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テレーゼの夕暮れ

 ベルは大きな麻袋を両手にぶら下げて森の中の道なき道を進んで行く、だが彼女の本能が進むべき正しい方角を一直線に示していた。


ハイネから十キロ近く離れたその付近は深い森だ、テレーゼ全盛期はこのあたりも豊かな田園地帯だったと修道女見習いのファンニがベルに教えてくれた、もっともそれもセナ村の古老の受け売りだったが。

ベルは静かに炭焼小屋に接近すると精霊力を僅かに解放した。


「アゼルさん誰かいます!」

炭焼き小屋のなかで音がすると半分寝ぼけた様なコッキーの声が聞こえてくる。

「ベル嬢でしょうか?」

アゼルの声も聞こえてきた。

「ベルさんです、わかりやすい様に力を出しているのです」


そのまま藪をかき分けて炭焼小屋の扉に近づく。

「ベルさんですか?」

中からコッキーの声がすると扉が開く、コッキーは右手に木の棒を握っていた、不審人物ならば情け容赦なく叩くつもりだったに違いない。


「僕だよ、二人共何もなかった?」

ベルは炭焼小屋に入ると大きな麻袋を二つ床に降ろした。


「だいじょうぶです、でもお腹がへりました」

「ハイネで食べるもの買ってくれば良かったかな」

ベルはつぶやきながら背嚢を下ろすと精霊通信盤と備品の袋を取り出しアゼルに渡す、アゼルはそれを受け取るとさっそく中を確認した。


アゼルは中身を確認すると満足した様にベルを見つめた。

「問題ありません、早く新しい送信先のコードを向こうに教えなければ、省略記号のメモも接収されてしまいましたからね」

ベルはその意味を即剤に理解した、暗号表がばれたのと同じだと、調べればこちらの素性を探るヒントにもなり得る。


「きのうの通信も知られたのでしょうか?」

コッキーも昨晩の通信が傍受された可能性に気づいた様だ。


「たしかに向こうからの通信がジンバーに傍受された可能性があります」

アゼルは精霊通信盤の設置を手早く進めていく。


「ここに触媒を置いておくね」

ベルは背嚢から触媒の小袋を取り出し積み上げていく、それを横目にみたアゼルが大きく安堵した。

「これで木偶の坊から卒業ですよ」

アゼルは手を休めると触媒の小袋を確認し始めた。


「ベル貴方は触媒の上に精霊通信盤を入れましたね?触媒の一部が潰れていますよ」


ベルは首をすくめただけで大きな麻袋をすべて開き始めた、中から背嚢やら袋が幾つか出て来た。

「これが二人の背嚢だよ小さいけど我慢して、これはアゼルの服と下着、こっちがコッキーの服と下着」

アゼルは自分の袋を受け取るとさっそく炭焼小屋から出て外で着替えを初めた。


「あとこれはコッキーの新しい服」

袋の中を調べていたコッキーがベルの最後の言葉に顔を上げてベルの手元を見た。

それは濃いコバルトブルーに染められたワンピースだ、高級品とは言い難いが裕福な町人を相手にしているセゾン=ジャンヌの既製品で良い仕立ての服だった。


コッキーはワンピースに魅入られたように固まり動かなくなる、そしてため息を吐き出す。


「これを私にですか?ベルさん…私は青が好きなのですよ、こんなきれいな青い服を着てみたかったのです」

なぜか彼女は涙を流していた。


「これはテレーゼの青」

コッキーの口からふと言葉が漏れた。


「そういえばテレーゼの国旗の色とおんなじだね」

ベルはセゾン=ジャンヌに飾られていたタスペトリーの色に惹かれてこの服を買ってしまった事を思い出す。


「そうだったのですか!?知りませんでした」

コッキーが驚いた様に叫ぶとベルは不思議そうな顔をして小首を傾げる。

「コッキーこの色をテレーゼの青と言うの?」

「あの、知りませんでした、なんとなく口から出てきてしまったのです、大切に着ますありがとです」

コッキーはその青いワンピースを見つめていたが、同じ袋から出てきた黒い使用人ドレスに目が行く。


「ベルさんその黒いドレス直したんですね、そのドレスが一番似合いますよ」

「ん?その服を買ったところで修繕したんだよ」

ベルは黒と白のコントラストが美しく少し古めの上品なデザインの高級使用人ドレスを掲げて満足そうにしばらく眺めていた。


「そうだアゼル!」

ベルが突然何かを思い出したようにアゼルを探し始めた、そこに着替を終えたアゼルが炭焼小屋に戻って来る。

「ねえ、この髪の色元に戻せないかな?」

「変装はもう良いのですか?」

「…うん、これは悪目立ちしすぎ」


アゼルの表情が微妙に変わった彼も不自然だと思っていたに違いない。

「今は必要最低限の触媒しかありません、明日ゲーラあたりで買い足しますのでその時に」

ベルは少し落胆したが気を取り直す。

アゼルはローブの内側に触媒の小袋を収めていく。

「これでとりあえず魔術の使用が可能になりました、落ち着いたら触媒の整理が必要です、このままでは使用済み触媒と混ざってしまいます」

魔術が使えなかった不安から開放されたアゼルは久しぶりに笑顔をみせていた。


「ルディ達が心配するから僕はそろそろ向こうに行ってくる、夕飯を作ってもらってまた戻るよ」

「お手数かけますねベル」

「ありがとうなのです、ルディさん達にもそう伝えてください」


ベルは二人に手を軽くふるとさっそくサビーナな達が隠れ住む廃屋に向かう、かなり離れているがベルには苦にもならない距離だ。






ベルの視界に廃屋の屋根が見えてきた、地図のない見慣れぬ森の廃屋だが確実にたどり着いた、ベルの直感的な方向感覚は人間の域を完全に越えていた。

静かに廃屋に接近すると完全に封じ込んでいた精霊力を解放していく。

「ベルだな?驚いたぞ」

廃屋の外で見張りをしていたルディがベルの力に気づいて立ち上がる。


「ただいま…」

ルディに急いで寄ると耳元に口を寄せる。

「サビーナは?」

「サビーナ殿はまだ落ち込んでおられる」

「明日の引っ越しは大丈夫かな?」

「荷物は最小限しか開いていない、明日の朝運んでいくだけで良い」


廃屋は静かだが時々子供達の声がする、まだ油断できないから騒がないように言い含めているのだ、やがて包を持ったファンニがやってきた。


「ベルちゃんおかえりなさい、アゼルさん達の食事ができましたよ」

立ち上がろうとしたベルを制するとルディはファンニから荷物を受け取った。

「ベルは休んでくれ、今度は俺が向こうに行ってくる、留守番を頼む」

そして森の中に消えていった。


陽も傾き静かに夜が近づいている。










アラセナ盆地に夜が近づいて来る、陽が西のマルセナ山地に沈もうとしていた。

カルメラはアラセナ城下のクラスタ屋敷に到着しそのまま客となりアナベルと歓談を楽しんでいた。


「カルメラ様エステーベからお迎えがまいりました」

クラスタ家の執事が寛いでいた夫人とカルメラに告げる、一行がアラセナ到着と同時にエステーベ館に知らせが行っていたのだ。


「アナベル様お部屋の用意がととのいました」

更に女性の使用人が報告にやって来た。


カルメラはソファから立ち上がるとアナベルに別れの挨拶を告げる。

「ではアナベル様、私はこれにてお(イトマ)いたしますわ」


「今度はお屋敷が近いからいつでも会えますわね、うふふ」

アナベルが花の様に笑う。

カルメラはその少女のように見えるアナベル夫人に密かに戦慄したが顔には表さない。

カルメラは内心困惑しながら満面の笑みでそれに応じた。

「はい、たのしみですわ」


アナベルはカルメラをエントランスまで見送ってくれた。

外にはエステーベの執事と小者5人が待っている、馬車からカルメラの荷物を下ろすとそのまま背負って運んでいった。


エステーベの館はそこから見えるほどの距離だ、カルメラはテクテクと執事の後をついていく。

北の方向がふと気になる、そこには壮大なアラセナ城が夕日を浴びていた、馬車から城を見たがこうして地に足を付けて見るとその大きさがよく分かる。


城はアラセナの行政の中心としてクラスタとエステーベの共同統治とされた、そして有事の際には城にこもる事になる。


クラスタもエステーベもいずれは領地に本邸を構え、アラセナ城下に別邸を建てる予定だ、だがしばらくは城下の接収したアラセナ伯の重臣達の館を使う、いずれにしろアナベルが言った通りに両家はご近所どうしとなる。


すぐにエステーベ館が目の前になる、その館の印象はとにかく小さかった、グラビエの館よりは大きいがエルニア公国のエステーベ領の館と比べると大きく見劣りした。


「あらまあ、小さいわね」

「お嬢様、アラセナ伯の重臣の館だったので手狭かもしれません、お屋形様はいずれ大きな屋敷をつくられる予定です」

若い執事が言葉を添えた。


「お父様はいらっしゃるのかしら?」

「お嬢様、御屋形様はお城でお勤めで不在でございます」

「わかったわ、そうだお姉さまは?」

「アマンダ様でしたらカルメラ様をお持ちです」

「私を持っている?もしかしてまた…」

カルメラが考え込む間に館に付いてしまった。


カルメラは自分にあてがわれた部屋に案内される、部屋はグラビエの館の部屋と大差ない狭い部屋で、使用人の一人がカルメラの荷物を開封し中の物をしかるべき場所に収納していく。

別の使用人に助けられながら普段着のドレスに着替えると慌ただしく姉が待つ居間に案内された、初めての館なので案内が必要なのだ。


「カルメラ久しぶりね、十日ぶりかしら?」

ドアを開けるとソファでだらしなくくつろぐアマンダがいた、立ち上がりもせずに座りなさいと手招きをしている。

「そのくらいかしらね」


「私はテレーゼに行かなければなりません」

カルメラが座るとアマンダはいきなり結論から切り出す、それでも少しアマンダは改まっていた、プライベートではぐうたらになる姉だがルディガーに関わる話になると改まるのだ。


「状況が変わったからかしら?」

「ええアラセナが私達のものになったからよ」

「殿下をここにお招きするのかしら?」

「父上達はそのおつもりですし私もご帰還を説得します、その前に殿下達が今どこにいるか正確な場所を知りたいのよ、ハイネは広いわ」


「セナに行くと連絡がありましたわ、三~四日前の事ですけど」

「聞いているけど地名なのか宿の名前なのかわからないわ、それにハイネの地図なんて無いのよ」

アマンダは悩んでいる様子だった。


そのときカルメラは大切な事を思い出す。

「そうですわ!まもなく日が暮れます精霊通信の準備をしないと!」

「そうね!!先にお願い」


カルメラは慌てて新しい自室に急ぎ足で向かった、魔術関連の荷物は開けられもせずに積み上げられたままだった。


荷物の一つを開けるといそいで豪華な精霊通信盤を取り出して組み立て始めた、カルメラに魔術師の才能がある事が判明したときに父のエリセオが大喜びで豪華な精霊通信盤を娘に買え与えた道具だった。

機能的には他と変わらないが盤面は樫製で貴金属の柱が使われた高価なものだ、制御用の水晶板も美しい一品で部屋の装飾品としても通用する魔術道具だった。


部屋の隅の小さな棚の上に設置すると、通信盤の窪みに砂を均等にしく、あとは精霊力を流して受信準備完了となる。

ほっと一息ついたカルメラはアマンダの待つ居間に戻っていった。



どのくらい時間がたっただろうか。


精霊通信盤の可愛らしい鈴が受信をつげ鳴り響く、だがそれを聞くものはこの部屋にはいない、しだいに砂の上に文字が現れてくる。


それを解読する者がいたならば以下の様な文である事がわかるだろう。


『CCリネイン行く』


僅か数文字の短い文字だ、CCは送信側コードの変更を意味する省略記号だ、制御用の水晶に残された送信者の記録から新しいコードがわかるのだ。


すでに部屋の外は日が落ちて夜の闇につつまれていた、アラセナ市街の僅かな灯が窓から射し込んで部屋を照らしていた。







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