エルマ大変
コッキーは小走りでこちらに向かってくる白いドレスの少女を怖れた、自分より小さな可愛らしい女の子に体が震えて止まらない、コッキーの直感が少女が人では無いと告げている。
だがその少女を見ているうちに、怒りと憎しみの感情が心の深淵から湧きあがってきた、愛らしい美しい少女の姿なのに理不尽な怒りが湧き上がる、セナ村を襲った化け物に感じたのと同じ怒りがコッキーの恐怖を塗りつぶしはじめる。
コッキーの心の弱い部分がそれに抵抗できずに流され飲まれかけていた。
「こわい顔しているわね」
白いドレスの少女が笑いかけた、鈴を鳴らすように透明で繊細な美しい声だ。
「私はエルマ、あなたは?」
コッキーはそれで我にかえった。
「私はコッキー=フローテンなのです」
「あらファミリーネームがあるのね、私にはないけど」
年齢はコッキーの方が上のはずだがそれを感じさせない。
白い少女は人形の様に精緻で繊細な美貌の持ち主だった、だがコッキーにはそれが禍々しい物にしか感じられない、セナの屋敷の前で戦った巨大な人形や骸骨と同じ臭いを感じていた。
再び少女への嫌悪が湧き上がりくすぶる。
「あなたはお化けなのです」
エルマの眉が釣り上がる、自分でわかっていても他人から言われると気分が悪くなるのだろうか。
「あら同感だわ、私もあなたがきらいよ!」
コッキーは思わず武器をきつく握り締めた、急いで意識の深くを探るが門の彼方から延びる光の糸はまだ戻ってきていない。
ベル達を縋るように見た、二人は真紅の女性と黒い小人達を相手にしている、その真っ赤な女性が目の前の少女を遥かに上回る危険な存在なのだと理解する。
そして驚いていた、ベルとルディのこれほどまでに真剣な表情を見たことがなかったから。
もし神がこの場にいたならばバーレムの森でグリンプフィエルの猟犬と対峙して以来だと教えてくれたかもしれない。
ベルとルディから完全に余裕が消えていたのだ、はやくアゼルと子供達を助けにセナ村のお屋敷に戻らなければならない時だと言うのに。
「よそ見しないで、あそびましょ」
エルマが一瞬で距離を詰め、その顔がコッキーの目の前に迫った、それを捕縛人の得物でさえぎり、得物の真ん中でくるりと半回転させてエルマの両手の爪の攻撃をはじく。
その動きに二人とも驚いた、そして二人は距離を保つため後ろに飛び退る。
「なぜ、貴女が驚いているの?」
「よくもツメでひっかこうとしましたね、なぜかわかりましたよ?」
相手が質問にまともに答えず少しずれた答えを返してきたのでエルマは不機嫌になった。
「貴女はわたしの獲物なの、どうしようと私の好きにしていいの!」
「私の血を吸うのですか?おとぎ話に出てくる悪いお化けです、わるい子はお尻ぺんぺんしますよ?」
なぜかベルのうめき声が聞こえた様な気がしたが、コッキーはそれを無視して気をとりなおしエルマを睨みつけた。
「貴女にできるの?」
エルマがすこし嘲るように問いかける。
「こんな事してられません、はやくセナ村に帰らないといけないのです!」
そしてコッキーは持てる力を総て解放した。
「そんな変な武器は似合わないから、すてればいいのに、あなた気にならない?」
エルマは挑発をやめない、年上の少女をさらに煽る。
「孤児院の子供たちの世話をしてきたのです、いまさら平気なのですよ」
「…そうなんだ、孤児院の子なんだ」
エルマは小首をかしげてから笑った、その口から鋭い牙の頭が覗く。
「身寄りがいないなら死んでも平気ね」
その瞬間コッキーの美貌がゆがみ鬼と変わった、その凶相にエルマがたじろぎ僅かに怯えが浮かぶ、そしてコッキーは激怒しエルマに襲い掛かった。
「子供を誘拐していたのは血を吸うためか!!しねえぇ!!!」
だがコッキーの大振りな攻撃をエルマは舞うように回避した、少し離れた畑の端の切り株の上にちょこんと立つとコッキーの粗い攻撃を嘲る様にキャラキャラと笑った。
そして今度はエルマが突進する、コッキーも人ではありえない反応速度と力で得物を手繰り防ぐが、エルマの動きと比べると明らかに精彩にかけていた。
エルマが跳び下がったとき、コッキーのワンピースの裾が裂けて血が滲み出ていた。
コッキーの目が見開かれてそこから怯えが覗く。
「あなたのろまね」
白い少女がささやいた。
その時のことだった、少し離れた場所から凄まじい力の波動と轟音が上がる、直後に強烈な爆風を浴びせかけられた、二人が驚きその方向を見ると地面に直径数メートルの大穴が空いていた。
そしていつの間にかベルとルディはかなり離れた場所に移動し赤い女性と対峙していたが、あの黒い小人達の姿が消えていた。
「あれ、いなくなっているわね?やっつけられたの?」
エルマも小鬼達がいなくなっている事に驚いている。
「あの二人強いみたい、はやく貴女をやっつけてドロシーの味方をするわ」
「それはコッキーのセリフですよ、子供達をまもらなければならないのです」
「口は達者ね、血を全部吸ってあげる」
エルマはまたキャラキャラと笑った、その笑い声はその人形の様な少女に似つかわしくない耳障りな笑い声だ。
戦いはエルマが主導権を握っていた、エルマが攻撃しコッキーがそれを防ぐの繰り返しだ、コッキーの動きも少しずつ的確に早くなっていく、だが次第に傷が増え青いワンピースが血に染まって行く。
「へんね、それだけ傷を受けると体が痺れてくるんだけど?」
不思議そうにエルマが呟いた。
「そういえばなんか痒いです…」
「…そうよね、普通の人間じゃあなかったわね、結局貴女もお化けじゃない」
エルマが楽しそうに笑った。
「私は私なのです、お化けではありませんよ?」
その反応が予想外だったのかエルマは驚いている、そして穴が空く程コッキーを見つめて来た。
「本気なの?」
「そうなのです、私は普通ですよ?体が柔らかくて爪が宝石みたいに綺麗なだけです」
コッキーの瞳は淡い金色の光に満たされていた、そして精霊力が更に高まり始めている。
コッキーの意識の遥か深層に光の糸の端が見えていたのだ、それは幽界の門の彼方から伸びるあの白い光の筋だった。
「戻って来たのですよ!早いのです助かりました!!」
彼女の顔は歓喜で満たされていた。
「何が戻ってきたの?あなた何を言っているの?」
エルマはその変化に驚き不気味な物を見るように顔をしかめた。
「はやくセナ村に戻らないと」
「えっ!?貴女が戻るの?」
その言葉が終わる間もなく精霊力の膨大な過流が大地を揺るがす鳴動と共に噴出した。
ルディとベルは即座にその異変を感じとりコッキーを見た、ドロシーも二人から大きく距離を取りコッキーの観察を始める。
「しょうたいをみせて」
ドロシーがつぶやいた、その呟きはこの場にいる全ての者達の耳と心に届く。
「正体?」
エルマが当惑してドロシーを見る。
「そうだエルマはなれる!」
ドロシーは警告した、そこから彼女の僅かな焦りすら感じられ、ベルもルディもそれに驚きドロシーを見つめてしまった。
大地から湧き上がる獰猛な原始の力に満ちた精霊力が彼女の両足に絡みつき螺旋を描きながら這い登る、それはコッキーに歓喜と快感を与えながら脳天に突き抜けて行く。
そのあられもない姿にエルマが驚いて引いた、エルマの顔には恐怖と険悪すら浮かんでいた。
「しっ…」
コッキーが息を吐いた、そして顔をエルマに向ける、その目は一回り大きく広がり釣り上がっていた、その瞳は黄金の灼熱する光に満たされ、その口は横に裂けた様に薄く広がっていた、美しい彼女の顔は非人間的な何かを象るように歪められている。
それでいてその美しさがすべて損なわれていたわけでは無かった、彼女の美貌は恐怖に彩られながら恐ろしく歪められてむしろ増幅されていた。
コッキーはエルマの目の前で捕縛人の得物を投げ捨てる。
両腕を大きく広げ更に指を広げる、その爪は長く鋭く青い宝石の様に輝き湿ったようにぬめる。
「なっ?何よこいつ!?」
エルマはコッキーの豹変に戸惑ったそしてドロシーをすがるように見た。
コッキーは細くて長い舌を出して口のまわりをチョロッと舐め回した、そして上機嫌になってにんまりと笑った。
コッキーを観察していたドロシーがエルマに向かって口を開く。
「エルマぶきをひろいなさい!」
ドロシーの命令には逆らい難い強制力がある、エルマは驚いたドロシーがここまで強く命令する事など滅多に無いのだから。
後ろに素早く下がりつつ落ちていた捕縛人の得物を拾う。
「エルマさわってはだめ、さわられてもだめ、あいしょうがわるい、はものがほしいけどないからそれでうちのめしなさい!」
「なんですって!わ、わかったわ!!」
「そんなにつよくない、でもあいしょうがわるいからてがつけられない、きゅうけつきとあんでっどにはさいあく、よくかんがえられている」
「どういう意味なのドロシー?」
「あとで」
ドロシーの周囲にまた力が集まる、それは詠唱と共に終わった。
「『ペイオンズの偉大なる遺産の守護陣』!!!」
エルマの体が暗黒の閃光に包まれた。
ドロシーは意識をルディとベルに向け直すとふたたび二人に襲いかかる。
連続して彼女の周囲に力が集まった。
「『パンゲアの狂えし女王の狂花の花園』!!」
ドロシーは自分ごと二人を巻き込みつつ術を行使したのだ、ルディはその直前に見た彼女の顔から全ての余裕が消えているのを悟る。
ルディの周囲の景色が歪み全ての感覚が狂い始めた、世界が崩れていくような寄る辺もない感覚に襲われていた、五感がまったく当てにならない、だが精霊力の目だけが二つの暗黒の穴と三つの輝く精霊力の光を捉えていた。
ルディはそれだけを頼りに戦う事を決意する。
「ベル!?」
「問題ない!」
それがベルの応えだった。
「わかった!!」
二人はそれだけで十分だった。
だがさらにドロシーの詠唱が重なる。
「はたけでよかった『ヤリンガの沼の白蝋屍体』」
「よし『ガイナックの朽木の巨人』!!つかれる」
こんどはコッキーが攻勢に出た、躍るようにエルマに襲いかかる、だが彼女の腕はなかなかエルマに近づけない、卑猥な得物に遮られ、なんとかそれを抜いてもエルマに届かず周囲に暗い青い閃光が燦めくだけだった。
そしてエルマもコッキーを確実に得物で何度も叩きのめしたはずだが、どうにも手応えが無かった。
コッキーは嘲る様な笑みを貼り付けたまま立ち上がり攻撃をかさねて来る。
エルマはコッキーの頭を狙った、頭ならばダメージを受けるだろうと期待したのだ、全身の力を込めて得物を叩き込む、だが得物は恐ろしい歪んだ美貌の直前で止まっていた、そしてエルマは得物を見て絶叫した。
「ヒーーーッ!!」
コッキーの両腕が白い太いロープの様に得物の柄にクルクルと巻き付いていたからだ。
エルマが驚き思わず手を離したとたんにコッキーに得物を奪われてしまった。
コッキーは再びニンマリと笑った。
そして遠くに得物を投げ捨ててしまった。
何かが軋むような耳障りな音がしはじめた、コッキーは好奇心にかられたのかその音の源を探っている、その目がキョロキョロと動いたがやがてエルマに目を据えた。
エルマは俯いていた、そのエルマの全身が軋んだ音を立てている、それは全身の筋肉と筋と骨が過負荷に耐える音だった。
エルマが顔を上げた、その目は黒目も白目を失せて赤一色に染まり、赤い涙を流していたそれは血涙だった。
犬歯が大きく伸び自らの口を傷つける、その爪は赤く伸び全身に筋が走り血管が浮き出ていた。
彼女の顔からは理性が失われているように見えた。
「きょうけつではだめ、エルマさがりなさい!」
ドロシーの叱咤がその場にいた全ての者の意識を打ち据えた、だが肝心なエルマには届かない。
コッキーが攻撃に出た、すべてエルマの魔術結界に阻まれて青い輝きを発した、エルマの攻撃はコッキーを切り裂く、だがすぐに異変が起きた。
エルマのルビーのような爪が萎れて何か柔らかな何かに変化するとそれが広がりだした、エルマは本能で右手首を左腕で斬り飛ばし、左手首を口で噛み切る。
地面に捨てられた手首は無数の草木の芽に覆われ凄まじい速度で成長していく、そして骨すら溶けて消えた、後には小さな茂みが残る。
エルマが力むと両手首が再生した、いきなり白い新しい両手首が生えたのだ。
これにはコッキーも驚いたのか目をパチパチと瞬かせていた。
エルマは移動しようとしていた、その先には別の捕縛人の得物が落ちていた、彼女の理性は本当に失われているのだろうか?
コッキーはそれを阻もうと素早く動き連撃をエルマに叩き込み始めた、結界が青く明滅しそして限界が訪れる。
結界がついに攻撃に耐えられずに崩壊した。
エルマも人外の身体能力でほとんどの攻撃を回避していた、だがついにその腕に一筋の傷が走った。
エルマは糸の切れた人形の様に倒れふす、するとエルマは獣じみた呻きか叫び声を上げ始めた。
軋む音がすると大きな固まりがエルマの背中から伸び上がる、それは白い肉の固まりの様に見えた、それは僅かに血の色に染まっていた。
「コッキー何がおきている?」
幻覚の中でドロシーと戦うルディとベルの二人は何が起きているか正確には把握できていない。
異変を感じて幻覚から抜け出たドロシーだけが唖然としてその怪異を見つめていた。
エルマの倒れていた後には大きな白いキノコが生えていた。
「これはまずい、おまえたち、やつらを少しおさえなさい」
ドロシーの命令で二体の巨人が幻覚の中にいる二人に襲いかかる。
そしてドロシーに今までに無いほどの力が集まりだした。
「『奈落の神酒、辺土の聖餐、貪欲なるタルタルイの波濤』」
黒い粘性のある膨大な量の生ける液体が現れドロシーのまわりをうねりねじれながら旋回し始める、やがてそれが幻影の花園に向かって大波の様に押しよせて行く。
それは二体の巨人ごと幻影の花園を飲み込み巻き込んで漆黒の渦の中に沈めていった。
そしてドロシーは跳んだ、捕縛人の得物を両手に持ちコッキーに突進する、その勢いのままコッキーを殴り飛ばした、その衝撃でコッキーはクルクルと回転しながら数十メートル以上吹き飛ばされた。
だがそれだけの衝撃を食らいながらもすぐに立ち上がって来る。
だがドロシーは追撃はしない、得物を一つ放り出すとキノコをかかえて聖霊教会の礼拝堂の屋根に跳び上がった、そのまま高く高く遠くに跳ねてその姿を北の夜空に消してしまった。
あとには最後の魔術を見切り脱出したルディとベルが呆然と畑に空いた大穴を見つめていた、そして畑の向こうで倒れているコッキーの姿を見つけて慌てて走りよる。
捕縛人達のけしからぬ得物はいつのまにかその姿を消していた。