大地の巫女
四人はハイネ旧市街の南の城壁にたどり着くと、ベルとコッキーで手分けして子供達を城壁の向こう側に運び降ろす、城壁の巡回兵に見つかってもお構いなしだった。
コッキーも力の制御に慣れて来たのか大活躍している、ルディはそれを見て一安心した。
子供達を全員向こう側に降ろしてからベルが城壁の北側に戻って来た。
「こっちは終わった、あと僕たちを監視している奴らが三人程居る」
だがルディの探知範囲には反応がない、かなり慎重に距離を保っているのだろう。
「そうか、我々に張り付いて接触を維持する気だな」
ルディはそれを憂慮したが敵の作戦は賢明だと思った、襲って来てくれたほうがこちらとしては手間がかからない。
「ねえルディ奴らを狩っている時間は無い、街道を南に向かって走って振り切ってから、サビーナ達の処に行こう」
ハイネの南門から南の大都市リエージュまで伸びる街道は石畳で舗装されていた、この三人ならば人を運んでいても彼らを振り切れるかもしれない。
時間をかければあの真紅の怪物や白いドレスの少女のような強力な追手がかかる怖れがある。
「わかったそれで行こう、アゼルもすまんが我慢してくれ、しっかり俺の首につかまっていろ」
「お手数かけます殿、若旦那様」
魔術が十分に使えないアゼルは常人以下になっていた、ルディはアゼルを背負ったまま城壁を乗り越える、背後を警戒したベルが最後に城壁を乗り越える。
だが遂に巡回兵に発見されてしまった、背後から非常用の呼び笛の音が響きった、ルディ達はそれにお構いなしに新市街を南に走る。
呼び笛が聞こえなくなった頃、彼らは新市街を抜けて素晴らしい速度で真夜中の大街道を南に向かってひたすら駆け抜けていく。
ハイネ市の夜の灯がどんどん遠ざかる、ルディは最後尾にいたが背後からの追手の気配はなかった。
「奴らの反応が無くなってからかなり走った、みんなまだ走れる?」
先頭のベルが速度を少し緩めて足を止めると二人に呼びかけた。
「まだ走れそうです」
コッキーは少し息が上がり気味だ。
「速度を緩めてこのまましばらく走ろう」
ルディはコッキーが疲れ気味と察してベルにアドバイスする、ベルもそれを察したようだ。
「アゼルさんこの子達ぜんぜん起きませんね?」
コッキーがいつまでも寝ている子供達に疑問を抱いたようだ。
「中位の風精霊術だと思います、簡単には目覚めません」
ルディの背中からアゼルがその疑問に答えた。
「みんな走っている時は舌を噛むから喋らないでね」
ベルはそう言い残すとゆっくりと走り始めた、それでも普通の人間の全力疾走より早いだろう。
そのまま無言でしばらく走っていたがベルが突如停止して警告を発した。
「皆んな何かが後ろから来る、疾い!!」
「我々に追いつくだと!?馬かベル?」
「違う!一つだ生きているか怪しい」
「若旦那さま、気をつけてください、どうやら人では無いようですね」
ルディの背中のアゼルがはるか北を見つめなながら警告する。
「生きているか怪しいのですか?あの吸血鬼でしょうか」
コッキーが不安と嫌悪がないまぜになった声を上げた、その声は少し上ずり気味だ。
「ベル距離はあるか?」
「すごい速さだ、すぐに来る」
はるか後方から何かを引き裂くような悲鳴の様な音が聞こえてきた。
「なんだ?迎えうつぞ」
ルディはアゼルを下ろすと剣を抜いた。
子供を街道の石畳の一箇所に集める、アゼルもその側に駆け寄ってきた。
「コッキー子供とアゼルの護衛を頼む」
「はいルディさん!」
ルディの指示に応える様に、コッキーは道端に落ちていた木の棒を拾って構えた。
街道は広く真っ直ぐ伸びていた、路には街灯など無く暗闇に閉ざされ星灯だけが路面を照らし出す、遥か北に遠くハイネの夜の灯だけが見えていた。
その絶叫の様な悲鳴は次第に北から近づいてくる。
「なんだアレ?」
ベルが嫌悪を隠しもせずに呟く。
「何が見えますか?」
アゼルがつばを飲む音が聞こえた。
「ああ、青白く光る人の形の様な物が来るぞ!アゼルあれが何か解かるか?」
「申し訳有りません私には…」
それはやってきた、それをなんと例えれば良いのだろうか?粘土を適当にこねて作った痩せた人形が、青白く輝きながら走って来ると例えるしかなかった。
その背丈は人ほどもある、手足があるがその細い手足に関節はなく不気味に手足を動かしながら凄まじい速度でこちらに向かってくる。
近づくにつれその人形の頭らしき部分に、目と口に見える黒い穴が空いていた。
口も目も綺麗な円では無く歪んでいた、その口は絶望と恐怖に歪み叫びを上げている様にも見える。
その耳障りな叫び声はその口から発していた。
「ベルさんアイツなんですか!」
「コッキー僕に聞かないで…」
ベルはそう言いながらも愛剣グラディウスを抜きはなつ。
叫ぶ人形は彼らに突入してくると思いきや、急に方向転化すると彼らのまわりをまわり始めた。
叩き切ろうと身構えていたルディは拍子抜けする。
その人形の狂気と絶望を帯びた叫びはいよいよ激しくなっていく、それはやがて手足を奇怪に動かしながら踊るように更に加速して行く。
「こいつ疾い!!」
「殿下!この叫びは只の叫びではありません、気をつけてください」
この声は耳から入る音だけでは無いとルディも直感していた。
ベルが両手で手で耳を塞ぐのが見える。
「これ音だけじゃない!!」
しだいにルディの意識が朦朧となり意識がかすみ始める。
叫ぶ人形の回転速度が上がり踊りも比例して激しく叫び声が高まって行く、ルディがコッキーの反応が無いのを訝しんで彼女を見た、彼女の目が光を失いガラス玉の様な目を見開いてただ立ち尽くしていた。
「奴を切る!!コッキーが限界だ」
「わかった!!でも奴の居場所が見えない」
ルディも精霊力で人形の位置をつかもうとするが、精霊力に似た瘴気の様な霧に阻まれて奴の場所がつかめない。
瘴気だけなら彼らの探知力の障害にはならないはずだが、何か別の力が加わっている。
「もうどこにいるのかわからないよ!眼がチカチカする!!」
精霊力の目潰しを食らったベルが少し情けない泣き言を言いだした。
その時コッキーが突然大声で一喝した。
『なんですかその腰の抜けた踊りは!!』
その苛烈な口調と言葉に三人は驚いてコッキーのいる方を振り向いた。
その不気味な白い人形が激しく踊りながらコッキーのまわりをまわり始め、その耳をつんざく叫びが意識をかき乱す。
人形の残像が目に残り影絵のように点滅を繰り返す、その残像が静止したように目の前で踊り始めた、金切り声が聴覚を麻痺させ青と白の明滅がコッキーの意識を朦朧とさせて行く。
その奇怪な踊りを見ていると魂が抜かれていく様な虚脱感に襲われ、そして自分が何者か何をしていたのかも忘れて行った。
奇妙な幻影がコッキーの視界いっぱいに広がり始めた、巨大な異教の神々を祀る祭壇の上で全裸に近い美しい女性が踊っていた、周囲からリズミカルな打楽器の音が地を揺るがすように響き渡る。
彼女の後ろ姿しか見えないが、彼女が立つ祭壇の下は無数の人で埋め尽くされていた。
彼女の美しくも力強い肉体は見慣れぬ踊りを魅せていた、それを見ていると懐かしいような温かい感情が湧き上がってくる。
その異教の巫女の踊りは激しく熱狂的なまでの狂気を帯び、美しくも妖しくも淫らでそれでいて神聖な輝きを放っていた。
その人の肢体の動きの限界にせまる踊りにコッキーはしだいに魅了されていく。
コッキーはその女性に懐かしさと愛おしさを感じていた、どうしても顔を見てみたい。
いつのまにかその女性に向かって振り返ってほしいと願っていた。
その願いが通じたのか視点が激しく躍る彼女を大きく回り込んだ、やがて正面から彼女の顔が近づいてくる。
(おかあさん!?)
その美しい成熟した女性は彼女の母に面影が似ていた、いやコッキーと良く似ていた。
コッキーの母は繊細で細身の可憐な女性だった、だが彼女は踊るために鍛え抜かれた肢体を誇っていた、そして豊かな形の良い胸を激しく揺らしている。
激しい踊りに恍惚となった自分に良く似た顔の美しい異教の巫女がそこにいた、その後ろで巨大な豊満な女神像の三眼が祭壇を見下ろしている。
その女神像の目がコッキーの魂を覗き込む、その目に意識を吸われるような酩酊感に襲われ足元がさだかでなくなった。
その時何かが自分の中で目覚め不思議な感覚に包まれていく。
(おかあさんですか?あいたかったのです、やっと会えたのです!)
コッキーの目の前に母親の姿が浮かび上がる、懐かしさで心が満たされ手を伸ばした、街一番の美女と言われた若い母の姿は永遠にかわらない、だが母の姿は薄れ消えていく。
(いかないでください!)
だが変って若い美しい女性が現れた、その女性は母に面影が似ていたが、遥かに気品と威厳に満ち、コッキーには想像もできない豪奢な王侯貴族の正装で身を固めている。
コバルトブルーに金糸の花柄をあしらった豪奢な外套をまとい、それが白いドレスに素晴らしく映えていた。
コッキーは青い服が好きだったが、比較にならぬほど華麗で鮮烈な青。
その彼女の後ろに厳しい初老の武人の姿が彼女を護るようにうかびあがり、やがて二人共炎に包まれて消えていった。
(あなたは誰なのですか?)
するとまた美しい女性が現れる、彼女も前の女性以上に威厳に満ちた豪華な衣服で身を包んでいた。
コバルトブルーに金糸の花柄をあしらった豪奢な外套は変わらない。
(あなたは…)
その彼女の姿がたちまち消えると、また女性が現れた、彼女も美しい女性だが前の女性ほど豪華絢爛ではない、だが清楚な大人しげな美しい貴族の女性でコッキーの母にとても良く似ている。
(おかあさん!?)
次から次に女性が現れその速度がどんどん加速していった、しばらく古風な貴族姿が続き、やがて農民らしき姿に変わり速度を上げて目まぐるしく変っていく、そして最後に最初の神像の前で躍る半裸の女性が現れてそこで止まった。
コッキーはこれはご先祖様だと自然に受け止めていた、それもすべて母方の繋がりとして。
皆んなコッキーに容姿が似通っていた、まるでそこに何かの意思が働いているかのように。
コッキーにその巫女が迫る、自分に良く似た太古の巫女の顔が迫って来た、その巫女の顔が崩れ母の顔に変わり始める。
(お母さん!いい子にしますから、なんでも聞きますから、何処にもいかないでください!)
悲痛な声でコッキーは子供の様に泣き叫ぶ、母の似姿が口を動かして彼女に何かを語りかける。
『なんですかその腰の抜けた踊りは!!』
コッキーの口からその激しい怒りに満たされた言葉が放たれた、だが自分から発した言葉では無い、不思議にそれは母の言葉だと感じられた。
激情に走るクセがある自分と違って母親は温厚で繊細でやさしい人だった、それがコッキーの記憶の中の母だった、こんな激しい言葉を使う人ではない。
それでもおかあさんだとわかっている、なぜかそう確信していた。
驚いて三人がこちらを見返している、ベルとルディとアゼルの三人の仲間だ。
よく知っているはずなのにどこか遠くの昔の知り合いの様な不思議な感情しかなかった、自分が自分でない様な、自分自身を観察しているような不思議な感覚、でもコッキーは消えてはいない、どこからか自分自身を確かに見ていた。
目に光が戻ったコッキーは落ち着きの無い目をした自信無げな美少女ではなかった、強い意思を感じさせる落ち着いた目をしていた、そして周囲を廻る青白い狂気の光の乱舞を睨み据える。
そして遠くを見るような悲しげな顔に変る。
『この娘にはどこか遠くで幸せに生きて欲しかった、私が最後だと思っていたのよ、この娘が女神様の愛娘に選ばれるなんてね』
コッキーは靴を脱ぎ捨てた、そして邪魔な破れかけたワンピースも脱ぎ捨てようとして思いとどまる。
『お母様、この娘に伝える前に私は死にました…それが運命だと思っていたのに』
コッキーは両足で大地を踏みしめる、その足の裏から力が伝わってくる、太古から連綿と続くテレーゼの守護女神、大地母神メンヤの命の大いなる輪廻の螺旋の力が伝わって来た。
『さあ、コッキー良く見ておきなさい』
(おかあさん、わたしといっしょにいたのですね)
遠くからコッキーの声がした。