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この世ならざる者達

 聖霊教会の食堂に皆が集まりささやかな晩餐が始まろうとしていた、新顔の修道女リリーに彼女の知人でハイネに出張でやってきたという触れ込みの若い司祭が加わり、久しぶりに賑やかな食卓となっていた。

大人の若い美丈夫な男性が居るとなると教会の空気も変わる。


「精霊王の恵みに感謝の祈りをささげます」


サビーナが聖句の祈りを捧げた、食事の糧となった大地と天の恵みに感謝を捧げる聖霊教の古い聖句を紡ぐ。

その言葉はニール神皇国時代から変わらない古い言葉で今に伝えられていた、この言葉は東エスタニアの諸言語の大元になった古語なので非常に学びやすい、ある程度の階級の者ならば必須の教養とされている。

サビーナが祈ると全員がそれに従う。


「ではいただきましょう」


「ねえ大姉さまも中姉さまも、服とか髪とかいつもより綺麗にしているわ」

さっそく少女達は年上の修道女の変化を声を潜めて評しはじめた。


ルディが隣席のベルの耳に顔をよせる。

「ベル何か動きを感じるか?」

「今のところは無い、寝込みを襲ってくるんじゃないかな?」

同じくルディの耳に口をよせた。


「ルディさんにリリーお行儀が悪いわ!!」

三人娘のアビーが聖職者の二人のはしたない行いに眉を顰めた。


「これは失礼したなアビー殿」

ルディは苦笑いをしながらアビーに謝罪した。

「えっ!?アビー殿?」

ルディの言い草に驚いたアビーが狼狽えて聞き返すとファンニが笑った。


(マカナ)いの老婦人も笑った。

「ここには男の子しかいなかったからねえ、うふふ」


先程からベルは和やかな食卓の雰囲気から浮いていた、普段はそれなりに周囲に気を配るベルが何か気になる事があるのか心あらずと落ち着かない。


ベルは先程から胸騒ぎを感じていてその理由を探っていたのだが、今のところベルの精霊力の探知網に異常はなかった、だが説明しがたい不安と焦燥だけが募っていく。

急いで食事を口に運び始めた。


「リリーどうかしましたか?」

ベルの異変に気づいたサビーナが先程から心配げに彼女を見つめていた、だがベルはそれすら気づいていなかった。


ベルの態度に不審を感じたルディが心配げに顔を覗きこんできた。

「どうしたベル?」

「うん?食べられる間に食べておくんだよ」

そのまま食事を急ぐ、ルディとサビーナは思わず顔を見合わせてしまった。


「リリーと司祭様ってどんな関係なのかしら?仲が良さそうだけど」

アビーが隣のヘレンに声を潜めて話す、新米の修道女と司祭の仲が気になるのだ、幼いポリーは木のスプーンを咥えながら話に加わった。

「きっとお友達よ」


ヘレンが眉をよせて形の良い口を開く。

「リリーはやく食べると太るわよ、お腹がプニプニになるから」

真面目なヘレンは話題を変えたかったのかもしれない、ベルは食べる手を急に止めるとお腹をなでる、だがすぐにまた食べる手を急ぎ始めた。



「ごちそうさま、少し歩いてくるね」

ベルは食べ終わると立ち上がりサビーナとルディを一瞥するとそのまま食堂から急いで出ていく。


教会の食事は皆で同時に始まり同時に終わる、食事の初めと終わりにサビーナかファンニが聖句を唱える決まりだった。

だがサビーナもファンニもベルを咎めようとはしない、子供達がそれに不思議な顔をしたがしだいに子供達にも不安が広がって行く。

普通ではない何かが起きていると感じ始めていた。


「俺も夜風にあたってきます、旅の疲れがまだ抜けていないようだ」

続いてルディも立ち上がる。

「まあルディ司祭様それはお疲れ様です、どうぞかまいませんわ」

ルディもにこやかな笑みを皆に送ると食堂から出て行った。


「大姉さま何かあるの?」

「アビー心配しないで」

サビーナは三人の子供たち一人一人を見渡した。

「今日はこの後で礼拝堂で訓話を行います、お婆さん達もお願いします」

(マカナ)の二人の老婦人も何かを察した様にうなずいていた。





ベルは修道女館の自分の部屋に向かう、部屋に飛び込むと愛剣グラディウスをつかみ腰に佩く、そして床に置きっぱなしにしていた鞭をつかんだ、完成したその鞭は異界の猟犬グリンプフィエルの尾でできていた。

それは長さ6メール近い長さと大型船のもやい綱のような太さだ、並の人間がまともに振り回す事などできない武器だ、だがベルが扱うとなると話はまったく違ってくる、精霊変性物質の武器はこの世ならざる物を断ち切る事ができる。


未だに敵の姿は現れないが時間とともにいよいよ危機感だけが募って行く、ベルは昔から自分の直感を信じてきた、神隠しの後はそれが確信に変わった。


(赤髭団が来るぐらいでこんな気分になるわけない、ゴロツキじゃない何かが来る)


修道女館から中庭に出ると、そこにルディが大剣を佩びて現れた。


「ベル予定どおりにやろう」

「ルディとても嫌な感じがする」

「わかっている、お前の直感は侮れない」


ベルは礼拝堂の庇の上に飛び上がると、そこから屋根に飛び乗って礼拝堂の尖塔を駆け昇った、聖霊教のシンボルを左手でつかみ屋根の上に立つと視界が遠くまで広がる。


夜の光で明るい旧市街の夜空と、暗闇に沈む新市街、そして別世界の様に明るい炭鉱町の歓楽街の対比が美しかった、ふと空が暗いと感じた、数日前まで白い細い月が見えていたはずだ、今晩あたり新月なのかもしれないとベルは思った。


真下を見ると礼拝堂の前にルディが陣取っている。


ベルは僅かに目に力を与える、視力が上がり遠くまで暗闇を見通す視力を得た。

それからどのくらい時間が立っただろうか。


(何かがくる)


はるか彼方から家々の屋根の上を飛び跳ねながらやってくる二つの影がある、その動きはとても人の成せる業ではない、そしてその影に底知れぬ嫌悪を感じた。


「ルディ!!敵が来た二人だ」


「なんだと二人だけか?」

下からルディの疑うような声が返って来る。

「屋根の上を飛び跳ねながらこっちに向かってくる!!」


「なに!?わかった!!」

ルディの応えは厳しい、屋根の上を飛び跳ねながらやって来る時点でまともな敵ではない。

愛剣『無銘の魔剣』を抜き放った、その剣の身はどこまでも黒く黒曜石ように輝いていた、コッキーに奪われて以来の実戦となる。


二つの影はやがて聖霊教会の向かいの二階のアパートの屋根の上に並び立った。


一人は古風な深紅のドレスと同じく真紅のボンネットに身を包んだ女性だ、全身が赤ワインの様な深い色合いの赤で統一されている、それはベルの不自然に赤く染められた髪に似た色合いだった。

真紅のボンネットに隠されて顔も年齢も定かではない、背はベルと同じ程で華奢でほっそりとしている。

容姿も年齢も不明だが異様なまでの禍々しさを放ちその存在感は尋常ではなかった。


もう一人は小柄な少女だ、顔色は病的にまで白く青みを帯び、血のように赤く潤んだ瞳に栗毛色の豊かに波打つ腰までの長い髪の美少女、全身を真っ白なドレスで包み白の色合いで統一されている。

少女の赤い瞳で見つめられるとベルの全身が総毛立つ、だが容貌も不明な真紅の女性の方が遥かに大きな存在感を放っていた。


ベルは無法者の大集団が来ると思っていた、だが来たのはたったの二人でそれも人外の規格外の化け物だと理解した。


そしてベルは真紅の女性から感じる感触に確かに覚えがある、それは輸送隊を襲撃した近くの道ですれ違った黒塗りの窓の無い馬車から感じた瘴気と同じ、あの時の底なしの闇を思い出し僅かに震えた。


「お前たちは何者だ?何をしに来た?」

ベルが口をひらく前に眼下のルディが厳しい声を上げる。



「おまえたちとたたかうため」


その声は真紅のボンネットの奥から発せられた、言葉を発するのに苦労するようなたどたどしい口調。

それは透明感のあるそれでいて気怠げで無気力な覇気のない若い女性の声だった、だがそれを裏切る様な威圧感の強さにベルは混乱し警戒を強めた。


「赤髭団はどこに行った?」

今度はベルがその真紅の女性に問う。


「セナ村よ」


代わりに白い小さな少女が笑いながら答える、鈴の様な透明感のある可愛らしくもそれでいて邪悪さを感じさせる声だ。


(赤髭団程度ならアゼルとコッキーの敵じゃない、こいつらが向こうに行かなくて良かった)

ベルは心からそう判断した。



「じゃまがはいらないように、みんなねてもらう」


ベルはその直後に真紅の女性の周囲に強大な力が集結するのを感じる、それはアゼルが魔術を行使する時に生まれる力に似ていたが、説明つけがたい不快さと異質さを感じた。


その真紅の女性が叫ぶ。


「『グラリア王の微睡みの眠りの庭園』」


たどたどしい言葉から豹変したかのような明瞭な意思と知性を感じさせる詠唱だ、ベルはそこでまた混乱した。


それと共に黒い霧が真紅の女性の周囲に湧き上がり急速に広がって行く、アパートを飲み込み周囲の町並みを飲み込みながら聖霊教会に迫る、霧はあっという間に礼拝堂まで押し寄せた。


「ルディだいじょうぶ?」

「気を保ては耐えられる、少し眠くなっただけだ」

ベルがいる尖塔まで黒い霧は上がって来ない。

これだけの広範囲をまとめて眠らせる魔術があるとはベルには信じられなかった、この女は上位魔術師なのだろうか?


(そうだサビーナ達は?)


「ベル!!サビーナ達は皆眠ってしまった」

たずねる間もなく下からルディがその疑問に答えてくれた、礼拝堂に集まっていたサビーナ達の様子を確認したらしい、すでに全員眠らされてしまったようだ。


「お前たちサビーナを誘拐しに来たのか?」

「わたしにはかんけいない、おまえたちとけりをつけにきた」


ベルは当惑した真紅の女性とは初対面で過去の因縁など無い、だがなぜか遥か昔から敵対していたような不思議な感覚に囚われていた、だがその理由はさだかでない。


「あとこがねむしのかたき」

「ドロシー()けているのね、わざわざ教えないでよ!!」

「ドロシーって言うんだね、意外と平凡な名前で驚いた、あの変な黄金虫はお前の仕業か?」

ベルは幾分挑発気味な態度に出た。


「エルマよけいなこといわない」


「ふーんそっちの娘はエルマって名前なんだね」

「ドロシーやっぱり()けている」


「そちらが名乗るならば俺も名乗らねばな、俺の名はルディ=ファルクラムだ、エルニアの商人だお見知りおきを」

足元からルディが偽名を高らかに名乗った。


「私の名はリリーベル=グラディエイター、ファルクラム商会のなんでもできる使用人ですわ」


「あなた達商人だったの?偽司祭に偽修道女ってひどいわね、うふふ」

白いドレスの少女が呆れ気味にそしてどこか楽しげに笑う。


その瞬間の事だった、ベルがその力を爆発的に解放させる、ドロシーもエルマもルディでさえも一瞬の事で何が起きたか理解できなかった。


ベルは教会の尖塔の上からアパートの屋根に向かって一直線に矢の様に飛翔する、その長大な鞭を一閃させ薙ぎ払った、白いドレスの少女を狙っていた、笑う少女の顔が驚きに変わる間もない一瞬の出来事だった。

鞭が横薙ぎに走り鈍い音を立て、その直後にベルがアパートの屋根に着地した、屋根が衝撃で崩壊し大穴が空くがそのままの勢いで反対側に飛び抜けていく。


ドロシーの目の前に何か大きな塊が二つ落ちる、そしてボンネットの奥の赤い瞳が見開かれる。


「エルマはやくくっつけなさい!!」

「ドロシー何がおきたの?動けない」


「はんぶんこになった」

「えっ?」

エルマは初めて自分の状況を理解した、先程の攻撃で胴が両断されていたのだ。

「あれーーー!!」


異界の猟犬の尾がエルマを両断していた、だがその傷口は綺麗で血もまったく出ていない、まるで人体模型を二つに切ったかのように。


「さわがない!!」


ドロシーは無造作にエルマの上半身と下半身を掴むとアパートの屋根から跳躍する、その直後にその場をふたたび鞭が横薙ぎに払う、ベルが体勢を整えてドロシーの後ろから攻撃をしかけたのだ。


真紅の影は聖霊教会前の街路を軽々と飛び越えて、聖霊教会の屋根を踏み台にしてそのまま郊外の畑の真ん中に降下する、ベルはすかさず二人の後を追いかける。

ベルの視力が礼拝堂の前を離れるべきか悩んでいるルディをとらえていた、まだ敵が隠れている可能性もあるのだから当然だろう。


畑の真ん中でドロシーは待ち構えていた、ベルが追いつくと同時にふたたび強大な力がドロシーに集結する、ベルは危険を感じすばやく動いた。


「『吠え猛るシャハナバードの黒き棺』」


その直後に暗黒の棺が宙に生じその蓋が開いた、限りなく黒に近い青き閃光がベルに向かって放たれる。

それをぎりぎりの間合いでベルは回避した、だがその光は遠くの農家の大きな納屋にぶつかるとその納屋を音もなく消滅させる。


ベルはそのふざけた現象を唖然として眺め、思わず足が遅くなった。

慌てて振り向くとドロシーの反対側からルディが恐るべき速さで向かって来ていた。


間を置かずに再び強大な力がドロシーに集結する。

「『魔の眷属ラーベルの護持の盾』!!」

直後に半透明の灰色の膜が彼女を中心に展開された、その中でドロシーはエルマの下半身を地面に立たせる。

「エルマすぐくっつく」


ドロシーはエルマの下半身の上に上半身を乗せた。

「あっ、前と後ろがぎゃく」

「ドロシーそれだけはやめて!!」

エルマは今にも泣き出しそうだ、ドロシーはエルマの上半身を掴むとくるりと半回転させた。


「これでよし10かぞえなさい、これでかんぜんにくっつく」

エルマは目を白黒させながらうなずいた。


その直後ルディがドロシーを狙い斬撃を叩き込んだ、だがその斬撃はドロシーに届かなかい、灰色の膜に阻まれ青白い光を放ち揺らめかせる。


「これはゆうかいのぶき、これもながくはもたない」

ドロシーは揺らめく光を放つ灰色の膜を見上げた。


「10…9…」

エルマがカウントダウンを始める。


そこに引き返してきたベルが鞭を叩き込んだ、それもまた結界に阻まれ青白い光を放った。

彼女のボンネットの奥の真紅の瞳が見開かれた。

「やつらがこんなぶきをもっているなんてきいていない、たいまん」


「エルマくっついたらわたしからすばやくはなれなさい、わたしのたたかいをよくみておく」

エルマは大人しくうなずいた。









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