深紅の淑女
ラミラとジムの二人は想定外の場所でジンバー商会の用心棒を惨殺した青いワンピースの娘と遭遇してしまった、そしてこの娘も人外の力を持っている疑いがある。
今二人はセナ村を静かに離れて行く、ラミラはもっと調べたい欲を振り切り思い切って撤退を決意した、ジムも彼女の判断を歓迎した。
「あの娘に嫌な予感がしたのよ、私は自分の感を信じているのよ、それに私達の仕事は情報を確実に持ち帰る事」
「そうですね、あと俺もあのちびっ娘の事わすれてました」
「あの娘が奴らと一緒に居る可能性を忘れていたわ、あの娘はハイネの野菊亭にはいなかったけどセナ村に今までいたのかしら?他の三人もあの村にいるかもしれないわね」
だが会話はそこで途切れた、ハイネに向う小道を進む二人の前方から一人の男がこちらに向かってやって来たからだ。
その男は職人風の背の高い痩せた男で工具箱を脇に抱えている。
二人は警戒を強めた。
「奴らではないわね、どうしたのジム?」
「いえ、なんでもないっす」
ジムはその男がテオ=ブルースだと気がついていた、だがジムとラミラを尾行して来たのか、セナ村を監視していたのかまでは判断がつかなかった。
やがて二人が彼れとすれ違う時が来る。
「こんにちは、セナ村に行くの?」
ラミラからまず気安げに挨拶する。
「やあ、こんな時間だが錠前の修理にいくのさ」
狭い道で彼らはすれ違った、男は足がもつれたのか姿勢を崩してジムに軽くぶつかってしまう。
「おっとすまん」
そう言い残し男はそのままセナ村の方に歩き去って行く、ラミラは大した関心も払わずにふたたび歩き始めた。
しばらくすると三叉路が見えて来る、まっすぐ進むとハイネの新市街の聖霊教会の近くに出る、右折するとハイネとリェージュを結ぶ街道に出る、だが二人はそこを右折して行った。
ジムは歩きながらテオが懐に滑り込ませた小さな古い羊皮紙を取り出した、新しいインクで古い手紙の上に書き込まれていた、読みにくいがコッキーがピッポとテヘペロを叩きのめし魔剣を持って逃亡した経緯が簡潔に書き記されていた、そしてあの二人は無事だと書かれていた。
ジムは大きく安堵した。
だが最後にこれからは自分の思惑で動くとテオは宣告していた、文字はかなり乱れておりジムは彼の怒りをそこから感じた。
それを一読すると素早く懐に戻す。
テオはピッポやテヘペロにはいろいろ大きな恩があるのですぐには敵対しないだろう、ジムはその考えに達していた。
「しばらくは好きにさせたほうがいいっしょ」
ラミラがジムの一人言を聞きとがめて後ろを振り返った。
ジムはテオが冷静さを失い無茶をしなければ良いと古い仲間を心配した。
マティアスが『精霊王の息吹』の階段を降り、地下のギルド本部に顔を出した時、いつもと違い重い緊迫した空気を感じた、昼に顔を出したときと雰囲気が違う。
ギルド長の席に座ったベドジフの顔を見てすぐにその原因がわかった。
「ベドジフさん、これを届けにきました」
マティアスは両開きの扉が付いた伝言板を1枚ベドジフに手渡した、エスタニアでは羊皮紙や紙を節約したいときにこの伝言板が使われる事が多い。
何度か文字を消して再生利用できる長所がある、これも改良が進み内板を取り替える事で長く使える様にした物まである。
また板の代わりに石版を納めて白墨で文字を書ける様にした物すら発明されていた。
上層の人々の中には豪華な伝言板を愛用する人々がいた、そして共通した欠点は羊皮紙や紙より重くかさばる事だった。
「ああ?地下酒場からか・・・」
マティアスはベドジフの机の上に別の伝言板が置かれているのを目にした。
「これは、お前が見る必要はない!!」
マティアスの視線の先に有るものにベドジフは気づいた様だ、老人はその伝言板の蓋を閉じてしまった。
ベドジフはマティアスから受け取った伝言板を開いて一読しそれを閉じる。
「適当にまっていろ、返事を書くまで少しかかるわい」
ベドジフは軽くマティアスを手で払うような仕草をした、内心むかついたがマティアスは耐えた。
「わかりましたベドジフさん、俺は他の用をすませます」
マティアスは誰もいないリズの席に一瞬目を走らせピッポの席を目指した、ピッポはノルマを果たすためにいつもより作業に集中している様だった。
目に前に誰かが立っている事に気づいたのかピッポは頭を上げた。
「誰かと思えばマティアスさんでしたか」
「ギルド長に伝言板を届けにきたんだ、ところでリズはいないのか?」
「心配ですかな?」
「あいつ一人で昨日は総ての仕事をこなしていたからな」
「リズさんは今日は非番ですよ?仕事明けは術士は非番の決まりじゃないですか」
「そうだが、昼にはいただろ?」
「それは貴方がお昼を食べさせて上げるからでずぞ、彼女はそれでギルドに出てきたのですよ、イヒヒ」
「リズは食ったから帰ったのかよ?」
マティアスの顔に呆れ気味な色が差した。
「それもありますが、死霊術師の昇格試験が行われる事になったんです、彼女は勉強の為に慌てて帰っていきました」
マティアスは声を小さく落とした。
「中位魔術師が二人いなく成ったのと関係あるのか?」
この情報はまだ広くは知られていないのだ。
「詳しい事は知りませんが、おそらくそれでしょうな」
ピッポとマティアスはお互い苦笑いを浮かべた、消えた魔術師のオットーの末路を二人は知っているのだから。
「で試験はいつなんだ?リズに見込みはあるのか?」
「私は詳しくは知りません、さり気なく聞いてみましょう」
「頼むぜ」
ピッポはニヤけながらうなずいた。
「しかしあの胸のデカイ女こえーな、鉄が蒸気になる温度なんだって?」
「私もその意見に賛成ですぞ、イヒヒヒヒ」
「マティアス来い!!」
その時ベドジフがマティアスを呼びつけてきた、伝言ができたのだろう。
「じゃあおっさんまた連絡を入れる」
「いろいろきな臭くなってきました、マティアスさんも気をつけるのでずぞ?」
「ああ、またな」
マティアスは軽く別れを告げるとギルド長の席に向かった。
ハイネの中心にある大広場、この広場を取り囲む様に整備された大通りに面して、ハイネ評議会の庁舎や大商会の建物が立ち並んでいる。
その中でもコステロ商会の本館は一際目立つ瀟洒な赤い煉瓦で造られていた。
その本館のコステロの執務室はその力にふさわしく豪華で成金じみた調度で飾り立てられ、白い厚めのカーテンが引かれ部屋の中は昼間なのに薄暗かった、僅かな光がそれらの調度品を照らし出している。
コステロは執務机の前で寛いでいたが、その前に壮年の恰幅の良い男が悄然と立ちすくんでいた、その男はジンバー商会のエイベル会頭その人だ。
そして部屋の扉の前には冷酷そうな鋭い目つきをした腹心のリーノが控えている、他にはこの部屋には誰もいない。
「化け物に対抗するから化け物が欲しいとね?」
コステロは机に肘を立て顔の前で両手を組みながら、少しニヤけながらエイベルの請願に答えた。
だが遮光眼鏡のせいでどのような表情をしているのかわからない、この男は部屋の中でも遮光眼鏡を取らない事で知られていた。
「バルタザールに貸しているキールが押される程の規格外だぜ?そうそういるわけないだろ?」
「あのキールが押される程ですか?それは初めて聞きました」
「これをどこまで公開するかまだ決まってなくてな、とりあえずお前だけなら知っていてもかまわんだろう、決まるまでは誰にも話すな」
「わかりました首領」
「実は奴らの話を聞いて乗り気になっているのがいてな、お前に貸すわけにはいかないが、事前に計画を立てるなら協力できる」
「その人物なら奴らに対抗できるのですか?」
「できる、そいつが人物と言えるのかはまた別の話だ」
エイベルの顔が青ざめ引き攣る、エイベルにはその人物に思い当たる事があったからだ。
「深紅の淑女・・様ですか?」
コステロがニヤリと笑う、エイベルにはコステロもどこか人間離れした化け物に見えた。
とつぜん執務机の引き出しの中から耳を突く音が鳴り響いた、エイベルのからだが一瞬震える、コステロは引き出しを開け中にある魔術道具に触れると音が消える、そして苦笑しながらエイベルを見上げた。
「早くこいとさ、きっとご機嫌ななめだぜ、なあエイベル?」
エイベルの顔が一段と青ざめた。