時の少し冷たい風が入ってくる。
座る場所が足りないのか小さな丸イスがいくつか持ち込まれていた。
ベルは鼻でスンスンと臭いを確認して合格点を与える。
その部屋には若い修道女が一人いるだけだ、彼女が一礼して告げた。
「すぐに司祭長様と修道女長様がいらっしゃるのでこのままお持ち下さい」
そこに威厳のある初老の司祭長と修道女長らしき二人が慌ただしく部屋に入ってきた、かなり地位の高い聖職者だと服装からもわかる。
二人はサビーナとルディの後ろにいるコッキーを見てその表情が驚きに変わる、彼らの顔には混乱と僅かな恐怖すら滲み出ていた、どうやら会見ははじめから波乱含みとなりそうだった。
「帰ってきたと聞いて驚きましたが、あ、あなたは本当にコッキーなの?」
修道女長がいきなり発した言葉に全員が驚く。
「本物ですよ、修道女長様なにかありましたか?」
コッキーは修道女長の態度が理解できない様子で困惑していた。
「ええ今日の朝の事です、ハイネから来たお役人が貴方の事を聞きにきたのよ」
そこで修道女長が口淀んだ、とてもその先が言いにくそうだ。
「私の事なのです?」
修道女長はそれに無言で頷いた。
コッキーは小首を傾げる、思い当たる理由が思い浮かばないようだ。
だがベルはコッキーがジンバー商会の護衛を二人切って大騒ぎになった事をお覚えている、捜査は二日で打ち切られたはずだが、なぜ今日になって聞き込みがここにくるのか疑問を感じていた。
(そうか、あの時のコッキーは死霊に操られていて記憶が無かったっけ)
「そうです、とても言いにくい事ですが、お役人は貴方が人を殺したと言っていました、その捜査をしているから貴方の話を聞かせて欲しいと」
コッキーは初めて理由が理解できたのか驚き固まってしまった。
「それは冤罪だ修道女長殿」
その時だったルディの明朗なよく通る声が響く、その免罪と言う威力のある言葉が場の空気を変えた。
「冤罪ですか?」
修道女長は驚きルディを見た。
「その通りです、ですがその前にまずお互い名乗りませんか?」
ルディは一度話の流れを断ち切ろうとしていた、そして無理なく自分のペースに持って行こうとする、ベルは何度も何度も煙に巻かれてきたがこんな時に味方だと頼もしい。
老司祭もそれに賛同した。
「そうですな失礼いたした、まずは名乗りましょう、まずはこの私から、このリネイン聖霊教会の司祭長のミカル=ベルマンともうす者です、こちらが当教会の修道女長のカーリン=フェルドです」
「ご紹介に預かりました修道女長を勤めておりますカーリン=フェルドです、大変失礼な不躾な態度おゆるしください」
気品のある老修道女長は落ち着きを取り戻し静かに名乗る。
「私はルディ=フェストランド、エルニアのリエカの聖霊教会の司祭を務めさせて頂いております、こちらのハイネ南聖霊教会の管理責任者のサビーナ=オランド殿とは古い友人です」
「紹介にあずかりましたサビーナ=オランドでございます、ハイネ南聖霊教会の責任者を務めております」
修道女長のカーリンが何かに気がついた様だ。
「まあハイネ南聖霊教会の?ならば当教会に貴女の事を知っている者がいるかもしれません、あっ!まずはそちらの方々のご紹介が終わってからですね」
ベルは修道女長のカーリンは若い頃はたいそう美しく可愛らしい女性だったと判断していた、そしてかなり慌て者の修道女だったのではないかと思い始めていた。
「私は同じくエリカのファルクラム商会に勤めております魔術師のアゼル=メイシーと申します、こちらは商会の会計士のリリーベルです」
「リリーベルでございます」
ベルは初めて言葉を発した、そしてこの場での最後の言葉になる。
司祭長と修道女長はベルを驚いた様に見ていた、その赤ワインの様な髪の色に衝撃を受けている。
顔をよく見ると美しい娘だと気づいたかもしれない、だがそれを打ち消す様な髪の色と野暮ったい服と三編みおさげの髪型は田舎のエルニアの商人の会計士のイメージに良くはまっていた。
だがこの時のベルは眼鏡が欲しいと考えていたのだ、田舎劇でも弁護士や会計士などの知性や教育を受けた者である事を示す小道具だ、学者や裁判官ならばさしずめ片眼鏡がお約束だ。
全員の紹介が終わるとそれぞれ席につく、コッキーとベルは持ち込まれた丸椅子に座った。
「さて、まずは私から話しましょう…ハイネの新市街では最近子供の誘拐事件が連続して起きていました、人身売買組織の犯罪と言われていましたが、ほとんど捜査も行われず放置されておりました」
ルディは明朗で美しい発声で語り始める、そこから育ちの良さと教育の良さが滲みでる、ベルはそれを意識的に表に出していると感じていた、普段はもっと崩しているのだから。
「ハイネの新市街ですと?ならばまともに相手にされませんな」
司祭長が沈痛な声を上げた。
「そして数日前に孤児院が襲撃され子供が四人拉致されました」
「それは事実でございます、嘘ではありません!」
すかさずサビーナがそれを補足する。
「な、なんと大胆な…子供達が聖霊教会から強奪されたなどと」
修道女長がうめいた、無法がまかり通るテレーゼとは言え、聖霊教会への怖れの様なものはすべての人々が程度の差こそあれ抱いていたのだ。
「そしてこちらのフェストランド司祭様のご友人のアゼル様が子供達を奪い返してくれたのですが、犯罪組織と争いになり教会を焼かれてしまったのです、死傷者が出なかったのが奇跡です」
サビーナは半分泣きそうな顔をしていた、また感情が戻ってきてしまったのだろう。
「ならばハイネの大聖霊教会を…」
そう司祭長が言い掛けて口ごもってしまった、サビーナも沈黙を保っていた。
口には出せないがハイネの大聖霊教会もテレーゼの腐敗からは無縁では無い、そうでなければ死霊術が大腕をふるって繁栄する事などできるはずもなかった、もっともそのおかげでコッキーの手に神の器が渡り、ルディ達が碧緑の魔女に会えたのかも知れないが。
「犯罪組織はハイネの評議会に非常に大きな影響力があります、我らの話を聞いてくれるものはありません」
沈黙を破るようにルディが言葉を継ぐ。
「事情はだいたいわかったが…しかしこれは大事ですぞ」
言葉の途切れた司祭長に変わり修道女長のカーリンが話す。
「司祭長様よろしいかしら、修道女のサラがハイネと連絡役を勤めております、南の聖霊教会にも行った事があるはずです呼びますわ」
司祭長は一瞬だけ躊躇したようだがうなずいた。
「サラ様ですか?」
サビーナも記憶を探ろうとしている。
修道女長が若い修道女にサラを呼んで来るように命ずると、その修道女は慌ただしく部屋から下がっていった。
「コッキーはそれに巻き込まれたのです、彼女も一度は奴らにさらわれかけました、そのときに…彼らの仲間を殺してしまいましてね」
ルディは最後は沈痛な表情を浮かべて言葉を閉める。
でもこれでは免罪とは言えないのではとベルは思う、だがあえてコッキーに罪がないと印象付ける為に免罪と言ったのだろうと思った。
「なんとまあ」
修道女長が天を仰いだ。
「そちらの事情はわかったが、あまりにも危険な問題だ」
司祭長が首を横に振った。
「だが奴らの怒りは私やアゼルに向いています、サビーナや子供たちには及ばぬと考えています、できうるならば子供達を引き受けていただきたい」
「ここはハイネの新市街の様に見捨てられた街ではない、城壁で囲まれた街の聖霊教会を正面から襲うことは簡単にはできない、それでも我々では守り切れぬやもしれぬ」
司祭長は苦渋の表情を浮かべたままだった。
そこに部屋の扉がノックされた。
先程の若い修道女と30代程に見える痩せた長身の修道女が部屋に入ってきた。
「サラです、お呼びでしょうかカーリンさま」
「サラこのお方をご存知ですか?」
彼女は修道女長が指し示すサビーナの顔をまじまじと見つめていたが、何かを思い出した様にうなずいた。
「思い出しました、このお方はハイネ南聖霊教会の修道女サビーナ=オランド様ですね、聖霊教会の落成式とたしか半年程前の孤児の身元確認でお会いしましたわ」
「私も思い出しましたわサラ様」
司祭長と修道女長もこれを聞き安心した様だ。
「サラさんご苦労様でした、さがってよろしくてよ」
「では失礼いたします」
修道女サラは応接室から退去していった。
「サビーナ様うたがって申し訳ありませんでした、事が大きいので念の為に確認いたしました」
修道女長はサビーナに謝罪する。
「いいえカーリン様当然の事と存じます」
サビーナはそう返す。
気を取り直した修道女長は改めて中断していた話を続ける。
「当教会の孤児院の定員は16名です、今18名で空きはありませんが、あと二人ぐらいなら受け入れる事ができますわ」
「はい彼女から余裕が無いと聞いておりました、ですが縋る思いでお願いいたしました」
全員がそこでコッキーに注目した。
「ところでそちらの子供達の数は何人かしらサビーナ様」
「7人です」
司祭長も修道女長もまたもや首を横に振った。
「我々も次の手を模索するつもりです、最悪子供達を遠くに逃がすことも考えています」
そこでルディが再び口を開いた。
「なんと、ならば全員逃した方が良いかもしれませんな、先の事を考えると…我々が無力なばかりに」
司祭長はまたもや想いにふけり始めた。
「その前にリネイン市内に家を借りたいのです、手配に時間がかかりますので」
「教会の口利きが必要ならそれぐらいなら構いませんぞ、今晩は客室を開放しましょうそれでも入りきれるか…」
司祭長はそう言いながら修道女長に目をやった。
ベルはこの教会の真の支配者は修道女長のカーリンだと確信を深めた。
「まことにお手数をおかけします」
サビーナが司祭長と修道女長に深く頭を下げる。
「司祭長殿、私とフェストランド司祭とリリーベルは街の宿をとっておりますのでご心配無く」
アゼルが司祭長の不安に応える。
「狭いですが、なんとかなりそうですね、では手配をいたしましょう」
修道女長が若い修道女に指示を出し始めた。
「修道女長殿、私とアゼルは一度宿に下がり話し合わねばならない事があります、連絡役はコッキーでよろしいでしょうか?」
「この娘がですか?」
修道女長が驚いてコッキーを見つめた。
「カーリン様、修道女長様、私からも大切なお話があるで、あります」
話を聞いているだけだったコッキーが立ち上がり前に出てきた。
修道女長はこれで何かを悟ったのかもしれない。
「わかりましたわ、このあと貴女は私の執務室まできてください、呼ぶまでは皆んなのところにいてあげて、貴女の事とても心配していたのよ」
「ありがとうございます、ご心配おかけしました修道女長様」
コッキーは俯いていた。
「コッキーみんなのところに行ってあげなさい」
ルディは優しくコッキーに声をかけた、これはルディの偽りのない本心だろう、ルディ観察者のベルにはそれが良くわかるのだ。
「後の事はお願いなのです、ルディさん、いえフェストランド司祭様」
コッキーは一礼すると応接室から出ていく、しばらく小走りに走る足音が聞こえていた。
「ところで修道女長様、コッキーの身元を訪ねて来たお役人はどのような方なのでしょうか?」
アゼルが口を開いた、まるでコッキーが去るのを待っていたかのように。
「アゼル様、その御方はハイネの自警団の調査部の方と名乗りましたわ」
「どのような質問をされましたか?差し支え無い範囲で教えていただきたいのです」
「もしやアゼル様はそのお役人が本物か疑っておいでですか?」
「まあそうです、ハイネではとうの昔に捜査は打ち切られていました」
「わかりましたわ、あの娘の家族や親族の話を聞かれました、あとは交友関係ですわね」
ベルにその役人が何を知りたがっていたか強い興味が湧いてきた。
「あなた達なら教えても良いかもしれません、あの娘の父方の親族ははっきりしているのです、お父様のご一族はごく普通の職人達でした、お母さまに関しては良くわからないのです、この街の生まれでは無いのはたしかです」
ベルはそんな話を以前コッキーから聞いたことがあったのを思い出す。
「リネインの生まれではないと?」
「それだけははっきりしていますフェストランド様、お母さまは若い男の方に連れられてこの街にやってきました、今から34年程前の事です、まだ2歳の小さなお子様でした、名前はアリアですわ」
「そのお方がその娘の父親なのか?」
「私にはお父様には見えませんでした」
すこしだけ修道女長が苦笑したが、それは温かい笑みだった。
「お会いになられた事があるのか?カーリン殿」
ベルは眉をひそめた、ルディの態度が偉そうでいて嫌味が無く一介の司祭の態度では無いと文句を言いたかったが黙っているしかなかった。
(カーリン殿はないでしょ?)
「ええ、まだ私も修道女見習いになったばかりの頃ですわ…まるであの方は良い所の家に仕える騎士様に見えました」
修道女長は何かを思い出すように遠くを見ている。
「バーンさんはお若いにも関わらず紳士的で理知的なお方でしたが、世情に疎くアリアを育てるのに苦労されていました」
「ほうバーンと言うお名前なのか」
「私達はバーンさんと呼んでいましたが、正式にはバーンヴィレム=ヴァン=フローテンさんですわ、これが本当の名前なのかは確かめようがありません」
「騎士階級の名前だが、だからフローテンなのか、平民なのに姓があると不思議に思っていたが」
ルディは妙に関心しきりだ。
「アリア様を育てるのにずいぶん苦労されていました、アリアさんは『お金はとっても大切なのよ』と言うような娘さんになってしまいましたが」
修道女長が懐かしむように微笑んでいた。
「そのバーン氏の生まれや身分はわからないのですかな?」
修道女長は首を横に振る。
「それに触れるのを避けておられました、ですがバーン様の知人らしき方々が稀に訪れていたようです」
「どのような御方でしたか?」
「私の聞いた話ですと、どこか品のあるバーン様と同じ程のお歳の若い男性と、中年の女性だったそうですわ、それ以上の事はわかりまねます」
修道女長は一息つくとルディとアゼルをそれぞれ正面からしっかりと見据えた。
「あの娘についてずいぶん興味がおありなのですね…」
それにアゼルが応えた。
「コッキーには当商会で働いてもらいたいと考えております」
「…やはりそうでしたか、先程あの娘がここを去る決意をしたそんな予感がいたしましたの」
「はい彼女もそのつもりです」
「あの娘は働いて教会にお金を入れてくれました、感謝はしていますが、本当は一人で生き抜くためのお金にしてほしかったのです、孤児が働くのは自立の力を得る為です…アゼルさんでしたね、あの娘の事よろしくおねがいします」
「責任をもってお引き受けします修道女長様…」
アゼルはこの善良な修道女長を結果的に偽る事になって心を痛めている、ベルもまた優れたアゼル観察者だったのでそれを感じる事ができたのだ。
ベルは無意識に人指し指で眼鏡を直すような仕草をした。
「いずれはエルニアにいかれるのですか?アゼル様」
「いずれは」
「あの娘の為には良いかもしれませんね、アリアも本音ではあの娘にテレーゼから出ていって欲しいと思っていたようです」
そこにパタパタとした足音が近づいてきた。
ノックもせずにドアが開かれコッキーが姿を現した、修道女長の目はコッキーの非礼を咎めていたが口には出さなかった。
「ルディさん、アゼルさん、ベルさん、私は今晩ここに泊まっていきたいのです!」
三人に異論は無いルディが代表して答える。
「もちろんだ、我々はこのまま宿に引き上げる心配しないでいい」
コッキーは深くお辞儀をした、今までの彼女の中で一番真摯なお辞儀だとベルは思った。