黄金虫(1)
ハイネ旧市街の北の水堀を越えた先の丘の上に瀟洒な赤煉瓦の館が立っている、館の二階の廊下の一番奥まった部屋の中は一筋の光も指さない暗室だ、その闇のなかで人ならざる者たちのお茶会が開かれていた。
「これからはおかしをきらさないようにする」
「ねえドロシー」
「なにエルマ?」
「最近頭が弱くなってない?」
「しんげつがちかい、あたまもからだもはたらかなくなる」
「あっ!!白い月ね」
「そう」
「ねえ僕たちは月とは関係ないの?」
声変わり前の男の子の声がたずねる、それは育ちの良さを感じさせる発声だった。
「ヨハン、けんぞくはつきとはかんけいない」
その時大きな羽虫が羽ばたく音がする、ガラスの様な硬いものに何かが激しく当たる音がした。
「いや!!なにその虫!?」
エルマはそれに嫌悪を隠さない。
「それドロシーが集めていた黄金虫だね?」
「ヨハンそう、わたしのかわいい虫たち、よういができた」
暗闇の中から金属のベルの音が鳴り響く、すぐに廊下の向こうから慌てた様に小走りに近づいてくる足音が聞こえててきた。
「ポーラでございます!!お嬢様いかなる御用でしょうか?」
扉の向こうからわずかにうわずる女性の声が聞こえる。
「ティーセットをかたずけて、びんのなかの虫をおやしきのそとではなして」
何か乾いた音がした、それは扉の下の方に開けられたドア窓が開かれた音だった。
そこから廊下の薄暗い灯りが部屋の中に差し込む。
ドロシーの青白い手がトレイを掴んでドア窓からティーセットを差し出した、そのトレイの上に高価なティーセットと一緒にガラスの瓶が乗っていた、その中に数匹の黄金虫がうごめいている。
ポーラが息を飲む音が聞こえた、トレイを受け取るポーラの手がわずかに震えていた。
「かしこまりました、おおせのままに」
ドア窓が閉じられると部屋は完全な闇に戻る。
扉の向こうから廊下を去っていくポーラの足音が小さくなっていく。
「ドロシーあの黄金虫はなに?」
「わたしの目になり耳になる」
エルマの声が興奮ではずんだ。
「昼の世界が見えるのね?」
「でもきけん、あまりつかいたくない」
「それでも見たいの!!」
エルマからこがれるような羨望が感じられる。
「そうだ、わすれてた『ししゃのなんこう』がのこりすくない」
揺れる椅子の音と衣擦れの音がした、足音が闇の中を歩き回り始める。
「あれがあれば外に出れるのよね?」
戸棚の扉を空ける乾いた音が響いた。
「あった、エルマなに?」
「きいてよ『死者の軟膏』があれば外に出れるんでしょ!?」
「あなたにはまだはやい、べたべたしてきもちわるい、それにかゆくなる」
「それでも外に出たいのよ!!」
小さな靴が床を叩く音がした。
「エルマ落ち着いてよ」
ヨハンが彼女をなだめる。
「わかった、たくさんつくるようにかく」
床が鳴り椅子に腰掛ける音がした。
しばらくたった頃ドロシーがつぶやく。
「虫たちがはなたれた、どこにいこう・・・でも、まずはさきにてがみをだす」
一瞬だけ暗黒の部屋の中に光が灯りすぐに消えた。
「よしできた」
そして暗闇の中から金属のベルの音が再び鳴り響く、廊下の向こうから小走りに近づいてくる足音が聞こえてきた。
「ポーラでございます!!お嬢様いかなる御用でしょう?ハァハァ」
先程とまったく同じセリフだった、だが彼女は少し息を切らせていた。
ふたたび扉の下の小さな窓が開かれて、ドロシーの青白い手が封蝋で閉じられた手紙を差し出した、ポーラはそれを恐る恐る受け取った。
「これをエルヴィスに」
「か、畏まりました!!お嬢様!!」
ドア窓が閉じられるとポーラの足跡は急ぎ遠ざかって行く。
「すこしねる、おこさないように」
大きな重い木の蓋が閉じられた様な重い音が鳴り響いた。
後には二人の子供達の他愛のない会話だけが残った。
ジンバー商会の会頭室は昼をまわっても落ち着きが戻らなかった、エイベルの甥のオーバンが行方不明になったところに来て、ソムニの樹脂を焼くと予告状まで来たのだ。
ソムニの実は薬や魔術の触媒の原料になった、それを精製し吸引すると快感や幻覚を与える作用がある。
この薬は習慣性や毒性があり栽培や販売を規制している国々が多い、だがテレーゼでは野放しに近くソムニの大生産地になっていた。
コステロ商会はソムニの国際的な生産、流通を支配し巨大な利益を得ていたが、ジンバー商会はその商売の一翼を担っていた。
執事長のフリッツが疲れた様子で会頭のエイベルの机の前に立っていた。
「オービス隊の生き残りから当時の状況が掴めましたよ、この男はオービスが殺られた直後に一人で逃亡したようです」
エイベルは調査の報告書を読むにつれ顔色が悪くなっていく。
「なんてこった、待ち伏せされていたのか、奴らは顔を隠していたようだが背の高い男に女に魔術師か、この三人以外に考えられん、たしかに奴らは人間じゃあない」
そこに若い執事が慌てたように扉をノックもせず会頭室に入ってくる。
「特殊商品班からの報告です、このラベルは本物だそうです、また調査班の調べで事務所の屋根裏に潜入者の痕跡が見つかりました、一階の掃除道具部屋の天井から屋根裏に入り、そこから二階の倉庫に侵入したもようです」
執事は予告状をエイベルの手に返した。
「外部からの侵入者なのか?信じられんどこから入った?」
「三日前に倉庫の窓の鍵がかかっておらず、見つけた者は占め忘れとして鍵をかけ直した事がわかりました」
「閉め忘れだと?」
「はい定期的に換気をしているそうです、換気は一週間に一度で最後の換気は五日前です」
「わかった、三日前なら輸送隊が襲われた日だな」
「そこから侵入したのか?」
「いいえ、調査班は外部からの侵入者がそこから脱出したと推理しています」
そして若い執事は声を小さく落とした。
「調査班は商会外部からの侵入とスパイの両面から調査を進めています」
エイベルはそれに黙って頷く。
エイベル達は気づいていただろうか、窓の枠に黄金虫が取り付いている事に、気がついても無視したはずだ、それは一見すると平凡な昆虫にすぎないのだから。
「倉庫の警備を厳重にしろ、あと侵入口も潰しておけ」
彼の眼は若い執事に下がって良いと促していた。
「会頭、オーバンが消えた事、そして予告状、総て彼らが関わっていると思いますか?」
「おそらくそうだろうな、だが目的はなんだ?金か恨みか?」
「しかしオーバンの行方はまだわからんのか?誘拐ならば身代金などの要求があるはずだぞ」
執事長のフリッツは首を横に振った。
「何かのトラブルに巻き込まれた可能性もありますね、相手がオーバンだと気づいていない事も考えられますな」
執事長の推理が真実に一番近かった、だがそれに誰も気づいていない、そして犯人に非常に近い者が聞き耳を立てているとは思わなかった。
「そうだ、セナ村の件はどうなった?」
「オーバンの調査は調査部の担当になりました、ローワンのところと連携しながら調査を進めています、オーバンの消息の確認が最優先になっています」
「クソッ!!とことん世話がやける奴だ」
エイベルが思わず机に拳を振り下ろした、インク壺と筆記用具が耳障りな音を立てる。
ハイネの中央大広場、この広場を取り囲む大通りに面したコステロ商会の本館は瀟洒な赤い煉瓦造りの建物だ、そのコステロ会長の執務室はその財力にふさわしく豪華で成金じみた調度で飾り立てられていた。
厚手のカーテンが引かれ部屋の中は昼間なのに薄暗い、金ピカの調度品が魔術道具の照明の光を鈍く照り返している。
執務机の前に上等なスーツに丸い金縁の黒い遮光メガネをかけた男がいた、それはコステロファミリーの首領エルヴィス=コステロだ。
男は薄い唇で微笑みをうかべていたが、瞳は遮光メガネに隠され感情を読み解く事ができない。
その彼の前に頭の禿げた太った初老の男が書類の束を抱えてて控えていた。
「クレメンテそれが警備隊の問題の調書なのか?」
「はい3日間の特別持ち出し許可がでましたので、私以外まだ誰も読んでいません」
「俺が読むのかよ?」
コステロは苦笑いをうかべた、普通は部下が読み概要をまとめて上に報告するものだ、クレメンテは調書を一読して先入観なしでコステロに読ませた方が良いと判断したのだ、二時間に渡る調査の記録を読み進めていくとしだいに彼らの人と成りが見えて来る。
相手が異例な存在ゆえにクレメンテは先入感は邪魔と判断した。
調書を読み始めたコステロはすぐに顔を上げた。
「あのお嬢ちゃんがいないな、クレメンテ」
「会長、聞きましたところ小間使として解放してしまったそうです、彼らは剣を奪われた被害者の立場でした」
「警備隊のミスだな、たしか魔術街でオーバンの手下を潰した件は警備隊に伝わってなかったな」
「そのとおりです会長」
あの青いワンピースの少女が誘拐されそうになり、それをベルが救出した事を警備隊が知っていたら参考人にしたはずだ。
その事件は自警団で留められ警備隊には伝わっていなかった、誘拐未遂のためオーバンが公になる事を避けたからだ。
「二人を殺した娘は最近加わったと・・・」
その時コツンと小さな音がした、窓ガラスの枠に黄金虫が止まった音だった、だが誰もそれを気にする者などいない。
そこにドアがノックされる、子供のような若い男の声が呼びかけてくる。
「ジンバー商会から緊急の伝言板が来ました」
「はいれ」
警備の男が扉を開くと少年のような若い執事が伝言板を持って部屋に入ってきた、彼はエントランスホールの受付手伝い人の少年だった。
少年は二枚の伝言板をクレメンテに渡すと一礼して引き揚げていく。
「二枚だと、クレメンテ読め」
コステロは調書をそのまま読み進める。
伝言板を開いたクレメンテが息を飲む音が聞こえた、コステロは手を休めてクレメンテを見上げる。
「まず先代の息子のオーバンが行方不明、ソニムの樹脂の破壊予告がジンバー商会に来ました」
クレメンテは伝言板をコステロに手渡した。
伝言板を一読したコステロは呆れたようにクレメンテを再び見上げる。
「おいおい、どうなっているんだ?」
クレメンテはその大きな肩を竦めて見せた。
「こちらも手の者をハイネに集める必要がありますか?」
「そうしろ、急がせろよ」
「さっそく手配します」
クレメンテはコステロに一礼すると執務室から下がって行った。
コステロは深く革張りの豪華な椅子に深く腰掛ける。
「ドロシー、聞いているんだろ?」
コステロは他の者達に聞こえない様に小さくささやいた。
(そう)
声にならない程のささやかな声がそれに答えた。