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人の姿をした獣

 その人の姿をした獣は光苔で薄暗く輝く大樹の幹を背景に枯れた太い木の枝の上に座っていた。

背後からせまる闇の存在も忘れ、ルディガーはその灼けるような黄金の瞳を正面から見据えていた。

その瞳から人間的な知性や感情を感じ取る事ができなかった、だが何も無わけではない何か理解し難い知性や感情が確かにそこに存在している。


「ベル!?」


ルディガーが呼びかけると、彼女の影は片腕をもたげて頬を掻く、それは妙に猫のような仕草だ。

彼女の興味はルディガーからその背後にいる闇に移った、ルディガーの意識もつられて背後の闇に呼び戻される。


その闇は追跡を止めてその場で蠢いていたが、それがゆっくりと回転を始め徐々に速度を上げていく、ルディガーは更に数歩だけ下がりそれを見守った、やがてその渦の中心に目のように赤く輝く光が浮かび上がる。


その渦に触れた木の根や下草が抉られた様に消える、警戒を強めたルディガーは更に間合いを測る。

音もなく回転する渦を剣で切ることができるのだろうか?


ルディガーは勇敢な男だが無謀な男ではない、時に臆病なまでに慎重でここぞと言う時に力を爆発させる、僅かでも勝機を見出すとそこに総てを叩きつけるのが彼の流儀なのだ。


だがあの中心の赤い輝き以外に攻撃すべき処が思いつかない、その割りに合わない賭けに冷や汗が流れる、選択肢の無い賭けだった。

本当は戦いを避けると言う選択肢があるがここにベルサーレがいる。


「くそ!!」

ルディガーは思わず吐き捨てた。


目の前に頭上から何かがこぼれ落ちてくる、キノコの破片の様な何かだった、それは僅かに光っていたがたちまち地に吸い込まれ消えていった。

上を思わず見上げるとベルサーレが枝の上で光る茸をもぐもぐと噛み砕き飲み込んでいる。

いつまにかルディガーはベルサーレの前に出ていた。


彼女はルディガーの視線に気づくとしばらくお互いに見つめ合っていたが、ベルサーレの姿の獣は興味を無くしたのか渦巻く闇に向き直ってしまった。

彼女は全裸であられもない姿勢で枝の上に座っている、ルディガーはこの闇のなかで彼女の姿がほとんど見えない事を聖霊に感謝した。


闇の渦がゆっくりと迫ってくる、その渦に触れたすべての物が抉られた様に消えていった。

戦いを回避したかったがここにはベルサーレがいる、彼女にとってあれが脅威なのか彼女がどの程度の力を持つのか未知数だ。


「ベル!!俺について下がってくれ!!」


木の枝の上にいるベルサーレの背中に呼びかけた。

彼女は首だけ後ろを向くとすぐに前を向いてしまった、そして片足で頭の横を掻き始めた、それは妙に犬に似た仕草だった。


「ベル!!!」


その時予備動作もなく彼女は動く、雄叫びも喊声も上げない、静から動へ瞬時に変化し木の枝を蹴り上げて渦巻く闇の中心に飛び込み突入した。


その動きはルディガーですら目で追う事ができないほど早い、彼女が座っていた朽ちた枝が轟音を立てて粉々に砕け散った。


ルディガーはベルサーレが渦に巻き込まれ消えた思い、心臓が止まる様な思いも一瞬の事、彼女は闇の渦の中心に大きな穴を開けて向こう側に突き抜けたのだ!!


着地点の苔と倒木が砕けて吹き上がる。


何かが爆発した様な衝撃を発し渦は回転速度を落としながら黒い霧の様に霧散していく。

そして砕けた朽枝の破片がルディガーの頭上から降り注いだ。


その消えゆく黒い霧の向こう側から、二本足で立つベルサーレの後ろ姿が現れた、くるりと振り返るとその黄金の瞳がルディガーを射抜く。

彼女は赤く輝く光る何かを口に咥えていた、それはあの渦の中心の赤く輝く何かだった。

彼女がそれを噛み砕いた時ルディガーは声なき悲鳴を聞く、彼女はそれを砕いて飲み込むと口の周りをペロリと舐めて満足気に笑った。


そしてゆっくりとルディガーの方に歩いてくる。


暗闇に閉ざされた最古の森の底を照らすのは発光生物の儚い光だけだ、その光の中で彼女の姿がしだいに明らかになってきた。


彼女の全身は苔と泥まみれで、得体のしれない植物や生物の破片がこびりついていた、その白い肌も形の良い胸もそれに汚され、黒い液体と半透明で光を反射して光る粘液にまみれていた、だがその黄金色に輝く瞳は不思議な威厳と高貴さすら感じさせる。

ルディガーはまったく動けない、彼女のその見苦しい一糸纏わぬ壮絶な姿に威圧されていたのだ。


彼女の体から破片が剥がれ落ちると、それは地に吸い込まれる様に消えていく。


ルディガーの目の前まで来るとそこで止まった、そしてじっとルディガーの顔を見つめた、ルディガーはなぜか彼女から目をそらせない、目を逸らせたら負けな様な気がしたからだ、だがその睨み合いは長くは続かなかった。


突然ベルサーレが襲い来る、ルディガーの反応は間に合わない、剣の柄に思わず手が伸びてしまったがその手首を彼女に握られて動かせなかった、右腕は痛くはないが凄まじい剛力で動きを封じられた。

そのまま顔を寄せてきた、汚れた彼女の顔がルディガーに迫る、そしてルディガーの頬をペロリと舐めるとあからさまに顔を顰めた。

それを言葉にすると『まずい!!』以外に訳せない。


彼女はルディガーを解放すると大きく後ろに飛び退る。

まずい物を舐めてしまったそんな顔をした後で彼女は微笑えんだ、まるで感情や知性が戻ったかのようにそれがルディガーの心をざわめかせた。


「ベル?」


呼びかけが通じるのだろうか?ふたたび彼女の顔は無表情の中に沈んで行く、そしてそれに変わってその瞳の輝きが増していく。

彼女は背を向けて跳躍した、その先の大樹の幹に着地するとそれを蹴り更に前に飛ぶ、そのまま凄まじい加速で森の奥に走り去っていく。



「まってくれ!!」


ルディガーは走って追いかけたがすぐに諦めた、起伏が激しく障害物が多すぎるのだ、そして体力の消耗がいよいよ激しい、再び彼女の通った跡を追跡する。


やがて森の奥から楽しげな遠吠えが聞こえてきた。




ルディガーは彼女の足跡を追跡していたが、闇の渦と対峙してからどのくらい時間を経たのかわからなくなっていた、少し前からなのか、もう何日もこうしているのか時間の感覚が狂っている。


ルディガーは悩んだ、彼女の凄まじい戦いを見せつけられ力ずくで彼女を従わせるのは諦めた。

なんとか近づき意思を通じ原因を探り彼女を元に戻すしか無い、今の彼女は変わり果てていたがどこか彼女らしさを残している、それに訴えれば正気に戻せるのではないかと思った。


そして彼女の獣への変化も何者かが仕組んだ事では無いか?その疑いは更に高まりつつあった。


ふと周囲の森の変化に気がつく。


「森が若くなっている」


周囲の大樹の幹が先程よりこころなしか細くなっていた、森の終わりが近いそんな予感をさせる。

あたりの光る植物と菌類の数も減り漂う光の粒子が何時の間にか姿を消していた。


やがて前方の森の奥から水が跳ねる音が聞こえてくる。


ルディガーは歩みを弱め慎重に進んだ、やがて木々の合間に波打つ水面が見えてきた、頭上を見上げると生い茂る木々の枝葉の向こう側に僅かに灰色の空が見える。

森が浅くなっていた。


すぐに池の畔に辿り着くと水音の主を探す、その池はかなり大きな池で差し渡し50メートル程の丸い池だ、水は澄みきり透明だが薄暗い森の中では底まで見通せない。

そして池全体にうっすらと靄がかかっていた。


その靄の向こう側で白い裸体が泳ぎまわっていた、犬かきと平泳ぎを足して割ったような奇妙な姿で楽しげに泳いでいる、やがて背泳ぎをすると水に浮かび目を瞑って漂い始めた。

こうなると絵画の中の森のニンフのような一幅の絵のような姿だった、ルディガーはなぜか邪魔をしたくない気持ちに駆られて、しばしそれを静かに眺めるだけだった。


ふと池の表面の蒸気の様な靄が気になる、ルディガーは池の畔に近づき指を入れてみた。

その池の水は生暖かい。


(これが話に聞く温泉か?アマンダがたいそう好きだったな)


やがて彼女はくるりとうつ伏せになると水すましの様な形で岸に向かって泳ぎ始めた。

彼女の形の良い白い双丘が水面に突き出すとルディガーは思わず目を逸してしまう、男として惹かれる前に妹の様な彼女から女を感じる度にルディガーはついそれから目を逸してしまうのだ。

徐々に女性らしくなる彼女の姿を意識する度に気まずいものを感じていた、5歳年下のベルサーレは二十に満たないルディガーにとって歳が離れ過ぎていた。


そしてベルサーレはルディガーの方を向いて不敵に笑った。


『そこにいるのは知ってるぞ』


そんな彼女の言葉が聞こえてきたような気がする。


池から上がった彼女は体を細かく震わせて水を払うと振り返りもせずそのまま先に歩いていく。


もはや彼女は駆けようとはしなかった。

ルディガーは少しずつ彼女との間の距離を詰めていく、少しずつ明るくなって行く森の中で、汚れが洗い流され清められた彼女の白い後ろ姿がはっきりと見てとれた。


そしてその美しい姿を隠してしまいたい衝動にかられた。


森の木々はいよいよ細く疎らになり、木々の隙間から巨大な岩肌が見えてきた、いよいよ森が終わろうとしていた。



そして森を抜ける、ルディガーは前に開けた雄大な山脈を言葉もなく見上げた、真正面の一際高い高峰の上に巨大な光が輝いている。

草原から遠くに見えたその山々もここからははっきりとその険しい岩肌を見ることができた。


森の外れはくすんだ色とりどりの草花の花園になっている、そこで立ち止まったベルサーレにルディガーはやっと追いつく、そして彼女に自分の上着をかけてやった。

彼女は特に抵抗もせずにそれを受け入れた、そしてその上着の臭いを嗅ぎ始める、ルディガーはそれに僅かに顔を顰めた。


「ベル俺の言葉がわかるか?」


その黄金の瞳もいくぶんか光が弱まっている、その口が何か言いたげに動いた。

思わず抱き寄せると意識を失った様にルディガーにもたれかかる。


獣じみた奇怪な影がベルサーレの影から離れて行く、彼女の介抱に夢中なルディガーはそれを見落としていた。

影は森の下草の影に消えていった。


二人の足元は小さな花園になっていた、ルディガーは彼女をそこに横たえると上着をかけてやる。


そして彼女の隣に座って改めて空と大山脈を見上げる、空は森に入る前よりも薄暗くなっていた、この世界に確実に夜が近づいている。


焦りを感じたルディガーだが今度こそ休息をとる事にした。






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