精霊の椅子再び
ミスをしたので少し改稿しました。
アマンダがアラセナから旅立った同じ時刻、野暮ったい服に強烈な赤ワインの髪色の町娘がハイネの南の大街道のどまん中に立って北の方角を睨んでいた、そこからはハイネの旧市街を囲む城壁が遠く見えていた。
大街道の遥か先から二頭立ての大型馬車がこちらに向かってくる。
「馬車が来たよ、みんな用意はいい?」
ベルは道端の石垣に腰掛けていたサビーナに告げる。
「わかったわ」
サビーナはまだ顔色が悪くやつれていたが微笑んだ。
サビーナの隣に座っていた司祭服を着たルディがサビーナと二言三言話し合うと立ち上がった、そして皆に大声で指示を出す。
「よし皆んな荷物を持つように」
ルディは背嚢を背負い長物を収める細長い木の箱を抱えていた、教会の祭具を収める箱だが中は無銘の魔剣とベルが買い与えた予備の長剣が納められている。
ベルは大きな麻袋を一つルディに委ねた、それはずっしりと重さががある。
「これお願い…僕はアゼル達と合流する」
「わかった、ベル向こうは頼んだぞ」
「まかせて」
襲撃される可能性が高くなるアゼル達に探知力に長けたベルを配したのだ。
馬車に乗るのはルディに決まっていた、焼け出された修道女と孤児を一時的にリネインの聖霊教会に移す案内役の司祭を演じるのだ、これもベルより彼の方が適任だった。
ついに二頭立ての大型馬車が目の前にやってきた、大人5人と子供7人と荷物を運ぶ事のできる十分な大きさがある。
小さな草地に入った馬車は向きを反対に変えて道端で止まる、サビーナが御者の男の側に行き契約書を見せた、その間にベルとルディは子供達と老婦人達が馬車に乗るのを手伝ってやる。
最後にルディが御者の隣に座った。
「御者殿よろしくたのむ」
ルディは快活な笑顔で御者に微笑む、少し呆れたような曖昧な笑顔で御者は応じた。
「旦那、いや司祭様こちらこそ…では皆さん行きますぜ」
御者が馬に軽く鞭を当てると馬車はハイネに向かって進み初めた、ベルは大きな幌付き馬車の荷台から手をふる子供達に手を振り返していたが、すぐに踵を返して南に走り出す。
「アゼルさん達は別行動なのですね」
動き出してすぐに御者台のルディにサビーナが話しかけてきた、ルディは御者に注意を払いながらサビーナを振り返る。
「事情があって別行動ですが、彼らはすぐ近くにいるはずです」
ルディは彼らが走って追いかけて来るとは伝えなかった。
「あれからアゼル様とはお会いできず、この子達を救っていただいたお礼もまだ言っておりませんのに」
「そういえばアゼルのおじ様と大姉さまはしばらく合ってなかったわね」
女の娘達のリーダ格のアビーが少し驚いた、男の子達もそれに気づいた。
「アゼルの兄ちゃんはずっとセナの家にいたよな」
馬車の中で子供達のとりとめないおしゃべりが始まった、それにファンニが小声で注意する。
「みんな約束をまもってちょうだい」
子供達は自分達の置かれた状況を思い出したのか口を噤んだ、静かになった馬車はハイネ市街を迂回する道を東に進み始めていた。
「ベルさんがこっちに来ました」
街道から少し離れた藪の中からコッキーが顔を出す、その後からアゼルが現れる。
「馬車は出たよ、僕たちも追いかける」
全速でそこに飛び込んできたベルはまったく息を切らせていない。
「ベルさん本当に走って行くのです?」
「そう、他にある?」
「…馬車を雇いましょうベルさん」
コッキーは眉を八の字にした。
「馬車が戦いに巻き込まれたら御者やお馬さんが可愛そうではありませんか?それに誰のお金だと思っているのかしら?おほほほ」
田舎劇団の悪役のような大げさなベルの演技にコッキーは内心うんざりだが、一応正論なので言い返せないだけだ。
「それよりもアゼルが心配」
ベルがアゼルを見た。
「何度も言いましたが心配いりませんよ、魔術の身体強化を何度も使えば走り続ける事ができます、エリザベス私の懐から出ないようにしっかり捕まってください」
「…じゃあ行くよ」
ベルが僅かに精霊力を解放すると、身体強化を終えたアゼルもベルを追いかけて行く、ベルの先導で二人は街道から外れて畑の中の細い道を素晴らしい速度で走り去っていく。
「わかりました、走るのです」
いやいやながらもコッキーは二人に続いた、そんな彼女の速度も普通では無かった。
しばらく三人が走ると馬車を追い越してゲーラ側に先行する形になってしまった、三人は街道から少し離れた林の中で馬車を待つ。
「ねえ、アゼル精霊召喚の追跡はどのくらい遠くまで使えるの?」
ベルの質問にアゼルは不機嫌に見つめ返した、その表情にベルは感じる物があるのかたちまち不機嫌に変わった。
だがアゼルはルディガーには詳しく説明したがベルにはまだ説明していなかった事に遅まきながら気がついた、アゼルは少し態度を改める。
「そうですね、探知先との距離が遠くなるほど困難になります、より強い力を与える必要があります、私の水精霊術に対象の血からその主のいる方向を探知する術があります、これもせいぜい数キロですね、召喚精霊は術者が精霊に付与できる力が大きいほど行動範囲が広がります」
「大型の召喚精霊には多くの精霊力を与える事ができますが、精霊力の消費も激しくなります、特に戦闘も可能な精霊の場合は更に厳しくなりますね」
「あのグリンなんとかも?」
「あれは人が召喚できる戦闘可能な追跡型の召喚精霊としては最上位でしょう、あれは術者や地勢にもよりますが数時間の活動可能時間があります、あれを呼び出せる術者はエスタニア全土でも片手で数えるほどしかいないないかもしれません」
「ハイネから離れればそれだけ安全になる?」
「たしかにそうですが、術者がハイネに居なければならないわけではありませんよ?」
「アゼルとコッキーが身につけていた物があればいいわけか」
「ええ、ですが時間が問題になります、時間が経つに連れて物と持ち主の縁が失われて行きます、主と強い縁がある物ほどそれが長く残ります」
その二人の会話を興味深げにコッキーは耳を傾けていた。
「私のバックに着替えが入っていたのですよ…」
それは独り言の様だった。
「そして持ち主が使っていた状態から形が大きく変化してしまうと縁も失われてしまいます」
熱心に聞いていたベルが何かを悟ったように言葉を発する。
「燃えたら縁も無くなるわけだね…」
「ええ失われて喪失感のあるもの程縁もまた強いのですよ」
ベルは落ち込んでいたサビーナの姿を思い出していた。
「リネインに行けばそれだけ安全になるわけか」
「ハイネにいるよりはましですが過信はできません、そして彼らの精霊召喚に関して情報がほとんどありませんそれが気がかりです、少なくともサビーナさん達を守るにはその方が良いと思いますが」
「リネインでアマンダと会えば知恵を借りられるかも、リネインでも危険ならいっそ…」
「なるほど、そうですね…」
アゼルはベルが言いたいことをすぐに察した、そして僅かにコッキーに視線を流したがすぐに戻す。
「アマンダさんって誰です?前も聞いたような気がします」
「僕の親戚のお姉さんだよ」
これは嘘では無かった、ただベルは重要な事をまったく伝えていないだけだ。
「なぜ来ると解ったんです?そうかあの精霊通信ですね」
「そうですコッキー、昨日精霊通信で伝えてきました、予定では明日リネインに彼女が来ます」
コッキーが何をしに来るのか聞こうとしたところでそれをベルが断ち切った。
「馬車が追いついてきた」
「ではまた私の術が切れるまで走りましょう」
アゼルが身体強化の術の詠唱を始めた。
三人はベルを先頭に林の中の狭い道を再び東に向かって走り始める。
それは正午少し前の事だった、ルディ達を乗せた馬車はゲーラの城門をくぐる。
「あっしは、馬の世話をしたあと食事をとりやす、勝手に馬車はだしませんが一時間ほどで戻ってきてく
だせい、リネインの閉門に間に合わせますので」
御者がルディとサビーナに話しかけてきた。
「おつかれ様でした」
サビーナは御者に微笑んだがそれは儚げな微笑みだった、御者の男は僅かに赤面して顔をそらした。
「さあ、皆んなおりるんだ、休憩をとるぞ!!」
それを打ち消す様にルディが大きな声を出す、引率が妙に様になっていた、ベルがいたら嫌味を言われたに違いない。
子供達は馬車の荷台から次々に溢れ出た、ルディが幼いポリーを抱き上げて降ろしてやった。
そして老婦人達の手をとり馬車から降りるのを手伝う、彼女達は若い偽司祭に感謝を述べていたがとても嬉しそうだ。
最後にファンニとサビーナの手を取り手伝ってやると、顔を赤く染めながらもその手をとった。
一団を引率して大人数が入れそうな食堂に向かう『精霊亭』に行きたかったが苦手な人物がいる可能性があるので避けた。
すべて予定通りで馬車に閉じこもるのも不自然なので普通に振る舞うことにしたのだ。
だが聖霊教の司祭と修道女に率いられた子供達の集団は非常に目立っていた、街の住人の好奇の目を集めていたが、彼らはやがて大きな安宿の一階の食堂に入っていく。
この時ルディは街の中心部の広場の方向に青いワンピースの娘を見た様な気がしたのだ、そこはあの魔術道具屋の『精霊の椅子』の近くだった、アゼル達は馬車に先行してゲーラに到着していたのだろう。
ルディも店主に挨拶したかったが今は諦める事にした、いずれ顔を出す機会もあるはずだ。
「久しぶりじゃなアゼル、そして娘さんたちじゃな」
「おひさしぶりですホンザ殿」
『精霊の椅子』のカウンターから老魔術師が三人の来客を迎えていた。
「おじいちゃん、おひさしぶりなのです」
ホンザは老人扱いのコッキーに怒ることも無く笑って応じた。
「ははは、だがそれほど久ぶりでもないかのう」
だがベルを見る目には僅かな畏怖があったメンヤの降臨の印象が強すぎたのだろう。
だがすぐに大きく目を見張った。
「すごい髪の色じゃな?」
ベルはそれに顔を歪めたが気を取り直す。
「変装の為に染めたんだよ、でも終わったので戻したい」
「なるほどな…」
ホンザはこの話題には触れぬほうが良いと察して話題を変える。
「しかし今日はどうしたのだ?そうだあの若旦那はどうしたのだ?」
「我々は事情があってリネインに向かう途中です、若旦那様は事情があって別行動です、ここには長くはいられません、ホンザ殿とお話したい事が山々あるのですが」
「そうか、ところでセザールとは接触したのか?」
「いえまだ、いずれ対峙する事になりそうです」
「難儀なことだな」
アゼルは必要な触媒を買い足す為に小さな籠にそれらを次から次へと入れていく。
「ホンザ殿、死霊術の事ですが、あれは幽界の力に依存していません、魔界の力に依存していますね」
そして手を休めるとホンザに向き直った。
「…やはり気がついたか?だがここでは誰も気がついても話題にすらせん、粛清を怖れておる、一歩間違えるとテレーゼが聖戦の対象になるわい」
「聖戦ですか?」
アゼルは現実主義的なエルニア人らしく感覚的にそれが理解できなかった。
「聖霊教は寛容で緩い教えだ、色々な宗教や神を飲み込んできた、西方のパルティア十二神教とも緩く付き合っておるが、魔界だけはだめじゃ」
「死霊術が禁忌とされているのは死者の魂を冒涜する、魂の回帰を妨げるからと教えられて来ましたが、本当はそれが理由ですね?」
「うむ、だが死霊術が側で使われぬ限りまず気づかん、ワシも内乱が始まってから初めて気がついたのじゃ、死霊術を使うものが増えてからだな、ワシはその10年以上前にアヤツと袂を分かっていたがの」
「精霊術が幽界への門を開くように、死霊術は魔界への門を開き力を導くのですね?」
ホンザはそれに頷いた。
「セザールも始めは俗説を信じていたのだろうよ、不老不死が目的だったはずじゃ」
しばらくその場を沈黙が覆った。
ホンザは昔の思い出に浸っているようだった。
「わしもこのまま傍観しているわけにもいかんな、そろそろ人生の終わりも近い、何か協力できる事があればたよってくれ」
「危険ではありませんか?」
「50年前に弟子をやめたのだ、弟子だった期間も短いからアイツも忘れているのじゃろう、だがなこのままではいかんかもしれん」
アゼルはベルとコッキーの変異とコッキーの神の器に関して彼に相談したかったのだが、今は時間が無かった。
「ホンザ殿、近いうちにまた相談にここを訪れる事になると思います、その時にはよろしくお願いします」
「若旦那の事かな、無理に言わぬで良い」
ホンザは何か事情があると察してそれに頷いてくれた。
しばらく後の事だ、畑の真ん中の道をテレーゼの風土料理を食いながら走る三人組がいた。