狩猟感謝祭(前)
エルニア有数の豪族クラスタ家は、エルニアのボルトの街から南に15キロ程にあるマイナ村にその本拠を構えていた、その舘も質実剛健ながらもその威風をあたりに示していた。
舘の周囲はいつにもなく人々の出入りが多く賑わしい、今日はクラスタ家が主催する『狩猟感謝祭』の当日だった。
エルニア人にとって森の恵みに感謝を示す日であったが、大公家狩猟場の管理人を代々努めてきたクラスタ家の主催する祭りは特別な意味を持っていた、有力貴族や大公家の縁者が姿を見せる事もある。
そのクラスタ舘の令嬢ベルサーレの部屋に侍女が詰めかけ、不機嫌な彼女を飾り立てていた、不機嫌と言えば彼女は朝からこの調子だ。
だがエルニア貴族の正装を着付けられていく令嬢を見守る侍女達は密かに感動に打ち震えていた。
まだ幼いながらも清楚でどこか父親のブラス似の鋭利な美貌が磨かれていく、柔らかな真綿に包まれたような少女じみた母親のアナベルとは異質な美しさが開花しかけようとしていた。
あと数年したらどう変わるのだろう?それを想って侍女達は感嘆した。
「ベルサーレ様お美しいですわ」
侍女達は期待を込める様にベルサーレの身なりを整えていく。
彼女は暴れ馬の様なお転婆でいたずら好きで狡猾な娘として悪名を轟かせていた、だが地位を振りかざす事もなく理不尽な要求もしない、目下の者に優しいベルサーレはそう侍女達に嫌われているわけではない、だがクラスタ家の頭痛の種である事は変わらない、その彼女の変身は侍女達にとっても嬉しい驚きなのだ。
そこに化粧専属の侍女が部屋を訪れ最後の仕上げを始める。
「次はお化粧をいたします」
ベルサーレは決められたとおりに大人しく椅子に腰を降ろす、これもドレスを乱さないように座る決まりがあった。
すでに総てを諦めた様に大人しく従うベルサーレは妙に憂鬱そうで大人びた不思議な色香すら漂わせていた。
「この化粧台もやっと働き場を得て喜んでおりますわ!!」
侍女の一人がさり気なく口を滑らせたが、死んだような目をしたベルサーレはそれに気が付かなかった。
それにこの侍女はベルサーレを嫌っているわけではない、むしろお気に入りの侍女の一人で主人に似て無神経なだけなのだ、こういう性格でなければ長く仕える事などできないのだろう。
そして化粧専属の侍女が鏡を彼女に手渡す。
「終わりましたお嬢様ご確認ください」
ベルサーレはそれを手に取った、お約束の決まり事だが、鏡でさり気なく自分の顔を見た彼女は驚きで固まる。
そこには大人に成りかけた美しい貴族令嬢の顔があった、これが自分なのかと目を疑う。
意思の強そうな細面の白い顔、筋の通った鼻筋、僅かに釣り気味の眼と薄い青の瞳、細くて濃い眉毛、そして形の良い唇に自然に紅が差してある。
幼さがまだ抜けきれない美しい女性がそこにいる。
「ご苦労さまです」
ベルサーレは硬い声で彼女をねぎらった、それに侍女達がピクリと反応する、いつもの砕けた態度からは想像もつかない言葉使いだったからだ。
「おそれいります」
化粧専属の侍女はベルサーレから手鏡を受け取ると一礼して引き揚げて行く、今日の彼女は主人の一族やゲストの化粧直しなど非常に多忙な身の上だった。
侍女と入れ替わるように侍女長がやってきた、エントランスホールへの集合を促しに来たのだ、その後家族で森の会場に向かう。
「お嬢様エントランスホールへ移動を、すでに来賓の方々が会場に集まりはじめました、今からご家族の皆様と共にお嬢様も会場に向かいます、お嬢様は特にされる事はありませんから、決められた手順でお振る舞いになられるだけで何も心配なされる事はございません」
去年まではベルサーレは子供として扱われたため、簡略された服装と決められた席にまとめて収容されていた、だが今年からは正式にクラスタの長女として正装をまといホストの一員として振る舞わなければならなかった。
ベルサーレの機嫌が悪いのはそのせいだった。
ベルサーレが侍女を伴いエントランスホールに降りると、そこにはクラスタ家の当主のブラスと母親のアナベルがすでに待っていた、アナベル夫人は三人の子供がいるとは思えないほど若々しく見える、まるで森の花の妖精のような美少女にしか見えない。
幼い弟ミゲルは専属侍女に手を引かれている、生まれたばかりの末の妹は乳母と共に舘に待機する予定だ。
すでにクエスタの近侍達もそこに集まっていた。
「ベルよ、まるで女のように美しいぞ」
階段を降りてきたベルを眺めてブラスは嫌な笑いを浮かべた。
「あなた何を言っているの!?ベルちゃんとっても綺麗よ」
「かあ、おかあ様ありがとうございます」
父親の言い草にむくれたが母の言葉には素直に礼を返した。
そこで告時機を確認した老執事長が促す。
「お館様はじめ皆様そろそろ会場へ」
この老執事はこの祭りを最後に引退する予定だ、感慨深い物があるのだろう老執事の目が潤んでる様にベルサーレには感じられた。
彼女が目配せをするとしかめっ面をしたあと微笑み返してきた。
狩猟感謝祭の会場にはゲストの世話や会場運営の為にクラスタ家の総力がそそがれていた、会場の手配は次の執事長がすべて取り仕切っている。
老執事長は最後の仕事として領主の案内を務める栄誉を授かった。
当主夫妻のブラスとアナベルの後から長女のベルサーレが続く、その後ろから幼い長男のミゲルが専属メイドに手を引かれて続く。
ミゲルが14歳になり正式に相続者に定められるまではベルサーレの後ろを進む事になる。
一家の周囲を数人の護衛が囲みその後から当主家族に侍る侍女や執事達が続いた。
会場はエルニアの伝統に従った様式に則って森から少し入った広場に設けられていた、エルニアを切り開いた先祖達の精神を映し出すかの様に豪快なものだ。
中心に巨大な円形のリングの様なテーブルが設置されている、これは誰が上座かわからないようにすると言う意味があるらしい。
200以上の豪族が抗争を繰り広げたその名残と言われている、今はその意味は形骸化していた。
招かれたゲスト達はそれぞれ決められた席につき談笑しざわめく、軽い飲み物を出されそれを楽しんでいるようだ。
会場にはクラスタの近隣の領主達、縁のある大商人や学者や聖霊教の関係者や役人達、そして有力な重臣とその家族も招かれていた、家臣達も無爵位で小なりとはいえ領主階級に属していた。
彼らとはすでに舘でブラスと挨拶を交わしていた、祭りが始まる前から社交は始まっている。
そこにホストのクラスタ家が入場を始める、ゲスト達も一度立ち上がって彼らを迎える。
歩きながらベルサーレはエステーベ家の姿を真っ先に探した。
爵位持ち領主の集まる上席にすぐにその姿を見つけた、当主のエリセオと長男のエミリオ、可愛らしいドレス姿のカルメラの姿がそこにある、だがアマンダの姿が見当たらない。
(どこにいるんだ?)
「きょろきょろしないでベルサーレちゃん」
アナベルが振り向きもせずささやいた、彼女は後ろに目が付いているのだろうか?
クラスタの家族がホスト席に到着すると、今度は貴賓が入場する番だ、ホストは立ったまま貴賓を迎え入れなければならない。
貴賓とはクラスタ家より家格や身分が高い人々だが、大公家と三家ある大貴族、あとはアウデンリートの大聖霊教会の大司教しか該当する者はいない。
例外として国外の王族が参加した事がある、五代前に外国の王家から降嫁した貴婦人がいたが、彼女の親族が参加したと記録が残っている。
今年は大公家の名代としてルディガー殿下が参加する事になっていた、彼がクラスタと縁が深いのもあるが、代替わりしてからはこの祭りに大公の臨席はなかった。
現大公が狩猟に興味が無い事と、大公とクラスタ家はルディガーの生母をめぐりあまり関係が良いとは言えなかったからだ。
貴賓が入場後に色々な事情で参列できない家からは祝辞のメッセージが届けられ読み上げられる流れになっている。
案内人が貴賓の入場を告げた、全員が立ち上がり貴賓を迎える。
まずアウデンリートの大聖霊教会の名代として副大司教が入場する、そして案内人の美声がルディガー殿下の入場を告げ殿下が大公家の名代である事を告げた。
ベルサーレは首を長くして伸び上がるようにルディガーの姿を見ようとした、だが隣のアナベルにお尻をきつくつねられ姿勢を正す。
「かあさん!!」
ベルサーレは涙目になって抗議する。
「お魚を前にした猫ちゃんみたいにしないの、余裕を見せないと殿方にあなどられるわよ?」
「何をいっているの?」
「静かにしなさい、またつねりますよ?」
それに口答えしようとしたベルは入場してきたルディガーの姿に目を奪われた、公式行事に参加した事の少ないベルサーレはルディガーの正装を纏った姿を見た事がなかったからだ。
クエスタ家やエステーベ家にお忍びで遊びに来るルディガーの姿しか目にした事がなかった、その野性的な髪も綺麗に整えられ、エルニア大公家の貴公子らしく飾られたルディガーの姿は彼女の眼にはとても新鮮に写っていた。
ルディガーの視線は会場全体を見渡すように流れていたが、それがホスト席のベルサーレのところで止まり、感嘆した様に変わり僅かに微笑んだ。
ベルサーレは嬉しくなって軽く手を振りかえす。
そこでまたアナベルに軽くお尻をつねられた。
「なんですベル?そこは顔を赤らめて少し顔をうつむき加減にそらすとかしなさいな」
「なんだよそれ」
だがルディガーの後ろから進む、二人の侍従の片方に目を奪われた。
「アマンダ!!」
「まあ、そう言えばアマンダちゃんは殿下の側使えだったわね」
アマンダがエステーベ家の席にいないと思ったらルディガーの側使えにいたのだ。
大公家の一族の侍女侍従を貴族の子弟子女が務める事は珍しくない、だが中堅豪族のエステーベ家の長女が務めるのは異例だった。
それもルディガーの乳母の家柄という事で納得されていた。
ベルサーレはそのアマンダの姿に違和感を覚えた、
彼女がまとうのは最新流行を取り入れた上級侍女の制服だ、純白と漆黒のコントラストが美しいドレス、上品で愛らしいホワイトブリムは公国の若い子女の憧れだ。
それがアマンダには全く似合わなかった、長身で無駄のない歩く彫像の様な体躯、美しい白皙の美貌とエメラルド色の強い眼光を湛えた瞳に燃え上がる炎の様な赤毛。
それらの素材と上級侍女の制服がお互いに相手を拒絶しあっていた、わずかな刺激を加えるとドレスやホワイトブリムが音を立てて弾け飛んで行きそうな緊張感がそこにある。
「似合わない・・・」
ベルサーレは思わずつぶやいてしまった。
「どちらも素晴らしいけど、合わさると最悪な結果になるそんな事もあるのね」
アナベルも同感のようだ。
そこでベルサーレは頭の中でアマンダに鎧甲冑を着せてみた、すると素晴らしく全てが落ちついた、まるで北方世界の神話の戦乙女の御姿そのものだ。
だがなぜか何かが足りないと感じる、たしかにアマンダに鎧甲冑はよく似合う、だがアマンダの最強の武器を隠していることには変わりない。
アウデンリートの大聖霊教会の大礼拝殿の入り口の破魔の聖女像を思い出す、アマンダから総てを剥ぎ取り聖なる布をまとわせ隠すべき処だけ隠しその端を風に流す。
ベルサーレの頭の中に生ける破魔の聖女その人が顕現していた、赤毛すら悪を焼き滅ぼす怒りの色に思える。
アマンダの武器はまさしく彼女の肉体美そのものだった。
ルディガー殿下が主賓席につくとアマンダ達も彼の後ろに控えた、まずはブラスの挨拶から始まり、主賓のルディガーの簡潔な挨拶が終わると祝辞のメッセージが読まれ始めた。
そしていよいよ森の恵みを感謝する儀式が始まる、その後で祝宴が行われるのだ。