白亜の女神像
ルディガーはふらつきながらも立ち上がり神殿の奥を眺めた、それを心配げにベルサーレは見守っていたが、彼は神殿の内部の壮大な光景に見惚れていて気がつかない。
二人は白亜の巨大な神殿の飴色に鈍く輝く巨大な門の内側に立っていた、その扉に見合う程の大通路が遥か彼方の奥までまっすぐ伸びている、その先は深くて見通せない。
大通路の天井は白亜のアーチをなし光源もないのに通路全体が明るく均等に照らし出されている。
通路の両側には人に似た姿の黒い立像が大きな瓶を抱えて整然と立ち並び、その瓶から金色の霧がゆっくりと立ち昇っていた。
硬質な質感の乳白色の壁は表面が光を反射するほどなめらかで、見慣れぬ意匠の浮き彫りがところどころに刻まれていた。
床は黒みが強い灰色でその白色とのコントラストが映える、そして神殿内部の壁や床に建材の繋ぎ目が見当たらなかった。
「ルディみて、あの金色の霧が光になっていく」
ベルサーレがどこか夢見るように呟いた、ルディガーはそんな彼女に僅かに不安を感じた、また彼女が魂を奪われるのではないかと怖れたのだ。
彼女が言う通り瓶から漂い出た黄金の霧が、金粉が煌めくように輝き波紋を残しながら光となって広がっていく。
それは広場の黄金の噴水の黄金の霧にとても良く似ている。
光の広がる速さは見えるものだろうか?
ルディガーはそこでふと足元の影が気になった、あの不愉快な影共を探したが姿が見えない。
「ベル!!気をつけろ影がいない!!」
「なんだって!!」
ベルサーレはドレスの端をつまんで両足をパタパタとさせながらくるりと廻って叫んだ。
「あそこだ!!見て扉のところ!!」
背後の大扉の下で二人の影が慌てふためきもがいていた、お互いに掴み合い蹴落としながら扉の下の隙間に逃げ込もうと足掻いていた。
だが扉と床の間には影すら入り込む隙間が無いのか影共はもぐり込む事ができないようだ、二人はその醜い争いをしばらくの間眺めていた。
「ルディいこう、僕たちあんな風になりたくないよね」
「ああ行こう、互いに頼り 互いに庇い合い 互いに助け合う、だからこそ生き残れるものだ」
「うん!!」
二人は影を見捨て通路を奥に進み始めた。
二人は両側に立ち並ぶ瓶を抱えた立像と壁に彫られた繊細なレリーフを観察しながら慎重に奥に進む、僅かな異変も見逃すまいと神経を張り詰めていた、黒い立像が動き出し襲いかかってくるイメージが浮かぶのだ。
なめらかな黒曜石のような美しい像は敢えて言うならば人の姿に似ていた、似ていると言うのは関節の数や位置が人とは異なるからだ、卵の様な美しい形をした黒曜石の様な頭には目も鼻も口も無い。
抽象化された像なのだろうとルディガーは思う、彼も芸術に関する教育は最低限受けていた、それは創作教育ではなく鑑賞する側に求められる教養だったが。
だが本当にこの姿をしている何者かがここにいるのではないかと言う不安も残っていた、できたら会いたくはなかった。
そしてそれらの像にどれ一つ同じものは無かった、背の高さや頭の輪郭や纏うトーガに僅かな差がある。
壁のレリーフは壁と同じ材質なので近づかないと詳しいことがわからなかった、その中のあるレリーフを見たルディガーに閃きが走る、そこには神殿の様な建築物を背景に踊る異教の巫女のような姿が彫られていたからだ、それは草原で見た影の不思議な踊りに似ていた、人の姿では困難な踊りでもこの体には適した踊りだと気がついたのだ。
ルディガーは思わず唸り声を上げて足を止めてしまった。
ベルサーレは何かあった?そんな顔をして見上げてくる。
彼女にどう説明しようか悩んでいると。
「前から何かが来る」
ベルサーレの警告で我に返った、考え事で注意が散漫になっていたのかもしれない、ルディガーはそれに気づくのが遅れた、通路の前方から灰色の人の形にも似た何かがこちらに向かってくる。
「いつのまに・・・」
「僕も気づかなかった」
「だがまだ距離があるようだ」
それはずんぐりと太った人に似た暗い灰色の像で、背中に大きな石の瓶を担いで両腕に何か丸い円板状の物を抱えていた。
丸々とした胴の真ん中に太いベルトの様な出っ張りが体を取り巻いていた、首が無く丸い頭が胴にめり込んでいる、その頭には丸い穴の様な目と口が開いていた。
その像の色は通路の床の色に近いその為に発見が遅れたのかもしれない。
ルディガーは抜剣したがその刀身の先が失われていた、それに思わず苦笑する。
「奴が何をしてくるか予想がつかない、ベル触らぬ神に祟りなしだ」
「近づかないのが正解だね」
「あれにどの程度の知恵があるのかわからんが」
二人は並よりも技も力もあるがしょせんは普通の人間でしかない、彼らにできる事は限られていた。
像は二人に向かってのたのたとまっすぐ向かってくる。
ルディガーは突然ベルサーレの腕を掴んで通路の右端に走った、ベルサーレは僅かに抵抗したがルディガーを信じたのか大人しく従う。
「くそ、俺達の方に向かってくる、見逃してはくれんようだな」
歩く像は通路をまっすぐ進まず、二人のいる方向に僅かに向きを変えた、だがまだ距離はある。
「あの瓶と丸い板が危険な気がする」
「まだ何かを隠しているかもしれん、幸いにも奴は一体だ二兎は負えないさ、ベル試しに反対側に行ってみてくれ」
ベルサーレが通路の反対側に走る、だが像はそのままルディガーに向かってきた。
「これでいい、ベルそのまま前に進んでみてくれ!!」
心配げな顔をしながらもベルサーレは通路を奥に進んでこちらを向き直った。
像はそのままルディガーに真っ直ぐ向かってくる。
「ルディ何をするんだ?」
じわじわと通路をもと来た方向に下がり始めたルディに彼女が呼びかけた。
ルディガーは像が通路の右側により切った所で、一気に左に走り振り切るつもりだった。
ただ像が急に速度を上げたり行動を変えて来る可能性も想定していた、そうなったらその時はその時の事だ。
通路の中心に移動したベルサーレが抜剣する、あの魔術道具を左手からぶら下げていた。
ルディガーは像の速度と通路の幅と距離を見極め動くその時を測っていた。
やがてその瞬間がやってくる。
ルディガーは一気に通路の左に走る、そして立像たちの前を通路の奥に向かって走り抜けた。
視界の隅でベルサーレの表情が強張った、あの像が何かをしようとしているのか?
「ルディ!!危ない!!」
その時ベルサーレは動き出していた。
ルディガーは思わず像を見た、その太った丸い胴のベルトのあたりで上半身が回転している、両腕に抱えた円盤が虹色に光輝やきながらこちらを向いていた。
そこから何かを感じると首の後ろの毛が逆立つ、本能的にその正面を避けようと横に飛び跳ねて転がった、だがその目は像からそらさない。
像は向きを素早く調整し腕を動かして確実にこちらに狙いを定めていた、その動きは見かけより素早い。
ルディガーは更に飛び跳ねて動く、像はそれに素早く対応しながらルディガーに狙いをさだめる、だがその時そこにベルサーレが飛び込んできた。
ルディガーは見た、虹色に輝く円盤はベルサーレに狙いを変えていた、その彼女の左手に虹色の光を反射する魔術道具の煌めきがある。
「ベルやめろ!!」
ルディガーは思わず叫んだ。
ベルの全身が虹色の輝きに包まれた直後、何かが砕け散る音が響き、虹色の光の洪水に飲み込まれた、思わず目を閉じたがその光量に視力を奪われる、直後に爆風に襲われ通路の床に叩きつけられた、なぜかそのあいだ音が何も聞こえない。
「ベル!!」
ルディガーは苦痛の中で幼馴染の名を叫んだ。
幸いにも視力はすぐに戻ってきた、まず床の上に白く映えるドレスが目に入る、そしてあの像は影も形も見えない、思わず軋む体に鞭打ち駆け寄るとそこに彼女が倒れ伏していた。
自然に目を覚ますのを待つ余裕は無い、彼女を抱き起こすと怪我がないか軽く調べてから頬を叩いて起こした。
「ベル起きてくれ!!」
ベルサーレは僅かに身じろぎする。
「うーん・・」
更に強く頬を叩いて軽く揺すると、やっと瞼を開きルディガーを見上げて来た。
「無茶をしたなベル」
「あいつは?」
「姿が無い消えた」
「良かった・・」
「あの光を浴びたように見えたがなんとも無いのか?」
「うん、なんとも無いみたい・・」
二人はのろのろと起き上がった、周囲を見回してもあの像の姿は見えない、そして通路の遙か先に何か大きな空間が開けていた。
二人はそこを目指して進み始めた。
その通路の奥の空間の巨大さに二人は言葉を失う、そこはアウデンリートの大聖霊教会の施設がまるごと入ってしまいそうな広さがある。
天井は球を半分に切って伏せた様な形状で、その高さが感覚的に掴めないほど高い、そして広間全体が白い光に照らし出されていた。
その最奥の台座の上に巨大な白い立像が辺りを睥睨していた、その高さはアウデンリート城の塔ほどの高さがあるだろう。
艷やかな白亜の像は神殿を満たす光を照り返していた、表面がガラスで処理されているかのように艷やかに光輝いている。
像は全体的に女性的ななめらかな曲線で構成されていた、同じく白い卵の様な頭がその体の上に乗っている、その頭には目も鼻も口も無かった。
その足と腕には関節らしき物が無い、だが僅かに曲がるようにしならせた四肢が不思議な美しさを魅せ、その仕草は気品すら漂わせていた。
そしてその背に半透明に輝く巨大な二枚の翼を大きく広げていた、それは鳥の様な見知った生物の翼からはかけ離れていた形をしている、その翼が虹色に輝きその色をゆっくりと変化させていた。
二人が馴染んだ神や女神とは異質な姿だが女神と例えるしか無い、その像からしばらく目が離せなかった。
その女神像の台座の前に小さな祭壇の様な物が設けられ、両側に見慣れぬ巨大な器具の様な物体が設置されている。
祭壇は像が巨大すぎるせいで小さく見えるが、その大きさは庶民の家ほどもあるだろう、祭壇には人が登れるよう階段が設けられていた。
だがその広大な空間にはそれ以外に何も存在しなかった。
意を決して二人は祭壇に向かう、像と祭壇を詳しく調べる為だ。
「あの光る池みたいなのがあればいいのに」
「お前もそれを考えていたのか?」
「うん」
突然ルディガーは何か背筋が寒くなる様な悪寒に襲われた、それは何かが体を通り過ぎた様な感覚だった、思わず足を止めその原因を探る。
だがベルサーレはそのまま構わず祭壇に向かって進んでいく。
「ベル、止まってくれ!!」
ルディガーは直感を決して軽視しなかった、これを軽視することは時に死を招く。
だがベルサーレはルディガーの警告を無視して進んでいく、ルディガーはそれに不審を抱きベルサーレに慌てて追いつき肩を掴む。
だが彼女に触れた瞬間電撃を浴びた様な衝撃を受けて体が動かなくなった、ベルサーレはふり返る事も無く祭壇に向かって進んでいく。
体が動かない、そのまま祭壇に向かうベルの背を見ている事しかできなかった。
(ベル止まれ!!行くな!!!)
もはやその叫びも言葉にならない。