穿つモノ
ルディは絶叫する泥人形から解放されたが、休む間もなく三人の敵と二体の召喚精霊に対峙する事になった、あの発光する走る泥人形も彼らの術式に違いないだろうと判断していた。
三人の中で召喚精霊に対抗できるのは魔剣をもつ自分だけ、コッキーはいろいろ未知の力を秘めているが、今の彼女はしょぼくれて自信なさげだった。
落ち着いたら彼女から聞きたいことが山程あるが今はそれどころではない、とりあえず彼女を前に出すのは無理と判断しアゼルと子供たちの護衛を頼んだ。
コッキーが提案を素直に受け入れてくれたので密かにルディは胸をなでおろす、だがこれが誤りだったとすぐに明らかに成ってしまった。
脅威と見なしたコウモリ羽の怪物は空を飛び上から魔術攻撃を加えてくる、そこで思い切って自分とコッキーを入れ替え事にした。
ベルに一言告げると慌てるベルを尻目にドラゴンに向かう、そのまま魔剣の一太刀を斜め後ろから叩き込むと、硬いドラゴンの鱗が紙の様に引き裂かれた。
ドラゴンが怒りの叫びを上げて尾を叩きつけて来るがそれも躱してのける。
「あれ!?」
コッキーが驚きルディを見た、そしてベルの方を見て更に目を見開く。
「コッキー、すまない俺と替わってくれ、先にそいつから潰したい!!」
「えっ!?ルディさん」
コッキーは困惑している、だがすぐに前衛に向かって駆け出した、その直後に背後でまた爆発が起きた。
「ベルさん!」
コッキーの叫び声が爆音を貫いて聞こえてくる。
振り返るとベルを抱えたコッキーが素晴らしい動きで燃え盛る岩の雨を躱している、だがその姿はどこか滑稽だった。
ルディは骸骨の群れを切り払い、その向こうにいる若い大柄な魔術師を睨みつけた、そしてすかさずドラゴンの腕の一撃を交わすと無銘の魔剣をドラゴンに叩き込む。
ルディがドラゴンの正面に出た時、瘴気の集中を感じたそれは攻撃の前兆だ、敵の動きから口からの攻撃と察して射線から全力で回避する。
その直後ドラゴンの口が瘴気の爆風を吐きかけてくる、まるで液体の様に密度の高い有毒の息、それをなんとか躱すが瘴気に触れたところがちりちりと焼ける様に痛む、まともに喰らったら肉体と精神に深刻な打撃を受けていたと確信した。
そこから軽快に動きながら重さの乗った斬撃を次々にドラゴンに叩き込む、ドラゴンの正面に出ないように位置を取り、手当たり次第に攻撃している様に見えるがその攻撃は右足に偏っている。
踊るように回転するように位置を変える、オスカーもそれを妨害すべく魔術攻撃を散発的に加えてくるがそれを巧みにあしらった。
やがてルディは眉をひそめた、ドラゴンは怒りの咆哮を上げるが先程から苦痛を感じている感じがしない、動物ならあるべき防衛反応が無かった。
(やはりこやつは生きていない!)
ルディはその直感のままドラゴンを殺すのではなく破壊すべく剣を振るった、ラムリア地方の名物料理のように、大きな燻製の固まりをナイフで削ぐようにドラゴンの解体を初める。
オスカーも妨害すべく魔術の詠唱を重ねる、その直後漆黒の槍が襲い掛かるがそれを魔剣で切り払う。
そして右足の破壊についに成功した、巨大な体が傾きドラゴンの動きが止まった。
オスカーの罵倒が聞こえてくる、たが余裕ができたので間合いをとって背後の戦況を確認すると。
「コウモリ、こっちです!!」
コッキーが落ちている石をバルログに投げつけている、人間なら死にかねない勢いで石がバルログに当たる、だがバルログはまったく動じていない。
だが挑発の役割は言わずとも十分果たしてくれているようだ、気弱な娘と思ったが意外と気性が激しいのかもしれない。
ルディは一刻も早くドラゴンを潰しベル達に加勢しようと前に踏み出した、動きの止まったドラゴンの首と頭を集中的に叩いて行く。
その瞬間背後で大きな爆発が起きた、精霊力の衝撃波を背中に浴びて思わずよろめいた。
慌てて後ろをふりむくとベルが吹き飛ばされ石畳の上に倒れている、ドラゴンはコッキーが道から外れた野原に引っ張り出していたせいで、彼女達からはかなり距離が離れていた。
何が起きたのか把握できない。
ベルが少し身を起こした、どうやら意識はあるようだ、援護に近寄ろうとしたが彼女の何かがおかしかった。
「ベル!!どうした!?」
大声で呼びかけたが朦朧としているのか振り返りもしない、それでもベルは立ち上がろうとしている、そのベルから今まで感じた事の無いほどの精霊力の威圧感を感じた。
敵の三人とコッキーまでもがベルを見つめていた、空のバルログすら戦いを止めて注視している。
ベルに駆け寄ろうとしたが、ドラゴンが尾を横にはらいそれをまともに食らった、吹き飛ばされて茂みに頭から突っ込む、苦痛に耐え素早く立ち上がる、並の人間ならば即死が確実な打撃に精霊力に支えられた肉体は耐えていた。
動けないドラゴンを潰すか、放置してベルを援護しに行くか僅かに躊躇した。
「スヴェトラゴルスク!!あの赤毛の修道女を殺れ」
若い魔術師の命令が聞こえる、彼の声には焦りと恐怖が入り交じる。
ドラゴンは首をもたげてベルの方向を向いた、瘴気が徐々に集まり高まっていく、これは先程の瘴気の息と同じ力の流れだ。
ルディはドラゴンを放置するわけにはいかないと決意した、無銘の魔剣を上段に構える。
ベルを攻撃させるつもりなど無い。
ベルは自分が離れた場所から自分自身を見ているような奇妙な感覚の中にいた、そしてうまく考える事も感じる事もできない、自分が自分で無いそんな奇妙な感覚の世界に閉じ込められている。
なんとか自分自身を取り戻さなければと焦った、だが頭に霧がかかったように頭が廻らずまるで悪夢を見ているようだ、ふとこの状況に既視感に捕らわれる。
このまますべて流れに委ねてしまいたいそんな気持ちが強くなっていく、だが意地でも譲りたくなかった、生えたしっぽを振って喜ぶ自分を認めたくない。
あんな間抜けな顔は誰にも見せたくない。
だが力が漲り全身隅々まで満たされていく、内臓から骨から筋肉から筋に至るまで力に満たされ鋼の様に強靭となり、それは皮膚に伝わり髪の毛にまで伝わっていく。
その力がベルに歓喜を与えた、手と足を使いたい走りたい飛び跳ねたいそんな欲望が吹き上がりそれに総てを委ねたくなる。
それに抵抗するベルは追い詰められ小さくなり消えていく、それでも最後まで抵抗は諦めない。
やがて何かが目を醒ました、ベルの幽界の門をくぐり抜けようとする、黄金色の灼光に満ちた二つの瞳、黒曜石のような黒い艷やかな毛並みの巨大な獣が幽界の門から覗いている、その瞬間ベルの意識が消えかかる。
それはしっぽを動かした、その心地よさにおもわず顔がゆるむ、久しぶりの解放感に身を委ねた。
一体何百年ぶりだろうか?懐かしい想いとともに森を見渡した、夜空を見上げると星座は変わっていない、青い月が東の空に輝いていた、白い月の姿が無いのが残念だ。
ベルは大きく深呼吸をした。
だが腐臭がそんな気分を大無しにする、不快げにその臭いの元をたどる、それは人間共とそして不浄のモノ共から漂っていた、上空のコウモリの羽をした存在に意識を向けた。
『なぜ奴らがここに?』
ベルであってベルで無い何かがいぶかしがる。
そして小娘と背後で戦うもうひとりの存在を感じた。
『ああそうだった』
大切な事を思い出して首をすくめた、そして自分の手を見つめる、それは人の女性の手だった。
『先程からうるさい声はこいつか』
そう呟くとベルであってベルで無い何者かの意識がまた沈んで行く、そして本能と衝動だけが後に残された。
精霊力がベルの背筋を一気に登り頭に突き抜けた、その流れが確立すると幽界の門から膨大な力が流れ込んでくる、唸り声が口からあふれた、四つん這いに地に這う、そしてその瞳は上空の翼のある存在をにらみ据える。
(イヤダ、イヤダ、クソ、目を覚ませ!)
ベルは絶叫していた。
傍観者の様な視点から自分を見ている事しかできない、なんとか自分の体に戻らなくては。
ベルの体に精霊力が漲り人の姿であるに関わらずそれは歪められ凶暴な四足獣を感じさせた、そんな自分の姿を美しいと感じ動揺する。
無駄なく鍛えられた四肢は細くしなやかにして強靭、ウェストも鍛えられ細く絞られていた、昔は中性的で少年に間違えられた事もあった、だが今の彼女の形の良い腰は若い女性の柔らな美しい曲線を主張していた。
その力に満ち溢れた肢体とその動きに美を感じてしまったのだ、誇り高き美しき野獣『女神の使い魔』なぜかそれを知っている、それがベルの肉体に干渉している、そんな自分の姿にみとれてしまった。
あの足ならば凄く早そう、どこまでもどこまでも奔っていける。
憧れと一瞬の後悔、その瞬間ベルはベルになっていた。
目の前にいる敵を殲滅したい、頭上の有翼の不浄の下僕に意識を向ける、赤い二つの輝きがこちらを見下ろしている、だがそこに敵の動揺を感じとる。
正面の魔術師から瘴気の集中を感じた、意識をバルタザールに戻すと魔術が再び発動しようとしていた。
「『ガンガブルの黒き縛め』!!」
瘴気の穴がいくつもベルの周囲に生じそこから漆黒の瘴気が物質化した布がベルを捉えようと吹き出してくる。
その布をベルの爪が細切れに引き裂いた、一本が首を狙うがそれを口を開けて噛み付くと噛み切った。
顔をしかめて漆黒の布切れを吐き出す、布はたちまち陽炎の様な瘴気に還っていった、ベルはそれを嗅ぐとまた顔を顰めた、嫌な臭いがしたからだ。
「何だと!素手であれを引きちぎる!?」
動揺した声はバルタザールの声だ、頭があまり廻らないがそれはベルにも解っていた。
「失敗だ!!キール無闇に近づくな!」
ベルは再び頭上の有翼の不浄の下僕に意識を戻した、赤い二つの瞳が輝き魔術が発動する。
視界の端にコッキーが賢明にも距離を保つべく避難して行くのが見えた、その先にはアゼルや子供達がいる、これで遠慮なく暴れられると言うものだ。
ベルの頭上から強大な瘴気の波動が降りかかった、大きな瘴気の球体が高速回転しながら落下してくる、キールもバルタザールもすでに退避を初めていた。
「おい奴は味方を攻撃するぞぉ?」
キールの罵声が聞こえた直後、瘴気の球体が着弾し漆黒の嵐と化して石畳ごと路面を侵食していく。
だがその時ルディと回避行動を取らなかったオスカー、そして隠蔽魔術の中にいるアゼルは見た。
ベルが逃げようともせずに力を溜めていた、瘴気の球体がベルに直撃した、そして瘴気の嵐の真ん中が突如穿たれ消滅しベルがそこから宙に跳躍したところを見た。
そしてバルログの胴の真ん中が消滅し、足首と胸から上だけがバラバラになり地に落ちて来たところを見てしまったのだ。
その場にいた者が愕然として、ベルを赤毛の修道女を探した。
それはすぐに明らかになる、強大な精霊力の固まりの様な存在は闇夜に現れた太陽のように目立つものだ。
街道の脇の森の中からベルが歩みでてくる、優美な肢体をくねらせて獣の王の様に現れた。
人の体でこのような動きができる物なのだろうか?
その灼熱の黄金の輝きに満たされた瞳は人のものでは無かった。