ルディガーの旅
森の底に光は届かず夜の様に暗い、その暗がりの奥に緑の光を鈍く照らし返す何かを認めたルディガーは足を早めた。
地を這う太い大樹の根を乗り越え、弱々しく発光する苔と菌類の下草を踏みにじる、小さな生き物が騒がしく叫びながら逃げ惑った。
ふみ砕いた植物が溶ける様に地に染み込んで消えていくが気にもとめない。
大きな茸が光るその下にその光を鈍く反射する剣が落ちていた、それはベルサーレの愛剣グラディエイターだった、ルディガーは彼女の剣を拾ったが剣の鞘が見つからない。
彼女が落としたのだろうか?剣を手放すとは彼女らしくも無いと思ったが、今の彼女ならばありえるかもしれない。
ルディガーは彼女のドレスで剣を巻きくるむとそれを再び脇に抱える。
だが彼女がこちらの方向に向かっていた事だけは間違いなかった、手がかりを見つけるため周囲を注意深く調べる。
その先は苔が絨毯の様に敷き詰められた野原になっていた、そこにヒールに踏まれた足跡が残っている。
手がかりを見つけたと胸をなでおろし足跡に沿って進み始める。
その時だった森の暗闇の遥か遠くから美しい遠吠えが聞こえてきた、何か楽しげな事があるかのように、何かに興奮しているような鳴き声が聞こえてくる。
(ベル!!)
その遠吠えがした方向と苔に刻まれた足跡の向かう先はほぼ同じだ、ルディガーはそれを手がかりに進む事にする。
しばらく進むと苔の上に女性用の上等なローヒールが脱ぎ捨てられていた。
ルディガーはそれを拾いドレスに包んだ、足場の悪い場所なら必要になると考えたからだ。
その先には形の良い彼女の足跡が続いていく、だが苔の原もすぐに終わった、その先は大樹の根が無数に地を這い根の間に菌類が茂り光を放っている。
足跡はそこで尽きていた。
手近な大きな木の根の上に登り遠くを見通す。
その視界の端の木の根の上に緑色に照らされた何かが見える、ルディガーはその方向に向かった、だが木の根が邪魔でなかなか前に進めない、黒い河を渡った時の疲労がまだ抜けて居ないことに気づく。
ルディガーの息がまた荒くなって行く。
そしてその白い物を目視できるところで来てルディガーの足が止まってしまった、それはエルニア風の高級なコルセットが木の根のコブに被せるように逆さまに乗せてあったからだ。
ルディガーは唖然とした、これではベルサーレが肌着しか着ていない事になる。
だがかさばり重いコルセットは放棄を決めた、しかしここからどこに向かえばよいのか悩む。
まずは手がかりを探さなければならない、彼女に踏み潰された跡を探すのだ、昔彼女が得意気に森で獲物を追跡する方法を話してくれた事がある。
それを思い出して皮肉な笑みがこぼれる、こんどは彼女が追われる事になったのだから。
周囲は酷く荒らされていて留め金のような物が落ちていた。
ベルサーレが強引にコルセットを外そうと暴れたのだろう、彼女はコルセットを深く憎んでいた事を思い出して今度は苦笑した。
留め金は何かに使えるかも知れないと上衣のポケットにとりあえず放り込む。
この先は湿った土壌が堆積した場所でその先はかなり開けていた、一面が苔と発光する植物と菌類の野原になっている。
その上に色とりどりの光の粒子が無数に舞っていた、それは蛍の群れの様に美しい。
その野原の先に何か黒ぐろとした黒い巨大な何かがある。
その光る野原を割るように黒い道が伸びていた、それは発光する植物と菌類が踏み潰されたてできた跡のようだ。
(これはありがたい)
その道に沿って進む事にした、進むにつれその黒い巨大な何かが視界を遮る、何か崖でもあるのだろうかと思った。
近くまで来るとそれは木の肌の様な巨大な壁だった。
(何だこれは?)
ふとある閃きが走り思わず上を見上げた。
それは空前絶後の巨大な大樹だった、幹の太さは100メートル以上もある、あまりにものスケールと驚きと畏怖からルディガーはしばらく動けなかった。
上は生い茂る枝と葉で覆われ空は見えない、周囲に他の樹木が無い理由も理解できた。
高さがどのくらいあるのかまったく想像すらできない。
そして遠くからまた美しい遠吠えが聞こえてくる。
その美声には楽しい事やおやつが一杯あるよと誘うかのような艶があった、その声で我に返ったルディガーはあたりを見回しそして幹にそって進む事にした。
だがその直後背に悪寒を感じる、剣を抜きその原因を探ると、何か影の様なものが野原の外側からゆっくりとこちらに向かって来る、ルディガーは相手を刺激しないように前に進み動きを見た。
人ほどの大きさの影は向きも変えずにまっすぐ巨木に向かっている、その時ルディガーは目を剥いた、それは影の後ろから列を成して黒い影が無数に連なっていたからだ。
影達は崖の様な大樹の幹に達すると次々に中に吸い込まれていく。
しばらく唖然とそれを眺めるだけだった、やがて我に返ったルディガーはふたたび前に進みはじめた。
しばらく進むと大樹の側に何かが落ちている、それは見覚えのある彼女の剣の鞘だった。
ここまで来て捨てたのだろうか?
「これはまるで・・・」
ルディガーはぼそりとつぶやく。
そこから右手の湿原の先に緑色に輝く場所がある、よくよく見ると湿原に黒ぐろとした道がそこまで伸びていた。
ルディガーは彼女の剣の鞘を回収すると剣を収めてドレスで包むとそこを目指す。
そこは人の背丈ほどもある大きな光るキノコが周囲を照らしている、不快で歪な虫が光に群がりキノコの近くに生えている食虫植物がそれを貪り食っていた。
ルディガーはキノコに近寄るのを止めた、この野原の先は再び大樹が茂る暗闇の森だ、もうそこから先に導く道はない。
側にあった背丈ほどもある岩の上に登って周囲を見渡す、何でも良いから目標にすべき物を探すのだ。
遥か森の暗闇の先に薄いオレンジの光がある、その側にまた光を反射する何かがあった。
ルディガーが木の根を苦労しながら乗り越え進むと、そのオレンジの光は巨大な甲虫が発光する光だと気がついた。
その甲虫は人の頭ほどの大きさで10本の足が生えている、ここにきて初めて美しいと言えるものに出会った、思わずそれに見惚れてしまう、オレンジの明るい温かい光はこの暗緑色の世界で異彩を放っていた。
その甲虫は大樹の根本にとまっていた、大樹の上の方から下り落ちるタールの様な黒い液をすすっている。
ルディガーはふと美しく輝く甲虫に近づいた、そのタールがふつふつと音を立て流れ落ちると、ルディガーの耳に人のすすり泣きと呟きが聞こえてくる。
それは大切な何かを失った嘆きの様に感じられた、ルディガーは今まで別れた人々と失った友情と恋愛を思い返す。
その嘆きに耳を傾けもっと聞き取りたいと思った、もしかしたら懐かしい人々の声もあるかもしれない、ここに居れば彼らに会えるような気がする。
突然ルディガーはそこからとびすさり甲虫から距離をたもった。
「いかん、俺とした事が」
思わず舌打ちした。
気を取り直し先程オレンジの光に照らされていた物を改めて調べると、それはベルサーレの白い肌着だった、ディガーはそれに思わず呻く。
躊躇したがそれを恐る恐る回収した、早く幼馴染を捕まえなければならない。
ふとルディガーはベルサーレを捕獲するためにアマンダと共に駆け回った日々を思い出した、あの娘もこんな物を身につける様になったのか、ルディガーはそれに苦笑した。
気力と体力が戻ったような気分になったルディガーは改めて進むべき道を探す。
「やはり俺をどこかに導こうとしている・・・」
誰に言うともなくつぶやいた。
再び森の奥から美しい遠吠えが聞こえてくる。
楽しいことをしようと誘うような甘い響きがある、それはかえってルディガーの焦燥を誘った、その声のする方角に足を早めて進みだす。
そこから先は土壌が豊かなのか木の根が埋もれていて歩き易くなっていた。
しばらく進むと緑色に淡く光るキノコの群れの中にそれを照り返す物があった、ルディガーはそれに悪い予感がして小走りに近づく。
それは上等な白いドロワースだった、ルディガーの悪い予感が当たってしまった、これで彼女は一糸まとわぬ姿になっているはずだ。
「いそがねば・・」
ドロワースを思い切りよく回収してドレスに包んだ、ルディガーは先程遠吠えの聞こえた方向に再び歩き出していた。
そこからしばらく進むとルディガーの目に前に黒い何かが横たわっている。
それはあの草原で遭遇した化け物達を連想させる、警戒体制をとり抜剣し抱えていた荷物を脇に投げ捨てそれをしばらく観察した。
それはバーレムの森の熊を二周りほど大きくした黒い何かだが、まったくそれは動かない、だが徐々に溶け出し広がって地面に染み込んでいく。
慎重に近づくがその跡には何もなかった、そこにあった光る下草が潰された跡がここに何かが存在していた事を物語っているだけだ。
ルディガーは荷物を回収すると先に進む、だが少し慎重になっていた、しばらく進むと何か嫌な気配を前方から感じる、戦士の本能が警鐘を鳴らしはじめていた。
前方にわだかまる闇があった、何かがあるなら光る苔や菌類の照り返しを受けるはずだ、そこには漆黒の闇だけがそこにある。
その闇は僅かに震えて動いていた。
ふたたび警戒体制をとり抜剣する、だがルディガーは闘いを避けるつもりだ、飽くまでも目的はベルサーレと共に元の世界に戻る事。
その闇は静かにゆっくりとこちらに向かってくる、ルディガーは闇を迂回し先に進もうと横に走った。
だが闇も速度を上げて追いかけてくる、ルディガーはあせり始めた、こちらの体力には限界がある、もしあれが・・・
その時行く手から異様な気配を察知した、ルディガーは殺気とも違う意思と感情をそこから感じることができた、敢えて例えるならば興味や好奇心に近い。
知らない間にルディガーの感覚は異常なまでに研ぎ澄まされていたのだ。
ルディガーが思わず上方を見上げると、闇の中に黄金の二対の輝きがルディガーを見下ろしている、そして背後の闇の気配が変わる。
思わず足を停めて後ろを振り返ると闇は動きを停めてその場で蠢いていた。
また黄金の二対の輝きを見上げる、その輝きには確かに見覚えがあった、草原で獣のように変わったベルサーレの瞳と同じ輝きだ。
彼女は大樹の枯れた太い枝の上に狼か山猫のように座りこちらを見下ろしている、僅かな弱々しい光に照らせれて彼女の輪郭だけがかろうじて闇から浮かび上がっていた。
その凶暴な輝きをたたえた瞳はもはや人では無かった。
「ベル!!」
ルディガーは思わず呼びかける。
その獣がなぜか笑い返した様な気がした。