地を這いずる黒きなめらかな者達
山脈の頂きに到達した二人の前に想像を越えた光景が広がる、それを言葉もなく眺めるしかなかった。
山頂に白く光り輝く巨大な神殿が聳え立っていた、その高さはエルニア公都アウデンリートの大聖霊教会の大礼拝殿の何倍もの高さがある、それは未知の建築様式で築かれている、ルディガーは古代遺跡の壁画に描かれた建築物の様式にどこか似通った物を感じ取っていた。
だが大神殿の上で輝く光の光球に強く照らしだされていて、すべてが白い光に埋もれていた、そのせいで周囲の状況を細かく把握する事ができない。
痺れる様な感覚の中でこれは人の匠の技で築ける様な物では無いとルディガーは断定した。
ここまでいろいろな怪異に遭遇してきた二人だが、明確な知性や匠の技に裏打ちされた存在に遭遇した事はなかった。
それに脅威を感じる、この神殿を建設した存在の知性や力に慄いた。
「もう小手先の技は通用しない」
ルディガーは思わず呟いた。
「ルディ光が!!」
ベルサーレが叫ぶ。
その時頭上の光球の輝きが弱まり、ゆっくりと光を落としていく、それに変わり大神殿の白い輝きが辺りを照らし始める。
目が慣れるにしたがい白く光り輝く神殿が闇を背景に浮かび上がる、神殿の正面に巨大な門があり巨大な飴色に鈍く輝く扉が行く手を阻む。
その神殿の前に広大な広場が見える、その広場につながる大通りの両側に何か柱や像の様なものが立ち並んでいた。
その広場の中央には黄金色の水を吹き出す噴水の様な何かがある、その噴水の周りが黄金の霧に包まれているようにも見える、そして何かの像が数体ほど広場に置かれている。
すでに神殿の上の光球は完全に姿を消した、山頂の下を見ると遥か下に雲海が見える、ルディガーはこんな高さまで登ってきたとは到底信じられなかった、
世界の壁と言われるアンナプルナ大山脈ほどの高さでなければありえない光景だ、だが今更それを不思議とも思わなくなっていた。
ここでは距離感も時間感覚も狂う。
「ベル進もう」
「そうだね、帰る方法が見つかるとしたらあの中の様な気がする」
神殿に向かって二人は進み始めた。
門まで伸びる大通りはエルニア公都アウデンリートの一番広い大通りの数倍もある、そんな広さが何の為に必要なのか想像がつかない、その両側に立ち並ぶ像も三階建ての建物を超えるほどの巨大なものだ。
その像は狂った芸術家の悪夢の中に出できたかのような奇怪な姿をしている。
それらが動物や人物の姿からかけ離れたものならまだ良かった、それらの像には見知った生き物や人物を思わせる何かがある。
それがルディガーを不安にさせた。
ルディガーはその中のある像に強く惹きつけられた、枯れ枝の様な細い胴に長い手足の様な物が繋がり、その腕は何かをつかもうと虚空を彷徨わせていた、その像の顔らしきところには目も鼻もなく、叫ぶように口だけが開かれていた。
何かを求めて声なき苦痛と叫びを上げる盲目の男のような姿だった、なぜかそれがルディガーの旧友を思わせた、理由は無いがそう感じてしまったのだ。
胸を突くその姿にルディガーはその像から目を逸してしまう。
「あれはアマンダだ!!」
となりからベルサーレのつぶやきが聞こえた。
ルディガーがベルサーレの指差す方向を慌てて見る、その像は岩の台座に座っていた、歪んだ体でうずくまり、耳を塞ぎ頭の大きさに釣り合わない巨大な目を見開いて足元を見詰めている、だがその眼には瞳がなく何も見えていないと感じた、その口は何かを叫んでいた、それは尽きる事のない恐怖と憎しみと呪いの叫びだ。
その像のどこがアマンダなのかまったく理解できない。
だがこの像はまるで・・・
「父上!!」
呆然としたルディガーが思わずこぼした言葉にベルサーレが驚いた。
「そうなのルディ?まさか・・・」
「ああ、そのまさかだ、お前と別の像が見えているのではないか?」
「僕には、まるまると太ったアマンダが寝転がっておやつを食べている様に見えた」
ルディガーの表情はどこか面白げに変わった。
「ルディには太公殿下に見えたんだね?」
ベルサーレは少し言いにくそうだったが、思い切りよく聞いてきた。
ルディガーはどこか苦渋を秘めた寂しそうな微笑みで答えた。
「そうだ」
二人は顔を見合わせる、これらの像に心を奪われては先に進めない、二人は先を急ぐ事にした。
やがてその広場の噴水の近くまでやってきた、その広場には曲面で形取られた置物が数体置かれていた。
まずは黄金の噴水に目を奪われた、黄金色の輝く液体に満たされた巨大な皿の真ん中に白い柱が立っていた、皿の大きさはあの森の池を二周り小さくしたほどの広さがある。
高さが人の背の5倍程もある柱の上から、黄金色に輝くねばりのある液体が静かに吹き出し柱をつたい流れ落ちている。
「なんだろこれ?」
「まるでわからん」
ベルサーレはルディガーの言い草に少し呆れた様子だったが、ふたたび向き直り噴水を見詰めている。
更に近づくと皿の上の液体の所々で液体が弾けて光を煌めかせていた、そのたびにそこから金色の霧が生まれ散っていく、遠くからこの周りが黄金の霧に包まれていた理由がわかった。
その光の霧は溶けるように消えその後から光が広がる、まるで黄金の液体が光と変化しているかの様にそれは美しい。
そして既に広場の置物に興味を移していたベルサーレが何かを見つけたようだ。
「ルディあれを見て!!」
広場を見渡していたベルサーレが一番近くの置物の一つを指差す。
「少しずつ動いている!!」
「なんだと!?」
ただの置物だと思っていたのだ、彼女の言う通りナメクジが這いずる様な速度でゆっくりとそれは動いていた、やがて噴水の周りを漂う光の中に入ってくる。
その動く置物の姿がしだいに明らかになる、敢えて似ているとしたら人に似ていた。
手も足も頭も無いその人の胴体に似た艷やかに黒く輝く物体はズルズルと広場の石畳の上をやってくる。
ルディガーは噴水に気を取られて見落としていたが、広場の石畳があるべき場所は、美しいほど表面を磨かれた巨大な一枚板で構成されていた。
もしくは恐るべき精度で加工されているためつなぎ目が見えないのかもしれない。
それを作り上げた存在の力に再び戦慄する。
「ベル気をつけろよ」
その黒いなめらかな置物が動きを止め、その頭があるべき場所から何かが盛り上がろうとしている。
二人は無言で飛び下がり距離を保ち左右に分かれる、その盛り上がりの正面を無意識に避けていた。
その盛り上がりはしだいに人の頭を形取って行く。
それは何かを呟き始めた。
そして首を伸ばすと巨大な石畳みを舌の無い口で舐め始めた、その場所に何か黒い液体がへばりついていたのだ。
慌てて周囲の石畳を見ると、他にも小さな黒い染みが石畳にへばりついていた、ルディガーは彼らが黒い液体を処理する役目を果たしていると推理した。
そのなめらかな像の呟きに心を惹かれる、言葉は理解できないがそこには永遠の絶望と苦痛と呪いが在った。
彼らが何か神の様な存在に対して大きな罪を犯しこの様な姿にされたのではないか、ルディガーの中でそんな確信が生まれていた。
「ルディ!!」
彼女に呼びかけられベルサーレを振り向く、彼女もそれに気づいたのだろう、恐怖と嫌悪と憐れみの混じった表情をしていた、きっと自分も同じ顔をしていると思った。
この像の謎を解明したい欲にかられたが、それを振り切り前に進むべきだと思った。
目的地に到達してからかえってルディガーの焦りは強くなっていた、具体的にどうすれば帰れるか計画が有るわけでは無い。
ここに来れば帰る方法が見つかるかも知れないと考えていただけだ。
二人は魔術や世界の知識が特別深いわけでは無い、そしてこの世界の知識も手がかりも無い、ここが異常な世界だと言うことだけ理解していた。
「神殿の中に入ろうベル」
ベルサーレは地を這いずる黒きなめらかな者達に未練を残しながらルディガーの後を追いかけた。
広場の正面は飴色に輝く巨大な両開きの扉が行く手を塞いでいる。
扉の高さはアウデンリートの大聖霊教会の大礼拝殿に匹敵する高さがあった、見ただけで人の力で動かせるものではない。
「ベルどこかに通用門があるかもしれないぞ」
エルニアのアウデンリート城の正門は平時は閉じられていたが、人や物が通る通用門は常に開かれていた、正門は重要な客人や大規模な軍の出撃の時にしか開かれない。
「でもこの城大きすぎる一回り・・・」
ベルサーレの言葉が途切れた。
「どうした?」
ベルサーレが黙ったまま左側を指差した。
ルディガーがそちらを見ると見えている光景がしばらく理解できなかった、神殿の白く輝く壁が遥か彼方まで伸びていたのだから。
「なんだこれは?ここは山頂のはずだが・・・」
ルディガーはある予感から後ろを見る、やはり神殿の壁が遥か彼方まで伸びていた。
「ルディ、このずっと向こうに何かが、いや誰かがいる」
「誰かいるのか?」
「遠すぎて良くわからない」
ルディガーはベルほど視力は良くなかったが、そこに何かが有るような気がしてくる。
「やむなし、他の入り口を探しながらそれを見極めよう」
二人はその何かに向かって神殿の壁に沿って歩き始めた、だがなかなか距離を縮める事ができない、そして他の入り口も見つからない。
「向こうも動いているね」
「ベル体調は大丈夫か?」
「問題ない」
「走るぞ!!」
二人はその何かに向かって走り始めた。
「向こうも走っている!!」
ベルサーレがそれに気づいた、二人は更に速度を早め全力で走り始めた、しだいに息が切れ疲労が溜まっていくが距離が縮まらない。
だが二人は急に速度を落として歩き始め、そして立ち止まってしまった、呆然としたまま立ち竦む。
彼らは始めの巨大な正門の前に立っている、反対側では噴水から黄金色の液体が湧き出していた。
「僕たち一回りしたみたい」
ベルサーレが脱力して石畳の上にうずくまった。
「なあ、思いたくないがあれは俺達の後ろ姿ではあるまいな?」
ベルサーレが四つん這いのままあの何者かがいる方向を見詰めた、そして呻いて石畳の上にうつ伏せに伸びてしまった。
「僕たちだよ、なんか少し気持ち悪くなってきた」
まだ悪食の影響が残っているのだろうかと心配になってベルサーレの背中をさすってやる。
彼女は気持ちよさそうに伸びていた、彼女の息は荒く僅かに汗をかいていた。
その時ルディガーの反対の手の指の先に刺すような刺激を感じた、その指先を見て目を剥く。
石畳から黒い液体がにじみ出ていて、それにうっかり触れてしまったのだ、慌ててそれを拭おうと上着にこすりつける、だが目眩を感じ視力を失いそして体が揺らぎ倒れかける。
突然周辺に無数の人の気配を感じて姿勢を立て直す、神殿の壁の周りを無数の黒い人の影が同じ方向に歩いていた、その列は途切れる事も無く限りなく続いていた、だがそれはしだいに形が曖昧になり、薄れて崩れていく、ボロボロと影の破片が石畳の上に落ちて吸い込まれていく。
そしていつしか何もいなくなった。
ベルサーレの姿が見えない事に気づき、あわてて探すがその時体がよろめいて倒れた。
「ルディ!!」
幼馴染の呼びかける声が聞こえた様な気がしたがそこで意識が途切れた。
ルディガーを揺り動かす者がいる、目を明けるとまたそこにベルサーレの憂い顔があった。
「またか・・」
「ここは神殿の中だよ」
「なんだって?」
「ルディがよろめいて扉によりかかったら、向こうに抜けてしまったんだ、僕も勇気をだして飛び込んだら扉を通り抜けてた」
ルディガーは疲れた様に笑った、いや笑うしか無かったのだ。
なんとか起き上がると周囲の様子を確かめる。