夜魔の少女
夜も深まり新市街の聖霊教会も眠りに就こうとしていた、先程までリリーことベルの歓迎会で騒がしかった聖霊教会も今は静まり返っている。
サビーナは礼拝堂控室で帳簿と睨み合っていた。
そして疲れた様に顔を上げ肩を揉みほぐした。
「あの子達ちゃんとやっているかしら・・・」
拐われた子供たちは奪い返された後すぐにセナ村に送られてしまった、ファンニが戻ってきたら代わりに彼女が村に一度行く予定だった。
サビーナがため息をついたその時、窓の鎧戸が外から小さく二回叩かれた、サビーナは驚き思わず体が震える。
勇気を出して窓に向かって呼びかけた。
「誰?ベルさん?」
「サービナ殿、俺だルディガーだ」
小さな声が窓の外から応じた、彼女は確かにその声に聞き覚えがあった。
勇気を出して鎧戸を開けるて思わず息を飲む、そこには大柄な青年司祭が立っていたのだから。
「ルディガーさんですよね!?」
「サービナ殿夜分ご迷惑をかける、これは変装用に手に入れたものだ、実は貴女とここに飛び込んできたベルに話があってな」
「とりあえずお入りください、入り口はあちらですわ」
礼拝堂控室の入り口をあけようとサービナは扉に向った。
するとベルの声が窓の外から聞こえてきた。
「ルディ何か起きたの?」
「様子を見に来た、しかしお前修道女になっていたのか?孤児院にいると思っていたぞ」
ルディはベルが孤児に紛れ込んでいると思いこんでいたのだ。
「サビーナの親戚の修道女見習いって事になってる、個室を借りているんだ」
ルディは苦笑した。
「ベルよ、修道女服もなかなか似合うぞ」
「えっ、そう?」
ベルは不思議なポーズをとった、いったいどこでそれを覚えたのだろうか?
「なんだそれは!?」
入り口から出たサビーナは中庭で話し込みそうになっている二人を見かねて声をかける。
「お二人とも中にはいったらどうかしら?」
サビーナはどこか面白げに笑っていた、二人は罰が悪そうな顔をしながら控室に入っていく。
「こんなものしかありませんがお茶をどうぞ」
サビーナが謙遜しながらお茶を二人の前に出した。
そして急に彼女は態度を改めた、そして深くお辞儀をする。
「改めてお礼をいたしますルディガー様そしてリリーベル様」
それは聖霊教会の修道女の礼儀作法にそった美しいものだ、二人はどう答えるべきか困惑していたがルディが先に口を開いた。
「おかまいなくサビーナ殿、我々の判断で受けた事だ、そしてまだ終わってはいない、とにかくすわっていただきたい」
「うん、奴らが動いている、思ったより早くここに手が伸びてる」
「その話だがなセナ村の近くを嗅ぎ廻っている連中がいたそうだ、コッキーが奴らを見つけた」
「コッキー?」
サビーナがいきなり出てきた知らない名前に困惑する、ベルはまだサビーナに彼女の事を話していなかった事に気がついた。
「前話していた行方不明の友達だよ、やっと見つかって今日からセナ村のお屋敷にいる」
「思い出したわ、見つかったのねベルさん、でもいろいろと心配になってきたわ」
「話がそれたが、コッキーが怪しい二人を屋敷の近くで見かけたのだ、そいつらはお前が言っていた男女の二人組みに似ていたらしい」
ベルの眉が動いた。
サビーナの顔色が僅かに青くなっていた、しだいに状況が飲み込めて来たようだ。
「万が一の時には女の娘達も向こうに移して貰おうかと思っていたのよ、でも向こうも安全で無いとしたらどうしましょう、私は覚悟していますが子供達だけは守りたいの」
ルディもベルも幽界への門を開き超常の力を持っている、コッキーも並のチンピラが手を出せる相手では無い、だがサビーナはそれを知らないのだ。
「僕達にはいろいろ計画があるんだ」
「今は我々を信じてくれないだろうか?サビーナ殿」
サビーナは納得したわけではないが二人を信じる事にした、それは彼女の直感の様なものだろうか。
ふとルディはベルを眺める。
「ベルよ、なぜ部屋の中で修道女服のフードをかぶっているんだ?それに何かが変だな」
ベルは僅かに焦った様に僅かにどもりながら応じた。
「ルディは女性の着るものには関心が無いだろ?気にするなよ」
「まあそうだな」
「だよね」
ベルはあからさまに安心したような表情を浮かべた。
その瞬間ルディの力が膨れ上がり電光石火の動きでベルのフードをまくり上げたのだ。
下からベルの形の良い頭と見事な深紅の赤毛が現れルディは息を飲んだ。
ベルは怒ったような顔でルディを睨みつけたがそれもどこか弱々しい。
そしてサビーナは何かに気がついたような驚いた表情でルディガーを見詰めていた。
「見事な赤だが染めたのか?」
「本当は金色に染めたかったんだ、隠し通せるとは思ってなかったけど、心の準備ができてなかったのに・・・」
「すまんベル、だがな俺は赤い髪が好きだ」
ベルの頬が僅かに赤く染まった。
「黒髪はどうなの?」
「はは、お前は黒髪の方が似合うさ、アマンダ達も見事な赤毛だがこうして見ると姉妹に見えるな」
「そう言えばルディは赤毛が好きだったね、でもアマンダ三姉妹はいやだ!!」
「なぜ嫌なんだ?アマンダはエルニアじゃあ文武両道で最強の闘士と謳われている、お前は素顔・・・」
ここにサビーナが居ることに気づいたルディは口を閉じた、そしてベルもしまったと言った顔をしてしまった。
「エルニアの方でしたわね、英雄なのですねその御方」
「彼女はエルニアでは有名でな」
「私もなんとなく聞いた事がある様な気がしますわ、そうだわ聖霊拳の達人ですね思い出しましたわ」
しばらく三人はとりとめもない会話に興じた。
「さて俺はそろそろ村に戻らなければならない、向こうもいろいろ心配でな、あとベルに少し話があるので来てくれ」
サビーナは二人には何か内密の話があるのだと察した。
「ルディさん子供たちをよろしくお願いします、子供達にはご迷惑をかけないように言っていたと伝えてください、近日中に私もそちらに参りますわ」
「サビーナ殿も身の回りに気をつけてください、ベルは頼りになるので遠慮なく相談してください」
ベルはその言葉に嬉しかったのか微笑んだ。
「サビーナ僕を頼っていいんだよ?」
サビーナは少し苦笑しながらベルに笑い返した。
「ありがとう、明日からよろしくね修道女見習いさん」
「えっ!?はい修道女様?」
「さてそろそろお暇します」
ルディとベルは控室から中庭に出ていく、そして何事か親しげに語り会いながら夜の闇に消えていった、サビーナはしばらくそれを見送る。
ため息をついてサビーナはつぶやいた。
「あの方達はただの商人では無いわ、それにあの不思議な気配、私は少し見えたり感じたりするのよ・・・あの方もベルさんと同じだわ」
サビーナは残りの仕事を片付ける為に控室に戻って行く。
新市街の聖霊教会から離れた旧市街の南西の倉庫街、ここには大商人の倉庫が集まりテレーゼの流通の要となっている、そのジンバー商会からさほど離れていない路地を一人の酔っぱらいがくだを巻いていた、片手に小さな酒樽を抱えて時々飲み干している。
その男はオーバンだジンバー商会のあのオーバンだった、時々壁を蹴りながらふらふらと歩く。
その酔っぱらいが壁にもたれかかった時何かに気づく、そこは先日青いワンピースの娘がオーバンの部下を二人惨殺した現場だった。
その時その壁は鮮血で赤く染まったのだ、今は洗い流されているが僅かに染みが残っていた。
「ひぃいぃぃ」
オーバンは慌てて壁から離れたが足がもつれて無様に転ぶ、その時誰かが彼を嗤った様な気がした。
誰が嗤ったのか周りを見渡すが誰もいない、だが路地の北側のかなり離れた場所に人影がある。
「あいつだな、くそが!!」
オーバンは人影に向かって走った、だが酔っているので決して早くはない。
その人影はオーバンに気がついた、それはそこの宿屋で働くちいさなマフダだった。
彼女は店を閉める準備をしていて運悪くオーバンと遭遇してしまったのだ。
「お前か、よくも笑いやがったな!!」
オーバンは恐怖で固まっていたマフダの腕を捕まえ平手打ちを加えようとした、マフダは必死に体当たりを食らわす、
その想定外の動きで足がもつれ転ぶ、その空きに彼女は宿屋に飛び込んでしまった。
扉を閉め中から鍵を掛ける音がした。
「くそ、出てこい!!」
オーバンは扉を何度も蹴るが彼女が扉を開ける訳がなかった、しばらくすると壮年の男の声が中から聞こえてきた。
「誰かしらねえが警備隊に通報するぞ!!」
オーバンは俺はジンバーのエイベルの甥だと叫ぼうとしたが、もうエイベルの名前もジンバー商会の名も使うことが禁じられている事を思い出した。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって、クズどもが!!」
またふらふらと宿屋から離れていく、そしてまた樽の酒をあおった。
だが何かを思いついた様に歪んだ笑いを浮かべる。
倉庫の間の狭い隙間に入り込むと懐から小さな箱を取り出した、それは最近流行りの巻きたばこセットだった。
その中から発火装置を取り出した、それは小さな魔術道具で非常に高価な一品だ。
彼は倉庫の隙間に落ちている燃えそうな物を拾い集めて行く。
「あなたそこで何をしているのよ?」
突如少女の声がする、それはオーバンの知らない声だマフダでも無い、オーバンは周囲を見回すが声の主が見当たらない。
「ウフフ、上よ、上を見なさい」
オーバンが上を見上げて思考停止に陥った、人形の様な小柄な少女が逆さまに宙に浮いていたのだから。
純白のドレスが夜の闇に映えた、その目は赤く輝きアルカイックスマイルを浮かべていた、年齢はマフダと同じぐらいに見える。
そして彼女の長い髪はだらりと不気味に真下に垂れ下がっていた。
オーバンは思わず息を飲み三歩後ろに下がる。
だが目が慣れると彼女は浮いているのではなく、両側の倉庫の壁を両足で踏みしめ逆さまに体を支えていたのだ、そしてスカートがめくり返らないようにその先を摘んでいる。
それは軽業師でも簡単にできる技ではあるまい。
「なんだ、お前は!?」
オーバンの語尾は震えそこには恐怖があった。
少女は両足を閉じて頭から落下する、一瞬オーバンが驚く、だが彼女は宙で半回転しながら着地しオーバンに正対した、おそるべき体術の持ち主だ。
「あなたマフダの宿に火をつけるつもりね?ずっとみていたのよ」
少女が数歩進みオーバンに迫る、オーバンは本能的な恐れから数歩下がった。
彼女の顔色は病的にまで白くそれは青みすら帯びていた、そしてその目は血のように赤く潤んでいた。
その栗毛色の豊かに波打つ髪は腰まで伸びている、まるで精巧な作りの人形の様だ。
彼の手から巻きたばこの箱が落ちて石畳みに音を立てる。
「なんなんだよ、お前は」
少女は笑った、その口が開くと鋭い犬歯が頭を覗かせた。
「ひっ!!」
酒樽が石畳の上に落ちた、そして転がって壁にぶつかり止まる。
オーバンは逃げようとするが体が思うように動かない、その腕が少女に掴まれ鋭い爪が皮膚を突き破った。
「ああっ!?」
オーバンは振り返り自分の腕を見た、傷口から血が吹き出すがそれが少女の皮膚から見る間に吸収されていく。
もはや口を動かすだけで助けを呼ぶ声もでなかった。
さらに爪が肉に食い込んでいく、だがなぜか傷みを感じなくなっていく。
「ひいっ」
オーバンの瞳はもはや恐怖しか写していなかった。
少女の爪はルビーの様に赤く輝き、その肌は薄桃色に見る間に染まっていく、彼の混濁する意識の中で少女はとても美しく輝いていた、それはやがて激しい情欲へと変わる。
「ウフフ素敵でしょ?楽しくならないかしら」
オーバンの肌は土色に変わり徐々に萎びて行く、まるで古いミイラの様に、それとともにオーバンは今までの人生では味わった事の無い至福の感覚に包まれていた。
「へへへ気持ちいい」
彼はにやけた笑みを貼り付けたまま見るまに乾いて行く、何かが縮んで行く不快な音と小さなひび割れる音が混じり合う。
「う・・へへ・」
もはや人の言葉とならなくなり、やがてオーバンだった物は何も語る事もなくなった。
「家来のそのまた家来にしてあげたわ、マフダに手を出そうとした貴方にはやさしすぎたかしら」
やがてその人の形をした何かはゆっくりと通路の奥に向かって歩き始めた、どこに行こうとしているのかそれは誰にもわからない。
少女はすでにオーバンへの興味を無くしていた、そして小さなマフダの宿を見ると小さくつぶやく。
「久しぶりに見たわ、元気そうでよかった」
少女の肌は薄桃色に変わり、その頬はほのかに赤味を加え、可愛らしい唇はヌメっている、彼女は口を歪めて笑った。
「いやねすこし酔ったかしら」
次の瞬間少女の姿は路地裏からかき消えていた、だが消えたわけではない倉庫の屋根の上に飛び上がったのだ。
彼女は楽しげに屋根から屋根と飛び移りながら北を目指して行った。
空から細く欠けた白き月がハイネの夜空を照らしていた。