追撃する者達
ルディとコッキーはジンバー商会の南門の近くの裏通りに潜んでベルの帰りをまっていた。
「ルディさんアゼルさんは見つかると思います?」
「わからん、怪しい場所は見つかったようだがな」
二人はふと何かの強い精霊力の気配を感じると口を閉ざして当たりに気を配る、だがその気配には馴染みがあった。
ルディの口がベルと呟くように動くのをコッキーは見た。
「戻った」
その声と一緒に二人が潜んでいた裏道にベルが降ってきた、屋根の上から柔らかくしなやかに着地する。
「アゼルは無事、あの倉庫の中にいた、特別な精霊力を遮る建物の中に閉じ込められていた」
「なんだと、アゼルの姿を見る事ができたのか?」
ルディが身を乗り出してベルにせまる、ルディの顔が目の前に大きく迫って来たので思わずのけぞってしまう。
「ちょ、明かり採りの窓から中を見たよ、アゼルは自力で出られそうな感じだった」
「どういう意味だベル?」
「知らない、アゼルには何か考えがあるんじゃない?」
無責任な態度でベルはそれを受け入れているようだが、ルディはその話に強い疑問を抱いた。
「だが、いや状況が変わらない内に決行するか」
「僕も賛成!子供達とアゼルが同じ場所にいる間に動くべき、アゼルはともかく子供達はすぐ殺されてしまうかもしれない、それに今ならあの赤い化け物達もいない」
「あいつら子供達の血を吸うのですよ、ゆるせません」
コッキーは今だに憤懣やるかた無いように小さな拳を握りしめる。
「そうだな今がチャンスかもしれん」
ルディは僅かな間熟考する、アゼルの閉じ込められている倉庫に不確定要素があるが、あの危険な敵がいない今がその時の様に思えたのだ。
「やるか!!」
ベルもコッキーもうなずく。
「コッキー、もう一度言うが子供達の誘導と護衛だけでいいんだ、戦うのは俺たちにまかせるように」
ルディはコッキーの肩を掴んで口説くように話しきかせた。
「わかっているのです…しばらく無理ができない気がするのです」
ルディの顔にまた疑問の影が流れた、先程の戦いからいろいろ聞きたい事が山程あるのだ。
「じゃあ予定通りに行こう」
ベルはそう告げるとまたジンバー商会に潜入すべく動き始める。
ルディとコッキーはハイネを南北に貫く中央通りに向かうと、ジンバー商会の南側に面した街路に入り南門に向かってゆっくりと歩んで行く。
すでに夜も更けて人通も少ない、美丈夫の大柄な青年と幼い美貌の少女の組み合わせは非常に目立っていた、その上コッキーの青いワンピースは真紅の怪物との戦いで傷ついていた、むしろ街路が夜の闇で暗くて幸いだった。
ベルは安々と商会に潜入して行く、ベルには超常の身体能力と探知力があるとはいえ、なぜかいつも以上の強運に恵まれたのか見つかることも無く潜入突破して行った。
だがソムニの倉庫がある厳戒態勢の管理棟には近づくのは避ける、この建物の各部屋には魔術結界が張り巡らされていたが、ベルはそれを視覚で見る事ができた。
以前潜入したときとは比較にならないほど密度が高い、ソムニに放火して注意をそらす案もあったが、それはすでに放棄されている。
魔術結界は術者が指定した限られた者しか通過できない、機密性が要求される限られた者だけが利用する場所に設置するのが普通だ、大量の荷物を扱うような倉庫には向かない。
ジンバー商会は不便を承知で魔術結界を張り巡らせて倉庫を守っていた。
ベルは再び建物の屋根伝いに進み倉庫に近づく、倉庫は南門前の小さな広場から少し奥まった場所にあった。
その倉庫の前には二人の見張りがいたが、ベルは倉庫の屋根に音も無く飛び降りて屋根にへばりつくと、這うように進んで上から二人に襲いかかる、それは一瞬で勝負がついた。
圧倒的な速度と剛力で二人の意識を刈り取った、だが発見されるのは時間の問題だろう。
ベルは扉に近づくと扉に不思議な気配を感じる、金属の様な陶器の様な奇妙な質感の未知の物質、だがそこから感じる不思議な気配を良く知っていた、ベルは思わず扉にそっと手を触れる。
「これって精霊変性物質?」
ベルの顔から血の気が引いて行く、精霊変性物質の扉ではルディの魔剣ですら破壊できる保証がなかった
、魔術攻撃にも高い耐性があるにちがいない。
この倉庫は魔術による防御ではなく物理で魔術師を封じ込める為の牢獄だった、慌てて二人の見張りの体を探ったが鍵は見つからない。
「やはり持ってなかったか…」
期待はしていなかったが鍵は見つからなかった、そこで最後の賭けにでる決意を固めた。
ドアを軽くノックすると、ベルが可愛らしい声で呼びかけた。
「新人のベルサーレです、夜食を持ってきましたの、差し入れですわ」
可愛らしい男の庇護欲を刺激するような甘い声を作って呼びかける。
すぐに中から男の声が僅かに漏れてくる。
「差し入れだと?気持ち悪い女だな、だれだお前?」
ベルはその言いぐさにむくれた、旅の劇団の芝居に出てくる可愛らしいヒロインを意識したのに気持ち悪いと言われてしまった。
だが僅でも扉が開きさえすれば後は力ずくで押し通る、突然中で何か大きな物音がして静かになってしまった。
そして金属的な何かが軋む音がすると扉が外側に開かれる。
「やはり貴女でしたか」
扉の隙間から顔を出したのはアゼルだ。
「アゼル、見張りを倒したの?」
「詳しい説明は後で、ここから脱出しましょう」
アゼルは手にした三脚椅子を倉庫の中に投げ捨てて外に出ようとした。
ベルはそんなアゼルを手で制すると口笛を吹き鳴らす、その凄まじい口笛の音で周囲がにわかに騒がしくなる、今のは何だと騒ぐ声と多くの足音が迫って来た。
「ベル!何をしているのですか!?」
その直後に轟音が響き渡った、木の板が砕け金属がはじけ飛ぶ音と共に喚声が巻き起こる。
ベル達の方向に向かっていた足音が止まり、激しい戦いの騒乱が聞こえてきた。
「ルディ達が突入してきた」
「なんて強引な事を!」
「僕たちは子供達のいる倉庫に向かうよ!!はやく」
ベルの案内で子ども達が閉じ込められている倉庫に向かう、南門前の広場でルディが暴れているらしく、途中で邪魔する者はいない。
倉庫の前にすでにコッキーがいた、頑丈な分厚い木製の扉に素手で穴を開け、木の板を引き剥がしている。
「コッキー手伝いに来た!」
「ベルさんアゼルさん無事でしたか!この扉内側からは開かないのです」
コッキーは鍵の近くに穴をあけて内側から解錠しようとしたのだろう、だがこの扉は金庫の様に外からしか開けられなかったようだ。
ベルも扉の破壊を手伝う。
「鉄枠ごと壊そう」
二人が力を合わせると扉の鉄枠が変形し蝶番が弾けて扉ごと外れた、それを放り出すと中に突入する。
中には大きな木の箱が二つ並べられていた。
「この中にいるぞ箱から出そう」
箱の一つをこじ開けると中に二人の子供が眠っていた、それを見たアゼルはすぐに気づいた。
「みんな魔術で深く眠らされています、これは風精霊術ですかね?」
「起こせるアゼル?」
ベルはアゼルを期待するように見つめた、だがアゼルは悔しそうに頭を横に振った。
「触媒が無いので高度な魔術は使えません」
「そうか…わかった、コッキー子供達を抱えて行こう」
「わかりました!」
ベルがもう片方の箱を強引にこじ開けて蓋を破壊すると子供二人を両脇に抱える。
コッキーもあわてて子供二人を両脇に抱えた、小柄なコッキーだが危なげなく二人の子供を抱えている、アゼルは精霊力の急激な高まりを彼女達から感じていた。
「南門へ!コッキー先頭で僕が最後」
三人は南門に向かって走り始めた。
破壊された南門の前でルディが戦っていた、派手な大騒動を起こしたため彼が注意をすべて引きつけていたのだ。
「剣が引き裂かれたぞ!むやみに近づくな」
「魔術師を呼べ!!」
怒号が聞こえてくる。
ベル達が南門に達した時にはすでに三人の男が倒れて血が広がっていた、彼を囲む者たちは慎重になっているのか周囲を取り囲んでいるだけだ。
彼らが後からやって来たベル達に気づいた。
「なぜ修道女がいるんだ?」
「おい、捕虜が逃げ出しているじゃないか、何をやっているんだ!」
一部の者の顔がコッキーに気づき恐怖に怖気をふるう。
「おい!あの青い服の小娘がいる、化け物がいるぞ!!」
「全員そろったか」
それにうなずくと共にベルが真っ先に外に飛び出して行った。
「アゼル来て!」
ベルが呼びかけると、囚人服を来たアゼルがその後に続く、その後ろからコッキーが子供を抱えたまま駆け出していった。
そしてルディガーは深く踏み込んで剣を横に払うと、数人程が慌てて後ろに下がった。
「もう用は無い」
そう言い捨てるとそのまま踵を返してルディもまたコッキーの後を追った。
唖然としたジンバー商会の者達はしばらく動けなかった。
「何をしている追うんだ!見失うな!!」
現場警備の責任者らしき男の叱咤で我に帰ったのか、身のこなしが只者でない男たちがルディ達の追跡を開始した。
しばらくすると騒がしい足音と共に駆けつけて来た者達がいた、先頭の男をみとめた警備責任者の顔色が変わる。
「執事長!!」
フリッツは周囲を見渡し破壊された南門に気づき彼の顔が驚きに変わる。
「なんだこれは!?」
現場警備の責任者が慌てて答えた。
「奴らが捕虜と子供を奪い返して脱出しました」
「アレを破ったのか?どうやって破った?」
「フリッツさん魔術師専用の牢獄が破られたんですか?あれ簡単に壊せるような物じゃあないです」
後から現れたのはヨーナス=オスカーだった。
「そ、それは現在調査中だ!」
ジンバー商会の魔術師らしい若い男がそれに反応した、オスカーはお前に聞いてはいないといった顔でその若い魔術師を睨む。
「奴らの動きが早い、だがソムニ倉庫は無事か…」
フリッツも戦いが終わり会議をしている間に敵が反撃に出てくるとは思わなかったのだ。
「ところで真紅の淑女様はおられないのですかぁ?フリッツ」
キールの一度聞けば忘れる事ができない声がする、その付け焼き刃の紳士は猛獣の様な笑顔でジンバー商会の男たちを見渡した、そして前に出てくるとフリッツの横にならんだ。
そして次に現れた男の声がキールをたしなめた。
「キール、コステロ商会が間に入る決まりだ、真紅の淑女様に直接話しを持ち込む事は許されていない、忘れたか?」
その声の主はジンバー商会の会頭エイベル=ジンバーその人だった。
「エイベルさん!」
現場警備の責任者はエイベルの登場に驚いた、会頭が現場に直接現れるのは珍しい。
「奴らを逃がすわけにはいかない」
一番最後に出てきた男の声は張りのある冷厳な貴族的な声だった。
その声の主に現場責任者は今度こそ驚愕した。
「貴方はバルタザール所長!!」
セザール=バシュレ記念魔術研究所の所長のバルタザール=ファン・デル・アストが自ら出てきたのだ、
壮年の銀髪で長身の痩せた男で、貴族的な端正な容姿と知的で冷酷な印象を与える薄い灰色の瞳が周囲を睥睨している。
古い顔の火傷の傷が酷薄な美貌に一層の凄みを与えていた。
だが今日の彼の出で立ちは魔術師らしからぬ姿だ、一見すると旅行中の学者の様にも見える、フロックコートに似た黒ずくめの衣装をまとい、長い革製の黒いブーツに大きな黒い革張りの旅行鞄を左手に下げていた。
「我々で追撃をかけるぞ!最悪でも目的地はつかむ、魔術師か子供が身につけていた物を持ってきてもらいたい」
バルタザールの声は良く通った、それに応じてエイベルが命じる。
「何でもいい、あの魔術師が身につけていた物を持って来い!」
何人かの男達が南門そばの特別区域の管理棟に向かって走りだしていた。