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記憶の森

 ルディガーが目を覚ますと目の前にベルサーレの顔がある、そしてまだ意識がはっきりとしない。

「女神さま?」


彼女は驚いた様な顔をしてから顔を赤らめるとルディガーの頬を叩いた。

「いて!?」

「ルディこれで目が醒めた?」


少し目が醒めたルディガーは自分が頭を下にして苦しい姿勢で寝転がっている事に気がついた。

「ここはどこだ?」


「船の上だよ」

ルディガーは慌てて立ち上がり岸を見る、そこにあの黒い異形の者達が佇んでいる。

髑髏の船は岸からすでに20メートルほど離れていた、船は黒いタールの様な流れにゆっくりと流されている。


「奴らは河に入ってこれないみたいだ」

そんなベルサーレは息を切らし呼吸が乱れていた、彼女の首筋に汗がひかる。

彼女は意識を失ったルディガーを船の中に引きずり込んで、ここまで一人で船を漕いだのだろう、かなり疲れの色が見える。


しかし腹が空かないのに汗はかくのかとルディガーは場違いな事を考えていた。


「俺も漕ぐぞ、他に化け物がいるかもしれないからな」


二人は(カイ)で黒いタールの様な粘り気のある河の水をかき分けて船を進めた、(カイ)は重くなかなか前に進まない、(カイ)が時々硬い何かにぶつかった、だがその原因を調べる気にはならなかった、ただひたすら無心に漕ぐ。

時々水音が人の呟きの様に聞こえた、そう聞こえる度に意識から振り払った、だいぶこの世界のやりかたに慣れてきたようだ。


船は流されながらも向こう岸に少しずつ進んで行く。


ベルサーレに疲労の色が見えていた、彼女は貴族の令嬢としては破格に鍛えられていたが、いつもより疲労が早い様にルディガーには感じられる。

疲れには精神的な要素が大きいことをルディガーは軍で経験から学んでいた。


「もうすこしだ、向こうに着いたら余裕を持って休もう」


ベルサーレは頷いたが言葉はない、二人は漕ぐのを止めなかった、あの化け物がまた出てきたらもう逃げ場が無いのだから。








髑髏(ドクロ)の船は危険な航海を終えて岸にたどり着いた、二人は疲労困憊し川岸から少し離れた草原に仰向けになって倒れ込む。


「腕に力が入らん、少しここで休もう」


だがベルサーレから反応が無い、ルディガーがとなりを見ると彼女はもう眠っていた。

ルディガーは彼女をそのままにして疲労の回復に努める事にする、もちろん周囲への警戒は怠らない。


そのとき一つの影が地を這いながら二人に近づいていた、影だけでその影の主の姿は無い。

鳥か神の視点ならば二人に近づく影を見つける事ができただろう、影は黒い適当な塊に足と頭の様な何かを付けた様な、一言では名状しがたい形をしていた。

人が見知っているどのような動物とも違う、敢えて例えるなら太った犬か大きな猫に何本か足を適当に取り付けた様な動物の影だった。


二人が立って歩いていたらその影の接近に気づいたかもしれない、だが二人は運が悪いことにその時疲れ切って草原に寝転がっていた。

影は地を這いながらベルサーレに近づくと、彼女の影に触れそれに溶け込んでいく。




ルディガーは体を休め疲労の回復に務めていたが、ふと異常な気配を感じ怖気を振るう、素早く立ち上がりとびすさった。

その異常な気配は隣に寝ていたベルサーレから来ていた。


「ベルどうした?」

ベルサーレの上半身がゆっくりと起き上がる、そしてそのまま四つん這いになり姿勢を低くして地面の匂いを嗅ぐような仕草をした。

「おい!?」


ルディガーの声が強張った、そして慎重に彼女に近づく。


『しゅぅ』


ベルサーレが息を吐く、それは彼女いや人が立てるとは思えない音だった、再びルディガーは距離を保った、幼馴染の事は心配だが戦士としての直感が距離をとることを彼に強いた。


ベルサーレはゆっくりと頭を回しルディガーを見上げようとしていた、彼女の顔を確認したいと言う気持ちと、見たくない気持ちがせめぎあう。


彼女は四つん這いのまま下からルディガーを見上げる、その瞳は黄金の輝きに満たされ、その顔からは感情も知性も感じられなかった。

その黄金の瞳の向こう側に何かがある、そんな場違いな考えに惑わされる。


ルディガーは戦慄した、彼女が何かに乗っ取られているそんな不条理な考えに占められていく。


「ベル俺の声がわかるか?」


その獣と化した彼女に何かが吹き込まれた様にニンマリと笑った、それは彼女が一度もみせた事が無いほど妖艶な微笑みだった。


「わかるのか?」


その期待を打ち壊すように彼女は吠えた、まるで犬か狼の遠吠えの様に、彼女の遠吠は美しかった、だが狼のあの哀愁ある響きではない。

本能、解放、自由、欲望をかなえる術を得た喜びに満ちた歓喜の叫びだ。

それにルディガーは例えようの無い嫌悪をいだき恐怖を感じる、彼女を拘束して対応策を考えようと決意したその時の事だ。


彼女が先に動いた、まるで獣の様に四つん這いの姿勢のまま一気に前にかけ出した。

ルディガーが慌てて後を追いかける。


だがすぐにベルサーレは止まった、そして彼女はルディガーを振り返る、その光り輝く瞳に人間性は感じられなかった、ルディガーは彼女に慎重に近つく。

どうしようかと悩んだが、姿勢を低くして彼女においでおいでをする、ルディガーはここに彼女の好きなお菓子があれば良かったのにと思った。


「ベル俺がわかるか?」


ふたたび彼女はニンマリと笑った、人の言葉が通じているのではと期待させる。

だが彼女はルディガーの頭の上を一気に高く飛び越えて、背後の大森林に向かって駆け出していた、四つん這いなのにその速度は恐ろしく早い。


「べる!!!」


『べるぅ・・るぅ・・ぅ』


河の対岸からまたコダマが聞こえてくる、それを無視してルディガーはベルサーレを追いかけた。


彼女は最初は四つん這いで駆けていた、だがしだいに二本の足で立ち上がり駆け始めた、そこから速度がどんどん上がって行く、やがて騎馬を遥かに越える速度に達した。


「べるーーー!!!」


ルディガーは最後に叫ぶと走って追いかけるのを止めた、両膝を両手でつかんで息を整える、だが諦めたわけではない、走っても体力を失うだけでとても追いつけないと判断したからだ。

ルディガーは彼女の後ろ姿を見送る、彼女の姿は躍動し活力に満ちあふれていた。

そしてあっと言う間にその姿は小さくなっていく。

ルディガーはその先の奇怪な大森林を睨みすえていた、そして決意を固めると再び進み始める。



ルディガーはやがて森の端に到達した、空を見上げるが相変わらず陽は見えず、相変わらず時間がわからない。

それでもこころなしか暗くなっているような気がした、日没が近いのだろうかと思い焦りが募る。

ここの夜がどの様なものか想像がつかなかない、予想は悪い方向にしか働かなかった。

そして真正面にあの山脈の輝きが見える。



森の入口に何か白い物が見えた、それは風も無いのに風に揺らめくように踊っていた、ルディガーは思わず駆け寄った、それはエルニア貴族の女性の第二正装の白いドレスだった、それが引き裂かれて地に落ちている。


慌てて周囲を確認するが彼女の姿はない、さらに焦る気持ちを抑えて足元を観察する、周囲に争った後も見えずドレスに血糊も無い。

これで彼女が自らドレスを破り捨てたと判断した、安心したが別の不安が高まる。


僅かに迷ったが破れたドレスを拾い集めて脇に抱えた、そして鬱蒼(ウッソウ)とした大森林に一人踏み込んでいく。







森には名も知れぬ信じられぬほどの高さを誇る大樹が無数に生い茂っていた、どこか見慣れた懐かしいそれでいて初めて見る大樹だ。

木々の名前が頭に浮かんだ瞬間にその名前が消え失せてしまった。

バーレムの森を思わせるが遥かに古い、ここまで天を突く程の高さまで成長するのに何百年いや数千年かかるだろうか?

ルディガーはそれを想い思わず震えた。


まるで夜の様に暗い森の中で、巨木の樹皮に見知らぬ苔や菌類が張り付いて妖しい光を放っていた、そのおかげでまったくの暗闇にならずに済んでいる。

そしてあたりに淡く光る小さな何かが無数に漂っていた、それは光る虫だろうか。


だがこれではあの山脈の上の輝きが見えない。


「まずいなあの光が見えないと方向がわからなくなる」


だが森の底には日がほとんど差し込まないせいか下草や灌木が少なく歩きやすそうだ。

時々森の闇の奥を何かが通り過ぎた、その度に剣の柄を強く握りしめた、剣が通じる相手かわからないがそれを握ると冷静になるのだ。


背後を見るとまだあの大草原がかすかに見える、だがこのまま森に踏み込むと戻れるとは限らない。

陰鬱(インウツ)で単調な草原だったが見晴らしの良さが懐かしい。


だがベルサーレを探し出してあの光の処に行かなければならない、意を決して前に進み始めた。



しばらく真っ直ぐに進んで行く、だがこのままでは知らずに方向がずれてしまうだろう、木々を見上げたが上に登れる気がしなかった、何か目印になるものが無いか探す。


辺りにはあの小さな光が幾つも漂っていた、それは色とりどりだが力のない淡い光の粒だ、ふとその中の淡い黄色い光がなぜか気になった、それがなぜか懐かしい、するとそれはルディガーの方に漂って来る。


その光がルディガーの指に触れる、その瞬間世界が変転した。














エルニア風の調度の豪華な一室で一人の若い女性が幼い男の子をあやしていた。

その女性は燃えるような赤毛の美しい女性で、男の子を見る深い青い瞳は慈悲深く優しさに満ちている。


ルディガーは彼女が懐かしい乳母のノエリア=エステーベだとすぐにわかった、心の中が温かいものに満たされて行く、若くしてこの世を去ったノエリアは永遠に若いままだ、なんて彼女の髪は美しいのだろうか。

そして幼い男の子は昔の自分だった。


ふとこの光景は誰かの記憶を借りて見ているそんな確信が生まれてきた。

ならばこれは誰の視点なのだろうかと思い出そうとする、ノエリアに付いていた侍女の一人なかもしれないと思う、懐かしい親しかった彼女達の事を久しぶりに思い出す。


そしてなぜかふと不吉な予感がした。


その時廊下がにわかに騒がしくなる、ノエリアの表情が僅かに不信に曇った。

突然扉が押し開かれ、そこに数人の身なりの良い男たちが部屋に慌ただしく入ってきた。

そこにはエステーベ先代当主のバレリオとノエリアの夫のエリセオ、そして見知った豪族達の顔があった。


「ノエリア!!」

先代のバレリオの声には緊迫した響きがあった。


「まあお義父様に皆様方、あなた何かありましたの?」

入ってきた男達は幼い男の子を見ると言い澱む、ノエリアは何かを察した様に側に侍る侍女に目配せする。


「ルディガー様、アマンダ様と遊びましょうね、おやつもありますわ」

察しの良い侍女は男の子を連れて部屋から出ていった。

義父と夫の表情から何かを察したのか、ノエリアの白い顔がさらに血の気が引いて行く、彼女は僅かに震えていた。


ルディガーの視線の主は部屋から出ていく二人を追い、ノエリアを心配げに見た後すぐに当主に向き直った。

二人が去ったのを確認する様に間を置いたバレリオが重々しく口を開いた。


「テレサ様がおなくなりになられた」


(これは母上がおなくなりになられた時の・・・)


ルディガーの予感が当たったのだ。


しばらくノエリアはそれを受け止め切れなかったのか、ただ茫然(ボウゼン)とするだけだ、やがて瞳に涙があふれて流れ落ちる。


「お前たちは下がれ!!」

バレリオの声からは秘められた激しい怒りが感じられる、視線の主は一礼するとドアに向かう。


そこでまた世界が変転した。






ルディガーの手の中で淡い光が消えていく、ふとその懐かしいノエリアの侍女はもう生きていないと思った。


忘れていたエルニアに残した懐かしい人々の安否が急に気になった、周囲をただよう光の粒子はすべて死んだ人々の魂か記憶なのではないかとルディガーは思う。


さて進もうと再び前を向く、するとはるか先に何か光る物がある、それは菌類が放つ緑色の光を鈍く反射していた。






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