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アマンダ西に征く

 今日もまた新しい陽がアラセナに昇る、アラセナ城市のエステーベ館のエントランスの前に薬の行商人の姿に再び身をやつしたアマンダが立っていた。

まだ朝も早いと言うのに彼女を見送るために父のエリセオとカルメラと数人の使用人が集まっている。


「ではいってきますわ、お父様、カルメラ、後の事はたのみました」

アマンダはとても上機嫌でどこか浮ついている様子だ、まるでハイキングに出かける子供の様にカルメラには感じられた。


「アマンダ、いくらお前でも不覚を取る事もあろう、慢心するなよ」

父のエリセオが旅立つ娘に釘を刺す。


アマンダはふりかえりながら手を振り市街を北に向かって歩き始める、今回は馬を使わない旅になった、彼女はアラセナの北を通るグラビエ湖沼地帯からマドニエの南に抜ける山の中の間道を使いリネインを目指す予定だ。

普通の旅ならば西のマルセナ峠を抜けてリネインまで三日近くかかる行程だが、間道を使いアマンダの健脚で僅か二日で通り抜ける。


朝靄の中にアマンダの後ろ姿がどんどんと遠くなって行く。


「お姉さまずいぶんはしゃいでいましたわね」

カルメラは少し恰幅の良い父のエリセオを見上げる。


「殿下とお会いできるのが嬉しいのさ、あと屋敷にいるのが性に会わないのだアイツは」

どこか困ったような苦笑をエリセオは浮かべたが、娘のアマンダへの愛情は隠せなかった。


「そうでございますわね」

カルメラはどんどん遠くなる姉の後ろ姿をしばらく追っていた。


「お前には城で働いてもらう事になったのは知っているな」

エリセオも娘の後ろ姿を追っていたが、急にカルメラに話かけてくる。


「そう伺っておりますわ」

「この後登城するが、ついでにお前の私室と執務室を見せるのでついてきなさい、早いほうがいいだろう今日中に引っ越しの準備をするように」

「私お城にすむのでしょうか?お父様」

「普段は館から通いでいい、必要に応じて城に詰めてもらう事になるさ」

事情を察したカルメラは頷いた。


「わかりましたわ、さっそく準備をいたします」







エステーベ家当主エリセオとカルメラは数人の護衛を伴いアラセナ城に向かう、短い距離だがわざわざ馬車を使った。

アラセナは落ち着きを取り戻していたが、未だ予断は許されなかった、前支配者が愚かだったとは言え彼らが侵略者である事は変わらない。

面倒だと思うがすべては安全のためと執事長が説明してくれた。


「私の為に部屋を用意していただき恐縮ですわ」

「いや、万が一の為に皆んなの部屋を用意してあるのだよ、エミリオやアマンダの部屋もあるぞ」


「まあ、もしやベルちゃんの部屋もあるのかしら?」

「あるよ衣装棚や化粧台もちゃんと運び込まれていたね」

「あらまあ、残して置いたのね、でもなぜお城にはこびこんでしまったのかしら?」

「家と同じでクラスタ館が手狭なのさ、普段いないんだから城のベルの部屋に置いておこうと言うわけさ」

「まあ、あの娘帰ってきても居場所が無いのね…」

カルメラは少し憐れむような風情だがどこか楽しげだった。


「立派なお城ですわ」

カルメラが馬車の窓からアラセナ城を見上げた。


アラセナ城はアラセナ市街に隣接した丘の上に聳え立っていた、だがアラセナ市には取り囲む城壁が無かった。


アラセナ伯爵領は周囲を山地に囲まれた天然の要害の地で、幾つかの拠点を抑えると少ない兵で敵を防ぐ事ができる、そのためアラセナ市を城壁で囲わず、峠を封鎖してアラセナ全体を守る、峠が破られた時点で街を取り囲む長大な城壁があっても必要な戦力が残っているとは思えなかった。

それならば街を囲む城壁は初めから不要と見切り、街を放棄してアラセナ城で闘う戦略を採ったと思われていた、これは歴代のアラセナ伯家の戦略をブラス達が推察した答えだ。


「おっと着いた」

馬車が城の跳ね橋を渡る轟音でエリセオは城に着いた事を悟る。


城はいびつな五角形で角に尖塔が建てられていたが、その中でも北側の二本の尖塔がひときわ大きかった、城の城壁の周囲は空堀になっていて往来は大門の跳ね橋が担っている。

馬車はアラセナ城の大門を潜り隔壁に囲まれたエントランスに乗り入れた、城は居住性よりも軍事的な機能を重視した作りだ、その外壁に囲まれた内部に旧伯爵の館があった。

館は外壁と一体で建てられ高さは四階建てだ、館に隣り合うようにアラセナの領政を担う庁舎がある、さらに兵舎や倉庫などが狭苦しい空間に詰め込まれていた。


カルメラはまず館の中を父に案内されながら廻った、二人の後から従者が二人着いてくる。

各部屋の扉にはその主の名前の札がかかっていた、アマンダやベルサーレの名前もある。

カルメラは三階に私室をあてがわれていた、中を見せてもらったが部屋の中にはまったく何も無い。


「次はお前の執務室に案内するよ」

「楽しみかしら」

「普段は隣の役所に出勤してもらう」


三階には隣の役所に抜ける通路がある、領主の私的空間と公的空間を隔てる頑丈な扉で仕切られていたが、その扉は今は解放されていた。


「お前がすぐに向こうに行けるように三階の部屋をわり当ててもらった」


庁舎に入ると厳粛な空気が漂う、カルメラの執務室は渡ってすぐの処にあった、部屋の中は古びた机と革張りの椅子、それに空の本棚が設置されていた。

部屋の隅には小さな棚がありその上に精霊通信盤が置いてある。


「まあ精霊通信盤ですわね?」

「公務ではこれを使ってもらう事になる」

「…そうですわね」

「他を見せておこう」

エリセオに促され城の見学を行う。


一階が大広間で二階に領主の謁見の間があった、3~4階は行政機関や旧領主の執務室に割り当てられている。


「最後に塔に登ろうか、素晴らしい眺望だよ」

エリセオは外壁と一体化した大きな尖塔の中にカルメラを誘う、塔の内側の螺旋階段を登ると頑丈な木製の階段が軋んで音を立てた。

恰幅の良いエリセオは階段を登ると汗を書いた、従者が布を手渡すとそれで汗を拭う。

やがて尖塔の最上階に到達した。


そこから眼下にアラセナの街を見下ろせる、よく見ると焼け落ちた家の跡がいくつか見える、無血占領したと聞いていたがまったく無傷では無かった様だ、昨日は馬車から見落としていたらしい。

そして遥か先に南エスタニア山脈が見える、その麓まで美しい整備された田園がどこまでも広がっていた。

美しい眺望だが、実際は深刻な危機が迫っていたと言う、もし傭兵団の暴政が後2~3年続いたら、美しい豊かな土地は荒廃していたと。


「この方向が我がエステーベの新しい領地さ」


カルメラは新しい領地の掌握に忙しくここにはいない兄に思いをはせる、そしてふと反対側をみたくなった。

塔の北側に廻るとエドナ山塊が見える、そしてこちらは丘の下まで農地が広がっていた、田園を細い道が縫い所々に小さな集落も見える。


(お姉さまはあの道のどこかにいるのかしら?)


ふとエルニアはどっちの方向だろうか気になり遠くを見つめた。


「カルメラ、エルニアのエステーベの領地はだいたいこの方向だよ」


カルメラの心を読んだのだろうかエリセオは北東の空を指差した。








アマンダは薬の行商人に姿をやつし力強く歩を進めていた。

今日中にアラセナを抜けてマドニエ近くで野宿をする予定だった、翌日そこから一気にリネインまで進む。


その間道の途中に温泉があるらしい、それは世界を旅する聖霊教の修道士からの情報だ、前回は急いでいたためそれを探す余裕は無かったが今回はそれを楽しみにしていた。


アマンダはエスタニア百秘湯を制覇する夢を抱いていたが、温泉はそれだけではない、機会があればすべてそれを堪能したかった。

もともとエスタニア全土を旅してそれらの記録を纏めた本を出すのが夢だったがそれは叶わぬ夢だ。

身分と立場がある、今まではせいぜいエルニア各地の温泉を機会を見つけて嗜むことしかできなかった、そのうえルディガー公子の護衛などで最近までエルニアの温泉すら行っていない。

だが今その夢の一部がかなおうとしている。


隣国とはいえエルニアの外の温泉を嗜む機会を得られたのだ、これからはそういった機会も更に増えるだろう、まずはアラセナ領内の温泉をすべて制覇しようと決意していた。


ふとアマンダは左手側を眺める、そこからアラセナ盆地を見下ろす事ができた。

アラセナ城もはるか後方に見えている。


「そろそろ峠ね」

この先の峠にはクラスタの兵が監視に配されている、その先はマルセナ領となる。






その林の中の岩場に小さな泉があった、そこからは木々の隙間からエドナ山塊を仰ぎ見る事ができる。

空は青く晴れ渡り午後の木漏れ日が岩場に落ちていた。

その泉は変哲も無い小さな泉に見えるが、水草も無く底の岩まで見通す事ができた、そして僅かに湯けむりが漂っている。


「あったわ!!」


森の下草や藪をかき分ける音が途絶えると、若い女性のはずんだ声が森に響いた。


「街道からかなり外れていたわね」


藪の中から薬の行商人姿のアマンダが現れた。


彼女は指先を湯に付ける、温度を確かめると臭いをかぎ指先を舐めた。

そして満足して破顔した。


背中の大きな薬箱を下ろすと、まず薬箱から方位磁石を取り出し方位を確認する、そして周囲を観察すると奇妙な仕草で一礼する。

そしておもむろに服を脱ぎ初めた、服は丁寧に折りたたみ積み上げていく、それは不思議と気品に満ち芸術的なまでに美しい所作だ、そこには確かな美がある、それはアマンダの裸体の美しさと絶妙なハーモニーを奏でた。


聖霊拳とそれが理想とする肉体美、聖霊教が大昔に取り込んだエスタニアの山岳宗教と秘湯信仰は深いところで融合しつながっている。

アマンダは体を清めると、作法にしたがい完璧な所作で湯に浸かる。


温泉とは聖域であり入浴は芸術でありアマンダはその道の求道者だった。


湯に浸かりリラックスしたアマンダは昔の事を思い出す、一緒に温泉に遊びに行ったベルが湯船にいきなり飛び込むと言う暴虐なる振る舞いをした事を思い出していた。

アマンダが小さく吹き出した、あの時のアマンダは怒りのあまりベルに制裁を加えたのだ、それを思い出してつい笑ってしまう、アマンダも成長しおおらかで寛容になった、今なら秘湯でもなければそれほど怒る事もないだろう。


「せっかくの温泉なのに、ウフフ」


アマンダは肩まで湯に浸かり体をくつろげて休む、そして森のざわめきと鳥の声に心を休めた。


突然アマンダの目が見開かれその顔が険しく豹変する、それは闘う者の顔だった。

彼女から精霊力がみなぎり温泉の湯けむりが激しくかき乱される、いったい何が起きたのだろうか?


しばらくは何も起きなかった、だが遠くから若い女性の叫び声が聞こえてくる。

アマンダは困惑した表情を浮かべていた、何が起きているのか確認したい、助けに生きたいが状況が状況だった、だが自分の身が心配なわけではない、聖霊拳の上達者にとって全裸とは拘束の無い最強の姿形(モード)なのだ。


『肉体こそ最強の武器、肉体こそ最強の防具』


そんな聖霊拳の有名な言葉がある。


助けを呼ぶ若い女性の叫びと醜い男達の下卑た嗤いと装備が鳴る音がどんどんこちらに近づいて来る、アマンダは覚悟を決めた。

こちらから行けないなら向こうから来てもらえば良いのだ。


「こっちにきなさい!!!」


精霊力に乗せた彼女の声は四キロ四方に届くかと思うほどよく通り響く、驚いた鳥たちが一斉に羽ばたき空に舞った。








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