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異界の旅

 「ルディ、あの山までの距離わかる?」

あの花園から旅立ってしばらくしてベルサーレが不安げに口を開く、いつもは口数の多い彼女はそれまで黙ったままだった。

「距離をつかもうとするとわからなくなるな」

「でも目をそらすとなんとなく距離がわかる様な気がする、どうなっているんだ?」


「なあ、ここはエスタニアどころかナサティアですらないかもしれん」

「考えたくなかったけど、やっぱそうなのかな?僕達戻れると思う?」

「戻れるではない、必ず戻る」

決意を込めた力強い断言だった、ベルサーレは部下を励ます時のルディガーの顔をそこに見た。

「そうだね必ず戻る」

ベルサーレは僅かに苦い笑いをうかべる。


二人は言葉少なげに陰鬱(インウツ)な草原をひたすら山脈の輝きを目指して進んでいく。

どこまでも単調な緑灰色の草原と低いなだらかな丘が続くだけだ、時々地面を走る影があるので思わず上を向いてもそこには何もいない。


ルディガーはふと隣のベルが気になって様子をうかがった、彼女は口元を厳しく引き結んでいた、周囲に気をくばりわずかな異変も見逃すまいとしている。

ふとルディガーは何か違和感を感じた、その違和感は二人の足元から斜め後ろに伸びる二つの影から来ている。


この曇り空で影ができる事がおかしかったが、その影の動きが不自然だった。


ルディガーとベルの動きに微妙に忠実ではない、ときどき主人の動きから外れ慌てて主人に合わせる、影に意思があって二人のものまねをしているそんな不条理な考えに捕われる。


「ルディ、どうしたの?」

ベルサーレがルディガーの異変に気がついた、ルディガーを見上げてくる。

その時ベルサーレの影がルディガーの影にしなだれかかり腕を絡ませた、それに思わず目を剥いた。

こちらを見上げるベルサーレの顔がさらに不信の色を強めている。


「ベル、落ち着いて聞いてくれ、俺達の影が勝手に動いている」

「なんだって!?」


ベルサーレが後ろを振り返り影を見た、その直前に影共は主人を追従する動きに戻っていた、しばらくベルサーレは自分の影を観察していたが、またルディガーに向き直った。


「とくに変じゃないみたいだけど?何か見たの?」


そしてルディガーは見てしまった、ベルサーレが振り返ってから彼女の影が奇妙な踊りを始めたのを。


その姿は花園で眠っていたベルサーレの姿に不気味なほど似ている。

人では無理な関節の動き、人ならば倒れるような無理な姿勢をとりながら、影は踊り続ける。

それは情熱的で激しくどこか間抜けで卑猥(ヒワイ)な動きだった。


ベルサーレがふと目を細める、ルディガーの表情から背後の異変を嗅ぎ取ったのだろう、勢いよく抜剣しながら素早く振り返る。

その彼女の目の前で影はほんのわずかな間だけ踊っていた、いつのまにかベルサーレの足が止まる。

影は見られている事に気づいたように慌てて踊りを止め再び彼女の影に戻った。


「何だよ・・・」

「ベル進もう、謎を究明している場合ではない、異常はいくらでもあるのだ」

「こいつ何かしかけて来るかもしれないぞ?」


「俺はあそこに行けば全てがわかると確信している」

ルディガーは山脈の上に輝く光を指差した。

「なぜ?」

「俺たちがここに来たのは偶然では無いと信じているのだ、状況証拠しかないがな」


ベルサーレもその光輝を見詰めた、そしてその顔色が見る間に悪くなっていく。

「この影はあの光の影だよ」


ルディガーはそれを頭の中で即座に否定した、あの光は地平線の山脈の上で輝いている、あの光の角度では地面に影は落ちない。

それに自分達は光に向かって進んでいるのだ、真後ろに影ができるはずだ。


そう自信をもってベルサーレの推理を否定しようとした、だがなぜか影をたどるとあの光が影の元にしか思えないのだ、そんな馬鹿なと何度見てもあの光が光源としか思えない。


「光が曲がっているのか、世界が曲がっているのか、僕達の頭がおかしいのかな?」

彼女が感情のこもらない声でつぶやく。


「もう考えるな」

「そんなのおかしいよ」

ベルサーレは無表情になりかけていた、彼女の心が耐えきれなくなっている、ルディガーは危機を感じた。

ルディガーはベルサーレを思わず強く抱きしめた。

ルディガーの鼻を彼女の芳しい匂いが包み込む、それが己の心をも落ち着かせる。


「俺を信じてくれ、かならず帰れる」

そう言ったもののルディガーに確信など無かった、だがここで錯乱しては帰れる確率は減るだけだ。


「苦しい、わかったからゆるめて」

ベルサーレは苦しげに微笑んだ、少し心が戻ったのだろう。

「ルディ潰れるかと思ったぞ?」


「すまなかった、行こうか」


二人は再び前に進み始めた、それでも時々影の動きを見るのは忘れない。





どのくらい歩いたのだろうか、大山脈は前よりも近くに見える様になったと感じられた。


「ルディ、あの丘のところで何かが動いている」

ベルサーレが進行方向から左にずれたある方角を指で指し示した、遠くに見える丘の麓にたしかに黒い小さな影が幾つか動いていた。


二人は足を止める。


「なんだあれは?人がいるのか?」

「会いたくない」

「同感だ」

幸いな事に進行方向からずれているので、このまま進んでも遭遇はしないだろう。


ふと影が気になり振り返る。その時二人の影は寄り添っていた、ルディガーの影がベルサーレの影の腰に腕をまわし、その二人の影の動きは淫らだった。

ルディガーは感情を押し殺しそれを黙殺する、これをベルサーレに気づかれたくなかった、そのとき彼女は先程の黒い小さな影を夢中で観察している。


「ゆっくりとこちらに向かってくる」

ベルサーレの語尾は僅かに震えていた。


「ほとんど動いていないように見えるが」

「動きは遅いけどこっちに向かってくる」

ルディガーは彼女の言葉を信じた、視力がするどく観察力に優れている彼女を信頼していたからだ。


突然ベルサーレが振り返り足元を睨みつける、ルディガーも思わず影を見た、二人の影はすでに元にもどっていた。


「俺が見ていない時こいつら何をしているんだ?」

無視しようと決意したはずだが思わず声にでてしまう。


「僕が見ていない時こいつら何をしているんだ・・・ねえルディ?」

だがルディガーの顔を見て何かを悟ったようだ。

「そうか、僕も言いたくない・・・」

ベルの顔はどこか強張っていた。


二人は黙って再び進み始めた。





風が吹いてきた、生あたたかく不快に湿った風が吹く。


「なあベル、俺たちが歩き始めてどのくらい時間がたったかわかるか?」

ベルサーレは不安げな顔を向けてきた。


「お腹もすかないし、喉も渇かないからわからない」

「あっ!!」

ルディガーはこちらに来てから生理現象に悩んでいなかった事に気がついたのだ。

「それもそうだが、あれだけ食って飲んだわりには・・・」


「僕たち本当に生きているんだろうか?ここは死後の国なんじゃあ?」


ベルサーレは貴族の令嬢としては破格に武術に優れていたし冷静で大胆だった、小さな野盗団を罠にかけて壊滅に追い込んだ事もあった、だが理性で理解できない事が苦手で魔術に強い偏見を持っていた、呪いや占いの類が大嫌いだったのだ。


ベルサーレの顔色が蒼白になりそして僅かに震え始めた、ルディはゆっくりと彼女を抱き寄せてさっきよりは優しく抱きしめた。

それにルディガーも強い不安を感じていたのだ、こうしていると自分も落ち着く。

普段ならば心が乱されたかもしれないが、今は彼女の体温と心臓の音が心を落ち着かせた。


「お前は温かいし心の臓も動いている、生きている」

ルディガーはこれで良いと己にも言い聞かせた。


「うん、そうだねルディの心臓も動いている」


ベルサーレは弱々しい微笑みを浮かべた。

「もう大丈夫だよ行こうか」




だが二人は進もうと周囲を観察して愕然とした、先程の黒い影達が随分と近づいていたからだ、真っ黒な影の様な何かが数体こちらに向かってくる、その輪郭がかなり鮮明に見分ける事ができる距離だった、無理に例えるならば人の姿に似ていたかもしれない、だが同じ形をした者は何ひとつ無かった。


腕が三本ある者、頭の位置に長い棘の様な物が生えた者、どれもが歪で左右が不対称で、そして漆黒の闇が形をなしたような姿だ。

それらはゆっくりとだが確実にこちらに向かってくる。


「ベルいそごう!!剣で切れる予感がしない」

「わかった」


二人は走り始める、影達が自分達の後ろに見える様になるまで距離を保つ為だ。


「もういいだろう、ベル歩こう」

二人とも軽く息が乱れていた、それが生きている証なような気がしてかえって心が落ち着く、そして歩きながら影をまた観察する。


「あいつら追いかけてくる」

「ああ、だが速くはない、とにかく注意を怠らぬ様に進もう」

彼らにどのような危険があるかわからない、だがわざわざそれを調べる気にはならなかった。


進みながら自分達の影の動きにも目を配る、影共は何か思わせぶりで、影の主を愚弄(グロウ)するかの様に振る舞う、それには寓意(グウイ)が有るようにも思え、己が意識を避けている事、忘れてしまった記憶を刺激するかのようだ。


突然ルディガーの影がベルサーレの影のドレスを剥ぎ取とる、だが剥ぎ取ったのにベルサーレの影はドレスを着たままだ、ベルサーレの影は尻を突き出して左右にふりながら尻を手で叩いて挑発を始める。

ルディガーは剣で影共を叩き切りたい衝動にかられた。


「ルディ、影は見ないほうがいいよ・・・」

少し顔色の悪いベルサーレがルディを心配げに見詰めていた。


その時二人はなだらかな低い丘を越えようとしていた。


その丘を登り切った彼らの前を漆黒の大河が横切り行く手をふさいでいた。







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