ピッポファミリーの解散
ハイネの新市街の西の繁華街の安宿にも平等に朝はやってくる、窓から差し込む日射しがベッドの上で眠るリズの顔を照らした。
「おい起きろリズ」
マティアスがベッドの上で気持ちよさそうに眠っているリズを起こした。
そのベッドの上で寝ている怪しい女性はぱっと見で30代前半に見えた、髪は手入れがされておらず乱れ傷んでいる、ちゃんと洗っているのかわからない、触媒とお香の臭いがほんのりと漂ってくる。
唯一のオシャレとも言えない事も無い彼女の銀のモノクルは外されてベッド脇の小さな棚の上に置かれていた。
眼鏡をはずすと美女になるなんて奇跡が起こるはずも無く、知的成分が抜けてさらに締まりの無い顔になっていた、だが髪を整え肌を手入れすればずいぶんマシにはなりそうなのに残念すぎた。
マティアスはリズは見かけより年齢は若いのかもしれないと改めて思う。
だが早く起こさないと仕事に差し支えがある、リズは一度は彼女の家に帰らなければならないからだ。
「起きろリズ!」
マティアスはリズを強く揺すった、次第にまどろみ目覚め始めるて薄目を開けた。
「あれ、マティアス?ここどこ?」
リズが自分の置かれた状況を察して慌てて起き上がる。
「ああっ!!思い出したよ、おはようマティアス」
リズは照れたような恥ずかしそうに曖昧に笑った、棚の上の銀のモノクルに手をのばすとさっそくそれを付ける。
「朝飯を食ってから帰るか?」
「本当に助かる、ありがとうね…」
二人は一階の食堂に降りていく、この時間は早朝に旅立つ客のピークが過ぎた後のつかの間の静かな時間だった。
マティアスとリズが降りて来ても特に注意を払う者はいないが、マティアスをよく知っている宿の従業員達は二人に興味があるのか二人を様子見している。
リズはかなり残念な女性だが魔術師らしき風体なのでどう評価したら良いのかわからないのだろう。
二人のところに料理を運ぶ幸運な従業員は、妖しい女魔術師を良く見てやろうとやってくる。
「今日は彼女連れですか?」
「ひっ!!ええ、彼女だなんて…はは」
ビクついた様にリズは体を震わせると、身を縮めて曖昧などこか卑屈な笑いをうかべた。
給仕係の店員はリズの反応に微妙な顔をしたが、内心リズを見極めようとしているのは明らかだ。
その給仕係はそのまま厨房に引き上げて行く。
パンにひき肉料理を挟んだ朝食を二人は無言で食べ始める、しばらくするとリズがふと手を休めた。
「ごめんねえ、彼女に間違えられてさ」
マティアスはその言葉に胸を突かれた。
「気にするなよ、それよりも一人で帰れるか?送って行こうか」
「朝だからたぶん怖くない、それに一人で帰れるよ」
マティアスはひどい状態の彼女のアパートを見せたく無いのかもしれないと思った。
「俺は最初に赤髭団の方に顔を出さなきゃならない、昨晩のあの後のことだからな、正直行きたくない、葬式の様な空気だろうぜ」
「…7人殺られたんだっけ」
「そして一人頭がおかしくなった」
「馬鹿みたいに笑っていたわね」
「奴はブルーノの側近で赤髭団でただ一人文字の読み書きができる男だったんだ」
「思い出したらまた怖くなってきた」
「本当に一人で帰れるのか?」
「大丈夫よ?」
「俺は赤髭団に顔を出してからギルドに行く予定だ、俺は連絡役だからな」
食べ終わった二人は一度部屋に戻る。
「なあ昼間はいいとして大丈夫か?」
「んん?」
「また夜がくるだろ?」
「そうですよねー」
リズはまたヘラヘラと笑った。
二人は宿屋の前で別れる、リズはオンボロアパートへ帰る道を、マティアスは繁華街の赤髭団に向かう。
「ギルドでまた話そう」
「じゃああとでね」
リズは笑って手を振りながら西門に向かう大通りを東に進んでいく、それをしばらく見送ったマティアスは足取りも重く赤髭団に向かった。
マティアスの宿から『大酒飲みの赤髭』までそう遠くはない、この酒場の地下に赤髭団の事務所がある、階段を降りていくと不快な臭いがかすかに漂う、入り口の扉を叩くと若い男の声が返ってきた。
「誰だ?」
「マティアスだ!開けてくれ」
扉が開くと顔だけは知っている若い男が用心棒をしていた、以前用心棒をしていた首領のブルーノを二周り大きくした様な巨漢の用心棒はもう居ない。
腕を砕かれて草と木の塊に変わっていく大男の最後を思い出した、背筋に冷たい物が流れる。
「ブルーノはいるか?」
「いるが会わない方がいいぞ」
「荒れているのか?」
「ああ、見舞金を受け取った事で返って荒れているんだよ、金を貰ったらもう文句は言えないさ」
「なるほどな、だが会わなきゃならん、ジンバーとの連絡役を仰せつかったんだその挨拶に来た」
「あんたうちには入らないのか?」
「俺はそれでも良かったんだがな、事情が変わった、とにかくブルーノに挨拶してくるぜ」
マティアスは用心棒との雑談が長くなったと慌てる、雑談を打ち切って奥に進む事にした。
狭い通路を進むとブルーノの首領部屋の手前の狭いサロンに、ブルーノの情婦が二人煙草を吹かせていた、地下室で煙草を吸っているため異常に空気が悪くなっている。
二人はブルーノの部屋から追い出されたのだろうか?
(おれがここに入らなかったのはこれもあるんだよ)
内心で毒づきながサロンを横切った、二人の情婦の顔色は悪くイラツイているのが見た目にもわかる。
そして先程から他の団員の姿が見えない、たしかに8人失ったとは言え半分以上残っているはずだが人気が無かった。
ブルーノの部屋の前まで進むと恐る恐る扉を叩く、だが中から応答が無い。
思い切って扉を開けてみる。
扉を開けると中から強い酒の臭いとソムニの煙が吹き出してきた、マティアスはその臭いに立ちくらみを起こしかけた。
(くそ!!)
ランプで照らされた薄暗い部屋の中で、古びた悪趣味な派手なソファーをブルーノが占拠していた、目の前の低いテーブルの上には酒樽が数個転がっている。
ブルーノは酩酊状態で半分意識が無いようだがそれでも何か呟いていた。
「化け物、化け物野郎、騙しやがったなふざけやがって」
「だめだまた後日にするか…」
マティアスはふと赤髭団はもう終わりかもしれないとなんとなく感じ初めた。
その足で死霊のダンスに向かう、いつもと変わら無い『精霊王の息吹』の階段を降りる、そこはオレンジの魔術道具で照らされた広いギルドの作業場だった。
触媒臭いとはいえ赤髭団のアジトとは比較にならないほど空気が良い。
ギルマスのベドジフ=メトジェイの姿が見えない、さっそく階段に近いリズの席を見たがまだ彼女はいない、まだこちらには来ていない様だ。
迎えに行こうと思ったが彼女の住所をまだ聞いていなかった、教えたく無いのがあからさまだった。
しばらくすると階段を降りてくる軽い足音が聞こえてきた。
「いやあ少し遅れたかな?」
足音の主はリズだった、彼女もマティアスを見て少し驚いていたがどこか嬉しそうだ。
「リズ、家に入れたのか?」
話しかけられて彼女の体がビクリと震えた。
「うんなんとか入れた」
「そりゃよかったな、今晩は帰れるか?」
「いやあ、こわいかな、えへへ」
「なあ少しマシな処に引っ越せよ」
「お金が…」
「まあこの話しは昼飯の時に話そう」
マティアスは奥の作業机を占拠しているピッポの処に向かう。
「ピッポの旦那景気はどうだい?」
作業に没頭していたピッポは顔を上げてはじめてマティアスが近くにいた事に気づいた様だ。
「仕事が多くてたいへんですぞ?」
愚痴を言いながらもアマティアスを見上げたピッポは機嫌良さげに笑っていた。
ピッポはギルドにまだ雇われたわけではなく報酬は完全な歩合制だが、それでも予想外の収入になったと喜んでいた。
マティアスは声を顰めた。
「例の薬はどうなったんだい?」
「おかげさまで材料は全て揃いました、まことに残念ながら計画はメチャクチャになりましたがね」
更にマティアスは声を落とす。
「昨晩何が起きたか知っているか?」
「朝から慌ただしそうでしたが、やはり何かありましたか…」
「口止めされているから話せない」
「なんと!」
「あとなテオやジムと連絡がつかない、姉さんと旦那と俺でそれを含めて話しあおうぜ」
「二人と連絡がつかないと?そうですな、わかりましたテヘペロさんと連絡を取ります、近日中に話し合いをいたしましょう」
「よろしくな、俺はまたあちこち走りまわらなきゃならねー」
「マティアスさんお気をつけて」
「またな」
精霊王の息吹へ登る階段を目指す。
マティアスは出口でリズと軽く話すとそのまま階段を昇っていく、それを見送って作業台の上に目を戻した。
「さて、私もこれからの事を考える必要がありますな、良いお話が出ていますがどうしますか」
ピッポの作業台の上に一枚の手紙が合った、その裏には『セザール=バシュレ記念魔術研究所』と送り元が記されていた。
「ピッポファミリーも自然消滅ですかな」
普段胡散臭い表情を貼り付けていたこの男の顔は、感慨深げでどこかさみしげだった。
「おいどうした!?」
ゲーラ郊外で商隊から巧みに馬を盗み出したテオ=ブルースだが、南下を初めて2時間程で馬の様子が急変した、ふらふらとすると馬はいきなり道の真ん中に倒れてしまった。
それほど無理をさせたわけではないが、焦って居たのだろうかとテオは自問した。
馬を良く観察すると口から僅かに泡を吹いていた、馬はすでに死んでいる、しばらく呆然としていたが気を取り直し馬の鞍から荷物を取り外した。
街道を見渡すが他に旅人の姿は無かった、人通りの少ない街道を選んだことが裏目に出たようだ、馬車に便乗できる機会も無さそうだ。
とりあえず小さな背嚢から地図を取り出す、今いる場所はゲーラ南方でドルージュの廃墟との中間といったところだろう。
当初の予定ではドルージュを通過し南東のマルセナに抜ける街道を進み、途中にある小さな街で一泊する予定だった。
その後はアラセナから南エスタニア山脈を越えて、海岸地域のオルビア王国を目指すはずだった。
だがこれで計画をすべて組み替えなければならない。
地図を見るとドルージュから東に向かうマドニエに至る街道がある、マドニエはいぜん通ったリネインの南にある街だ、その中間地点に小さな村か町が記されていた、今いる道をしばらく進むと小さな村がある、そこから南東に向かう細い道を進むとその村に出る。
そこならば一泊できそうだった、ただし距離がそれなりにあるので急がなければならない。
テオは気持ちを切り替えてその村を目指そうと歩きだした、その足は気持ち急いでいた。
テオの道具箱の中でまた奇妙な音が鳴った、それは何かが呻くようなまるで異国の言葉のようなささやきだった。