天空の赤毛の天女
男どもの騒ぎ立てる声がアマンダの所まで聞こえて来る、すぐ近くにまで奴らが来ていた。
「なんだ?今の馬鹿デカイ声は?」
「そっちだ!!」
足音と怒声と装備が奏でる不協和音が迫って来る。
そして近くの藪がざわめき割れた、そこから素朴な可愛らしい娘が顔を出した、年齢は12~3歳程に見える、栗色の髪に同じ色の瞳と日に焼けた少しぽっちゃりした健康そうな田舎娘だ、体中に木の葉がこびりついていた。
かなり息を切らせていたが温泉で寛いでいるアマンダを見てたいそう驚いている、場違いなまでに大柄で美しい女性に目を瞠っていたのだ。
だがすぐに息を切らしながら叫んだ。
「今の声は貴女ですか?悪い奴らが追ってきます、あなたも逃げて!!」
アマンダは一向に慌てず落ち着いていた。
「薄汚れた気が5人分…貴女が追われていたのね?ここから離れていなさい巻き込まれますよ」
そこに数人の武装した男達が岩場に雪崩込んできた、そして温泉に漬かるアマンダにあっけにとられていたが、アマンダの美貌と体に目を奪われすぐニヤケた笑いを浮かべ始める。
「なんだいい女じゃないか?」
アマンダは追われていた少女に目配せする、関心がアマンダに向けられている間に逃げろと。
だが少女は腰が抜けて動けなくなっていた、無我夢中で逃げていたのに、アマンダと出会った事で緊張が解けてしまったようだ。
彼女はプルプルと顔を横に振っている。
アマンダは男達に目を向けてから目を見開く、全員お揃いの装備を着込んでいるが、彼女はその装備に見覚えがある、汚れ傷だらになっているがセルディオ傭兵団の装備に間違いなかった。
彼らは先日の政変でアラセナから潰走した傭兵団の生き残りだった。
クラスタ=エステーベ連合軍の兵力不足から包囲殲滅もできず、追撃も不十分のまま半数がアラセナから逃亡した、彼らはマルセナ周辺の領主達や農民の落ち武者狩りにほとんどが狩りつくされたと聞いていた、だが生き残りがいて盗賊と化して略奪を働いていたのだろう。
アマンダはそれに責任を感じていた、傭兵団の始末をアラセナの外に押し付けた形になっていたからだ、見つけた以上けりを付けなければならなかった。
湯船に更に深く身を沈めると、男達は下卑た笑いを浮かべながら温泉を取り囲み包囲を狭める、アマンダに武器の刃さえ向けようとはしない、丸腰どころか裸の女に武器を向けるまでも無いと完全に油断していた。
「おい、さっさと出てこいよ可愛がってやるぜ」
男達が笑った、先程の少女は地べたに座り込んだまま地を這って後ろずさりに逃げようとしていた。
盗賊のリーダーはふと獲物の瞳を覗き込んだ、そこに怯えや恐怖を期待したのだ、その方がお楽しみに良い調味料になろうと言うものだ。
だがその目には怯えも怒りも焦りもなく無関心があるだけだった、この女は何か別の事に気を取られていた、それに気付いた時に背筋が寒くなる。
そう言えば先程の馬鹿げた大声の主がこの女ならわざわざ俺たちを呼び寄せた事になる、それにまともな人間にあんな大声が出せるだろうか?今更ながらに女を警戒し始めた。
アマンダは更に温泉の真ん中に動き、胸を腕で隠してうつむき加減になる。
盗賊達はますますその様子に喜んだ。
「力ずくで引きずりだそうぜ!!」
そして盗賊のリーダーが何かを言いかける。
アマンダはその瞬間を待っていた、盗賊達が小さな温泉に不用意に近づくその瞬間を。
盗賊達がアマンダに群がり襲い掛かったその瞬間に温泉が爆発した、それは爆発と例えるしか無い。
轟音と共に間欠泉の様に温水が真上に噴出し巨大な水柱が生まれた、それは霧散して霧と化しあたりに小さな虹がかかる。
盗賊団のリーダーは霧が妙に生暖かいと感じた、そして部下達は皆んな目を見開いていた、何事かと泉を良く見ると泉の水が無くなりあの女の姿も消えていた。
「あっ?」
泉から離れていた少女が最初にそれに気づいた、地面を後ろ向きに這い進んでいたおかげで空が良く見えたのだ。
泉の中にいた美しい女性は空にいた、教会の尖塔よりも遥かに高い空を舞っている、炎の様に燃え立つような赤毛と、見事な均整の取れた肉体は何も身につけていなかった、無駄の無い鍛え抜かれた、それでいて美しい四肢と大きな胸と質感のある腰そして雪の様な白い肌、それが青い空を背景にして少女の目を射抜く。
赤い髪の赤、白い肌の白、そしてテレーゼの抜けるような空の青、絶妙な調和を感じさせる配色に舞い踊る天女が降臨したかの様な優雅な姿形。
そして盗賊達も気づいた。
彼らは頭の上にとてつもない何かを感じていた、巨大な怪物がそこにいるかのような圧力だ、その直後に鋭い閃光が放たれる、彼らは慌てて空を見上げる。
だが強烈な逆光で何も見えない、光を背景に黒い人の影だけが彼らに見える総てだった。
泉を取り囲んでいた全員が太陽の逆光で何も見えなくなるはずがない、ありえないはずの超自然現象に彼らが気が付く機会は永遠に来ない。
少女はその力強くも美しいその女性の裸体に魅了されていた。
(女ってこんなに綺麗だったんだ、天女様みたいだ)
もし男達に彼女の姿が見えていたらどれだけ眼福だった事だろう、だが神は死にゆく彼らに最後の慈悲すら与えるつもりはなかったのだ。
「くそ、なんだこの光は!!」
盗賊達がうろたえ叫んでいる、そして思わず数歩後ろに下がった。
赤毛の天女は落下を始めていた、位置エネルギーを運動エネルギーにそれを旋回運動にかえ精霊力を上乗せしていく、そして少女は見たその美しい女性の肉体は鍛え抜かれてるだけではない、信じられぬほど柔らかいと。
そして閃光が消えると光が反転する、巨大な太陽が生まれたかの様に頭上にいる何者かを光が覆い隠した。
「目が!!何も見えねえ!!」
盗賊たちは更に慌てふためく。
少女の視界の中で、天空の赤毛の天女の双脚が展開しやがて死神の大鎌の様に旋回しはじめた、総てを刈り取る死の旋風が盗賊達に頭上から襲い掛かる。
盗賊達は眩しいまでの輝きの向こうで、白い人影がコマの様に回転し加速していくのを凍りついたまま見上げる事しかできなかった。
そして精霊力が爆発する、それを盗賊達と少女は理解し難い圧倒的な存在圧として感じ取っていた、それが彼らから思考力を奪い去る。
盗賊共は見えない糸に操られる傀儡人形の様にふらふらと泉に集まり始めた。
赤毛の天女の高速回転する体幹が原初の螺旋の力に連なる命の始まりと終わりの流渦を生み出していた、盗賊達は回転する渦の中心に命の原初に回帰して行くかのように引き寄せられていく。
情欲と欲望と怒りに歪んだ彼らの顔が子供のような無垢な表情に変わっていった、どこか遠い美しい世界を見ているかのように。
そして総ては一瞬で終わる、彼らが最後に見たのは美しい凶器と化して旋回する女の長く美しく強靭な足の白き肌の色だった。
最後に神は盗賊達に僅かな慈悲を与えたもうた、そしてそれが彼らのこの世の見納めとなる。
盗賊達はアマンダの双脚に鎧兜ごと激砕され林の遥か彼方に吹き飛ばされて瞬時に岩場から姿を消していた、彼らは輪廻の彼方に飛んでいったのだ。
そして赤毛の天女は空になった泉に仁王立ちになり辺りを睥睨していた、泉の水は総て気化し霧と化して辺りは温かい湿った空気に包まれていた。
少女はその赤毛の天女の姿に拳の聖女の姿を重ねていた、少女も強烈な精霊力の洗礼を受けていたのだ、あられもない姿?はしたない姿?そんな気持ちは微塵もなくただただ尊かった、少女はいつのまにか跪いて祈りを全裸の赤毛の天女に捧げていた。
「この特殊な大技を使ったのは初めてね…これは聖霊拳の上達者それも…」
赤毛の天女は小さな声で呟いていた。
盗賊達を一蹴した赤毛の天女は手早く服を身にまとって行く、そこに少女は恐る恐る近づいて行く。
「お助けいただいてありがとうございました」
「いいのよ無事だったようね、彼奴等の仲間は他にいるのかしら?」
「わかりません、あいつらの仲間はもういないと思ってたんです、領主様も村の自警団の人もこのあたりは狩り尽くしたと言っていたのに」
「それならば良いのだけれど」
「お礼をしたいので村に来ていただけませんか?」
「私は先を急いでいるので行かねばなりません」
少女は残念そうだ、そして心を決めたのか真っ直ぐアマンダの瞳を見つめる。
「やはり貴女様は拳の聖女様ではありませんか?さっきのは聖霊拳でしょ」
身なりを整えた赤毛の天女は薄汚れた灰色のローブを纏う。
そして最後に大きな薬箱を背負った。
「まさか私は只の旅の薬売りですわ、でも聖霊拳はその通りです」
聖霊拳の拳士を名乗った時に女性の顔に僅かに得意げな色が流れたのを少女は見逃なさかった、それがとても可愛らしいとさえ少女は思った。
「まあ!!やっぱり貴女は拳の聖女様です、お助けいただいてありがとうございました!!」
少女は笑みを浮かべ深くお辞儀をして改めて礼を述べた。
それを微笑ましく見下ろしていた旅の薬売りは何かを思いついたのか薬箱をまた降ろした、そして戸棚の一つを開けると芋飴を取り出して少女に与えた、まだ幼さが抜けきっていない少女は貴重な甘味をもらって喜ぶ。
旅の薬売が憧れる大聖女候補のアンネリーゼの二つ名の一つが『拳の聖女』だった、そう呼ばれるのは恥ずかしかったが内心嬉しくもある。
「では、そろそろ私は行かねばなりません」
旅の薬売りは時々少女を振り返りながら街道を北西に進んで行く、少女は手を振って彼女を見送っていたが。
「あ、お名前を聞くのをわすれていました!」
「只の旅の薬売りですわ!!名乗る程の者ではありません」
旅の薬売りは大きな声を上げると手をふり返した。
「さようなら、旅の薬売り様~」
少女の声に見送られてアマンダはマドニエに抜ける間道を進んでいく、すべては順調だった。
「あっ、わたしはリーゼです~」
遥か後ろで少女の声がしたがはたしてそれは旅の薬売りに聞こえただろうか。
アラセナ城の執務室に運び込む道具を見積もったカルメラはエステーベ屋敷に一度戻ってから、数人の従者とともに再びアラセナ城に登城していた。
「お嬢様この荷物は置くだけでよろしいのですか?」
「ええ、魔術関係の道具や本ですのよ、私が扱わなければならないの」
エステーベの従者達がカルメラの荷物を詰めた木箱を執務室の床に置いていく、従者達もそれを心得ていたのか何も言わずに作業を進める。
「ご苦労さま、夕方迎えをお願いね」
「かしこまりました」
荷物を執務室に運び込んだエステーベの従者達が引き上げていく。
カルメラはさっそく荷物の封を解きはじめた。
「お姉さまは今頃どこにいるのかしら?」
ふとため息をついた、アマンダとは久しぶりに会えたのにまた旅に出てしまったのだから、姉の様に旅ができたら良いのにと少し羨ましく思う。
するとどこからともなく誰かが大声で喚く様な声が聞こえて来た。
「何かしら?」
カルメラは興味が湧いたので声の在処を確かめようと廊下に出た、すると上の階につながる階段からその騒ぎが聞こえてくる。
好奇心に負けたカルメラは四階に昇って行く、その声は更に大きくなっていく。
「我はアラセナ伯爵であるぞ、テレーゼに正義の旗を打ち立てるのだ!!!」
貴族の服装をしているのにも関わらず、貧相さを免れない初老の男がその体格から信じられぬ程の凄まじい大音声を上げていた、カルメラが思わず両手で耳を塞ぎたくなる程の大声だ。
その男の周囲には、父のエリセオやクエスタ家の棟梁のブラスまでもがいる、周囲を頑健な武人達が囲んでいる、中には知った顔も多かった。
「お父様!?これはいったい?」
エリセオが娘に気がついた。
「カルメラか仕事の邪魔をしてしまったな」
ブラスもカルメラに気がついて苦笑いを浮かべた。
「カルメラ嬢、このお方がアラセナ伯爵家の最後の生き残りだ」
「本当なのですか?ブラス様」
「さあな」
「えっ!?」
エリセオが困った様な顔をして補足した。
「アマンダがリネインで見つけた気の触れた老人さ、それを密偵に連れてこさせた、しばらくはアラセナ伯の生き残りを遺臣達が復帰させた事にするのさ、おそかれ早かればれるだろうが、しばらく表向きはこれで押し通すさ」
「ではこの方はアラセナ伯爵家の生き残りではないのかしら?」
「伯爵一族は僭称伯と傭兵団に滅ぼされたが、遠縁の者が生き残っていないとは断言できない、そこが付け目だ」
ブラスが疲れた様にエリセオの後を継いだ。
「テレーゼの王室を復興させるのだ、我ぞ忠臣なり今こそ忠義の力を見せるのだ!者共馬を引けい!!ハイネをめざすのだぁぁぁあ!!!」
アラセナ伯爵は人間とは思えない大音声を上げた、またカルメラは両耳を手の平で塞いだ。
「しかし煩い、これでは仕事の邪魔だ、エリセオこいつをどこか別の場所に移そう」
「たしかに城下の館をあてがおうか?」
「そうだな、重臣の館がまだ残ってるはずだ」
ブラスとエリセオはさっそくアラセナ伯の新居について相談を始めた。
カルメラはアマンダの土産話がこの様な結末になっていた事に驚いていた。