テレーゼの青
ハイネの東の新市街を赤ワインの様な赤毛を三編みおさげにした修道女が駆け抜けていた、背嚢を背負っているせいでなおさら悪目立ちしている。
そんな不自然な髪色の修道女などベル以外にいるわけもなく、彼女はファンニから教えてもらった貸馬車屋を探していた、明日の引っ越し用の足を確保するためだ。
貸し馬車とは御者ごと馬車を雇い馬車はそのまま御者と共にハイネに帰るサービスで大都市ではそこそこ需要のある商売だ。
だが一見さんお断りの商売で、サビーナの修道女証がなければ利用できなかっただろう、更に馬車の借賃の上に御者の雇い賃に宿泊費や食費も料金に上積みされるかなり贅沢なサービスだ。
馬車を確保するとベルは空き家を見つけ無断で侵入した、彼女が出てきた時には野暮ったい田舎娘に変わっていた。
次はハイネの旧市街の東南の小城門を抜けて旧市街に向かう。
「まずはアゼルの注文から」
ベルは独り言を呟くと魔術街に向かった、周囲の人の流れに気をくばり慎重に行動しなくてはならなかった、ここは敵の本拠も近い。
アゼルが指定した魔術道具屋を探す、そこで触媒の購入だけで一時間近く費やしてしまう、触媒の小袋を大量に買い込みアゼルが指定した中古の精霊通信盤を買った、それらを背嚢に詰め込んでいる処を店番の若い魔術師が呆れた顔で眺めていた。
「さてもうお昼か…」
ベルはさっそく馴染みの屋台に向かう、中央広場から100メートルほど西に向かった辺から良い匂いが漂ってくる。
そこはテレーゼの名物料理をアレンジした食事を売っている屋台が出ていた。
そこの屋台の四角いパンの間に細切れにした芋や玉ねぎや挽き肉などに火を通した具を挟んだテレーゼの名物料理をベルはたいそう気に入っていた。
「おじさんこんにちわー」
屋台のまだ若い店主に声をかける。
「んん?お前鼻トウガラシ娘じゃないか!?なんだその髪の色は」
男は胡散臭げにベルを見てから驚いた。
「また気分を変えたんだよ」
「今度は髪を染めたのか?お前来る度に格好が変わるな?だいたい赤ワインみたいな赤毛なんて不自然だぞ、まあいいや注文はなんだい?」
いつもと同じ料理を注文すると小銭を支払う、そして調理を始めた男に話しかけた。
「ねえ、なんか面白い話無い?」
「またかよ?そうだな北のグディムカルの内戦が終わったのをお前も聞いただろ?」
ベルは記憶を探るとそんな話を気いたような気がした。
「とんでもない強い戦士が皇太子陣営に加わったそうだな、20年続いた内戦があっと言う間にケリがついたらしい」
「ふーん、あっと言う間だったの?」
「内戦が終わるのとそいつの噂が同時に流れてくるんだぞ、俺もこれ以上詳しい話は俺は知らんがな、外国の話だからな」
ベルはその話に強く興味を惹かれた。
「名前とかもしらないんだね?」
「聞いてねーな、本当ならすぐに鳴り響いてくるだろ」
「ところでお前は何かあるのか?」
「南の聖霊教会が火事になったらしいけど、おじさん知ってる?」
おじさんの一言で微妙に店主の眉が震えた、ベルは気がついたがお構いなしだ。
「小さな教会があったなそれが燃えたんか?初耳だぞ」
「まだ知られていないんだね」
「火事の原因は知っているのか?」
「知らない」
ベルはさり気なくとぼけた。
「最近犯罪が増えているからな、放火じゃなきゃいいが」
まさか聖霊教会に放火した本人が目の前にいるとは屋台の店主も思うまい、その間に料理が完成したので木の皿に乗せてベルの方に突き出してきた。
「できたぞお嬢さん、慌てずに食べろよカラシが効いてる」
ベルは木の皿の上の料理を掴み取ると齧りついた。
食事の後は修理に出した小間使いのドレスを受け取りに『メゾン・ジャンヌ』に向かう。
場所は魔術街の東側の通りにある小さな商店街だ、仕立て屋の入り口に洒落た看板が下げられているのですぐに見つかった。
ここは婦人服の専門店で仕立ての注文や修繕なども行っている、それなりに裕福な市民を客にしている店だ。
ベルが気に入った高級使用人のドレスのデザイナーがこの店の店主の師匠だと言う、おかげでドレスがアラティアの名門貴族の使用人の制服だと知ることができたのだ。
見覚えのある四十代程の小太りの女性店主が変わらず店番をしていた。
引き換え札を出すと店主は改めてベルを見た。
「貴方髪を染めたのね、見たことのあるお顔だと思ったけど、どうなさったの」
ベルはもしかしたらこの女性なら何か良いアドバイスをしてくれそうな気がした。
「髪を染めようと思ったら失敗して、どうしたら良いか困っております」
「魔術師の方を頼れば良いと思いますわ、錬金術師の方でもできますが髪を痛めますわよ?」
ベルは唖然として口が半開きになり、次第にアゼルに怒りがこみ上げて来た、だが聖霊教会に行って髪を染めてからほとんどアゼルと会って居なかった事を思い出した。
修理が終わったベルの使用人のドレスを店の少女が奥から持って来る。
「お客様、ドレスの穴やほつれを直しましたがもう無理はなさらないように、上品なドレスですから」
ドレスは修理をされ穴が塞がれていたが、全体的に完全に元に戻ったわけではない。
「これアラティアの名家の使用人の制服でしたかしら?」
「はいアラティアのダールグリュン公爵家の使用人の制服ですわ、お客様はご存知かしら」
「たしかエルニア公国の第二公子殿下の婚約者候補のお家でしたわね」
「あらまあよくご存知で、公爵家から王家に養子に入られたお姫様のご実家ですわ、貴女はエルニアのお方かしら?」
「はい、前に来た時に一緒に居たのが私の御主人様でエルニアの商人なんです」
うふふとカルメラを意識して微笑んでみる、母親のアナベルのマネは難易度が高すぎた。
「思い出しましたわ、ずいぶん素敵な殿方でしたわね、今日はいらっしゃらないのですね」
「ええ、とても忙しいのです、いけない私もそろそろ帰りませんと」
ベルが残りの代金を支払いドレスを受け取り店から去ろうとした時、奥のガラスケースの中のタスペトリーが目に留まった。
それは目を奪うような濃いコバルトブルーの横長の布地に銀糸で百合の花を象った美しい旗だ。
「あれはテレーゼの国旗ですわ、花の意匠はテレーゼ王家の紋章よ」
主人が親切に説明してくれた、しばらくそのコバルトブルーに目を奪われる。
(なぜか前に一度みたような気がする、うーん家庭教師にでも見せられたかな?)
ふと吊るしの既製品の中に青いワンピースが目にとまる、コッキーの注文は一着だけで古着屋で買う予定だが、それなりの場に出れるような服を買ってあげる事にする、さっそくサイズを確認した。
「…」
「どうされましたお客様?」
ベルがメモの羊皮紙を見つめたまま固まったので店主が不思議に思ったらしい。
「このサイズの青いワンピースはありませんか、オーダーする時間はありませんの」
ベルは羊皮紙の指定されたサイズを指差した。
「妹様かしら?丁度合うのはありませんが一回り大きいのならありますよ、そうねこれなら問題ないでしょう」
店主がタスペトリーと同じ色合いの青いワンピースを奥から探してくれたのでこれを買うことにした、コッキーのボロボロになった青いワンピースより鮮明で深くて濃い青だった、コッキーへのプレゼントを買い込んで料金を払って店を出る。
そして次に古着屋に向かった、古着屋は庶民の街南東区の中央広場に近い街にある、ベルの野暮ったい服もここで買ったものだ。
アゼルの服一式とコッキーの下着とワンピースなどを纏めてそこで買い込む。
2階建ての大きな店で、一階は壁を何枚か外して間取りを大きく解放していた、店内は多くの客であふれかえっていた、人々にとって布地は貴重な物で古着を買い入れて手を加え何度も修理して使い潰すまで使う。
ここで男物の下着や服を籠に放り込んでも誰も気にしなかった、ベルの年齢なら結婚していても不思議ではないからだろう、ベルなりにほっとしていた。
最後に青みがかかったワンピースの古着と女物の下着を買うと纏めて会計に持って行く。
店から出てきたベルは大きな包を両方の手にぶら下げ、田舎からやって来た上りさんの様になっていた。
最後に背嚢を買い込みコッキー達のいる炭焼小屋に戻るだけた、通りに出ると南から見知った顔がやってくる『ハイネの野菊亭』のセシリアだった。
偶然だが今はいろいろ面倒なので合うのを避けるため中央広場に方向を変えた、だが運が悪いことにそこでまた知った人間と遭遇してしまう。
「うわっ!!」
ベルは慌てて人混みに紛れて姿をくらます。
豊満な体を魔術師のローブで包み複雑に折れ曲がったツバ広のトンガリ帽子をかぶったテヘペロがちょうど建物から出てきた処だった、尾行したいが今は諦めた、確実にこれらの荷物をアゼル達に届けなくてはならない。
テヘペロは中央広場をそのまま西に向かって行く、その扇情的な後ろ姿をしばらく見送っていた。
「驚いた」
ため息を付くと彼女が出てきた建物を観察する、かなり歴史のありそうな古い石造建築で、全体的にくすんだ灰色の石垣と深い緑の屋根は厳粛で重々しい、ベルはこの街の魔術学院に似ていると思った。
入り口の上に『ハイネ魔術師ギルド』の大きな材質不明の看板が架けられていた。
それを頭に焼き付けると中古の武具屋に向かった。
ベルは最後の買い物を済ますとそのまま南門に向かって帰り道を急いだ、新市街を抜けると小道に入り一気に速度を上げていく。
「馬泥棒だ!!」
「待ちやがれ!!」
テオ=ブルースの背後から慌てふためく男達の罵声が聞こえてくる、ゲーラの郊外で休息中の商隊の馬を巧みに盗み出すことに成功した彼はひたすら南に馬で駆けていた。
催涙剤をばらまいたので追撃もままならず混乱が広がっている、その喧騒もどんどん後ろに遠ざかっていく。
この街道は廃城と化したド・ルージュ要塞の城下町を経て南のボルトや南東のマルセラに抜ける。
テオは交通が少ないこの街道をあえて選んだ、このままマルセラとアラセナを経由してオルビアに向かう予定だった。
オルビア王国がある海岸地域は小国が乱立していて犯罪者には住みやすい場所だ、海運が発達しているので他の地域にも行きやすかった。
これで化け物だらけのテレーゼから脱出して人の世界に戻れると言うものだ。
(ピッポ、テヘペロ悪いが俺は好きにさせてもらうぜ、こいつを売り払えば遊んでくらせるはずだ)
馬を駆るテオは忌々しいテレーゼから抜け出せる事を心の底から喜んでいた。
テオの道具箱の中でまた奇妙な音が鳴った。