サビーナ達の脱出
「ルディ、聖霊教会の近くで二人怪しい奴が寝ていた、アイツの魔術で眠らされていたみたいだ」
礼拝堂のすみにロープで縛られ猿ぐつわをはめられた男二人が音を立ててころがされた。
アイツとは真紅の怪物の事だ、最初に彼女が行使した広域睡眠魔術に巻き込まれたのだろう。
礼拝堂の控室の方から何やら物が崩れるような騒がしい音が聞こえてきた、サビーナが大急ぎで引っ越しの為に荷物をまとめているはずだ。
ベルは何をやっているんだと言った顔をして控室の方を眺め見た。
「ルディ、コッキーとファンニは?」
「ああ、ファンニ殿は修道女館でお二人の私物を整理している、コッキーは女の子達の荷造りの手伝いだ、お前もいそいで私物をここに集めてくれ」
「わかった、じゃあ僕も行ってくるよ」
ベルも修道女館に向かって礼拝堂を後にした。
「急がなければ、我々がここにいるのは知られてしまったからな」
ルディは思わず独り言をこぼしてしまった、落ち着いていたがかなり焦燥感にかられていた。
そこにファンニが大きな麻袋を二つ両手に下げてやってきた。
「ファンニ殿それが荷物かな」
「はい、サビーナと私の服と着替えですわ、高価な物は身につけます、残りは置いていくしかないけど」
「いろいろ迷惑を掛けるな」
「いいえ子供達を助けていただいて迷惑だなんてそんな、こうなる覚悟はしていたんです、悪い人達を敵に回すのはわかっていましたから」
ファンニはベルにどこか似ているが、更に色白で儚げな女性だとルディは思っていた、だがしたたかな面もあるようだ。
そこにサビーナが背負子にいろいろな物を積み込み礼拝堂に入ってきた、ずいぶんと重そうな荷物だった、ルディが慌てて荷を運ぶのを手伝ってやる。
「失礼だがサビーナ殿重くないのか?」
「ありがとうございます、このくらい大した事ないわ、どうしても祭具は置いていけないのよ」
そう言いながらサビーナは笑う、彼女は容姿は平凡だが健康的でたくましく不思議な魅力を持った女性だ。
子供達やこれからの事が心配なはずだが表に出さない様に明るくふるまっている、だがルディは彼女の目の中の翳ろいを見逃しはしなかった。
「かならず子供達を奪い返してくる!」
サビーナはどう返そうか悩んでいたが意を決した。
「ご武運をお祈りしますわルディ様」
ルディは半分吹き出してからそれに莞爾と笑った、まるでサビーナの言い草が騎士の恋人か妻の様だったから。
その時礼拝堂の入り口が騒がしくなってきた、子供達が礼拝堂に集まってきたのだ、女の子達のおしゃべりが聞こえてくる。
そして入り口からコッキーの声がした。
「そこの二人はだれです?」
コッキーが礼拝堂の隅の暗がりに転がっている二人の男を指差した、それにサビーナもファンニも初めて気づいて驚く。
「「あらまあ!?」」
二人は同時に唱和した。
「ベルが聖霊教会を見張っていた奴らを狩り立てた、まだ眠っているようだが、奴らに余計な事を聞かれるのはまずい、修道女館にほうり込んでおく」
ルディは密偵二人を軽々と担ぐと礼拝堂から出ていってしまった、アビーとエレンが目を見開いてそれを見送る。
「司祭様って力持ちだわね」
「すごい」
ポリーはサビーナに駆け寄り抱きついて甘えている。
サビーナは女の子達を見渡した。
「アビー、エレン、ポリー荷物は持った?」
「もったわ大姉さま本当にお引っ越するのね?」
最年長のアビーが不安げにサビーナを見つめる、ポリーは遠足気分だが上の二人の子供は不安を感じているようだ。
「できるだけ早くここに戻れるようにするわ、心配しないで」
そこにルディとベルが戻ってきた、最後に住み込みの老婦人達が最小限の調理道具と食材を担いでやってくる。
「そろそろ私達は行きますわ、ルディさんベルさん、えとコッキー、皆の無事を聖霊王にお祈りしますわね」
サビーナもファンニも重そうな荷物を背負おうとしているのでルディとベルが助けてやった。
二人は笑いながら礼を言う、二人は見かけよりずっと足腰がたくましいようだ、危なげなく荷を背負うと堂々と歩きだした。
ベルが最後に礼拝堂を旋条すると鍵の束をサビーナの荷物にいれてやる。
「皆んなファンニの後ろを着いて行くのよ、アビー、エレン、ポリーの順でその後はお婆さん達よ、わたしは一番うしろです、おしゃべりは禁止よ?」
ハイネの近くは獣も野盗もいないが油断はできない、地元の娘のファンニでなければ案内は務まらないだろう、一行は灯もなくファンニの先導で森の中に消えていった、最後にサビーナが振り向き手を振り返した。
ルディはサビーナを見送る姿勢のままベルに語りかける。
「鞭はどこに埋めたんだ?」
「ああ、中庭の井戸の前の三番目の敷石の下だよ」
「わかった」
「さあ我々も行こうか」
革ベルトを司祭服の上から締めると、愛剣『無銘の魔剣』を佩いた。
ハイネ旧市街を囲む城壁には城門が幾つか設けられていた、まず東西と南の大城門、北側に二つと南西と南東にそれぞれ小城門がある。
これらの城門は日没と共に閉じられる、特別許可を得た者だけが城門を通る事ができた。
ルディ達は当然通行許可など無いので城壁を乗り越えないと中には入れない、城壁の巡回兵の目を盗みながら乗り越えて行く。
まずベルが先に城壁を越えて安全を確保した。
ルディはコッキーの動きをハラハラしながら見守っていた、彼女は運動神経があまり良くないとベルから聞いていたがたしかにそのようだ。
壁をよじ登るのも下から見てるだけでも危うい、コッキーの青いワンピースは白い少女との戦いでかなり傷んでいたので、どうにも目のやり場に困る、だがはじめはもたもたしていたが突然精霊力を解放して強引に昇りはじめた。
やがて城壁から飛び降りてなんとか無事着地したようだ。
『まだ力の無駄が多い』
ベルがそう評していた事を思い出す、最後にルディが城壁を一気に乗り越えた。
三人は倉庫街に紛れジンバー商会の南門が見える倉庫の間の狭い道に入り込んで作戦会議を初めた。
「サビーナ達は無事にたどり付けるかな?」
「ファンニ殿が地元の生まれだ、セナ村からかなり離れた森の中の廃れた一軒家だそうだ、あの屋敷より状態は酷いらしいがとりあえずは雨風をしのげるそうだ」
「良いお屋敷なのにあっと言うまでしたねベルさんルディさん」
コッキーはとても残念そうだ、セナ村の屋敷をかなり気に入っていたのだろう。
「まずは僕がジンバーの中を偵察してくる」
ベルが以前潜入した後に作った大まかな地図を三人に見せた、灯のない裏路地だがこの三人には都合が良かった。
「ベルさん、暗いのに地図が見える気がします」
「コッキー慣れてくるともっと良く見えるようになるよ、さてアゼルは魔術師なのに外に力を出さないから普通の人以上にわかりにくいんだ、気が薄いらしい」
「ああ、俺もその話は聞いている、無駄な力を放出しないのは術士として優秀な証らしいが」
ルディはその話はエルニアの魔術師の中で有名だったのを思い出した、その気の薄さが魔術の心得の無い者にまで影響を及ぼしていた、アゼルは人の印象に残らず忘れ去られやすい。
だが探知されにくさは戦いで武器にもなりえる、ただし術を使う時はそうもいかないらしい。
「逆に子供達が前と同じところにいるなら南門に近い場所だ、すぐに見つかる」
ベルが以前子供達が閉じ込めらていた倉庫を指差した、そこにはやはり記号が書かれている。
地図を見ながらルディが疑問を感じて口を開いた。
「この商会はかなり広いぞ?」
「前に潜入したおかげでかなりわかったよ、この商会のこの南の開かずの門の近くが特別な区画になっている、ソムニを保管している建物もここにある、アゼルも近くにいる可能性が高い、他は普通の事務所や倉庫や使用人の宿舎なんだ」
ベルが指差した場所には『ソムニ』と書き込まれている、子供たちが閉じ込められていた倉庫からも近い。
「わかったベルはアゼルの場所をまず突き止めてくれ、その状況から作戦を立てよう、俺たちはしばらく待機する」
地図を覗き込んでいたコッキーがジンバー商会の西側の路に記入されていた文字が気になったようだ。
「この『現場』ってなんです?」
ベルが突然挙動不審になった、ルディもすぐに理由を察したがとまどう、はたして言うべきか?
「ここはジンバー商会の連中が二人殺られた場所なんだ…」
ベルが正直に話す事にしたのでルディは少しほっとした。
「あっ!わかりましたのです…」
コッキーは察して俯いてしまった。
そこは死霊に操られたコッキーがオーバンの護衛二人を惨殺した現場だった。
「私は何をするのです?」
「俺と一緒に待機だ、アゼルと子供達を救出したら逃げるのを手伝ってもらう、ベルと二人で敵を止めねばならなくなるかもしれない」
彼女はそれに納得したようだ。
「まだ戻って来ていないのです…」
ルディはその言葉の意味が理解できなかった、ゆっくりとコッキーに聞かなければならない事が山程あるが今は救出を急がなければならない。
三人は裏路地をジンバー商会に向かってゆっくりと動き始める、開かずの門と言われた南門がしだいに大きくなってきた。
「じゃあ僕は中を偵察してくる」
「前よりも警戒が厳しくなっているはずだ、無理なら引き上げてこい、その場合は力ずくになる」
「わかった、騒ぎが起きたら強行で、じゃあ行ってくる」
ベルは精霊力を軽く解き放つ、彼女の全身に力が漲りしなやかにすべるように動き出した、ベルはその動きがよりしなやかに柔らかく進化している。
ぴっちりとした修道女服が鍛えられた彼女の体の線を浮き立たせた、その強靭な体の動きを美しいとすら感じてしまう、そんな彼女の後ろ姿に見とれてから自嘲した、修道女の尻に見惚れていてどうすると。
「ルディさんどうかしました?」
薄く苦笑いを浮かべたルディに気づいたコッキーが下から上目使いで見上げていた。
「すまん考え事をしていた」
ベルはジンバー商会の通りをはさんで南に面する倉庫の屋根に飛び上がり素早く伏せる。
そこから敷地の中を見下ろせる場所に移動した、ソムニが保管されている建物の屋根の上に見張りがいた、見張りは姿勢を低くして周囲を監視している。
「あいつじゃまだ」
建物の周囲は篝火で明るく照らし出されてていて簡単には近づけない、精霊力を使った探知は中にいる術者に気づかれる怖れがあった、そこで心を落ち着かせ命の光の在処を感じ取る事にした。
詳しいことまでは解らないが建物の内部は生ける者の存在感に満たされていた、非常に厳重に警備されているようだ。
その建物の反対側に子供達が閉じ込められていた小さな倉庫がある、小さな建物の中に人がいるのを感じたが詳しい事まではわからない、そこで思い切って精霊力の探知の網を放とうとして思いとどまる。
森で獲物を見つけるわけじゃないのだから、目的の方向だけ探れば良いのではと思いついたのだ。
たしか魔術にもそのような術があるらしい、聖霊拳の達人と戦う前に鋭いえぐりこむような視線を感じた事を思い出した。
そこで意識を狭めてそこに精霊力の網を集中させる、何度か繰り返しその度に首をひねっていたが。
「できた!」
ついにベルから歓声が漏れた、喜びとどこか得意げな響きがあった。
その倉庫の中には四つの命の光があった、その光には見覚えがある、囚われていた四人の少年達に間違いない、その倉庫の近くには小さな倉庫が幾つか並んでいた、アゼルがそのどれかに囚われている可能性もある。
一つずつ倉庫の気配を探るが内部から何も感じることができなかった。
ベルは落胆したがふとある倉庫が気になった、頑丈そうな石積みの建築だがあまりにも気配が無い。
人がいなくても小さな生き物の気配を薄い気配として感じる事ができる、それすらまったくない虚無をその倉庫から感じたのだ。
前に潜入した時もその倉庫があったような気がしたがあの時は異常に気づかなかった。
そこでその建物に先程見つけた精霊力の探知の網を収束して放つ。
「何も返ってこない!?」
その建物に全ての精霊力が飲まれそこだけ石炭穴の様になっていた、ベルはその異常な建物の中にアゼルが拘束されている予感がした。
「一度ここまでの事を報告しておく」
ベルは静かに倉庫の屋根の上から姿を消しさった。