シャルロッテ
新市街の繁華街の外れにいかにもいかがわしい雰囲気を纏った魔術道具屋『精霊王の息吹』が店を構えている、店の前には精力剤や惚れ薬や毛生え薬の看板が立ち並びそのいかがわしい雰囲気に色を添えていた。
その店の扉を二人の男女がくぐり抜けて行く。
一人は三十代前半の傭兵風のマティアス、もう一人は同じ年頃に見える魔術師のリズだ、彼女は髪の毛はボサボサで化粧気も無く不健康に痩せている。
魔術道具屋の地下は魔術士ギルド『死霊のダンス』になっている、だが正式名を呼ぶものはめったにいない、その階段下の扉を用心棒が開けると二人はそのまま中に入っていく。
リズは自分の席に座るとさっそく中断していた試験勉強を始めた。
そこに帰ってきたリズを見つけた若い魔術師が彼女のところにやってきた。
「リズ、ちょっといいかな?」
「ん?なあに?」
面倒くさげにリズは手を休めて男を見上げる、その顔には邪魔するなよとあからさまに現われていた。
「次の仕事がきまったぞ、これを読んで読んだら消す」
若い魔術師は投げやり気味にリズの前に伝言板を置いた。
鼻を鳴らしてリズは伝言板を開く。
「仕事がクルクル変わるけどどうなってんの?」
若い魔術師に文句を言ったが、その男は肩をすくめて去ってしまった。
「へー極秘ね、夜8時までに新市街の南のここに各自集合しろってか、詳細はその時に説明があるね、聖霊教会の仕事じゃないようだけど」
独り言を呟きながら伝言板に書かれた文字を消していく。
リズはふとマティアスの姿を探す、彼もまたギルドの事務員と何かを打ち合わせをしているところだ、ふとこの新しい仕事にマティアスが関わっているか聞きたかったが、極秘事項らしいので思いとどまる。
「これが実技試験になるのかねえ、終わったら正式に中位魔術師だよ、うへへ、今までいいところで失敗ばかりだったからねー、もう失敗は許されないか」
リズは気持ちを切り替えて勉強に戻る。
後ろの方からマティアスとピッポの会話が聞こえてきたが、リズは勉強に没頭していて気にも止めない、それからどのくらい時間が経っただろうか。
「おいリズ、聞いてくれ」
精神集中していたせいで反応が遅れる、それはマティアスの声だ。
思わず見上げるとマティアスが目の前で見下ろしている、まったく気づかなかった。
「新しい仕事が入った、俺は向こうに戻る」
「あれ、もしかして今晩の仕事?」
「お前もか?たぶん同じ仕事だ」
マティアスは苦笑した。
「そっか、これで頑張れば昇級だよ」
「そうか幸運を祈る」
「お昼ありがとね、マティアス」
「ああ、またな」
マティアスはニヤリと笑うと聖霊王の息吹につながる扉から出ていく、リズは彼の後ろ姿を見送ると小さなため息をついてからまた本に視線を戻した。
『精霊王の息吹』を出たマティスは繁華街を南に向かった、『赤髭団』のアジトはここから近い、『大酒飲みの赤髭』の看板を目にするとその地下への階段を降りて行く。
僅かに漂う下水の匂いにも最近なれてきた。
これが気にならなくなったら、この街に染まったって事だなとマティスはふと自嘲した。
赤髭団の頭のブルーノを二周り大きくした様な大柄な用心棒が彼を出迎え扉を開く、そいつは筋肉の樽の様な大男で見苦しい程毛むくじゃらだ。
無駄にマティアスを威嚇する用心棒を内心で蔑みながら、スカした若い側近の後に続いて頭の居る部屋に向かう。
側近が扉を開けてマティアスに中に入れと促した。
部屋の中にはブルーノと情婦が二人いるはずだ、マティアスは部屋の中で繰り広げられる痴態を見せつけられるのが嫌なのだ、これが無ければ『赤髭団』に加わっていたかもしれない。
開け放たれた扉から、酒の臭いと正体不明の煙と臭いが吹き出してくる、その中のソムニの臭いと煙草の煙はマティアスにもわかったが、他にも正体不明の臭いがあった。
(これはピッポの旦那が作った薬か?)
野太いブルーノの声が迎えた。
「マティアス戻ったか?」
中に入ると案の定ブルーノに二人の情婦がまとわりついていた、二人は頭を挑発しながらお互いに牽制しあっている。
それなりに美しい女達だが、饐えた空気をまとったこの情婦に手食が伸びなかった、高級なお菓子でもドブに落ちた物を食う気にならないのと同じだ。
目を逸しながらもとにかく仕事をしなければならない。
「ブルーノ向こうから伝言板を預かってきた、わからない事があったら聞いてくれ」
マティアスは背の低い机の上に二枚の伝言板を置く、机の上に情婦共が足をなげだしていたので足の隙間に置いた。
情婦の一人が嬌声を上げたが、それでマティアスの気分がますます下がる。
伝言板を手にしたブルーノは側近に手渡した、実はブルーノは文字が読めない、その代わりにあのスカした若い側近が伝言板を読み上げる、この若い側近こそ赤髭団最高のインテリだった。
側近に直接伝言板を渡せば良さそうに思えるが、こうするのは儀式の様なものらしい。
読み上げられた伝言を聞いたブルーノは吐き捨てる。
「オーバンが誘拐されたかも知れないと聞いていたが本当だったか、だがセナ村だと?聞いたことがあるな」
ブルーノと側近が声を潜めて密談を始めた。
「マティアスお前は何か聞いているのか?」
「セナ村はハイネの南の小さな村だよ、そこに魔術で厳重に守られた屋敷があるそうだ、巧妙に隠されているそうで、魔術師の力量はかなり高いらしい、俺には良くわからないがね」
「誘拐されたなら、向こうから要求あるまで待つんじゃねえのか?そんだけでその屋敷にカチこむのかよ?」
ブルーノは酒盃の酒を飲み干し考え込んだ。
「まあ命令なら聞くしかねえ、奴らいろいろ隠していやがるな、とにかく言われた分だけ頭数はそろえる、ほぼ全力だが俺らに何をさせるつもりだ?」
ブルーノはその側近に命じると、目線でもう行っていいぞとマティアスに語りかけてきた。
「じゃあ、俺は一旦引き上げる、向こうに伝えることあるかね?」
「今はねえな」
「じゃあ俺はまた向こうに行ってくる」
二人の情婦がふたたびブルーノ争奪戦を始める、マティアスはさっさと部屋から退散する事にした。
ハイネの中央大広場、この広場を取り囲む大通りに面した地域には、ハイネの評議会事務所や有力な商会などの本店などが集まり、競うように惜しみなく最新の建築技術や素材を使い、混乱したテレーゼの中でも別天地の繁栄と富を誇示していた。
その一角に古テレーゼ王国様式の伝統的な造りの古い石造建築がある、全体的にくすんだ灰色と深い緑の屋根の厳粛で重々しい風情からかえって周囲より目立っている。
その建物の前で女性の魔術師がその建物を見上げていた。
彼女はいかにもな黒いローブと三角帽子をかぶり、彼女の三角帽はトンガリの部分がとても長く複雑に折れ曲がっていた、流行遅れの帽子だが彼女はそれを平然と冠っている。
ローブの上からも腰の肉付きが豊かすぎる事、胸が豊かすぎる事がまるわかりだった。
「雰囲気だけはあるわね」
彼女はフードを外した、その下から20代後半ほどの美貌が現れる、ブルネットの髪を肩で切りそろえ、厚めの唇と大きなほくろが目立つ、かなりの美女だがその瞳は高い知性を感じさせるが、どこか無気力で気だるい空気を纏っていた。
彼女はテヘペロ=パンナコッタその人だった。
さっそく厳かな雰囲気のあるエントランスに向かう、入り口の上に『ハイネ魔術師ギルド』の大きな材質不明の看板が架けられている。
扉を通ると正面に受付カウンターがある、さっそく受付担当の男の前まで進む、テヘペロを見た男の顔に感嘆の色が浮かんだが、それを知らぬ気ににこやかに近づく。
彼女にとってそれはさんざん見飽きた男の表情だった。
「こんにちわ、私はシャルロッテ、シャルロッテ=デートリンゲンよ」
受付のカウンターに金属製のカードを置いた、男はそのカードを見て驚きに変わる。
さらにエミルに書かせたギルドへの紹介状を出す。
「火精霊術と無属性精霊術の上位魔術師の方とは!!いかなる御用でしょうかご婦人」
このクラスの魔術師が現れたらまともな場所はそれなりの騒ぎになる、准貴族の扱いを受けてもおかしくない立場だった。
だがテレーゼにいる時点でいろいろ訳ありに決まっていた、それに触れないのがここでの礼儀となっている。
「そうね安定した仕事が欲しいのよねえ、斡旋をお願いできないかしら?」
受付の男はこの言葉に動揺した。
「こちらへどうぞご婦人」
テヘペロは貴賓用の応接間に案内される、指示を受けたギルドの女性事務員がさっそくお茶の用意にとりかかった。
「すぐギルドの責任者に話を通してきます、しばらくここで御ゆるりとお待ち下さい」
受付担当者は足早に去って行った、テヘペロはそれを見送ると豪華な革張りのソファーに深く腰を降ろしてくつろぐ。
魔術師の就職の斡旋もギルドの仕事の一つだが、上位魔術師ならギルドが直接抱え込みたい人材だ、その様な高位の術士はギルドの有力なカードになりえる、先程の男がギルドの上位者に報告と相談に向かったに違いないと彼女は見当を付けていた。
彼女は敢えて目立つのを避ける為にランクを隠しながら今まで放浪してきたのだった。
「面倒なこと、まあここなら大丈夫かな」
ギルドの女性事務員がそれを聞き咎めた。
「何かおっしゃられましたか?デートリンゲン様」
「一人ごとよ、気にしないでくれない?」
「まことに申し訳有りません、失礼いたしました」
テヘペロの僅かに強い語調から機嫌を損ねたと思ったのか事務員はすぐさま謝罪した。
そこに階段を急いで降りてくる複数の足音が近づいてくる。
「来たかな」
一応テヘペロも席から立ち上がり彼らを迎える準備をする、そこに先程の男と初老の魔術師に壮年執事が応接室に入ってきた。
「始めましてご婦人、私はこのギルドの長のカレル=メトジェイと言うものです、こちらは執事長のボリス=アンデルと申す者です」
カレルは初老の小太りで健康的な容姿の男だった、魔術師と言うより人の良い商人に見える、だが眼光は鋭い。
「はじめまして、私は魔術師のシャルロッテ=デートリンゲンと申します、ご存しかも知れませんが火精霊術と無属性精霊術の上位術者です」
カレルが座るように促すとテヘペロはそれに従い席に腰を下ろす。
「さてデートリンゲン様はお仕事をおさがしとか」
さっそくギルド長は本題に入り始める。
テヘペロは情報収集の為にギルドにもぐり込みたかった、だが就職斡旋の方が相手の出方を確かめられると思いそうしたのだ。
「私は魔術研究所の研究員や高貴なご令息やご令嬢の家庭教師などをしていた事がありますわ、でも仕事の伝がなければ得られないものです、いきなり門を叩いても相手にされません」
「はは、それは確かですな、ですが我々の仕事に斡旋があっても信用のできないお方を大切なお客様に紹介する事はできません、我々にも守るべき信用がありますからな」
そこに事務員がお茶をもって来た、そこで僅かな間が生まれる。
「それはそうですわね」
テヘペロはさっそく紅茶を口にして一息入れる。
カレルが僅かな沈黙を破るように口を開いた。
「そこで提案ですが、しばらくはギルドのお仕事をされませんか?」
「私を試すのね?私の実力や信用できるか見極めたいのですわね」
「いやはは、これは話が早い、プライドの高い方がまれにおられましてな、はは」
カレルが苦笑いを浮かべた、テヘペロもそれに合わせておほほと笑った。
「失礼ながらそういう事情がありまして、もしここが気に入って頂ければここで働くのも良いと思いますよ?ここはテレーゼで最高峰の魔術師ギルドです」
「そうですわね、ではよろしくお願いしますわカレル様、いえギルド長様」
テヘペロは艶然と微笑んだ。