幕間劇
ルディとベルはハイネの夜の空に消えた真紅の怪物を呆然としたまま見送る事しかできなかった。
「アイツ大きなキノコみたいなの抱えていたよね?」
ルディの隣に寄って来たベルが気が抜けたようにつぶやいた。
「俺にもそう見えたぞ」
「あの白い奴も居なくなってる…」
そして畑に空いた大きな穴を見た、魔術攻撃で生じた大穴が畑に二つほど空いていた。
これを成すためにどれだけの力が必要なのかルディにもベルにもはっきりとは解らない、だがあの強大な力と威力から上位の魔術だろうと察していた。
「ベル、コッキーはどこだ?」
「あっ!?あそこだ!!」
ベルが指を指した先の畑でコッキーが倒れていた、二人は慌てて駆け寄りルディが慎重に彼女を抱き起こしてやる。
「かなり怪我をしているが浅い、気を失っているだけだ」
「さっき凄い力をコッキーから感じた、体も少し変化していたように見えたけど」
その時二人は重要な事を失念していた事を思い出す、真紅の怪物との激しい戦いと急転する状況で判断力が鈍っていたのだろう。
「いかんセナ村が襲われていると言っていたな!」
「そうだ急いで行こう、アイツのせいで時間がかかりすぎた!」
「いや、ベルは残ってくれ!コッキーと聖霊教会を頼む!」
ベルは一瞬だけ躊躇したが意を決した。
「わかった、アゼルが心配でしょ?早く行ってあげて」
ルディとアゼルは古い付き合いだ、ルディガー公子の生母はアゼルが生まれたメーシー一族と縁が深い、その関係で古くからの知古だった。
気性が違うからか不思議と友人としてうまが合い、決められたわけではないが主従のような関係を長い間保ってきた。
ちなみにアゼルはベルを目の敵にしていたが、彼女がお転婆で態度がふざけていた事と、魔術を小馬鹿にしていたせいでそれほど深刻ではない。
「すまんな」
その一言を残してルディは魔剣を鞘ごと背に背負い、セナ村に続く細い田舎道を振り返る事もなく走り出す、そして力を解放し容赦なく加速する、この時刻ならば畑には誰もいない、暗いため目撃される怖れもなかった、徒歩で一時間程の距離を五分程の短時間で走り抜ける。
セナ村の外周に近づくと速度を落としながら視力を強化した、夜の暗闇でも僅かな明かりがあれば周囲を鮮明に見る事ができた。
これはベルが二年間の森の生活で発見した力の使い方だった、魔術と違い教師もいなければ経験者もいない中で試行錯誤しながらベルが見出してきた力の使い方だ、ルディもその力の使い方に慣れてきていた。
視界の中で屋敷の周囲の森がひどく荒されている、灌木が踏みにじられ倒された木々が目立つ。
大勢の人間に踏みにじられた跡が村の周囲に爪痕を残していた、屋敷の影が見えてくるところまで近づくとそこで精霊力の探知を放つ。
「結界が無い!!」
ルディは驚いて思わず叫んだ、アゼルが張り巡らせた結界の存在感が消えていたのだ、それに屋敷にも周囲にも生命の反応が無い。
「遅かったか!!」
口を噛み急ぎ屋敷に向かうが屋敷は真っ暗で窓明かり一つ無い、悪い予感にかられ焦るが、待ち伏せに備えてまた探知を放つ、だが屋敷の中も外もまったく人の気配がなかった。
裏口から台所に入ると夕食の支度が途中で放棄されていた、炉はまだ温かく火が消されて間もないようだ、ところが居間に入ると外で火が燃える明かりが窓から見える。
あわてて玄関から外に出るとかなり離れた畑の真ん中で何かが燃えていた。
急いで駆け寄り何が燃えているのか確認する、木か植物の燃え残りが火を上げているだけだった、灰を足で蹴ると人の骨の様な物が出てくる。
ルディはぎょっとしてさらに探ると、大柄な人の骨が次から次と出て来る、その骨はかなり長くて太かった。
そこから頑強な大男を想像してルディは少し安心した、だがなぜこの男が火葬されているのかまではわからない。
ふたたび屋敷に戻り無人の屋敷の中を調べる。
アゼルの小部屋はやはり防護魔術も解除され、部屋の中にほとんどめぼしい物が残っていなかった。
全ての部屋は扉が開け放たれている、コッキーの私物も無くなっていた、ベルが自分の荷物を全て聖霊教会の修道女館に移動させていた事を思い出した。
「まてよトランペットはどうなった?コッキーが持っていたか?」
思い出そうとしたがはっきりとわからない。
次に二階の子供たちに割り当てられた大部屋に向かう、室内はあらされていたが血痕なども無く一安心する、だが一刻も猶予は無かった、先程の戦いから誘拐された子供達があの化け物共の餌食にされている疑いが持ち上がっているからだ。
コッキーの怒りの叫びを思い出した。
『子供を誘拐していたのは血を吸うためか!!』
「アゼルと子供たちはどこだ?ジンバー商会だと思うが…この屋敷を見張る者を残しているはずだ」
精霊力を高め探知範囲を広げたがそれらしき手がかりが見つからない、小動物のかすかな命の光しか感じることができなかった。
屋敷の裏口から出ると屋敷のまわりの森の中を音もなく調べ始める、見張りが屋敷から十分な距離を保ちながら配されている可能性は高い。
しばらく捜査をすると森の中に大きな命の光を感じた、それはまちがいなくそこに人がいる。
ゆっくりとその光に背後から迫った、精霊力が暗視力を高め不便はない、そしてその男は背後から気配を完璧に消して迫る超常の敵にまったく気づかなかった。
「コッキー!起きて」
ベルはコッキーの上半身を抱え、頬を軽く叩いて起こそうとしたが目を覚まそうとしない、聖霊教会が気になるのでコッキーを抱きかかえて礼拝堂に向かう事にする。
彼女を抱きかかえると前より少し重くなっている様な気がした、幽閉されている間に太ったのだろうか。
そんな疑問を感じたベルは礼拝堂の前にサビーナが倒れているのを見た、ベルはサビーナの事をすっかり忘れていたのだ、コッキーを抱きかかえたまま一気に彼女の処まで駆けた。
少し乱暴にコッキーを草地の上に転がすと、サビーナにはい寄って彼女の頬を叩いて起こす。
「サビーナだいじょうぶ?」
サビーナは何か寝言をつぶやくと薄っすらと目を開ける。
「まあベルさん…」
「サビーナ気がついた?」
何が起きたのか彼女はしばらく思い出せない様だ、だが次第に意識が戻ってくる。
「ベルさんあの人達は!?」
「もういないよ、引き上げた」
サビーナは心のそこから安心したようだ、だがすぐに顔が変わる。
「子供達は!?子供達はどこ?」
サビーナが慌てて立ち上がり礼拝堂の入り口に駆け寄った、半開きの扉を開け放ち中に走り込む、ベルも慌ててサビーナの後を追った。
サビーナは礼拝堂の真ん中で倒れ伏しているファンニと女の子達と二人の老婦人の姿を見て膝を床に着いた。
「良かった皆んないたのね、そうだファンニ起きて、起きてちょうだい!」
「あいつの魔術でみんな眠らされたんだよ」
あの真紅の怪物が周囲一体を黒い霧で包んで眠らせたのだ、もしかすると周囲の街の住民もまるごと眠らされているのかもしれない。
あの怪物は上位の魔術を連発していたのではないかと思い至り、彼女の凄まじい魔術の力に今になって戦慄していた。
「あっコッキーも入れてあげないと」
ベルは慌てて礼拝堂の側の草地に寝ているコッキーを抱き上げ、礼拝堂に運び入れると礼拝堂の長椅子の上に寝かせる。
「とりあえずみんなを長椅子の上にねかしましょう」
サビーナが子供達を抱き上げては長椅子の上に寝かせていく、かなり重そうだ、
ベルはファンニを軽々と抱き上げて長椅子に寝かせた、そして老婦人達を移して行く。
サビーナは大人達を軽々と抱き上げて運んでいくベルに驚いていた。
それが終わるとサビーナはコッキーが寝ている長椅子に座ると青いボロボロのワンピースの少女をまじまじと見る。
「この娘がベルさんが探していたお友達ね、たしかリネインの孤児院の娘だったかしら」
「うん、セナ村で男の子たちの面倒をみてくれていた」
ベルも小さな丸イスに腰かける。
サビーナがそこで何かに気づいた。
「ところでルディさんは?」
「セナ村に向かったよ、セナ村の屋敷が襲われたみたい、コッキーはそれを伝えに来たんだ、ルディはさっき屋敷に向かった」
「そういえばこの娘がそんな事を叫んでいたわね、村にはアゼル様と子供達しかいないのでしょ?どうしましょう!!」
「向こうにも敵が向かうとは思わなかった、ごめんいろいろ上手く行かなくて」
「エルマが言っていたわ、誘拐した子供達の血を吸っているそうよ、ベルさん達がいなかったらこの娘達がどうなったか」
「やっぱり血を吸うんだな、コッキーも言っていた、あの赤い女もそんな事を臭わせていた、くそっ!」
ベルは舌打ちをした、サビーナは立ち上がり寝ている女の娘達のところを廻りはじめる。
「ねえサビーナ、あの白い小さい奴と何があったの?」
「あの娘はこの近くに住んでいた娘なのよ」
「なんだって!!」
ベルが思わず椅子から立ち上がる、木の椅子が音を立てて倒れた。
「誘拐されて行方不明になっていたのよ、もう二ヶ月ほど前の事」
「人間だよね?」
「もちろんよ!!」
一瞬だけサビーナは憤慨し元気になったが、すぐ萎れてサビーナは顔を振りながらつぶやいた。
「私には良くわからないけど、血を吸われて『けんぞく』になったと言っていたわ」
「なんだろう『けんぞく』って、アゼルに聞けばわかるかも」
「アゼル様は無事かしら、向こうの子供達も心配だわ」
「今は待つことだよ、そして今できる事をやろう」
「そうねまずファンニとお婆さん達を起こします、何をするにも手が足りないわ」
「じゃあ僕は聖霊教会のまわりを見てくる、気になることがあるから」
「ベルさん、この娘はどうします?」
「コッキーは魔術で寝ているわけじゃあない、コッキーは力を使いすぎたのかもしれない、しばらくそっと休ませれば大丈夫だと思う」
ベルは愛剣をつかみグリンプフィエルの鞭の輪を肩にかけると礼拝堂から出ていく、サビーナが倒れていた丸イスに気づいて立て直し、まずはファンニから起こし始める。
聖霊教会から出たベルはまず戦いになった畑に向かった。
「捕縛人の武器が消えている!」
捕縛人の卑猥な得物を回収しようと思ったがすべて消えていた、残念な気持ちとホットした気持ちが同居する、あれを持ちたくないし使いたくもなかったが『無銘の魔剣』を受け止められる武器は必要になると思ったのだ。
次は周囲の街を調べはじめた、あれだけの戦いが起きたのに誰も外に出てこなかった、近所の住民がまるごとかなりの範囲で眠らされているのだろう。
礼拝堂の前の屋根に大穴が空いたアパートを見上げる、ベルが空けた穴だが名乗りでるわけにもいかないので心の中でそっと家主に詫びる。
そして聖霊教会の南から接近してくる強い精霊力を遠くに感じた、だが距離はまだまだ遠い。
「これはルディだ!」
ベルは最近その輝きからその主がだれか何となく解かるようになっていた。
いそいで礼拝堂に戻る。
「ベル戻ったぞ!!」
「きゃっ!」
礼拝堂の扉が勢いよく開け放たれる、すでに起きて子供達を見ていたファンニが驚いて小さな悲鳴を上げた。
「ルディさん子供達は無事ですか!!アゼル様は?」
ベルが口をひらく前にサビーナがルディにかけより声をかけていた。
「そのようすだと手遅れだった?」
ベルも顔を厳しく引き締め丸椅子から立ち上がる。
「ああ、俺が屋敷に着いた時にはも抜けの空だった、近くに見張りがいたので締め上げたがジンバー商会の者だった、捕虜はジンバー商会に運ばれた様だ」
ベルはあえてどうやって吐かせたか考えないことにした。
「急ごうルディ、アゼルが尋問されるはずだ、あと子供達の命が危うい」
ルディもそれにうなずく。
「ベルさんルディさん、間に合いませんでしたか?」
とつぜん静かで落ち着いた透明感のある声がする、それはコッキーの声だった、その場にいた全員が驚いて彼女を見ると長椅子の上で起き上がった彼女が腰かけ直しているところだった。
「私も行きます、きっとお役に立てるようにがんばるのです、私も男の子達を助けたいのですよ」
「わかったコッキー、だが無理はさせられないからな」
ルディを見た彼女はそれに率直にうなずいた。
「あれ?そういえばトランペットはどうしたの?」
ベルはコッキーが首から下げていたトランペットが無いことに遅まきながら気がついた、ルディも思い出したように身を乗り出してきた。
「たぶんピッポさんの仲間の男の人に奪われてしまいました」
コッキーの顔が悲痛に変わりうつむいた、どこか恥ずかしげにさえ見えた。
「「なんだって!!」」
ルディとベルの声が思わず唱和する、しかし二人はコッキーから神の器を奪ったその男に密かに感心し驚き呆れていた、いったいどうやって奪ったのだろうか?
だが同時にアゼルの言葉を思い出していた、神の器はかならず真の持ち主の元に還ってくると。