混沌の舞姫
ルディの視界の端でアゼルが耳を塞いだまま地に伏している、安否が気になるが頭が痛く意識が朦朧として体も思い通りに動かない。
ベルも耳を塞いで耐えている様子だが何かを期待するような目でコッキーを見ている、顔をしかめ目を細めながらコッキーの姿に見入っていた。
「私を見なさい!!」
コッキーの口から鋭い叱咤が放たれた、狂った喧騒を貫き彼女の声は良く通った、ルディも周囲を取り囲む光の乱舞から目を逸しコッキーの姿を視界の真ん中に捕らえる、しかし見かけはコッキーだが口調も目つきも仕草まで別人としか思えなかった。
次第に目と耳から脳に刺し込んでくる刺激が少しやわらいだ。
小さな彼女の足がリズミカルに石畳を叩きはじめた、その動きとリズムはルディが馴染んだ王侯貴族が親しむ優雅な文明世界の踊りではなかった。
エルニアの古い祭りや儀式で神々に捧げられる舞踊のリズムとどこか深い所で似通っている、だが人の感受性では理解しえない何かがそこに潜んでいた。
説明しがたいひそめられた脅威にルディの直感が警告を告げる。
絶叫を上げながら光の人形の残像が彼らを取り囲み奇怪な踊りを踊っている、この狂気の光の狂乱と絶叫の中ではたして彼女は踊れるのだろうか?
しだいにコッキーは腕を動かし体をうねらせはじめる、その動きが何かを連想させるが答えは出ない。
足踏みがしだいに加速していく。
その時わずかな精霊力の波動をルディは感じた、それはリズムを刻む彼女の足元から生まれている、ふと見るとベルの眉がピクリと動いた。
さらに彼女の足踏みは早くなっていった、そのリズムが力の波を生み共鳴するような唸りを生じたその瞬間だった。
どこからともなく熱情的な打楽器の音が鳴り響いてきた、どこから聞こえてくるのかかわからない。
それが切り裂く様に叫ぶ金属的な人形の絶叫を上書きしていく、打楽器の連撃の音が耳と心に不思議と心地よい。
「たすかった」
ベルの心からの喜びに満たされた呟きが聞こえる、意識を刺しかき乱す絶叫が消えただけでも助かったのだ。
そしてその瞬間爆発したかの様にコッキーの乱舞が始まった、両足が凄まじ速度で大地を踏み鳴らし、全身を激しくゆり動かした、彼女の腕が千本あるかの様に乱舞しながら混沌の舞踊が始まる。
腰を落とし尻を突き出し大地を激しく踏みしめる踊りは決して優美なものではなかった、だがそこには全ての人の魂の奥深くに眠る原始の生命力を呼び覚ます力に満ちあふれている。
すでに人に可能な動きを越え、ルディはだだその動きに圧倒されていた、その過激な動きにコッキーの破れかけたワンピースの傷みが広がっていく。
彼らのまわりを明滅しながら廻る人形の踊りが、いかにも単調で気合の足りない退屈な物に感じる程に彼女の踊りは情熱的で力強い、それにあわせて打楽器の連撃もいよいよ加熱し加速していく。
やがて地鳴りの様な遠雷の様な腹の底に響く重々しい轟音が聞こえてきた、それは巨大な波のように大きくうねり体の奥から響き渡る振動が轟音と共鳴した。
そしてその瞬間に精霊力の爆発が起きた。
その爆発から体が千切れ飛びそうな速度とリズムが一転して落ちついたものに急変する。
激しいだけの打撃音が複雑なリズムに変化した、コッキーの動きはより複雑な踊りに変化し、全身で精霊力をたわませ織りながら複雑な紋様を描き出す、その舞踊は優美で淫猥で華麗だった。
その力は彼女の舞踊に合わせ複雑な波紋を描きながら広がる、彼らを囲んでいたドロリとした濃霧のような結界を侵食し、彼らを囲み激しく明滅しながら回転する光輪をも侵食して行った。
ルディの前で踊るのは小柄な幼い美貌の少女ではなかった、舞踊の為に鍛え抜かれた半裸の美しい大人の女性の姿が見えていた、失われた古代の美しき巫女の鍛え抜かれた長い手足が魅惑的に舞う。
それと共にルディの精霊力の知覚範囲が戻り澄みきっていった、やがて霧の中を走り回る泥人形の姿を今やはっきりと捕らえる事ができる。
「あいつは戦う力はない」
ベルは消え去っていく濃霧のような結界を見回し、そして最後に走り回るだけのドロ人形をそう評した。
「アゼル、これはいったいなんだ?」
応えが無いので慌ててアゼルを探すと、彼は子供達の近くの石畳の上に伏せていた、思い返した様にルディが慌ててかけより安否を確かめる。
「気を失っているだけか…」
その時何かが崩れる音がした、あわてて音の源を探すとベルがドロ人形の様な何かを愛剣で切り裂き砕く音だ。
「こいつ!!」
ベルが崩れた泥人形を細かく砕き更に踏み潰していく、よほど腹に据えかねていたのだろう。
いつの間にか地を揺るがす打楽器の音もコッキーの足踏みも精霊力の波動も消え去っていた、そしてコッキーは棒立ちになったままガラス玉の様な目を見開いて真っ直ぐ前を見ていた。
次第にコッキーの瞳が光を取り戻して行く。
「いってしまったのです」
コッキーが小さな声で呟くのが聞こえた、すでに辺りに静寂が戻っていた。
ルディはそのコッキーの変化に衝撃を受けていた、彼女が普通では無い事は頭でわかっていた、だが解明が進むどころか次から次へと新しい謎が生まれてくる。
既にルディの当初の目的からずいぶんと話が大きくなってしまったが、その目的と彼女は深く結びついている、先にコッキーの謎を解明する必要があると感じ始めていた。
ドロ人形を潰して戻って来たベルが再び警告を発した。
「北の方からまた何かがくる…」
ベルはげんなりした態度を隠そうともしなかった、真紅の怪物との戦いから始まり、戦いの連続だったのだから。
そしてベルもコッキーの急変に驚いた、そしてこちらに目線を送ってきた、だが顔を横にふる知りたいのは俺の方だと。
ルディも寝ている子供達と疲れたベルと放心しているコッキーと倒れてるアゼルを見て覚悟を決める。
ハイネの南に伸びる深夜の大街道を青白い火の玉が路面を照らしながら宙を駆ける、その後ろから三騎の騎馬が追いかけていた。
「子供のお荷物がいてこれだけの距離を移動しても彼らに追いつけないとは信じられませんねぇ」
馬を進めるキールが隣の馬上の紳士に何気なく話しかけた、その紳士こそセザール=バシュレ記念魔術研究所の所長バルタザールだ。
「奴らは馬よりも早く走れるそうだ、ジンバーからの報告ではな」
バルタザールはキールを見もせずにまっすぐ前の暗闇を見据えて応じた。
「バルタザールさん、奴らは別の方角にむかったのではありませんか?」
二人の後ろから馬を走らせるヨーナス=オスカーが二人の会話に割り込んできた。
「あの魔術師に由来のある物を使い命令を与えた、どこまでも追跡し決して逃すことは無い」
バルタザールの声は『そんな事も知らんのか?』と行った響きを匂わせ、オスカーは首をすくめた。
「しかし奴らはどんだけ足が速いんですか?」
呆れ気味なオスカーの愚痴を聞きながらバルタザールは前を見つめていた。
「奴らの目的地はどこですかねぇ、ラリースランかリエージュまで行くつもりですか?」
キールの問いには誰も答えなかった、しばらく三人は無言のまま馬を駆る。
鬼火で照らされた単調な薄暗い街道をどこまでも馬で進んでいると時間や距離の感覚が狂っていく、オスカーが耐えられずに何か軽口を叩こうとした瞬間。
「どうやら接触した!」
バルタザールが口を開いた、冷静沈着な彼の声から僅かな興奮が感じられた。
「わかるんですか所長?」
「召喚した存在は術者と魂の繋がりがあるのだ!ある程度の状態はわかる、この道を真っ直ぐ行ったその先だ」
バルタザールの声は未熟な後輩への怒りを感じさせた、上位魔術師の入り口に到達しているはずのこの後輩は知識にムラが有りすぎた。
「何も見えませんねぇ」
キールが僅かに鞍から腰を浮かして街道の遥か先を眺めた。
「まだ距離があるぞ、奴が足止めをしている間に距離をつめる」
バルタザールは馬足を早め二人はそれに追従する。
しばらく駆けると遥か街道の彼方がわずかに青く光を帯び始める、まるで青き月『天狼の目』の月の出のように。
「あそこか、まだ決着は着いていないようだが、どうもおかしい…」
バルタザールは最後の間を駆けるべく馬に鞭を当てた。