聖霊教会に迫る危機
ジンバー商会の会頭室に会頭のエイベル=ジンバーが帰って来た、その彼を執事長のフリッツが迎える。
執事長の彼には普段は精力的で生気に満ちた会頭がこの時ばかりはぐったりと憔悴しきっている様に見えた。
「くそあの糞爺調子にのりやがって!!」
それにフリッツは頭を下げ苦笑しながら応じた。
「糞爺とは死霊術ギルドのベドジフ様ですか?」
「そうだ!!奴以外いるか?」
エイベルは豪華な革張りの執務椅子にどっしりと座りこみ背もたれに身を預ける。
彼はコステロ会長の帰りを迎えに本館に出向き、そのまま報告と会議をしてきたのだ、そして彼の立場は今のところ良いものではない。
コステロ会長の別邸に運び込む予定だった商品を奪われ、ジンバー商会の精鋭実力部隊を失い、死霊術ギルドから借り受けていた術士まで失った。
先程まで死霊術ギルド長のベドジフから嫌味を言われそれに耐えていたのだ。
失われたと言っても簡単に魔術師は補充できるものではない、死霊術ギルドは術士の育成中で術士の数がまだまだ足りないと聞いていた、そして向こう側でも問題が起きているらしく、クランの代わりは出せなとまで言われてしまった、ただし下位術士で良ければ貸せると。
だがエイベルとしてはバルタザールに貸しは作りたくはなかった。
そして精鋭部隊の壊滅が深刻な波紋を起こしていた、定期的にコステロの別邸に運び込まれる商品は極めて極秘かつ重要なものだった、精鋭の護衛をつけることでコステロに忠誠を示していたが、それが今回完全に裏目にでたのだ。
単純な暴力ならば新市街の犯罪組織など使える駒があるが、奴らには高度な仕事はまかせられない、信用も能力も不足していた。
「エイベル様、ローワンから面会要求が来ています重要な報告があるそうです」
「なに?すぐに会おう」
フリッツは若い執事を呼びつけローワンの元に使いを走らせた。
「なにか進展があったか?」
フリッツはしばらく考えそして答えた。
「詳しいことは私にはわかりかねます」
しばらくするとローワンが会頭室に姿を表した、二枚目半のどこなくとぼけた顔をした男だが、その能力と実績は疑う余地は無かった。
柔軟な思考のできる男故に緊急任務チームを任せていた。
「ローワン何かわかったか?」
「例の三人組が輸送隊を襲った襲撃犯と同一である可能性が高まりました、まだ確かな証拠はありませんがね、また例の聖霊教会とあの三人組の間に明確な繋がりがありました、輸送隊襲撃犯と彼らが同一である可能性も高くなりました」
「聖霊教会と奴らにどんな関係があるのだ?」
「例の三人があの聖霊教会に姿を表しています、それも5日程前からです」
「まて輸送隊の襲撃の前からじゃないか!!我々が虎の尾をわざわざ踏んだか、それで奴らの居場所はわからないのか?」
「彼らは昨晩までハイネの北東区の宿屋に宿泊していました、そこを突き止めましたが今朝早く退去しています」
「逃げたな」
ローワンは静かにうなずきそれを肯定した。
「ならば聖霊教会の奴から詳しい事情を聞き出せるのではないか?たしか修道女が二人だけの小さな聖霊教会だったな」
「若い修道女が二人いるだけですが、奴らと関わっているなると話が違います、あのオービス隊を壊滅させたかもしれない連中ですから」
「奴らがいない機会を狙えないのか?お前たちには支援を頼み、実行は新市街の奴らを使おう」
「例えば『赤髭団』ですか?彼らはまだ事情を何も知りませんでしたね」
赤髭団とは新市街の宿屋『大酒飲みの赤髭』の下のいかがわしい地下酒場を本拠にしているマフィアの名前だった。
新人募集部隊の護衛やつまらないいざこざに彼らの力を利用してきた、ジンバー商会に従っているケチな小悪党の集団の一つだ。
「これ以上の損害は俺たちには耐えられない、俺はコステロ会長からハイネの仕切りを任されている、これ以上傷が深くなるとそれが危うくなる」
「彼らが全滅させられても傷は小さいと」
「ああそうだ・・・」
ローワンは会頭の打算を理解できたが疑問も感じていた、巧く行けば問題ないが彼らが捨て駒にされたと知った時どうなるか、そして彼らには彼らなりの役割がある。
そこでローワンは最大の懸念を打ち明ける。
「エイベルさん、奴らが力で来た時に対抗できますか?」
「奴らがここに殴り込んでくる?常識ではありえないが、まさかな」
「数が少なくとも質に圧倒的な差がある場合我らが負けるかもしれませんよ」
「それだけ非常識な奴らなのか?ああ理屈では解っていたが実感がなかったか」
「せめてオービス達がいたら・・・」
「人の損失は大きいですな」
「ああそうだ」
エイベルもそれに賛同する、疲れた様な声からそれは彼の本心からの物だと感じさせる何かがあった。
「会頭、現在修道女の周辺から奴らのあぶり出しを進めています」
「修道女共があの三人を隠していると言うのか?」
「可能性はありますね、隠さないまでも知ってる可能性は高い、奪い返した子供達と一緒にいる可能性すらあります、調査をすすめればいずれは明らかに」
「人手は足りるかローワン?調査部から人を回しても良いぞ」
「今は数が必要な状況ではありません、その時には改めてお願いします、むしろ今は力が必要です」
「わかっている、だが立て直しには時間がかかる、何か手は無いか・・・」
「恥をしのんでコステロ会長に相談されてはどうですか?」
今まで静かに控えていた執事長のフリッツがここで口を開いた。
「ローワン君の意見に賛成です、メンツに拘り傷を広げるよりましでしょう」
「わかった」
エイベルもそれを決意したようだ。
エイベルは頭を抱えて薄くなった髪を無意識にかきむしる。
「くそ孤児院など襲うんじゃなかった」
執事長のフリッツが驚きに目を見開いた。
そこでローワンは密かに疑問に思っていた事をエイベルにぶつけた。
「会頭、なぜ今回急に孤児院を襲おうとしました?新市街の浮浪児の子供を攫うのとはわけが違います」
「急に大量に商品が必要になったんだ、それはアイツの発案でな、アイツに最後の花を持たせてやろうと奴のアイデアを採用したんだ」
「それはまさか甥御殿ですか?それで最後の花とは」
「オーバンは仕事ができない上に現場の士気を下げる、大恩のある兄貴の息子だから置いてきたが、余計な怪我人や死人まで出した、もういいだろうと思ったんだ」
エイベルはオーバンをまったく評価していなかったが、長年に渡りいろいろ甘い態度を取り続けてきた。
それがオーバンを増長させたが、自分が評価されていないのは解っているようで、それがますます彼の評価を下げる行動に繫がっていた。
「余計な話をしたなローワン」
「いいえ会頭おかまいなく、さて私は一度戻ります、奴らの手がかりを見つけしだいまた報告しますよ」
ローワンは会頭に軽く挨拶をすると会頭室を後にした。
ハイネの空はここ数日快晴が続いていた、その太陽も少しずつ傾きかけた午後、林の木漏れ日の中の小道を南に向う二つの人影があった。
それはジンバー商会特別班の通称雑用係のラミラとジムの二人だ。
「ラミラさん、この道で奴らと出会ったらどうします?」
「はは『こんにちわ』って挨拶して通り過ぎるだけよ?顔をまだ知られてないわ」
「平然としていられる自信がないっすよ」
「そうか奴らの馬鹿力を見ていたんだね?ジムあんたなら大丈夫だよ」
ジムは表情から感情が読みにくい男で、年齢不詳な容貌だった。
「そうですかね?でも奴らは人間じゃあないっすよ」
「組織はその秘密を知りたいみたいね」
「ラミラさんは信じているんですか?」
「人間とは思えないのを何人も見てきたの、自然に受け入れるわ、組織が関心を持つならなおさらよ?」
ラミラは何か不思議な笑みを浮かべた、それがジムを不安にさせる。
「聞かないほうが良さそうっすね?」
ラミラはくすくすと笑い始めた。
「まあ知らない方が良いかもね」
いつの間にか二人はセナ村の入口に近づいていたようだ、その先を曲がると村を一望できる地点に来ていた。
「いきなり村には入らないわ、小さな村よ一回りしながら全体を観察するわ、林に囲まれているので隠れ易いわね」
アミラを先頭に二人は慎重に林の中に踏み込んでいく。
ラミラの指導で林の木々の間からのぞく村の家々の配置や特徴を頭に叩き込んでいく、万が一の逃走経路も頭の中に描いていった。
しばらく進むと二人は足を止めた、どこからかラッパの音が聞こえて来たからだ。
「なんですかね?」
「トランペットかしら?楽器には詳しく無いからわからないけど、こんな処に演奏家がいるなんてね」
その音は聞き慣れない曲だったが、どこかで聞いた事のあるような不思議な演奏だった。
「どうします?」
「とにかくジム進むわよ」
二人は林の中を進んでいくと、その演奏は村の中ではなく林の中から聞こえてくる様だ。
大きな農家が村の外れに建っていたが、その裏側の林の中から聞こえてくるのだ、二人はいよいよ慎重になりゆっくりとその音の元に進んで行く。
林が小さく開けた場所で、林の木漏れ日の中、一人の少女が片手サイズの小さなトランペットを懸命に演奏していた、それは音楽にも詳しくない者でも卓越した技量の持ち主だとわかる。
その曲はまったく耳慣れぬもので、まるで太古か未知の大陸の曲でもあるかのように不思議な物悲しい調べを奏でていた。
ふたりは思わず小さな茂みの影に身をひそめた、だがジムはその少女の後ろ姿に見覚えがある様に感じていた、青いワンピースと肩までの乱れた薄い金髪に小柄で繊細な体つき、彼はにわかにあせりはじめる。
それはジンバー商会の二人の用心棒を一刀で両断したガラス玉の様な目をした少女の姿を思い出したからだ。
「ラミラさん、あいつ奴らの仲間かもしれませんよ」
ジムはかなり混乱していた、なぜこの娘がここにいるのかわからない、彼女はテヘペロやピッポ達と一緒にいるはずだった。
「準備がおわったのですかね?」
それはかすれたような小さなつぶやきだった。
ジムは2日ほどピッポ達と連絡がとれていない、特別班に移動して外部との連絡が切れていた事を今になって気がついたのだ。
「肖像画のあの娘ね、こんな処にいたのか・・・たしか名前はコッキー=フローテンね?」
「えっ!?そうっす」
「私が対応するわ」
ジムとラミラは茂みの影から出るとその少女の方に向かって歩き始めた、二人が踏みしめる枯れ枝の音で少女の耳が野生の動物のように僅かに動く。
そして彼女はジム達の方を振り返った。
その瞬間ジムとラミラの足もとまる。
ジムははっきりと少女の顔を見た、この少女は間違いなくあの大剣でジンバー商会の用心棒を惨殺したあの少女だ、そして一瞬だけ彼女の瞳が異様な光を湛えていた様な気がした、だが改めて見ると彼女の瞳に特に異常は無い。
そして彼女の首から下げた傷一つ無い黄金のトランペットが不自然なまでに美しく輝いている、これが黄金ならばさぞや高価な物だろう、この少女とあまりにも不自然な組み合わせだった。
「こんなところにだれです?」
それは不審に満ちた棘を潜めた声だった。
ジムは今までまともにこの少女と話す機会は無かったが、少女が妙にふてぶてしく感じた。
「私達は山菜をとりにきたの」
ラミラが小さな野いちごをつまんで示した。
「ここはきっとセナ村の人のものですよ?叱られますよ、山菜取りで何度も叱られたからわかるのです」
「ごめん調子にのってこっちに来すぎた、小さな弟がたくさんいてね大変なのよ」
「解ります!!孤児院にいた時によく山菜や果物を森まで取りにいきました、村の人に叱られますが聖霊教会の孤児なら取ることができたのです」
「まあハイネの聖霊教会の孤児院の娘なの?」
コッキーが眉を潜めただがすぐに言葉を紡ぎ出した。
「あるところの孤児院にいたのです・・・」
コッキーはそのままうつむき気味に黙りこんでしまった、やがて顔を上げるとジム達を見上げた。
「そろそろお仕事があるのです」
コッキーはそのまま大きな屋敷に向かって大股で歩き去っていく。
「ラミラさん調べますか?」
「当然よ、いやまってあれを見な」
屋敷の納屋の前で少女がこちらをまっすぐに見ている、それは異様な何かを感じさせる佇まいで、彼女の顔はよく見えなかった。
ジムはあのガラス玉の様な目をしたあの大剣を担いた少女を思い出していた、背中に悪寒を感じた。
「なんだろう嫌な感じがするわ、いったん引き上げましょうか」
ラミラは少女に向かって手を振ると遅れてジムも手を振る。
少女も小さく手を振り返してきた。