街道上の戦い
「三人ほど近づいてくる、全員馬だもう逃げ切れない」
ベルが何とか気力を奮い立たせようとしているが、口調からも疲れが見えている。
ルディはベルは少々粘りに欠ける処があると思っていたが、それが表に出てきてしまっていた。
連戦が続いたのとジンバー商会の偵察をすべて任せきりにしていた事を済まなく思うがこのままではまずい。
だが言葉が響かない娘だった。
「疲れているのか、しっかりしろ」
いきなりベルにさっと近づくと彼女の修道服のお尻を僅かに精霊力を乗せてひっぱたいた、それは上等な皮の馬具を鞭で強く叩いたような、気持ち良いほどの爽快な音が天高く鳴り響く。
「うっ!?きゃーーー!!」
ベルは切り裂くような叫びをあげお尻を両手で抑えてぴょんぴょん飛び跳ねる、少し落ちつくと奮然とルディに殴りかかった、その拳をなんとか片手で受け止めるが凄まじく重い。
「こんな時に何をするんだ!!最低だぞ」
ベルの顔は羞恥心が入り混じった怒りに真っ赤に染まっている。
「お前を怒らせる為だ」
「何をいっているんだ?この飲んだくれ!!」
またもう片方の拳が突きこまれたがそれもなんとか片方の手で受け止めた、まともに食らったら大怪我しかねない破壊力を受けて手の平が痺れる。
だがベルは両腕の力を急に抜いて下に降ろした。
「…最近目つきもいやらしい、わかっているんだぞ」
ベルがそう呟くと今度はルディが慌てだした。
「いや気合を入れただけだ!」
ベルが俯きながら薄く笑ったがそれはルディには見えなかった。
「ベルさんルディさん何を遊んでいるんですか?もう来ましたよ」
冷静なコッキーの呟きに二人は敵に注意を向ける。
青白い火の玉に照らされ騎馬が近づいてくる、その背後に何か大きな影が控えている、その影から不快な力を感じた、幽界帰りの三人はそれを確実に感じ取り更に緊張が加わる。
青い光に照らされて馬上の二人の男が並んでいた、距離はまだ100メートル近くあるが二人は馬を止めて石畳の上に降り立つ。
一人は印象的な銀髪の長身の痩せた男で一見すると旅の紳士の様にも見えた、フロックコートに似た黒ずくめの衣装と長い革製の黒いブーツを履いている、彼は馬の背から大きな革張りの旅行鞄をおろした。
まだ距離があるため詳しい事はそれ以上わからない。
もう一人は執事の様な姿をした初老の男に見えるがその身のこなしは軽く只者には見えなかった。
「たぶんアイツだ!キールだ」
完全に気力を取り戻したベルがささやく、ルディは先日ベルが戦った聖霊拳の男の名前を思い出していた、アマンダと同じ幽界への道を開いた聖霊拳の上達者となるとまったく油断ができない。
「あの執事風の男が聖霊拳の上達者だコッキー奴に気をつけろ」
ルディの警告にコッキーが不思議そうな顔をした。
「ルディさん聖霊拳をやっていた人がいましたが、そんなに凄い事です?」
「上達者ともなると我々と似た様なものだ」
「…知りませんでした」
「幽界の道を開いた達人は一握りしかない」
「僕も試合ならア、えー勝てる気がしないよ」
ベルの言葉にコッキーが驚く。
「ベルさんが勝てない?信じられないのです」
「素手同士なんだもの…」
コッキーは納得したのか微妙な顔をしたまま黙ってしまった。
こちらに歩いてくる二人の後ろで馬から降りた背の高い男が前に出て来ると、フロックコートの男の隣に並んだ。
その男はローブ姿なので魔術師に見えるが、肩幅が広く背丈が非常に高い三人の中では一番の長身だ。
「あいつ魔術師かな?」
ベルもルディと同じ疑問を感じた様だ、世の魔術師のイメージから外れた男だ。
「アゼルなら魔術に詳しいのだが、奴らの後ろの黒い影が気になる、コッキー頼むアゼルを起こしてくれ」
「わかりました、アゼルさんを起こしてみます、子供達の見張りもわたしがします」
「頼んだ!」
「はいなのです!」
コッキーは素早く子供達とアゼルの元に駆け寄る。
「アゼルさん起きてください、緊急事態です!!」
ルディの背後からコッキーの声が聞こえてくる。
「鞭をもって来ればよかったかな、でも子供達を運ぶのに邪魔だと思って置いてきてしまった」
ベルのひとりごとが聞こえてきた、それでもベルは愛剣を抜き放ち身構えている。
ベルに使いやすい精霊変性物質の武器があればと思うが、この種の武器はとてつもなく値が張る。
ルディガーも再び無銘の魔剣を抜き構えた。
「ベル奴らを直接狙ってくれ、おれは後ろにいる化け物共の相手をする」
「わかった」
「アゼルさんが目を醒ましましたよ!」
コッキーの喜びを抑えた小さな声が聞こえてきた。
「申し訳ありません殿下、あの光と音で意識を失ったようです」
まだ目が完全に醒めていないのか、弱々しい当惑したアゼルの声が漏れ聞こえてくる。
「あれは潰した、だが新しい客人だ、お前の助言が欲しい何かわかることはあるか?」
そうしている間に三人の男達は背後の黒い影を連れてこちらに向かってくる。
三人の男達と背後の黒い影を見たアゼルが息を飲む音がした。
「真ん中のフロックコートの男も高位の魔術師です、背後にいるのは召喚精霊に似た何かですが、大きすぎます常識的にはありえません、それにあの男が聖霊拳の上達者なら彼らはセザール=バシュレ魔術研究所の魔術師ではないでしょうか」
「確かに!」
ルディはキールがセザール=バシュレ記念魔術研究所に関わりある男だとベルが調べ上げていた事を思い出した。
「アゼルも見ただけで聖霊拳の上達者だとわかるの?」
「本人が隠す気がない場合はわかりますよ、アマンダ様は気配を消すのが上手いのです、ベル貴方も感じますか?」
ベルは無言でうなずいてそれを肯定した、キールは先程から力を高めながらこちらに向かってくる。
ルディは背後の黒い瘴気を発する大きな影を見透かそうとしている。
「アゼル背後の化け物は召喚精霊なのか?」
「常識ではありえませんが、あれだけの実体があるとなるとそれ以外に考えられません」
「死霊術は簡単に精霊召喚できるのか?」
「私には説明できません」
「奴らが止まった!」
ベルの叫びは何時にない危機感に満ちていた。
敵の三人は足を止めると背後から二体の黒い影が三人の両側に出てきた、それは青白い鬼火の光に照らしだされていく。
「ヒッ!アゼルさんあれはなんです!」
コッキーの声が恐怖で震えている。
その一体は全体の印象は人に似ていたが背の高さが人の倍以上ある、その細い手足はひ弱な印象を与えるが、強い瘴気と得体の知れない力が押しよせてくる。
やがて巨大な翼を広げ始めた、翼はまるでコウモリの様な形をしている、両翼の端から端まで5メートル以上あるだろう。
そして頭の辺りに二つの赤い輝きがあった、だがまだ距離が離れているせいで詳しい事はまだわからない。
その反対側に更に大きな蜥蜴じみた巨大な何かがいた、全身が黒く不愉快な瘴気に包まれている、足元から頭の高さまで軽く5メートルを越えているだろう。
太い脚を動かしながら前に進み出てくる、凍てつくような青白い瞳でこちらを睨みつけてくる。
だが巨大な蜥蜴のような怪物より、なぜか人形のコウモリの様な怪物により脅威を感じていた。
「あれはドラゴンです、セナ村の屋敷を攻撃した召喚精霊に似ています、これほどの精霊を呼び出す事など不可能なはずですが」
アゼルの声は上ずっていた。
アゼルはこの戦いは厳しいが子供達を見捨てれば脱出する事は可能だと判断していた、更に自分を見捨てれば三人は確実に逃げられると判断していた、だがルディがそれを受けれる事は無いと確信もしていた。
フロックコートの男がよく通る美声で勧告した。
「無駄な抵抗は諦めて降伏し「所長!!」」
フロックコートの男の言葉が終わる間も無くベルは動く、フロックコートの男を初手で抹殺すべく精霊力の全開からの突貫を敢行した。
警告を発したのは執事長のキールだ。
彼は瞬時にフロックコートの男の前に立ちふさがると、金属製のナックルガードでグラディウスの斬撃を受け止めた、軋む金属の響きと共に火花が散る。
ベルは剣を受け止めた初老の男から漏れ出る精霊力の気配を感じ取る、聖霊拳の上達者は力を外に漏らさない程良しとしている事をアマンダから聞いていた。
そしてこれが精霊変性物質の剣ならば決着が着いていたのにとベルは悔しい想いに焦れた。
それでもキールはそのナックルガードに切り傷が生じている事に気づき、歯をむき出しにして激怒した。
「これに傷をつけるとは信じられませんねぇ?お嬢さん…しかしその髪の色と格好はなんですかぁ?」
ベルは自分の髪が真っ赤だった事を思い出した、僅かに胸が痛む。
「余計なお世話だ!」
その時フロックコートの男から大きな力の集中を感じた、キールが時間を稼いでいる間に詠唱の準備を終えていたのだ。
「食らいたまえ『吠え猛るシャハナバードの黒き棺』!!」
目の前に漆黒の棺の幻影が現れた、これは真紅の怪物と同じ術と悟った、この棺の蓋が開くと黒い青き閃光が放たれるはず、ベルは棺の射線から外れる様に左に飛び跳ねるとキールも同様に後ろに下がる。
そのベルの鼻の頭をかすめる様に破滅の光が目の前を通過して行く。
「ひゃ!」
鼻が低くなっては大変!ベルは思わず悲鳴を上げてしまったそして顔が少し赤くなる、もう一センチ鼻が高ければよかったと普段から思っていたのに削られてはたまらない。
その直後に破滅の光が街道の傍らの森に突入しそこで音無き爆発を起こす、その着弾地点の近くの木々が綺麗に消滅した。
「バルログその娘を殺れ!」
フロックコートの男の命令と声は冷酷で冷たかった、ベルが一瞥するとその男は貴族的に整った壮年の男で顔の古い火傷の跡が印象的だった。
それも一瞬の事でベルの右側から強大な力の圧力が迫る、それはあのコウモリじみた羽を持つ人の姿をした怪物だった。
これでこの化け物の名前がバルログと知れたが。
「バルログ?そんな…」
唖然とした様なアゼルの声がベルの背後から聞こえて来たが今は話を聞く余裕はなかった。
「俺が相手をする」
ルディの声がすると無銘の魔剣をかまえバルログを牽制する、だがバルログはそのまま距離を保ち下がった。
ルディが不敵に笑った、バルログが魔剣を怖れていると判断したのだろう、ベルも敵が魔剣を警戒していると思ったが何か嫌な予感がする。
「こっちにトカゲがくるのです!」
コッキーの悲鳴のような叫びが聞こえてきた。
「オスカーそのボロボロの服の娘と魔術師はとらえるんだ、だが絶対に近づくな壁を出せるだけ出せ!」
ベルがそちらを一瞥すると、巨大な蜥蜴の様な化け物がコッキーとアゼルのいる方向に向かっていた。
これで大柄な魔術師の名前がオスカーだと判明した。
「わかっていますよバルタザールさん!」
そしてフロックコートの男の名前もこれで判明した、そしてオスカーは何やら魔術の詠唱を初めた。
ベルはその大きなトカゲのような化け物に攻撃を仕掛けようと動く、その瞬間肝を冷やすような殺気が襲い掛かってきた。
「私を忘れてもらっては困りますねぇ!!」
それはキールの下から舐め上げる様な口調だった、ベルは打撃を予測して瞬時に精霊力の内圧を高め衝撃にそなえた、その直後ベルの脇腹にキールの回し蹴りが炸裂する。
数メートル吹き飛ばされ呻き声を上げたが骨も内蔵も異常はない、追撃に備えて素早く立ち上がる。
それを見たバルタザールが驚きの声を上げた。
「これ程だとは、聞きしに勝るな」
そこに何かが羽ばたくような音がする、ベルの視界の端でバルログが羽をはばたかせながら宙に浮き始めていた、羽があるので嫌な予感がしたのだと今更ながら気づいたが手遅れだ。
「ベル、こいつ空を飛べるぞ!!」
ルディの警告が不気味な羽ばたきの音を引き裂き響く。
(しゃべれるよりマシだよ)
ベルはそう心の中で叫んでいた、力だけではない知能の高い敵が本当は一番恐ろしいのだ。
『オロカナ、ニンゲン、シヌガヨイ』
その直後バルログが言葉を発していた。