女神との邂逅
ベルサーレはルディガーの呼びかけに振り返りもせず祭壇の階段を登って行く、正方形に近い祭壇の真中まで進み出るとそこで立ち止まった、だがルディガーのいる位置から祭壇の上の状況はわからない。
祭壇の上に立つベルサーレの瞳は何も写してはいなかった、彼女の眼を借りる事ができるならば、祭壇の材質は神殿と同じ白翡翠のような材質で、その表面には象形文字のレリーフが隙間なく刻まれていた、その台座の中央に直径3センチ程の穴が開いているのを見つける事ができただろう。
穴の周りは大きな皿の様にへこんでいる。
彼女の瞳はそれらを映していたが何も見てはいなかった、いつまでもベルサーレは身じろぎもせずそこに立ち尽くしていた。
だが止まった様な時間は長くは続かない、ルディガーの視界の端からあの丸い胴体をした像がのたのたと歩きながら入ってくる、それは円盤の替わりに黒い瓶を抱えていた、背中には黒い瓶を背負っていない。
その像の頭らしき部分は胴体に半分めり込み、その半球の頭に眼と口の部分に穴が空いているだけだ。
二人が通路で遭遇した像とそれはほとんど同じ形をしている、ここには同じ型の像がいくつも居るのかもしれない。
その像はベルサーレの立つ祭壇に近づく、すると両腕に抱えていた黒い瓶が宙に浮き上がりそのまま祭壇に吸い寄せられ祭壇の壁を通り抜けて消えてしまった。
ルディガーは身じろぎもできずにそれを見守る事しかできない、そして巨大な女神像が僅かに震えた瞬間ベルサーレが祭壇の上からかき消えた、消えたと言うより彼女のドレスの中身が抜けたように祭壇の上に崩れ落ちたのだ。
ルディガーは叫びたかったがまったく体も口も動かない、それに下からでは祭壇の上で何が起きたのか知るすべがなかった。
そしてどのくらい時間がたっただろうか。
祭壇から黒い瓶が湧き出てくると宙を飛び像の両の腕の中に戻って行く。
その瓶の中から黄金色の液体が伸び上がり不思議な音を奏でている、ルディガーはその音に何か引っかかりを感じた、意識を集めるとそれは何かの言葉に変わる。
まるでベルサーレの不機嫌な拗ねた様な呟きに聞こえてきた。
(まさかベルなのか!?)
馬鹿げた考えだと思うが、瓶の中で波打つ黄金の液体がベルの変わり果てた姿だと直感が訴えていた、そしてまだ彼女が生きているとなぜか確信していた。
瓶を抱いた像はふたたび歩き始めた、こんどは祭壇の左隣りにある巨大で複雑な構造物に近づいていく。
その構造物は祭壇よりも暗い灰色の材質でできていた、丸い管や柱が複雑に絡み合った姿をしていたが、その側面に縦長の両開きの扉がある。
祭壇と同じく全体に未知の象形文字のレリーフが隙間なく刻まれていた、その上面には皿の様な窪みがあり、その中心に小さな穴が口を開けていた、だがこれはルディガーの位置から見ることはできない。
像が構造物の側で立ち止まると瓶がまた宙に浮く、その中から黄金の液体が波打ち何かを求める様に宙に伸び上がる。
その瓶は奇妙な構造物の真上に移動すると、その中身をその上に注ぎ始めた。
黄金の粘り気のある液体がドロリと流れ下る、液体は何か抵抗するかのように蠢き不平不満を呟きながらこぼれ落ちて行く。
その黄金の液体は皿の中に溜まり穴から踊るように内部に流れ込んで行った。
そして球体のような像は再び黒い瓶を受け取ると歩き出す、そしてルディガー視界の端から消えていった、どこに向かうのか眼で追いたかったが首を動かす事ができない。
そしてまた巨大な女神像が僅かに震えた、その直後その灰色の構造物が唸りを上げ始める、その音は果たして耳から聞こえているのかすらルディガーにはわからない。
やがて暗い灰色の構造物の表面が振動を始める、そして浮き彫りの象形文字が柔らかい素材であるかのように次々と変化を始めた。
ルディガーの頬がその伝わる振動で僅かに震える、その振動を感じていると意識が朦朧として遠くなっていく、その音の中からベルサーレの悩ましげな声が聞こえた様な気がした。
(ベル!?)
そしてその騒音が途絶えた、ルディガーは何かが始まろうとしていると理解した、ベルサーレがどうなったのかそれが明らかになると、怖れにかられながらも目を逸らす事ができなかった。
やがて灰色の構造物の両開きの扉がゆっくりと開いていく、その中かから光輝く何かが宙にうかび出てきた、それは黄金に輝く細長い板のような物体だ、表面には繊細な意匠と解読できない象形文字がかたどられている。
それは長さがニメール程でルディガーにはまるで剣の鞘に見えた。
はたしてこれがベルサーレなのだろうか?
その鞘は何かを呟くような歌う様なささやきを発していた、調和のとれた美しいささやきがルディガーの耳をくすぐる。
ルディガーはそのささやきを聞き取ろうと耳を澄したその瞬間、この黄金の鞘がベルサーレだとなぜか確信していた。
ルディガーはその黄金の鞘が欲しいと灼け付くような渇望に焦がれていた。
その鞘は宙に高く浮かび上がると巨大な女神像の胸の辺りに移動していく、もはや鞘のささやきは聞こえなかった。
そして視界の端から両腕にあの円盤を抱えた球体の像が入って来た、それにルディガーは焦った、あの光を浴びてはいけないと戦士の本能が警告を発している。
ルディガーはなんとか体を動かそうとするが体は相変わらず言うことを聞かない、そして己の無力さに歯噛みした。
(クソッ!!)
像はまっすぐルディガーを向き直ると円盤を掲げて向けてきた、ルディガーは円盤が虹色に輝くのを見たその直後に意識が途切れる。
ルディガーは美しい色とりどりの花々が咲き乱れる庭園に立っていた、突然の変化に戸惑い辺りを見回して固まる、その庭園は白亜の壮麗な大神殿の前に広がっていたのだ。
そして遠くに宝石の様な蒼い水を噴き上げる巨大な噴水が見える。
空を見上げると雲ひとつない深いコバルトの空、まるで星が見えるかのように深く濃く澄み切っていた、だがすぐに異常を見つけた、この明るい極彩色の世界には太陽が存在しない。
この世界には見覚えがあったあの黒い河で見た夢の世界に似ていると。
だがこれが夢とは思えなかった、五感は肌を刺す冷たい大気と花の芳香を感じ取っていた、花壇の外側を見るが神殿の外側は雲か霧に覆われてるようで何があるのか定かではない。
花壇の外側を確認したくなったルディガーは歩き始めた、その時大気が大きく動いた、ルディガーの前髪が風に煽られ花壇の花々の花びらが舞い上がる、その風が雲と霧を吹き散らし地平線の遥か彼方まで広がる広大な雲海が現れた。
ルディガーは高峰の頂上に聳え立つ大神殿の前にいたのだ。
「ここは・・・まさか」
ルディガーから独り言が思わずこぼれた。
そして背後から何者かに視られているかのような視線を感じる、それは物質的な圧力を感じる程だった。
その正体を探ると花園の中に白いドレスを纏ったベルサーレが、ドレスを風に靡かせてルディガーを見詰めていた。
「ベル!!!」
ルディガーは花園のベルサーレに向かって走った、だが途中で足が遅くなる、その彼女の瞳が黄金の光に満たされていたからだ。
その光は遠くからわかるほどに明るく鋭い。
ルディガーは悠然と立ち尽くすベルサーレにゆっくり近づく、そしてその瞳を覗き込んだ。
森の獣と化した彼女と同じなのかと怖れながらもその瞳を覗き込んだ。
そして理解した。
そこには知性と理性の力が存在していた、だがそこにベルサーレはいないと。
「貴女は誰だ?」
それはいつもの砕けた態度からかけ離れていた、その声には畏れと警戒の響きが多分にある、ルディガーはその黄金の瞳のベルサーレに何者なのか問いかけていた。
ベルサーレは微笑み返す、だがその微笑みは人では無い者が人らしく振る舞おうとしているかのような、そんな不自然な違和感を感じルディガーの背筋が凍る。
彼女からは敵意や邪悪さは感じない、だがその非人間的な微笑みにルディガーは戦慄した。