幽界からの帰還
ベルサーレそっくりの美貌が微笑む、それはこの様に微笑めば人らしく見えるからそうしたかのような、そんな作り物めいた微笑みだった。
『ワレラのセイシンとチセイはヒトとちがいすぎる、このモノのセイシンとにくたいをテガカリにイシのソツウヲはかった』
ルディガーは目を剥き驚いた、この世界に来てから初めて明確な意思や知性に裏付けられた言葉を聞いたからだ、だがそれは不自然で聞き取り難い発声だ。
ルディガーは何から話しかけようかと思い巡らすが、結局自己紹介から始める事にする。
「私はエルニア公国第一公子のルディガー=イスタリア=アウデンリートです、お見知りおきを」
彼女の目の輝きには皮肉な光が漂う、異界の存在が世俗の人の地位に価値を見出すとは思えない、ルディガーはその皮肉な光をそう受けとった。
『ワタシはヒトからはアグライアとよばれているソンザイだ』
ルディガーはその答えにどこか納得していた、暁の女神アグライアはエスタニア大陸でも名の知られた女神だ、ルディガーはいろいろな状況からその可能性も考えてはいた。
『オマエのマエニあらわれたのは、コウキシンからだ、こうして人と交わるのはヒサシイ』
「アグライア様、ここはいったいどこなのでしょうか?なぜ我々はここに!!許されるのであればお教えください!!」
『トキがない、そしてお前たちのココデのキオクは封じられる、それでもヨイノならオシエテやろう、まずおまえがうたがっていたようにここはユウカイだ』
ルディガーは公子として魔術や世界の仕組みに関して基本的な教養を修めているが魔術師でもなければ学者でもなかった、それでもベルサーレがここを死後の世界と疑った時からそれは心の片隅を占めていた。
だが女神と名乗る存在は自分の考えている事が解かるのだろうか?
『そしておまえタチをここにミチビイタのはワタシでス』
「あの光る泉は貴女の御業なのか?」
女神は無言でうなずいた。
「いったいなぜそんなことを?」
『ワレワレがぶしつカイにかんしょうしなければならなくなったカラです』
「それは!?」
『タゲンセカイをハカイしかねないクワダテをトメルために、貴方にはリカイできないでしょうネ』
「ならばなぜ我々をお選びになられたのですか?」
『この娘はエルニアの古き森のカミに使えた巫女の血筋ゆえか私と相性がとても良い、ソノホウはそう定められていたから』
女神は自分自身を手の平で叩いてからルディガーを指差した。
この時ルディガーの脳裏に大公妃の精霊宣託が思い浮かんだ、そしてベルサーレの体を使って語る女神の口調が自然なものに変化していることに気づいた。
「そうだった女神!!ベル、ベルサーレはどうなったのですか?」
目の前に彼女の姿をした女神に問いかけた、アグライアは僅かに笑った様に見えた。
『おまえの眼の前にいるではないカ』
「ベルは剣の鞘に」
『剣の鞘に変え再び再構成し今おまえの眼の前にいる、お前達は無事に還します』
女神は手の平で自分を叩いてルディガーに指を指した。
「我々は元の世界に戻れるのですか!!」
『初めからそのつもりでした、だがここに長くいると戻る時空に誤差が生まれる、私達にはささやかなズレでも人にとっては深刻な問題となるだろう』
「世界を破壊する企てとは?我々に何をさせようと言うのです?なぜ記憶を封じるのですか?」
『ここで見知った知識が広がる事を防ぐため記憶を封じる、その封じが破られる怖れもあるので多くを教える事はできない』
ルディガーはベルサーレの姿を借りた女神の性格や口調が絶えず変化する事に戸惑っていた、まだ女神は人に慣れていないのだろうか?
『そろそろこの娘を戻そう、我の古き眷属の力を残しておく、もう我は去らねばならぬ』
その一言と共にベルサーレから感じていた威圧感と黄金の瞳の輝きが引いてゆく。
『アグライア!!』
ルディガーにはまだ聞きたいことがあった、だが女神は去って行こうとしている。
(お前達は一つになった・・・)
遠くから女神の声が聞こえてきた様な気がした。
ベルサーレの体がふらふらと揺れ始め、ルディガーは彼女を抱きよせて支える。
その直後にルディガーの周りの景色が歪み始める、上と下がわからなくなり、目眩と吐き気が込み上げ思わず膝をついた。
極彩色の世界が色を失い色あせていく、やがて全てが渦を巻くように歪み落下が始まった、全てが溶けて崩れていくその渦の中で倒れ伏した。
いつの間にか腕の中からベルサーレの温かい体の感触が消えている、混乱と焦りと落ちるような感覚と共にすべて暗黒の中に消えて行った。
ルディガーは湿った草と腐葉土の臭いで目が醒めた、あたりの空気が刺すように冷たい。
鬱蒼としげる木々と下草が茂る、どうやら森の中に倒れているようだ、周囲の森からは懐かしさを感じた、あの太古の森とは比べ物にならないと考えてから思考が止まる。
思わず立ち上がり空を見上げた、空に輝く星々が散りばめられ僅かに紫色に染まり始めてた。
後ろを見るとその方向の空が明るく成り始めている。
(帰ってきたのか?)
そこで幼馴染を思い出した。
「ベルいるか!?」
ルディガーは慌ててあたりを探し始めた、そこから少し離れた下草の中に白い布切れが見える。
それはベルサーレのドレスだ、彼女は手足をだらしなく投げ出し大の字になって寝ていた。
彼女が服を着たまま倒れていた事に安心した自分に苦笑する。
慌ててかけより怪我が無いか確認してから呼吸を診る、彼女の息を感じてからルディガーはほっとした。
そっと彼女をかかえて起こしてやる。
「起きてくれベル」
頬を軽く叩いて呼びかけた。
やがてベルサーレがゆっくりと目を見開く、そしてルディガーをみとめて微笑んだ。
それは女神の非人間的な微笑とは違っていた、普段の彼女とも違うとても柔らかな落ち着いた微笑みだった、なぜこんなふうに彼女は微笑む事ができるのだろう。
そしてふと想った女神とはなんだ?
「戻って来たんだね・・・この匂いはバーレムの森」
「わかるのか!?」
ベルサーレは小さくうなずく。
「でも変だな寒い・・・木の葉が色づいている」
「なんだと!?確かに言われてみると冬が近いのか?寒いわけだな」
ベルサーレがゆっくりと立ち上がり周囲を見回し始めた、そして明るくなりつつ空の反対側を指した。
「ルディあれを見て・・・枝の隙間からエドナがあんなに大きく見える」
「ベルここはどこなんだ!?」
「僕たちがどこにいるかわかったよ、クラスタ館まで一日で帰れる場所だ、でもなぜこんな処に居るんだ?」
「狩猟感謝祭のあと光る泉を見つけたのを覚えているか?」
「あれに落ちたよね、変な草原を旅して山を登ってその上に神殿があった、僕はルディを追って扉に飛び込んだところまでしか覚えていない」
「お前は何を言っているんだ?」
「ルディあの後何があったか覚えてる!?」
自信満々で答えようとしたルディガーは言葉に詰まりそして顔色が悪くなっていく。
「どうしたのルディ?覚えていないんだね・・・」
「ああ思い出せない、とても重要な事があったはずだ」
「僕は何か良い夢を見ていたような気がする」
どこか夢見がちな少女の様に笑った。
「ルディとにかく早く館に帰ろう、いったい今が何年の何月何日なのかわからない、周りを見るともう冬が近い」
ベルサーレの声には不安と焦りの色が濃い、寒さだけではなく彼女の声は震えていた。
「すまん考え事をしていた、とにかく帰ろう」
二人はベルサーレの案内でクラスタ館のあるマイア村に向かって帰路を急ぎ始めた、二人は初冬のバーレムの森の小道を抜けていく。
ルディガーとベルサーレの二ヶ月に及ぶ失跡は大きな醜聞となり、それはクラスタの失爵とベルサーレの追放を招いた、この事件はルディガーの謀反未遂事件に遡る事二年前の出来事だった。
ベルサーレが追放されてしばらくたった後の事、クラスタ館の近くの巨木を調べに来た彼女は結局それを見つける事ができなかったと言う。