偽りの商隊
すでに日も昇り、三人は爽やかなエドナ下ろしの朝の風を受けながら山道を下って行く、ベルは上機嫌に鼻歌を歌いだした。
「この道を進むとまもなくテレーゼとアラティアを結ぶ街道に出ます、そこを左に進むとテレーゼの東北端のラーゼ子爵領に至ります」
ガイド役のアゼルがラーゼへの道のりを説明する。
「テレーゼは内戦状態だ、治安が悪く犯罪者の楽園になっている、領主達もそれなりに治安維持に努力しているが、犯罪者が領境を超えれば捕まらない状態だ」
テレーゼの政治情勢に詳しいルディがそれを補足した。
「それでもこの先のラーゼ領は比較的安定していますがね、私はラーゼまで買い出ししていたのですよ」
「なら僕の剣の鞘も手に入るかな?」
ベルは布で巻いただけの愛剣が気になるのだ。
「武器商人や職人もいるのでなんとかなると思います、他にも必要な物を手に入れましょう」
「断っておくが俺は一文無しだぞ?」
堂々と自慢げな態度で主張しだしたルディの腹にベルの拳が軽くめり込む。
「なんだよその態度は」
「そう言う貴女はどうなんです?」
「二年間の間に毛皮を売ったりチンピラ締めて没収したお金が、ななんと帝国金貨17枚!!」
それはボルトの市場のベルの馴染みの商人の口上に良く似ていた。
「けっこう金持ちじゃないか」
ルディはとても良い笑顔で喜んだ。
「本当ですかね?」
アゼルが少し疑わしそうな顔をした、お転婆で有名なベルだがしょせんは名家のお嬢さまにすぎない、アゼルにはそんな気持ちがあるのだ。
するとベルが突然ピョンピョンと跳ね始めた、彼女の背嚢からジャラジャラと音が鳴り響いた。
「君達?この音が聞こえないの?」
「おっ!?そうか!!ベルから時々聞こえて来た金属音は金貨だったのか」
ルディは満足気に頷いた、小さな謎が今解けたのだから。
「私もかなりのお金を持っていますよ、庶民の一家ならば半年は遊んで暮らせる備えがあります」
「やったね!!しばらくお金に困らないよ」
ベルの機嫌がまた一段と良くなった、ピョンピョンと跳ねる度に彼女の背嚢からジャラジャラと音が鳴った。
「あとラーゼで本や道具など知人に返したい物があります、それ以外は売却しお金に替えます、このロバも売ります」
「物を運ぶには便利でしょ?」
「ロバは買い出しや重いものを運ぶには便利でした、ですがこれからは足手まといになりますからね」
「うむ確かに馬や馬車での移動に差し触りがでるな」
遥か彼方の森の緑の絨毯の上に、視界を横切る様に暗い緑色の線が走っている。
「あそこに街道があるのか?」
「そうです、左に行くとテレーゼのラーゼ子爵領に向かいます、右はアラティアです」
「僕はボルトとアウデンリートしか町を知らないからラーゼが楽しみ」
ルディは先程から妙に高揚しているベルを温かい目で眺めやった。
そこから30分程山を下っただろうか、街道との合流地点に近づいてきた。
「まって!!T字路の手前に人がいる、近くの森に隠れている奴らもいる」
異常なまでの探知力のあるベルが異常な気配を察知し警告を発したのだ。
三人は素早く脇の森に入り身をかがめる。
「ベルあなたには何か見えるのですか?」
アゼルは不審気にベルの顔をまじまじと見つめる。
「僕は元々視力がいいんだ、特に神隠しの後はね」
「ああ、そういう事でしたか」
アゼルはロバの轡の紐を木に縛り付けルディ達の所に戻ってきた。
「まさか宰相の息がかかっている連中に待ち伏せされたのか?」
「うーん、奴らは街道の方を監視している様に見える」
ルディ一行がエドナから下ってきた道は地元の樵や猟師しか使わない道だ、この道はエドナ山塊に至るがその先は無い、エルニアからテレーゼを結ぶ旧街道はここから遥か南のバーレムの森に埋もれている。
「精霊の目を使うにはここからだと遠すぎますね」
見たところT字路までまだ200メートル程の距離があった。
「確認できる限りで20人以上いるね、でも街道の反対側に奴らの仲間が何人いるかは良くわからない」
「ここはラーゼ子爵領の外れでアラティア王国との間の緩衝地帯です、両方が定期的に警備巡回を出していますが治安上の穴です、強盗には理想的な働き場所ですね」
街道の事情に詳しいアゼルが警備状況を説明した。
「このまま進むと奴らの真ん中を通るけど迂回する?ルディ」
「しかし野盗の類を放置して良いものか」
「殿下、私達は目立つべきではありませんよ?」
「まって、右側から商隊が来た、馬車が三台に護衛もいる」
やはり最初に異変を察知したのはベルだった。
ルディがその方向を確認すると、アラティア方面から三台の幌馬車と数人の騎馬に守られた商隊らしき集団がこちらに向ってくる。
「あの商隊が襲われるのであれば見捨てる事はできない!!」
ルディは小走りで街道に向かって行く。
「えっ!?行くの!?」
ベルも背嚢をロバの側に置き、愛剣を引き抜きルディに続く。
「二人とも待ちなさい!!」
アゼルは彼らを止めるが二人はどんどん進んでいく。
「そうでした、そういう方でしたね殿下」
諦めた様にロバの背から愛用の魔道杖を取り出した。
「エリザベスはここで荷物を見張っていてくださいね、頼みましたよ」
『キゥ!!』
ロバの上にちょこんと座っていたエリザが敬礼した様に見えた。
そしてアゼルもまたルディ達を追いかける。
接近するにしたがい、待ち伏せしている男たちの様子が見えてきた、彼らの装備は薄汚れ金属部分は錆付いている、彼らの顔も無精髭を伸ばし放題で垢で黒光しているように不潔そうだ、まさしく野盗の群れと言って良い。
接近してくる商隊の護衛は使い込まれた装備だが手入れは万全で服装も清潔で熟達の戦士に見えるがいかんせん数が少ない。
遂に襲撃者と商隊の護衛との間に戦いが始まった。
襲撃者達は口々に喚声を上げ襲いかかる。
「コステロぶっ殺してやる!!」
一際野太い怒声が響きわたった。
「どこにいやがる?」
ルディは不審を抱いた、ただの強盗ではなく怨恨絡みではないかと思ったのだ。
その直後に幌馬車から次から次へと武装した男たちが飛び出してきた。
ルディは走るのを止め左手を横に伸ばした、後ろから付いてきたベルもそれで足を止めた。
「商隊の護衛は襲うのは危険だと威圧する為に居るのだ、野盗を誘き寄せて叩く為に居るわけではない」
「確かに恨みで襲ってきた連中を返り討ちにしている様に見えるね」
護衛は総勢20人以上に膨れ上がった、それでも襲撃者の数の方が遥かに多い。
だが護衛の方が遥かに腕が立つようで襲撃者を次から次と切り倒し逆に押し始めている。
その時アゼルが後ろから追いついてきた。
「あれは警備隊が野盗を罠に掛けたのでしょうか?」
「違うようだ、あれは怨恨による私闘だ様子を見よう」
「くそ!!コステロ!!出てこい顔を見せやがれ!!」
襲撃者のリーダーらしき頭の禿げた筋肉質の大男が喚き立てている。
その叫びを聞いたのか、中央の幌馬車から男が出てきた。
長身で上等なスーツに黒い帽子、丸い金縁の黒い遮光メガネをかけている。二枚目ではないが長い顎髭と無精髭の精悍な壮年の男だ。
そして一瞬だけこちらを見たが、襲撃者のリーダーらしき大男に視線を戻す。
「おやおや、路傍のクソ共諸君、まだ生きていたのかね?」
「コステロ!!!!」
「オツムに筋肉が詰まったエッベか、何か他に話せないのかね?君は?」
襲撃者達は浮足立ち始め逃げ腰になりはじめていた、そのリーダーらしき大男は状況を見て取ったのか。
「いいか、覚えていやがれ!!!」
などと捨てゼリフを残し、エッベと生き残りの襲撃者達はルディ達と反対側の森の中に逃げ込んでいった。
「いやはや、他に話せると思ったらそのセリフは無いだろ?なあ」
コステロは大声で嘲笑った、護衛達がまだ息のある襲撃者に止めを刺していく。
そしてコステロはこちらを向いた。
「そこの旅の方々、我々に加勢してくれるつもりだったようだが迷惑をかけたな、奴らは以前叩きのめした盗賊団で俺を逆恨みしているんだ」
ルディはその言葉を信じていなかった、状況からもっと深い理由があると察した、だが。
「そちらも無事で良かったではないか」
コステロの表情に僅かに驚いた色が走った、遮光ガラスで目が見えないのが残念だが。
「ああそうだ挨拶が先だ、俺はハイネの商人エルヴィス=コステロと言う者だ、アラティアからの帰りで奴らのケチな計画を知ったので返り討ちにしてやったんだ、ところであんたらは?」
アゼルがそれに答えた。
「私はアダム=セイラー、エドナ山塊に調査に行った戻りですよ、彼女はこの山のガイドのララベル、そこの男はルディ=マーシー護衛兼助手です」
「ほうほう」
「どうも胡散臭いね、あのおっさん」
ベルが小声で呟いた。
「ベルサーレお嬢さま、あのおっさんは無いでしょう?」
アゼルが小声で返す。
「だがこちらもまったく無事と言うわけでもないんだよな、ところで君は魔術師ではないかな?」
「たしかに私は魔術師ですが?」
「怪我をした者が出ている、治療をお願いしたい、お礼はするぜ」
ルディはアベルを振り返り小声で囁く。
「すまんが頼む」
「解りました私が治療をいたしましょう、水精霊と相性が良いので治療術は得意なのです」
「ありがてえな、エリオット隊長あとは頼む」
エリオットと呼ばれた護衛隊の指揮官らしき者が負傷者をまとめ、アゼルが数人の負傷者の治療に当たる。
護衛達は口々にアゼルに礼を述べている。
その間に手の空いた護衛と商隊の者達が穴を掘り始めた。
落ち着きを取り戻した商隊から離れたコステロがルディガー達の処にやってくる、ベルの表情に僅かに警戒の色が浮かんだ。
「どうだい、ラーゼ方面に向かうなら俺達と来ないか?」
コステロの申し出にルディが答える。
「先生の荷物を運んでいるロバがいるので付いていけませんよ、コステロさん」
「なるほど残念だな」
そうしている間にアゼルの施術が終わった、後は商隊に付き添いの医者が治療を引き継ぐ、術士の治療を受けると治りが極めて早い上に事後も良好なのだ。
エリオットは相場よりかなり良い金をアゼルに渡した、コステロはケチでは無いようだ。
護衛達は掘った穴に盗賊の屍体を放り込み始めた、商隊を襲う盗賊を返り討ちにしてもなんら問題は無い、場所にもよるが領主の治安組織に通報するか引き渡す必要がある、だが帰属が曖昧な土地では、街道の盗賊の屍体は倒した者が埋葬するのがマナーとなっていた。
「さて後始末も終わった様だ、俺達は先に行くからな、ありがとうよ」
コステロは手をひらひらと振り馬車に乗り込んだ、そして商隊はラーゼの方向に進み始める。
三人は商隊の後ろ姿を見送った。
「ルディ視線を感じるよ、こっちを見てる連中がいる」
「ああ?さっきの野盗共か?」
「とりあえずロバのところまで戻りましょうか」
「あの馬車の奴らも訳ありな感じだったよね?」
「そうだな堅気の商人には見えなかった」
ロバが繋がれている森に戻ると、エリザがロバの上で大人しく留守番をしていた。
「エリザベスお留守番ご苦労様でした」
『ウキッ』
ベルは背嚢を背負い愛剣をそのまま抜き身で握り締めたままだ。
「さて行きますか、ただし途中にお迎えがいるかもしれませんが」
一行は街道のT字路まで再び戻り左折しラーゼ方面に向かう。
「奴らがこの先に先回りして待ち構えているのに帝国銀貨一枚」
ベルは賭けを提案した。
「わたしも同じです」
「俺も同じだ」
「賭けにならないじゃないか!!」
しばらく進むと薄汚いガラの悪い数人の男が現れ道を塞ぐ、その中に先程の野盗のリーダーがいる。
左右の森からも数人の野盗が出てきてルディ達を取り囲む、そして後ろにも数人回り込んできた、総勢20名近くいるだろうか。
「てめえら、奴らを治療してただろ?見ていたんだぞ?」
「仲間の敵だお前ら皆殺しにしてやる!!」
「その女は殺すなよ、お楽しみの後殺してやるからな」
男たちが下卑た笑いを立てた。
ルディはベルの表情を慌てて確認した、ベルは台所の虫けらを見るような蔑んだ表情をして野盗達を見回している、ルディは安心した、まだあまり怒って居ないようだなと。
「汚いおじさん達、八つ当たりは止めなよ?」
ルディはこの一言でベルの内心の怒りを察した。
リーダーのエッベが激昂して喚き立てる。
「てめーから犯してからぶっ殺してやる!!!!」
「ルディこの人達には話が通用しそうもないよ?」
野盗達はそれぞれ得意な得物を振りかぶりながら三人に襲いかかってきた。
その瞬間、血の霧に辺りは包まれた、ベルがその霧の向こう側に瞬時に移動し包囲の外側に立っていた。
その時には三人の野盗が崩れるように倒れ伏していた、その場に居たものは皆その出鱈目で現実離れした光景に心を奪われ、血の霧の向こうに立つベルの姿を美しいとすら感じた。
ちなみにベルは瞬間移動したわけではない、瞬発的な加速のため少し見え難かっただけなのだ。
そして鈍い音を聞いた野盗達が我に帰る、音のした方を見た者は、胸に巨大な氷柱を生やした仲間が二人倒れ伏しているのを目撃し唖然となる。
そして呆然とした男の胸に氷柱が突き刺さり後悔する間もなく意識を失う。
魔術師は非常に数が少なく術の行使を見た事がある者は少ない、だが野盗達もさすがにその意味を理解した。
そしてルディは頭のエッベを狙い斬撃を叩き込もうと邪魔になる者は総て粉砕する気迫で前進を開始した。
エッベは愚かではあったが、歴戦の戦士の感が奴とはまともに戦ってはいけないと叫びを上げる、だがエッベより更に愚かで鈍い4人の仲間達がルディを半包囲状態から同時に斬りかかる。
そのおかげでエッベにルディから距離をとる余裕が産まれたのだ。
ルディが魔剣を斜め上から一閃させた、最初にその剣を受けた男は剣で受ける間もなく、錆びついた手入れの悪い胸甲ごと上半身を切り裂かれ、剣はそのまま二人目の腰にめり込み、ルディは更に体を捻り込み残り二人の剣を弾き回避し再び剣を構えた、澱みのない流れる様な剣筋にして圧倒的な力を秘めた剛剣だった。
腰を砕かれた男が壮絶な絶叫を上げた。
そして間髪置かず第二撃が叩き込まれる、剣で受けた男はそのまま剣ごと首を切り裂かれた、その男は自分の剣がチーズの様に切り裂かれる様に驚愕した表情を貼り付けたまま絶命した、そして剣はそのまま奔り抜け四人目の胸にめり込む、4人目の男も短い絶叫を上げ倒れ伏した。
我に返った野盗達はアゼルを倒そうと殺到していたが、ベルが彼らの側面から死の旋風と化して切り込んでいた、その混乱状態から更にアゼルの攻撃が野盗達に突き刺さって行く。
何が起きたか理解できないうちに野盗達は戦力を失っていった。
僅か数秒の間に野盗団は壊滅していた、その時にはエッベは賢明にも逃げ出していた。
残った者達も士気を完全に喪失し逃亡を始める、ルディ達は逃亡する者を追う気は無かった。
盗賊への興味を既に失ったルディは、地面に落ちている綺麗に切り裂かれた剣先を真剣な表情で見つめていた。
だが逃げるエッベはこの時一つだけミスを犯した、好奇心から後ろがどうなったのか振り向きたくなったのだ、エッベが立ち止まり振り返った時、凄まじい速度でガントレッドの鉄拳がエッベの顔面を直撃した。
地に転がっていた野盗のガントレッド、それをベルが完璧なコントロールで投げつけたのだ。
エッベは顔面を血まみれにしながら足を縺れさせながら逃げていく。
「てめえら殺してやる!!絶対殺してやるからな!!!今に見ていろ!!後悔させてやる!!!!!このアバズレ女が!!!!!」
エッベの叫びは美しい大森林の空に遠く木霊して消えていった。